くろやんの日記

思考・映画・ごはん・旅・自転車・読書・ライフハックのメモ帳

節約しなくてもいい社会がいいじゃんか、に頭かち割られた。

節約歴はどれくらいになるだろうか。

子どもの頃は近所に買い物に行く場所もなく、親の車に乗らないとお買い物には行けなかったから、「ものを購入する」という行為を覚えたのはかなり遅かった。(そもそもそういう欲望の発達も遅かったかもしれない)

 

スーパーのお惣菜はお金持ちが買うものだと思っていた(なお都市部に住む祖父母の家に遊びに行くと、独身OLだったおばがスーパーのお惣菜を買ってきたりするのが夕食に並ぶのだが、そのお好み焼きが好きで、大人になった今、お惣菜コーナーでお好み焼きやたこ焼きを買ってしまう。あの暑過ぎなくてふにゃふにゃした感じが好きなんだよなあ)

持っているものは基本全てお下がり(近所のお姉さんが使ってたやつとか)

ガシャポンは触れてはいけないタブーみたいな扱いだった

コンビニは多分今の感覚でいうところのきのくにやのスーパーに行くような感覚だった

 

そもそも新品のものを持ったことがない、という感覚は珍しいものであることは、夫と結婚して気がついた。なお夫は私と結婚して初めて古着屋に入ったらしい。

 

季節ごとに山に入って山菜をとっていたし、栗もたくさん拾った。

大学生になった頃も、自転車で少し行けばそういう山菜が取れたので取りに行った。

大学生になった時には、実家では週に2回くらい食べていたお肉も一切食べなくなった。社会人になって、久しぶりに自分で肉を買った。なお鶏肉か豚肉かひき肉しか買えなかったが、今なら海外産だけど牛肉にも手が出せるようになった。

国産牛はふるさと納税でいただいている。

 

節約という感覚すらもはやないかもしれない。

でも先日「節約しなくてもいい社会がいいじゃんか」という言葉に触れてハッとした。

確かにそうだわ。

何も気にせずスーパーでお買い物できる幸せたるや。

高級なスーパーではなく、自分の生命を維持したいだけの、そんでもってちょっぴり季節感なんかも楽しめるくらいの買い物が自由にできないのはなんでだろう。

っていうか自分はなんで、節約しなければならないって思っていたんだろう。

 

節約しなければならないってどういうことなんだろう?

でも実際節約できると快感もあるんだよなあ。なんでだ。

 

おやすみなさい。