くろやんの日記

思考・映画・ごはん・旅・自転車・読書・ライフハックのメモ帳

チャップリンの「独裁者」を観て、感想メモ

 

独裁者(字幕版)

独裁者(字幕版)

  • 発売日: 2020/05/21
  • メディア: Prime Video
 

世界史の資料集の端に載っていたのが出会いのきっかけで、さらに世界史の先生にもことあるごとにオススメ(教室内で先生からみたら多数への呼びかけという形だけれど)されて、高校を卒業して相当年数が経った本日、初めてチャップリンの独裁者を鑑賞しました。

 

美化された先生のオススメの言葉と年数のせいか、最後の演説はものすごく感動的なのだと期待値が超絶高くなってしまっていたせいなのか、最後の演説は納得部分もありつつも、あまりにも民主主義を完全視しすぎているようなメッセージにも聞こえて、2021年を生きる私に完全な感動はやってきませんでした。

きっとなんらかの支配に置かれている状態だったら、喝采していたと思う。あのメッセージを、懐疑的に受け取ろうとすることができる民主主義の中に生きることができていることに感謝したいとは思いました。

 

おやすみなさい。

 

 

 

 

 

 

 

一番良かった映画何?を更新した映画「ニュー・シネマ・パラダイス」

 

ニュー・シネマ・パラダイス (字幕版)

ニュー・シネマ・パラダイス (字幕版)

  • 発売日: 2013/11/26
  • メディア: Prime Video
 

先日、友達にオススメしてもらって鑑賞した映画「ニュー・シネマ・パラダイス」紹介してもらってから数ヶ月が経とうとしていたのですが、エイヤっと時間をつくり、夫婦でワインを開けながら鑑賞しました。

いきなり語彙力のない感想で申し訳ないのですが、とにかく、「感動」「素晴らしい」という言葉に尽きます。マイベスト映画は「ショーシャンクの空に」でずっと不動の第一位だったのですが、見事に塗り替えられました。

今後、一番好きな映画は?と聞かれたら「ニュー・シネマ・パラディソ(パラダイス)」と答えます。それくらい、あらゆる方向から「イイ……」と思える映画でした。

 

あらすじや話の流れは色々な人が書いているので、私はここで書くことはしませんが、完全にネタバレしまくる感想と考えた事を書きなぐるので、まだ観ていない方はご注意ください(というか是非鑑賞してから読んでください)

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1.映画そのものが題材となっていること

「イイ……」と思える全ての根源はこれなのでは?映画そのものが題材となっていることで、以下の事象が発生していると思いました。

 

(1)映画を観る(夢を観る)側(お客さん)と映画を観せる(夢を観させる)側の誕生

トトが30年間も故郷に戻っていなくて、戻るところから始まるこの映画。その発端でもあるのが、アルフレードがひたすらトトを町から追い出そうとする各場面。まずアルフレードは映画からトトを遠ざけようとしますが、トトは結局映画から離れず、しかし(多分)当初アルフレードはトトがタダで映画を観たいだけなのかと思っていたら、トトは映画を観せる側で在ることに入り浸ります。(この辺りからアルフレードの態度も変わってくる気がします)

アルフレードは映画は一時の夢であることを知っており、その夢に見せられてしまえば自分で夢見ることはできなくなり、この町から出て本当の夢を追いかけることはできなくなる。そのようなことを考えてトトを遠ざけていたのかもしれません。が、トトは映画、つまり夢を見せる側へ興味をもちます。

けれども本当に夢を見せる側になりたいのであれば、やっぱり夢の世界の住人(その町の住人)でありつづけていてはなれません。だったここは夢だから。なのでやっぱりアルフレードはトトに町から出るよう言い続けたのだと思います。

 

(2)町自体も夢

広場は町の中心にあり、その同じく中心に映画館があります。映画=夢であるとすると、中心に映画館がある町=夢。そう、町は夢の世界。だからこそ町にいる間は恋の時間も楽しい時間。けれども一度町を出てみると、消えてしまう。夢だったから。

(けれども恋は、町を出て現実をみれば映画のようにうまくいくことばかりではない、という主人公にとっての最初の現実にもなっているように思います)

 

2.映し出される一見意味が分からない日常のシーンの隠された意味を考えるのが楽しい(=様々な解釈ができそうでまた観たくなる)

 

(1)シーン1:若かりし頃乗っていた車の中にニワトリの巣

映画の終盤です。主人公はアルフレードの死の知らせを聞いて、30年ぶりに故郷に戻ってきます。ふと、若かりし頃、恋人とドライブをした車が道端にあるのを見つけます。中を覗くと、ニワトリが巣を作って卵を生んで、ヒヨコもいました。

これは恋人とは結ばれなかったトトへの皮肉にも見えますし、(夢である町に残ったニワトリたちは結ばれて家庭をもっている)町に残っていたらトトにもありえた未来の1つだったのではないかと思います。すでに車はボロボロですが、中には幸せがたくさんつまっているのです。

 

(2)シーン2:お母さんが編んでいた編み物

これも終盤のシーン。編み物中にトトが30年ぶりに戻ってきたことに気がついた母親は、玄関までトトを迎えに行きます。慌ててしまい、編み物の先も一緒に持っていってしまい、編んでいた「何か」はどんどんほどけていってしまいます。この毛糸がどんどんほどけて巻きもどっていくシーンは、時間が巻き戻っていくのを表しているのではないでしょうか?

 

(3)シーン3:これはお前のものだから、俺が保管しといてやったフィルム

一番最初にアルフレードとのやり取りで行われたやりとりが、一番最後のオチで帰ってきました。すっかりこのやりとり忘れていた私はやられました。ここで涙腺崩壊です。このフィルムはトトにしか意味をなさないフィルムとなっているのもまた「イイ……」と思えるポイントかもしれません。

 

3.誰もが主人公となっている

この映画では、色々な町の人が登場人物として出てくるのですが、どれも脇役ではなく、必ずどこかの場面において主役のように描かれています。

神父さん

映画館をサッカーくじで復興させた男

いつも「自分の」広場を歩く男

ちょっと間抜けな同級生

などなど。

それはこの町自体が映画で、主役である主人公が、常に映画を観せる側に回っているせいかもしれません。たった2時間程の物語のはずなのに、町の人がみんな知っている人なんじゃないかと思うくらい身近に感じてしまいます。

そう、きっとこう思う時点で、私も夢の世界の住人になってしまっているんですよね。いつのまにか、自分も映画の中に。つまりちゃんと夢を観せられてしまっているんです。

 

 

というわけで一旦の感想は以上です。またもう一度みたら、また違う感想を書いてしまいそう。あの子から観たこの夢、あの人から観た夢はこうだったんじゃないか、と夢がどんどん膨らみます。

いい夢みさせてもらいました。

余談ですが、見終えた後、ララランドの監督は絶対これ観ただろうし、絶対ちょっと意識してない?って思いました。あれもある意味で夢の世界のお話。

 

おやすみなさい。

 

 

 

 

 

 

 

 

コクリコ坂を観て想像する、上の世代のあれこれ

 

今日の金曜ロードショーはコクリコ坂から。

耳をすませばとはまたちがった青春ジブリ。こんなにも時代が違うのに、こんなにもキュンキュンさせてしまう描き方ってすごいなあと思いながら鑑賞はもう3、4回目でしょうか。

 

生きている時代背景が違いすぎて、でもこうした中で育ったらそう思うよなあ、と、上の世代の価値観に思いを馳せながらいつも見ています。

 

正直、今の時代の今の自分が、風間さんとか水沼さんには絶対キュンとはならないんだけれど、あの時代に生きている女性の気持ちになるとめちゃキュンキュンします。

 

そんなことを考えていると、人と人を違うものって人種や言語や生物的な違いを超えて、世代(時間)が一番壁を作っているんじゃないだろうか、ということもふと考えたり。

 

さて金曜日に安心のジブリ作品を見て週末を迎えるのはよき週末を迎えるための儀式になりつつあるような。

 

金曜日は安心できる映画を観て週末を迎えたいこの欲求はなんなんだろうか。

 

おやすみなさい。

ビートルズがいない世界なんてつまらないわ。映画「Yesterday」感想

Amazon.co.jp: イエスタデイ (字幕版)を観る | Prime Video

 

もしも世界中の人がビートルズのことを忘れてしまったら。

ペニーレインは何ていう店名になっていたんだろう。あの美味しいブルーベリーパンはもしかしたらなかったのかもしれない?

pennylane.company

 

おもひでぽろぽろで描かれていたように、日本の若者にバンドブームはこなかったかもしれない?

 

影響の範囲の幅が広過ぎて、ビートルズがいなかった世界なんて考えられないのですが、そんな考えられない世界を描いたのが「Yesterday」です。

 

もしもを描いた作品というのはもはやありきたりな感覚もありますが、私たちの生活に水や空気のように当たり前に溶込んでいる文化が消えている世界について、見ている私たちにも妄想の余地を与えてくれるような、詰め込みすぎない映画でした。

 

そしてやっぱり一番大事なものを教えてくれるのもビートルズ……

音楽やちょいネタも楽しかったので、ビートルズファンにはたまらない作品だと思います。

一番大事なものを大事にする人生にしたいなあ。

 

おやすみなさい。

 

 

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慌てない人生を生きて行く〜映画感想「ターシャ・テューダー 静かな水の物語」

 

昨年、森と川がある町で暮らす友人の元を尋ねました。

やり直し修学旅行に一緒に行った友人です。

www.kuroyan.tokyo

 

不便なところもたくさんあるであろう、町の暮らしを思いきり楽しむ友人からオススメの映画として勧められていたのがこちら、「ターシャ・テューダー 静かな水の物語」です。

友人と一緒にいると、地に足をつけて生きて行きたいなあ、と改めて自分の土台を確認するのですが、地に足をつけることを忘れてしまったら、まあこの映画も結構いいよ、というメッセージを友人からもらったような気がします。

 

ターシャ・テューダーは、アメリカの絵本画家・園芸家(ガーデナー)で人形作家だった方です。50歳代半ばから、バーモント州の小さな町のはずれで時給自足の一人暮らしを始めました。その暮らしぶりは、1800年代の農村の生活。また、彼女の住む家(コーギーハウスと読んでいました)には、広大な庭があり、様々な季節の花々を育て続けるライフ・スタイルは、日本でも注目を集めていました。

絵本作家としてより、もしかしたらガーデナーとしての方が有名な方かもしれません。

 

田舎で育った身としては、年を重ねて田舎に暮らすのは本当に大変だと思うので、50代半ばから田舎暮らしを始められてそれを完遂しただけでなく、さらにその家がみんなが来たくなるような、家族も手入れを手伝いたくなるような、素敵な家を作り上げたという暮らしは本当に尊敬しかありません。(今ではお孫さんがお庭を整備しているようです)

 

映画はノンフィクションのホームドキュメンタリーのような内容なのですが、オールドなアメリカンスタイルの暮らしが描かれています。私は赤毛のアンが大好きな母親に育てられたせいでしょうか。カントリーな家の雰囲気がなんとなく実家にも似ていて、(赤毛のアンが好きで、実家は壁が白く、屋根は緑の一軒家。内装もカントリー風で、母親が作ったタペストリーが家のあちこちに飾られていました)見ながらなんだかホッとしてしまいました。

 

ターシャの生き様を見ていると、

・地に足を付けて生きる

・慌てないで生きて行く

そんな言葉が脳裡をよぎります。

 

慌てないで生きて行くことの大切さを実感したのは20代半ばくらい。

がむしゃらに働くのも楽しいけれど、それで病気になってしまうよりは、おいしいものを美味しいと言いながら食べて、たまに好きな場所に出かけて、毎日ちゃんと空を眺めて、ああ今日はきれいだな、とかああ、今日は曇りだなとか、そんなことを想える日々の方に惹かれてしまった(というか元々がそういう暮らしぶりだったから引き戻されたというか)んですよね。

仕事は好きだし、投資をいろいろやりくりするのも好き。

でもやっぱりそれがなんのためなのか、っていう根本のところは、好きな人と幸せに生きて行く、というありきたりだけど、あたりまえに大事なところなんですよね、私にとっては。

 

というわけで、そんな自分自身の、

・地に足を付けて生きる

・慌てない人生を生きて行く

ということの形の一つの未来としてこの映画を見ていました。

将来田舎に住んで、こんなお庭を作るのか、それともずっと都会に住んで近所の商店街のわちゃわちゃした感じと色んな人のるつぼの中で、人との出会いを楽しみながら生きて行くのかは分かりませんが、どちらにせよ、まず自分が楽しい、を大事にして生きて行きたい、そんなことを思い出した映画でした。

 

というわけで久しぶりに映画の記録でした。

 

おやすみなさい。

久しぶりに、課題や研究に関係のない映画や本を楽しんだ

 

ドタバタの大学院生生活も2ヶ月が経ち、ようやく週末に課題や研究に関係のない映画や本を楽しむ余裕が出てきました。

 

これも人との予定(遊ぶ約束)が入ると楽しめなくなるので、今後も人との遊ぶ約束を入れるのはほどほどにしていきたい...

さて、本は家にあった「カラフル」森絵都を再読。初読は小学生くらいの頃だったと思いますが、大人になってから読むとまた一塩、ですね。

中学生の人生に対する壮大な視点、忘れかけていたなー。そうだよ、これくらいでっかく、そしてちょっと怖いくらい広く世界を見ていた時代あった気がする、なんてことを思い出しつつ、感情移入は母親とか父親に向き始めていました。

幼い頃読んだ感動とか驚きとかはもうやってこないけれど、これはこれで楽しい読みでした。

 

映画は韓国版リトルフォレストをレンタルで視聴。

 

日本版も好きですが、韓国版も分かりやすいキャッチーなストーリーながらも美味しそうな韓国料理が観ていて楽しかったです。

また驚く程日本も韓国も田舎文化が似ていて、やっぱりご近所の国なんだなーと思いました。

 

さて平日からはまた課題に追われる日々ですが、平日にやり切って休日は英語学習と自分の楽しみのインプットに充てたいなあ。

 

おやすみなさい。

 

コロナ自粛中に観る365日のシンプルライフ、感想あれこれ

 

365日のシンプルライフ(字幕版)

365日のシンプルライフ(字幕版)

  • 発売日: 2014/08/27
  • メディア: Prime Video
 

 Amazonプライムで鑑賞可能のこの作品。

何年か前だったか、Youtubeで期間限定で無料公開されていたときに観たのが最初だったと思います。

全てのものをレンタルスペースに預けて、1日1個だけ取りに行く事ができること。挑戦期間中、モノを買わない事、というルールは、ある日突然、モノを全て捨てて、あとは必要なものを買い足して行く、という方法よりもなんだか潔い気がして非常に共感した事を覚えています。

 

コロナによって外出自粛となり、それに伴って消費活動が低下した我が家。

今観たら、今度はどんな感想をもつんだろう、という私の好奇心と、ナニソレオモシロソウ、という夫の興味関心を惹いたことから夫婦で鑑賞する事となりました。

 

「人生はモノではできていない」が心に染みる

 コロナ自粛が始まって、我が家が一番お金を消費したことは、私の研究に使う専門書。今の私にとっては仕事道具みたいなものなので、仕事道具だとして(映画の主人公も仕事ではスマホを使い、プライベートでは使わないようするなど、社会生活と私的生活で使うモノを分けて考えていた)仕事道具ではなく、純粋に自分が自分を楽しませる為に買ったものは何だっただろうか。

思い出したのは暇だったのでメルカリでモノを売りまくって、1万円ほどのメルペイ残高が生まれた頃、そういえばロードバイクに乗るときに夫と同じサングラスが欲しいな、と思っていたのよね、と思ってメルカリを覗いたら、1万5千円ほどで自分好みの色の、夫と同じタイプのサングラスを発見(元値3万円)し、メルペイ残高と自分のお小遣い5千円を突っ込んでロードバイク用の高級サングラスを買ったことだ。

まだ使えていないけれど、これをかけて自転車で走りに行く日がとても楽しみなことには間違いがない。

これ以外となると漫画くらいだろうか。カードキャプターさくらが好きなんですが、最新刊を読んでいなかったので買いました。これは内容(コンテンツ)を購入しているという意味で、映画で言われているようなモノとは違うものな気がしています。

私はなんだかんだ買っているとして、夫は仕事に関するものを除けば何も買っていません。(最後に買ったものは在宅勤務用にノートパソコンスタンドと椅子)

「人生はモノではできていない」

消費が少なくなってみて、確かにそうだなあ……と改めて実感する事となりました。

 

自分にとっての一番大切な事、がみえてくる

彼が挑戦中に彼女ができたことが、すごく自然な事のように思いました。

人っていろいろなものを削ぎ落としてシンプルにした時、まず自分自身に意識が向いて、そして次に向くのはモノではなく他者、友達、そして一緒にいたいと思う誰か、というのは大事な誰か(私なら夫)と一緒に生活している人は共感することではないでしょうか。

全部をなくしても、隣に夫がいたらそれだけでとりあえず人生は面白そうだな、と思える人が隣にいる幸せはすごくシンプルだけど強い幸せです。

ダイエットをするうちに自分自身にとって必要な栄養とそうでない栄養がわかって、必要な栄養をとりたいと体が自然と向かうようになるのと同じように、自分自身にとっての幸せって何?ということをけずってけずってシンプルにした先に、大切にしたい誰か、が隣にやってくるのはとても自然な事ではないでしょうか。

 

大量消費を前提とした資本主義経済の限界

今回のコロナ自粛で、シェアリングの動きは低下する、とか。改めて所有する事の需要が高まる、という議論が湧いていますが、私はむしろ逆に加速するんじゃないかと思いました。もちろん、感染症という災いを乗り越えた形で、という前提付きですが。

朝起きて、家で読書をしたり、映画を見たりして、近所を散歩して、近所のスーパーで食材を買って帰る。大量の消費をしない生活も以外といいじゃんって発見をした人も少なくないと思います。

消費する「モノ」が「コンテンツ」に変わるだけかもしれない……という考えが頭をよぎらないでもないですが。

 

そんなこんなで感想あれこれでした。

 

おやすみなさい。

 

 

 

【定期】魔女の宅急便を観て考えたこと2020.3

金曜ロードショーで定期的に流されるので、数年に一度のペースで必ず鑑賞している気がします。

前回鑑賞の時に思ったことはこちら。

www.kuroyan.tokyo

 

本当にその年代ごとに憧れる女性像(少女漫画とは全然違う)が描かれていて、どの視点からでも楽しめるからジブリは何回も観てしまうのかなあ、と思ったり。(他の作品に置いても、全世代ごとに素敵キャラが散りばめられているんですよね、ジブリ)

 

今回観て考えたこと・感じたことめも

 

◯キキの素直になれない気持ちを思い出す

警察に注意されてしょげた後、ホテルの人に頑なになったり、同年代の街の子と会っても挨拶しなかったり、トンボに誘われても行かなかったり。

素直になれないキキの描写はたくさんあったのですが、キキは特に何か台詞を喋るわけでもなく、心の声がナレーション的に入る訳でもないため、キキと同い年(よりもう少し幼かった頃)頃、描写の意味を理解することがとても難しかったことを覚えています。

本当の意味でその頑さを理解できたのは、高校も卒業して大学に進学し、それこそキキと同じように親元を離れて一人暮らしを始めた頃だったと思います。

思春期特有なモヤモヤ。

友達関係に大きな変化も中々起きない上、周囲に遊ぶような場所がないど田舎でずっと過ごしていたことで自分には遅れてやってきたんですかね。

台詞が細かくないからこそ、自分と重ねられるのかな。

こういう見方ができるから、きっと何度も観てしまうんだろうな。

 

◯ロケ地に行きたい欲求はやっぱりわかない

ジブリ映画の中でもかなり魔女宅は好きな作品なのですが、スウェーデンのストックホルムに行ってみたい欲求はあまりないんですよね。

行ってみたら興奮はするんだと思いますが、わざわざそれを旅の目的にする意欲まではわかないんですよね。

それは多分、私の中での魔女の宅急便は、あくまで角野栄子さんの魔女の宅急便で、原作を読みながら想像した自分のコリコの街、がストックホルムと重ならないんだと思います。

ストックホルム行ったことないんだけど笑

行ったらあーってなるのかなー。

 

 

◯仕事と生活すること

キキを観ていて改めて思ったことは、人間が生活することと仕事をすることはとても密接なことで、生活が仕事を喰ってしまってもだめだし、逆に仕事が生活を喰ってしまうのも、健全ではないんだな、ということです。

生活が潤うから良い仕事に繋がるし、仕事で達成感があるからこそ生活も楽しい。

そんな人生にしたいな、と改めて思いました。

 

というわけで2020年3月視聴の感想は以上です。

また次に観るときはどんなことを思うのかな。

 

おやすみなさい。

 

 

 

 

スターウォーズEP9鑑賞の感想(ネタバレ注意)

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starwars.disney.co.jp

 

映画「STAR WARS エピソード9 スカイウォーカーの夜明け」を鑑賞してきました。

スターウォーズオタクを名乗るほどのプロではありませんが、

・スターウォーズ全作とスピンオフ映画

に加えて、

・クローンウォーズ(映画とアニメシリーズ)

・反乱者たち(アニメシリーズ)

を鑑賞済み。一番のお気に入りキャラはアソーカ・タノ、という私の鑑賞した感想です。(以下ネタバレ注意)

 

 

まずざっくり感想

・サーガ(大河)としては最高の終わり方でした。

・アニメシリーズを一切観ていない人にも色々伝えようと頑張った結果、ちょっと情報量は多かったと思います。

賛否両論色々あるようですが、それはもうスターウォーズシリーズのお約束みたいなもんかな、と思います。では、私がなぜ「このラストでよかった」と思えたのか、理由を以下まとめていきます。

 

理由1.ジェダイの哲学の本質に還る、という意味でEP1〜、そしてアニメのクローンウォーズのことまで含めての伏線回収をやりきったから。

映画公開順ではなく、時系列で起きたことを確認します。

EP1〜EP3 アナキン・スカイウォーカー(ダース・ベイダー)

→ジェダイ・オーダーを破壊

あんなにかわいい男の子がどうして!パドメのことも振り切るくらいダークサイドに染まってしまったの?

とEP3でのアナキンの変貌にはちょっと唐突感もありますが、これはアニメのクローン・ウォーズシリーズを全て観ると納得の展開だと思います。

と言うのも、アナキンはパドメと同じくらい大事にしていた、自分のパダワン、アソーカ・タノという少女パダワンに最後、ジェダイ・オーダーを去られてしまうのです。

流れとしてはこんな感じ

・無実の罪で共和国議会から訴えられるアナキンのパダワン、アソーカ。

・ジェダイ評議会(ヨーダやメイス・ウィンドゥなど)にも信用してもらえず、評議会追放→様々な権利を剥奪された上で共和国議会の裁判にかけられることに(実質の有罪決定)

・アナキンは必死にアソーカではない証拠を探しに行く。

・アナキンが証拠を探している間、パドメが議員としてアソーカの証人となって時間稼ぎ。

・アナキンが真犯人を議会に連れてくる(真犯人のジェダイでありアソーカの友人は自白)

・真犯人の意図は、腐敗したジェダイ・オーダーを壊すため

(これでアナキンがますます暗黒面に近づいたという意味ではめっちゃ壊すのに貢献したわね)

・アソーカはもちろん無罪でジェダイ評議会からも、パダワンからナイトに昇格した上で戻って欲しいと言う。(アソーカがナイトになれば、アナキンはマスターに昇格)

・が、真犯人だった友人のジェダイが信じられない発言が引っかかったのと、自分が有罪となった時、アナキン以外だれも評議会に味方がいなかったこと、評議会委員では自分自身をジェダイと見初めたプロクーン以外誰も自分自身に謝罪してくれなかったこと、などなどモヤモヤが多かったため、ジェダイ・オーダーを去る決断をする。

 

このアソーカとの良いコンビがシーズン5までずーっと続いてきて、最後にこれですので、EP3冒頭でアナキンが暗黒面っぽいのも、アニメを観てきた身としては頷けます。

ちなみにアニメ内でも、ジェダイが正しいことを言っているようで、本質は違うんじゃない?と思いたくなるような、「ジェダイの腐敗」シーンは結構あります。

そう、EP3まででジェダイは腐敗していました。

それをダース・ベイダーは一気に崩壊させました。

 

EP4〜EP6、EP7、EP8 ルーク・スカイウォーカーは、ジェダイであり、ジェダイ・オーダーを復活こそさせましたが、ジェダイが支配する、という感じではなく、あくまで庶民と頑張る姿勢でした。

しかし最終的にルークがしたことで最も意味があったのは、EP8でジェダイ頼りにはせず、いかに普通の庶民が頑張ることが大切なのか、というメッセージを発したことではないでしょうか。

そしてその象徴でもあったのは、レイア姫かもしれません。レイアはEP6と7の間でジェダイとしての修行を受けたことを小説などで描かれているようですが、映画ではもちろん一般民衆の前でジェダイのように振る舞うことはなく、あくまで普通の人間でした。

 

この庶民が頑張る、って民主主義で最も重要なことの1つなんですよね。

民主主義の失敗の1つとして、衆愚政治という状態がある訳ですが、在る一握りのエリートがいて、それに頼れば良いや、とか、平和だし正直難しいし、あんまり政治について考えたくないなあ、なんて民衆が社会について不勉強な状態になると、政治家を選ぶ能力が低くなり、どうしようもない政治家が選ばれることになり、政治は腐敗して行きます。

(余談ですが、なんでも政治のせい、公共機関のせいにする人の声が最近大きく聞こえますが、政治家を選んでいるのは私達民衆ですし、公共機関の財務・人事コントロールは突き詰めれば私達が選んだ政治家がやってます)

 

というわけでジェダイ頼りにしないことを説いたルーク。

 

最後にEP7、EP8、そしてEP9でベン・スカイウォーカー(とレイ)がしたことはなにか。それは、ダーク(ライト)を受け入れることで相手と分かり合うこと、かなと思います。

これはアナキンがやろうとして失敗したこととも重なりますし、アソーカがヴェントレス(というシスにいたアソーカのライバル的存在)とやりかけてできなかったシーンとも重なります。

 

EP3までのジェダイが強かった時代は、なんだかんだ、ジェダイもシスを滅ぼそうと必死でしたが、人間ライトがあればダークもある、(陰陽思想…)

 

そして最初の伏線であるアナキンは「フォースにバランスをもたらす者」なので、ベンとレイのダークとライトが上手い具合に調和して終了っていうラストは、あースカイウォーカー家が本当にバランスさせたなーって感じでした。

 

というここまでの一貫性を3代分描いたっていうのが、大河としては最高のラストだったな、と思う所以です。

 

理由2.映画ではなく「スターウォーズ」という作品なのだということを感じたから

サーガとしては最高でしたが、映画としてどうか、と聞かれたら、まあそこはボロボロ言われても特に否定しません。

でも今回EP9まで見て思ったのは、スターウォーズはもはや「スターウォーズ」という作品であって、映画はその表現方法の1つにしか過ぎない、程度のことなんだなーということ。

EP9は本当に情報量が多くて、映画しか追ってない人正直楽しめましたか?っていうのは思います。映画としてはどうなの?って感じるかも。

アニメを追っていた人としては、アナキンのジェダイに対する色々がやっと報われたかな、感がありました。(ジェダイに対して不信感を抱いていたのは観ている側も共感できるところがあったので)ルークがあまりにも綺麗にジェダイを神聖化しかけていたので、それが壊れて、そして最後はちゃんとバランスしたので。

 

そういう視点で見ると、アニメ「反乱者たち」にて、遠い宇宙の彼方でエズラが民衆を立ち上げて1つの星を解放した、というのは、民衆を立ち上げたEP7、8の未来の始まりの象徴としても捉えられるかもしれませんね。

 

ただ、大河として、スターウォーズの美味しい部分を切り取ってやりました、というメッセージとして捉えると、EP9はよくぞ時間内にいろいろ詰め込んで、最後まで出し切ったなーとは思いました。

 

 

最後に.

EP9はどこまでも「スターウォーズ」らしい映画で、奇抜な展開がなかったと言えば、なかった映画でした。

ただ、歴史は繰り返す。

人類はめぐりめぐって同じことをしている、と捉えるのであれば、スターウォーズが大河であるという意味で、こういうラストしかもはやなかったんじゃないかなーとも思います。

 

おまけ.R2D2とC3POの友情のアツさ

なんでお前、記憶戻ってんだよ。エモい展開返せや。

というクレームが来そうですが、私はR2D2が記憶をお返ししたこのシーンでホロリと泣きました。

だって、こういうことができるってことは、やろうと思えばR2D2はアナキンやパドメたちのお供で大冒険していたことも全部C3POに思い出させてあげることもできると思うんです。

でもそれをしなかった。

ここにR2D2の深い優しさと友情が込められているなあ、と感じました。

ただでさえ感情が豊かなC3POが全てを思い出したら……機械とはいえ、自分自身を作り上げたご主人アナキンの行く末を知って、パドメの行く末を知って、発狂してしまうのではないかな、と考えた(であろう)R2D2が、わざと戻す記憶をコントロールしてくれたんじゃないかなーと想像してしまうからです。

C3POなら発狂しかねない。大事な友人を守りたい。だから戻す記憶をコントロールする。ものすごく、人間的な判断ですよね。

ただの機械だったら、記憶を全部戻す判断をしてしまうんじゃないでしょうか。

ドロイドを最後まで人間臭く描いてくれた監督に感謝です。

 

 

さて、映画も観て、年末からはいよいよマンダロリアンの話!

ディズニーデラックスにも入会したので、年末年始は引き蘢ってスターウォーズ観まくるぞ。

 

おやすみなさい。

スター・ウォーズ アイデンティティーズ:ザ・エキシビションに行ってきました

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スターウォーズ  エピソード9公開前に!

とチケットを予約していた、スター・ウォーズ アイデンティティーズ:ザ・エキシビション(STAR WARS(TM) Identities: The Exhibition)に行ってきました。

 

アイデンティティというタイトルはついているように、スターウォーズ  という世界観を通して「人間形成問題」を考えさせられる展示で、スターウォーズオタクでかつ教育学徒でもある自分としては、非常に考えさせられる部分が多い展示でした。

 

悪とは、正義とは。簡単に二分できないよね、という描写が映画内でかなりはっきり8で示されていましたが、人は育つことについて正解が簡単に決められないことをひしひしと感じる展示でした。

 

9の公開が楽しみです。

 

さて、今日展示会で紹介されていたのをきっかけに、ディズニーデラックスのサービスに加入しました。

https://www.disney.co.jp/deluxe.html

 

月額700円でディズニーアニメ、映画はもちろん、マーベルシリーズも見放題。

スターウォーズ  アニメシリーズ、反乱者たちをみたいし、最近マーベルシリーズをAmazonで一本ずつレンタルして観ていたのですが、4本もみたら元が取れるお値段!

我が家は絶対加入した方がお得だわ!

 

今なら1ヶ月お試し無料。

年末年始に引きこもってひたすら鑑賞することが想像できたので、さっそく入会し、今日はスターウォーズ8を観直しました。

 

見る度に発見が重なるのがやっぱり楽しい!

 

ディズニーそんなに好きってわけではないけれど、スターウォーズとマーベルにお金出したって感じです。

年末年始観まくるぞー

 

おやすみなさい。