くろやんの日記

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アカデミー賞作品賞受賞の話題作『グリーンブック』鑑賞レポ

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gaga.ne.jp

アカデミー賞で作品賞を受賞し、話題となっている映画『グリーンブック』を観てきました。
舞台は黒人差別がまだ激しかった1962年のアメリカ。
有名なキング牧師の「私には夢がある」(I have a dream)のスピーチがあったのが1963年8月28日なので、黒人差別の真っ只中、という時代背景を理解して観たい作品です。

 

★あらすじ

舞台は1962年ニューヨーク、及び南部アメリカ。
ニューヨークのナイトクラブで用心棒を勤めるトニー・リップ(ヴィゴ・モーテンセン)はケンカの腕も、トラブルをウマく丸め込むハッタリも上手なイタリア系アメリカ人。ガサツで無学だけれど素敵な家族、仲の良い親族に恵まれていた。
ある日トニーは、「神の域の技巧」を持ち、ケネディ大統領のためにホワイトハウスでも演奏をしたことがある黒人天才ピアニスト、ドクター・シャーリー(マハーシャラ・アリ)のコンサートツアーの運転手として雇われる。
シャーリーはまだ差別が根強く残る時代に、黒人にとって制約と危険が多い南部をあえて目指す。
粗野で無教養なイタリア系用心棒と、インテリな天才黒人ピアニストという何もかもが正反対な二人が、黒人用旅行ガイド「グリーンブック」を頼りに、ツアーへ旅経つ。
ーフィルマークス参照


★2019年にこの映画を観て思うこと

日本人で黒人差別の歴史を学ぶと言えば、キング牧師のスピーチを英語の時間に聞く、とか世界史でアメリカ史を学んだときに見聞きする、くらいでしょうか。
私もそれとアパルトヘイトの知識が少しある程度、というまあ恥ずかしい知識量です。
この映画を観て始めて「グリーンブック」という本の存在を知りました。
今の時代にもうグリーンブックはないけれど、差別がなくなったかと言えばそんなことはありません。
もちろん移民政策と差別の問題は分けて考えるべきだと思うけれど、最近の世界的な(どこの国とは言わないけれど)移民をシャットアウトする世界の流れがある現在をどう考えるべきなんだろう、ということは少なからず考えさせられました。

映画の後半になるにつれ、差別の激しい南部へと突き進むわけですが、演奏をするはずのレストランでドクター(ピアニスト)がレストランに入れてもらえないシーンがあります。
・このレストランは伝統的に黒人は入れない
・違うレストランを紹介しよう
と、さもレストランのオーナーはさも親切に、そして厳かな伝統を語るようにドクターを説得します。
伝統的に入れない、なんて、多くの日本人はそれに納得してしまいそうな台詞ですね。
郷に入りては郷に従え、でしょ?とかって。

差別ってこういうことだと思いました。
伝統という言葉を印籠に思考を停止して、それは本来どういう意味で決められたことなのか、みんなが考えなくなる状態です。

例えば相撲。
女性が土俵には上がれないということで、看護師さんだったり、自治体の代表者となった女性が不自由な思いをすることがありましたね。
もちろん相撲の歴史を考えれば伝統というのは分かりますが、
そもそもここまで相撲が商業化してしまっているのに、そこだけ都合良く(女性側からみれば)していていいの?
という視点を持つ人が増えたからこそ、持ち上がった疑問だと思います。

他にも、最近最も日本でアツく話題になっているのはLGBT関連と医学部不正入試問題(女性差別)の問題でしょうか。これに関する様々な制約も、本来なんでそんなことが決まっていたんだっけ?ってことを振り返るべき事案なんだと思います。

 

★差別が生んだ壁の存在に気づくことが出来るかどうか

最近こんなTED動画を観ました。「Why the”wrong side of the tracks” is usually the east side of cities」

www.ted.com

 

世界のそれぞれの都市は、大体街の西側が豊かで東側が貧しい、というスピーチです。
考えてみれば東京都内も西側と東側を比較すると、西側の方が不動産価格も高くてお金持ちが多いイメージで、東側は町工場が多く、庶民の町、といった雰囲気です。
東京もさらに小さく、駅単位で町をみてみると、大体駅の西側が落ち着いた住宅街の雰囲気で家賃も高めなことに対して、東側は家賃が西側より気持ち抑えめなことが多いです。
不思議!どうして?と思った人は動画を観てみてください。

(確か日本語訳されたものもあったはず!)

何が言いたいかというと、世界には前時代に築かれた様々な壁がひっそりと生活の中に隠れている、ということです。そしてこの壁は、新しいことを知ったり、経験したりすることがなければ、気がつかないまま、見過ごしてしまえることがほとんどです。
それを知った人は問題の解決に一生懸命になるけれど、それを知らない人は「あいつ、何やってんだ?」って思う訳です。
壁の存在に気づきさえすれば、少なくとも「あいつ、何やってんだ?」とは思わなくなるでしょう。自分自身が熱心になれなくても、「何か自分にできることがあればやろう」くらいには思えるようになる気がします。


★自分がいつもいるコミュニティを出るということについて

映画の中で素敵な家族、親族に囲まれたトニーは幸せそうに描かれています。トニーにとってのいつものコミュニティは居心地が良さそうで、トニーはすすんでそのコミュニティを出る気もありません。
そんなトニーはドクターの演奏旅行に同行する、という形でトニーはいつものコミュニティから離れて旅をします。
コミュニティから離れてみると、いつもと違う情報がトニーにたくさん入ってきます。
旅をしているので、物質的な
・自分が住んでいるアメリカという地は広大だなあ
・ケンタッキー州で食べるケンタッキーうまい
みたいな感想ももちろん持ちますが、ドクターといういつもは絶対に一緒にいない人種の人といることで、
・州によっては黒人が夜出歩いてはいけない法律があることを知る
・黒人が泊まる専用の宿の様子
などなど、ただ旅行をする以上に気がつくこともたくさんありました。
(そして実際に、物質的な体験よりもドクターを通して感じた精神的体験がトニーを大きく変えていきました)

違う場所に行くこと、というのは自分に全く違う刺激をくれるので、自分自身を変化させたり、何か新しいことに気がつくのに最も手っ取り早く、かつ有効な手段の1つだと思います。
けれども、例えば同じ体験であっても、それを普段自分が全く関わらないコミュニティの人と体験するということもまた、非常にインパクトが大きい経験になるのだと感じました。


★おまけ:一緒に観たい、差別問題に関する映画

せっかくこうした映画を観たので、関連して違う映画もみたいと思って調べてみました。
欧米系の差別はもちろんだけど、アジアや他の民族のもこれを機に観てみようかな。

cinema-rank.net


★おまけ:世界一周、日本縦断的な旅の意味

航空券が安くなったことと、情報をネットでとりやすくなったことから、長旅に気軽に出る人が増えたような気がします。昔、私も日本縦断ではありませんが1ヶ月くらいかけて北海道を自転車で浅く一周しました。
現地で感じることも非常に学びにはなりましたが、一番良く覚えているのは現地での人との交流と、自分自身と対話した内容だったりします。
今ではツイッターなんかで簡単に実況出来ますが、たまにはSNSを離れて自分とその土地とだけで対話する日が1日あっても面白いんじゃないかな、と思います。

 

おやすみなさい。