くろやんの日記

思考・映画・ごはん・旅・自転車・読書・ライフハックのメモ帳

変化するはずがない、という人の傍らで

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どーん、あんこう。もう今年もあと1ヶ月かと思うと感慨深いです。オミクロン株で色々ざわめく最近ですが、今年初めて両親と食事ができました。会話はひっそりとでしたが、冬に実家に遊びに来る予定だという姪っ子へのお年玉も渡せておいてよかった(我が家は冬は私の実家には行かない。修論もあるし)

 

さて、創造性のバランスを保つために、大きなプロジェクトを抱えていても違う方向に頭を使うことは怠らないようにしようと思ったのは、この日日べんとうの10巻、紫藤くんの仕事ぶりを見て。

 

彼は大きなプロジェクトを抱えつつも、別件で必須ではない自分の自由な表現の時間も作っていました。紫藤くんがそうなのかは分かりませんが、私もまた一つのことだけやっていると飽きてきて、その一つのことについていろんな意味でのクオリティが保てなくなってきてしまうので、出来る限り違うことに向かう時間も大切にしています。

 

というわけで修論という個人的ビックプロジェクトを抱えていても、他の関係のない論文や本を読むのは止めないようにしています。

最近読んで面白かったのはこの話題の一作。

 

ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー、最近2巻も出ましたね。

 

個人的には共感という言葉について、シンパシーとエンパシーの違いについて語っている場面が心に残りました。

日本ではシンパシーを検索してもエンパシーを検索しても、共感という言葉が出てきてしまうのもまた面白いなあと思いました。日本においてはあまり区別して認識されることが少ないのかも...

この話を読んでから全然違う意味だわってことを私は感じました。

 

この作品の最も大きなメッセージとして、異なる文化や考え方をもつ人たちの中で生活する上での変化すること、あるいは変化していくことについて考えること、がありました。

人は結構考えていることも、大事にしたいと思っていることも違っていて、相互理解って意外と大変、という感覚は異文化がものすごいマイノリティになりがちな日本において共有するのが難しい場面が多い感覚の一つだと思っています。

変わりたくないという感覚。

それは地元を絶対出たくないという友達や、一度も転職をしたことがない友達からはビンビンに伝わってくる感覚です。

私はそれはそれで特に反発しようとも思いません。どちらかというと変化が好きで変化の中に身を置く私と友達でいてくれることに感謝しつつ、変化に身を置く私を身近に感じてもらうことでそういう感覚があの子の身近にいつまでもひっそりとあることを感じていて欲しいなとただ思うばかりです。

 

ただこの本を読んだ後、もう一つこういう人とどう付き合ったらいいのだろうと思うタイプとして、変わりたくない、ではなく「変わるはずがない」と思っている人もいそうだなということに気がつきました。

変わっていくかもしれない、でも変わりたくない、という人と変わるはずがないと思っている人はまた大きく違います。

 

それでもやっぱり同じように、変わるはずがないと思っていたとしても、ひっそりと傍にしずかにいるような存在にはなりたいと思いつつ、年賀状のメッセージになにを書こうか考え始めた12月1日でした。

 

おやすみなさい。