くろやんの日記

思考・映画・ごはん・旅・自転車・読書・ライフハックのメモ帳

無意味の有意味性

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2、3週間前に行ったカレー屋さんが美味し過ぎて、再び所用ついでに立ち寄ってしまったときの写真。前回はワインを控えたけれど、今回はおすすめの白ワインも一緒にいただいて幸せ気分。このスパイスは家では調合できない。

 

さて、先日無駄なことは基本的にはしない主義の友人と久しぶりにリアルで会いました。そこで私は話題にはしませんでしたが、無意味の有意味性について考えさせられました。つまり、無駄なことにも意外と詰まっている無駄じゃない部分について。

 

友人は無駄なことはしない主義です。この無駄なことというのは、資本主義経済を生きる上で、ということ。例えば、働いて結果を出す為に英語学習や自分の専門についての勉強等は絶対に欠かしませんが、芸術などのいわゆる「それどういう価値があるの?」みたいなものにはほとんど興味がありません。私は無意味なことも大好きなので(先日の山手線一周走るみたいな)、自分とは全く違って突き抜けて無意味なことに興味がない友人は、自分とは異なる考え方を吸収できるとても楽しい友達でもあります。

 

というか、ここまで突き抜けているということは、働いて結果を出すことが無意味な世界になったとしても友人は働き続ける可能性が高いです。私がガンガン働いてお金を稼ぐことよりも、大学院に入って知を追求したくなったように。

 

友人のように突き抜けて働いて、そのための勉強も惜しまない場合には、そういう世界ではなくなったとしても、引き続き働き続け、勉強を続けるかもしれませんが、多くの人は、何をしたらよいのか分からなくなるのではないでしょうか。

そう、例えば定年退職をした元サラリーマンとか。

よくきくのが、定年退職後の趣味がない、みたいな話。何をすればいいのか分からなくて、おまけに家事をする習慣もなく、家に居場所がないとか。

これって、大きな意味での社会は変わっていなくても、自分自身と社会の関係が変化して、ある意味で世界がパラダイムシフトした状態なんだと思います。

昨年、パンデミックで世界中のあらゆる世代が生活スタイルを見直すことになりましたが、定年退職って実はその人にとってパンデミックがやってきたのと同じくらいのパラダイムシフトが起きていたのではないか、と思いました。

パラダイムシフトが起きても、全員がめっちゃ大変でめっちゃ変わるわけではなく、意外と生活が変わらない人もいれば、社会が変わったことで生きやすくなった人もたくさんいたように思います。テレビは大変な人しかうつさないけれど。

 

結局は環境に自分をいかに適応させているか、適応させることができるか、という生物としての本能の強さが表に出てくるのかもしれません。

もちろんその本能は、単純な稼ぐ力とか、問題を解決する力、みたいなのに限られた話での本能でもないと思います。

 

ここに無意味の有意味性が関わってくるような気がします。

何が無意味で何が有意味なのかは時代によってもだいぶ変わります。(いわゆる知の認識*1の話にも近いかもしれません)

 

友人はばっさりと自分にとって意味がないものを切り捨てますが、私は切り捨てられません。それは、友人よりも多くのパラダイムシフトを経験しているせいかもしれません。例えば友人は東京生まれの東京育ちで東京以外の地域で暮らした経験をもっていません。一方私は、まずお風呂は自動では沸かないタイプの古い家で、まず一人では買い物には行けないような田舎で育ち、そこから18歳で大学に通う為にいわゆる地方都市で一人暮らしを始めたのですが、様々な友達との出会いも含めて色々なことが新しくて、毎日頭の中をパラダイムシフトしていました。

そこからさらに就職で東京に上京して、再びパラダイムシフトな毎日です。私はまだ留学はしたことはありませんが、多分東京やその他都市に住んでいる人が海外に留学したのと同じくらいの衝撃を受けたかもしれません。首都高を初めて見たときは、リアルに違う国に来たような感覚に陥りましたし、上京してすぐは、関東の人の会話テンポが早過ぎて、日本語なのに会話に混ざれませんでした。笑

 

このとき自分のなけなしのいろんな経験を糧に乗り越えていく訳ですが、この時に何が役に立って、何が役に立たなかったか、というのは簡単な尺度で測れないことばかりでしたし、本当にケースバイケース。

 

なので、世の中何が役に立つのかわからん。だからとりあえず面白そうと思ったことはやってみて、人生楽しもう〜って気持ちが高まったのかもしれません。

 

とはいえ、愚直にとんでもない努力量をこなせる友人のことはやはり尊敬していますし、まだまだ資本主義な世の中なので、知識面で助けてもらうこともたくさんあります。けれども、いつか何か友人にパラダイムシフトが起きて困っていた時には、何か手渡せるような自分でありたいな、とも思います。

 

というわけで明日も無意味を大事に生きていこう。

おやすみなさい。

 

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  • 作者:中山元
  • 発売日: 2013/11/29
  • メディア: Kindle版
 

 

*1:最近読んだフーコーが言ってた、時代によって知識は変わるという話。例えば昔、天動説が当たり前な世の中では、そもそも地動説を提案することさえできなかった。