くろやんの日記

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一番良かった映画何?を更新した映画「ニュー・シネマ・パラダイス」

 

ニュー・シネマ・パラダイス (字幕版)

ニュー・シネマ・パラダイス (字幕版)

  • 発売日: 2013/11/26
  • メディア: Prime Video
 

先日、友達にオススメしてもらって鑑賞した映画「ニュー・シネマ・パラダイス」紹介してもらってから数ヶ月が経とうとしていたのですが、エイヤっと時間をつくり、夫婦でワインを開けながら鑑賞しました。

いきなり語彙力のない感想で申し訳ないのですが、とにかく、「感動」「素晴らしい」という言葉に尽きます。マイベスト映画は「ショーシャンクの空に」でずっと不動の第一位だったのですが、見事に塗り替えられました。

今後、一番好きな映画は?と聞かれたら「ニュー・シネマ・パラディソ(パラダイス)」と答えます。それくらい、あらゆる方向から「イイ……」と思える映画でした。

 

あらすじや話の流れは色々な人が書いているので、私はここで書くことはしませんが、完全にネタバレしまくる感想と考えた事を書きなぐるので、まだ観ていない方はご注意ください(というか是非鑑賞してから読んでください)

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1.映画そのものが題材となっていること

「イイ……」と思える全ての根源はこれなのでは?映画そのものが題材となっていることで、以下の事象が発生していると思いました。

 

(1)映画を観る(夢を観る)側(お客さん)と映画を観せる(夢を観させる)側の誕生

トトが30年間も故郷に戻っていなくて、戻るところから始まるこの映画。その発端でもあるのが、アルフレードがひたすらトトを町から追い出そうとする各場面。まずアルフレードは映画からトトを遠ざけようとしますが、トトは結局映画から離れず、しかし(多分)当初アルフレードはトトがタダで映画を観たいだけなのかと思っていたら、トトは映画を観せる側で在ることに入り浸ります。(この辺りからアルフレードの態度も変わってくる気がします)

アルフレードは映画は一時の夢であることを知っており、その夢に見せられてしまえば自分で夢見ることはできなくなり、この町から出て本当の夢を追いかけることはできなくなる。そのようなことを考えてトトを遠ざけていたのかもしれません。が、トトは映画、つまり夢を見せる側へ興味をもちます。

けれども本当に夢を見せる側になりたいのであれば、やっぱり夢の世界の住人(その町の住人)でありつづけていてはなれません。だったここは夢だから。なのでやっぱりアルフレードはトトに町から出るよう言い続けたのだと思います。

 

(2)町自体も夢

広場は町の中心にあり、その同じく中心に映画館があります。映画=夢であるとすると、中心に映画館がある町=夢。そう、町は夢の世界。だからこそ町にいる間は恋の時間も楽しい時間。けれども一度町を出てみると、消えてしまう。夢だったから。

(けれども恋は、町を出て現実をみれば映画のようにうまくいくことばかりではない、という主人公にとっての最初の現実にもなっているように思います)

 

2.映し出される一見意味が分からない日常のシーンの隠された意味を考えるのが楽しい(=様々な解釈ができそうでまた観たくなる)

 

(1)シーン1:若かりし頃乗っていた車の中にニワトリの巣

映画の終盤です。主人公はアルフレードの死の知らせを聞いて、30年ぶりに故郷に戻ってきます。ふと、若かりし頃、恋人とドライブをした車が道端にあるのを見つけます。中を覗くと、ニワトリが巣を作って卵を生んで、ヒヨコもいました。

これは恋人とは結ばれなかったトトへの皮肉にも見えますし、(夢である町に残ったニワトリたちは結ばれて家庭をもっている)町に残っていたらトトにもありえた未来の1つだったのではないかと思います。すでに車はボロボロですが、中には幸せがたくさんつまっているのです。

 

(2)シーン2:お母さんが編んでいた編み物

これも終盤のシーン。編み物中にトトが30年ぶりに戻ってきたことに気がついた母親は、玄関までトトを迎えに行きます。慌ててしまい、編み物の先も一緒に持っていってしまい、編んでいた「何か」はどんどんほどけていってしまいます。この毛糸がどんどんほどけて巻きもどっていくシーンは、時間が巻き戻っていくのを表しているのではないでしょうか?

 

(3)シーン3:これはお前のものだから、俺が保管しといてやったフィルム

一番最初にアルフレードとのやり取りで行われたやりとりが、一番最後のオチで帰ってきました。すっかりこのやりとり忘れていた私はやられました。ここで涙腺崩壊です。このフィルムはトトにしか意味をなさないフィルムとなっているのもまた「イイ……」と思えるポイントかもしれません。

 

3.誰もが主人公となっている

この映画では、色々な町の人が登場人物として出てくるのですが、どれも脇役ではなく、必ずどこかの場面において主役のように描かれています。

神父さん

映画館をサッカーくじで復興させた男

いつも「自分の」広場を歩く男

ちょっと間抜けな同級生

などなど。

それはこの町自体が映画で、主役である主人公が、常に映画を観せる側に回っているせいかもしれません。たった2時間程の物語のはずなのに、町の人がみんな知っている人なんじゃないかと思うくらい身近に感じてしまいます。

そう、きっとこう思う時点で、私も夢の世界の住人になってしまっているんですよね。いつのまにか、自分も映画の中に。つまりちゃんと夢を観せられてしまっているんです。

 

 

というわけで一旦の感想は以上です。またもう一度みたら、また違う感想を書いてしまいそう。あの子から観たこの夢、あの人から観た夢はこうだったんじゃないか、と夢がどんどん膨らみます。

いい夢みさせてもらいました。

余談ですが、見終えた後、ララランドの監督は絶対これ観ただろうし、絶対ちょっと意識してない?って思いました。あれもある意味で夢の世界のお話。

 

おやすみなさい。