くろやんの日記

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読書記録:対象ではなくまず自己に矢印を『真のダイバーシティをめざして』

 

『真のダイバーシティをめざして 特権に無自覚なマジョリティのための社会的公正教育』ダイアン・J・グッドマン

 

新年1冊目の読書はこちら。社会的公正教育、つまり差別や人権に関する教育について関わる教育者たちに向けた一冊です。著者がその実践者ということもあり、上智大学出版ですがあまり学術書としての色は強くなく、実践例も抱負で読みやすい本でした。

 

社会的公正に関わっている、よくボランティアをしている、という人こそ、その罠に陥らないためにも読んでみるのは面白いかもしれません。これを読んで、私はますます◯4時間テレビを見ることができなくなりそうです。

 

というのも、あの番組ってマイノリティのことを知ろうっていうのが主なテーマだと思いますが、この本はどちらかというとマジョリティがマジョリティのことをもっとよく知った方がいいよね、という提案がされています。(もちろんマイノリティのことを知ることも書かれていますが)

 

マジョリティがマジョリティのことをもっと良く知る、というのはどういうことなのか。私たちって例えば何か障害がある人と関わる時、多くの場合その障害について色々調べてどのように対応したらよいのか、ということを考えます。個人レベルでは必要な心がけだと思いますし、大事なことだと思いますが、これを繰り返すことは常にマジョリティ側は手助けを施す側でありつづけ、マイノリティ側はそれを受容する側でありつづけます。

マジョリティ側が、そもそもなんでマジョリティである自分たちはそのような社会の仕組みを構築したのか、私たちが享受している普通ってどんな風にしてできあがったのか、と自分たち自身に問いを投げかけることによって、そもそもそうした施す側と施される側が固定された社会から脱出するチャンスを手に入れられる可能性があるよね、という話がこの本ではされていました。

 

自分たちがいかに特権を享受しているのか、ということを直視するのは誰にとっても気持ちのよいことではないので、そう言う意味で自分自身のことを知ろうとする(マジョリティのことを知ろうとする)ことは難しいことなのかもしれません。

誰かになにかをやってあげた!という体験談や経験談の方が聞いていても話していても気持ちの良いものです。

 

自分自身に問いかけることは、自分自身を大切にしようとすることにもつながると思いました。今って社会は大事にしていても、マジョリティであっても自分自身のことを大切にすることが少ない人が多いんじゃないでしょうか。

例えば会社では、今では少し見直しの動きがでてきていますが、一昔前まではお客様は神様で従業員はあまり大切に扱われない時代がありました。

大切に扱われない従業員は他者に対して本当の意味で大切に扱おうとする気持ちがはたらくのか。はたらかず、結果として業績が落ち込んでしまう会社の事例が耳に入るようになってきているような気がします。逆に従業員を大切にする会社のサービスがめっちゃよいって事例も耳にします。

 

一方この本では、結構な頻度で「適切に」というワードが出てきます。「適切に」が元々なんていう原語なのかは分かりませんが、この「適切さ」を決めるのは誰なのか、いつどのようにして決まるのか、という部分は非常に曖昧でした。

こうした「適切さ」をどのようにみんなで考えていくのか、という部分こそ大事なのではないか、と思ったので、もしも著者の他の本にそうしたことが書いてあるとしたら読んでみたいですね。

 

そんなこんなで2022年、新年一冊目の本の感想でした。

おやすみなさい。