くろやんの日記

思考・映画・ごはん・旅・自転車・読書・ライフハックのメモ帳

雪がない冬をこえて

今週のお題「雪」

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東京に住み始めてから私に冬は訪れていません。
厳密にいうと、東京にも冬は訪れてはいます。
木枯らしが吹いて、たまに雪がチラついて。
 
けれども東京の冬は私の中の感覚では秋なので、秋が長いなーと思っていたらいつのまにか春になってしまっている、なので私に冬は訪れていないのです。
 
私の中で、ああ冬が来たなー、と思うのは、見える景色が雪によって白い世界に変わった時です。
なのでいつまでもカラフルで、コンクリートが見えっぱなしの風景を見ていると、それは秋だと私の脳は変換してしまうので、そのままクリスマスやらお正月を迎えてしまうのが最初は不思議な感覚でした。
 
段々と気温がより寒くなったな、吹く風が冷たくなったな、とは思うようになりましたが。
 
 
そんなことを考えていてふと思ったのは、日本は地域によって季節に対する感覚、というものの誤差が大きそうな国だな、ということ。
例えば冬にタイに行った時、天気予報ではだいたい国内どこも暖かい感じだったのですが、これが日本だったら、沖縄は冷え込んでいても桜も咲きそうな暖かさがあるのに対し、同じ時期北海道ではダイヤモンドダストを観測することができてしまうのです。
 
贅沢な国に住んでいるなあ、と思いました。
夏は北海道、冬は沖縄。自分の体に心地よい場所に季節ごとに移動しても、同じ国内なのだから。
 
季節の感じ方がこうも違うと、それぞれの地域で俳句を一つ作ってもまったく違う傾向が出てきそうだな、とも思いました。
冬なら雪のことを謳えばいい、と雪が見えもしないのに雪を強制的に謳わせようとする滑稽な教育者も稀にいますが。
その時、その場所で感じたこと、という意味では同じ冬を謳ってもかなり違いそうです。
 
同じような感覚で春の訪れのイメージにも違いがありそうです。
例えば、「雪解け」というキーワードが出てきた時、雪を実際に見ない人の方がその情景をかなり美しく想像しているような気がします。
一方雪国の子が想像すると、半分くらいは土と雪が混ざったちょっと汚ならしい様子が思い浮かぶ人が多いような気がします。
 
同じように静岡県民くらい短に茶畑がなければ、初夏の茶摘みの様子はリアルではないし、でいごの花をみたことがなければそれぞれの想像のでいご(大抵ハイビスカスっぽいの)が頭に浮かんで歌っているのです。
そうおもうとちょっと面白い(笑)
 
というわけで、冬って一口に言ってもみんな全然違うこと考えてるんだよね、ということと、これって冬に限らずいろんな単語に生じているから、面白くもあり、難しくもあるんだろうな、とか考えさせられました。
 
 
おやすみなさい。