Amazonプライムで鑑賞可能のこの作品。
何年か前だったか、Youtubeで期間限定で無料公開されていたときに観たのが最初だったと思います。
全てのものをレンタルスペースに預けて、1日1個だけ取りに行く事ができること。挑戦期間中、モノを買わない事、というルールは、ある日突然、モノを全て捨てて、あとは必要なものを買い足して行く、という方法よりもなんだか潔い気がして非常に共感した事を覚えています。
コロナによって外出自粛となり、それに伴って消費活動が低下した我が家。
今観たら、今度はどんな感想をもつんだろう、という私の好奇心と、ナニソレオモシロソウ、という夫の興味関心を惹いたことから夫婦で鑑賞する事となりました。
「人生はモノではできていない」が心に染みる
コロナ自粛が始まって、我が家が一番お金を消費したことは、私の研究に使う専門書。今の私にとっては仕事道具みたいなものなので、仕事道具だとして(映画の主人公も仕事ではスマホを使い、プライベートでは使わないようするなど、社会生活と私的生活で使うモノを分けて考えていた)仕事道具ではなく、純粋に自分が自分を楽しませる為に買ったものは何だっただろうか。
思い出したのは暇だったのでメルカリでモノを売りまくって、1万円ほどのメルペイ残高が生まれた頃、そういえばロードバイクに乗るときに夫と同じサングラスが欲しいな、と思っていたのよね、と思ってメルカリを覗いたら、1万5千円ほどで自分好みの色の、夫と同じタイプのサングラスを発見(元値3万円)し、メルペイ残高と自分のお小遣い5千円を突っ込んでロードバイク用の高級サングラスを買ったことだ。
まだ使えていないけれど、これをかけて自転車で走りに行く日がとても楽しみなことには間違いがない。
これ以外となると漫画くらいだろうか。カードキャプターさくらが好きなんですが、最新刊を読んでいなかったので買いました。これは内容(コンテンツ)を購入しているという意味で、映画で言われているようなモノとは違うものな気がしています。
私はなんだかんだ買っているとして、夫は仕事に関するものを除けば何も買っていません。(最後に買ったものは在宅勤務用にノートパソコンスタンドと椅子)
「人生はモノではできていない」
消費が少なくなってみて、確かにそうだなあ……と改めて実感する事となりました。
自分にとっての一番大切な事、がみえてくる
彼が挑戦中に彼女ができたことが、すごく自然な事のように思いました。
人っていろいろなものを削ぎ落としてシンプルにした時、まず自分自身に意識が向いて、そして次に向くのはモノではなく他者、友達、そして一緒にいたいと思う誰か、というのは大事な誰か(私なら夫)と一緒に生活している人は共感することではないでしょうか。
全部をなくしても、隣に夫がいたらそれだけでとりあえず人生は面白そうだな、と思える人が隣にいる幸せはすごくシンプルだけど強い幸せです。
ダイエットをするうちに自分自身にとって必要な栄養とそうでない栄養がわかって、必要な栄養をとりたいと体が自然と向かうようになるのと同じように、自分自身にとっての幸せって何?ということをけずってけずってシンプルにした先に、大切にしたい誰か、が隣にやってくるのはとても自然な事ではないでしょうか。
大量消費を前提とした資本主義経済の限界
今回のコロナ自粛で、シェアリングの動きは低下する、とか。改めて所有する事の需要が高まる、という議論が湧いていますが、私はむしろ逆に加速するんじゃないかと思いました。もちろん、感染症という災いを乗り越えた形で、という前提付きですが。
朝起きて、家で読書をしたり、映画を見たりして、近所を散歩して、近所のスーパーで食材を買って帰る。大量の消費をしない生活も以外といいじゃんって発見をした人も少なくないと思います。
消費する「モノ」が「コンテンツ」に変わるだけかもしれない……という考えが頭をよぎらないでもないですが。
そんなこんなで感想あれこれでした。
おやすみなさい。