くろやんの日記

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スーパーの非正規雇用で働く勤続10年のシングルマザーが、「昨日入ってきた高校生の女の子となんでほとんど同じ時給なのか」という問いへの返事を考える

 

短い年末年始でしたが、大量の積ん読を準備して、暇さえあれば読書をしていました。小説も読んでいたのですが、学術文庫として読んでいた小熊英二の『日本のしくみ』がとても面白く、タイトルにも書いた、

「スーパーの非正規雇用で働く勤続10年のシングルマザーが、「昨日入ってきた高校生の女の子となんでほとんど同じ時給なのか」」

という問いが読者に向けられており、せっかく文庫にしてはだいぶ長い本を読破したので思考を整理しながら返事を書いてみたいと思います。

 

スーパーの非正規雇用で働く勤続10年のシングルマザーが、「昨日入ってきた高校生の女の子となんでほとんど同じ時給なのか」という問いへの返事

 

回答例として3つのパターンが挙げられていました。

 

1つ目は、年齢と家族数に見合った賃金を得られる社会を目指すべきというもの。つまり旧来的な日本社会が目指そうとしたものに戻していこうというようなこと。

 

2つ目は、同一労働同一賃金が原則。シングルマザーには資格や学位を取りやすい環境などのフォロー環境を整備しよう、というもの。

 

そして3つ目は、そもそもこれは労使問題ではなく社会保障の問題。同一労働同一賃金はやむを得ない事で、むしろこの母親の子供に手当を与えたり、母親に高次の職業訓練の提供を公的に保障したりすべき、というもの。二つ目と似ているけれど、母親単体ではなく、子供も一人の人間の主体として捉えて、子供への支援という点で違うのでしょう。

たしかに、母親だけならスーパーの非正規でもよくても、養わなければならない子供の有無で生活の苦しさはだいぶちがうと思います。三つ目は、子供を生んでも負担が母親(とか親)にはないよ、という社会にしていくかどうか、という提案なのかな、と捉えました。

 

さて、結論から述べると、理想は3。でも社会が子供いらない方向でいくなら2が必要では?というのが私の返事です。

 

今の時代に日本で子供を育てることって非常に大変です。

お産は命に関わることだけれども、大体のことに保険が効かないため、そもそも産む段階からお金かかります。大学生くらいまで、保険なんかで子供って気楽に産めるのかと思っていたのですが、社会人になり、結婚していざ色々情報収集してみたら、いくら保障があるとはいえお値段にびっくりしました。

自分が死ぬかもしれないような危機なのに……と当事者となる自分は考えてしまいます。

また、現在適齢期真っ只中ですが、自分が貧乏で育っているせいか、お金がない(と自分では思う)状態で子供をもつ恐怖が勝り、夫婦でとりあえず種銭をつくっている状況です。種銭がふくらんだ時にタイミングがあえば(幸運に恵まれたら)授かりたいな、くらいの気持ち。

少子化少子化いうけれど、言うだけで本音は政府としては子供を増やしたくないのでは?と思っています。

本当に子供を増やしたいなら、お金持ちであろうが貧乏であろうが、子供には一律で無料で存在してもいいですよーっていう、子供主体の制度が必要なはず。(お金持ちだって必ずしも子供にお金をかけるわけではなかったりするし)

 

また、この問題はシングルマザーの問題なわけですが、子供を母親だけに押し付けるから苦しくなる問題でもあるのでは?と思っています。

 

都内のスーパーのレジ打ちさんの時給を見ていても、社会保障で支払っている額が少なくて将来貰えるお金が少ないかも問題はありそうだなとは思いつつ、子供にお金がかからなければもう少し余裕をもった生活ができそうな気がするんですよね。

まずは自助、というなら父親をちゃんと引っ張りだしてくることがまず必要そう。日本は欧米ほどの(特にフランスとか)支払い強制力がないため、父親側が全くお金出していないことも多々な模様です。その辺は制度ですぐになんとかできそうだけれど。

というわけで理想は3なのですが、

3の提案は結構大多数の社会構成員の合意が必要な提案です。いろんな人がそうしたい!って思わないとなかなか難しい。そして社会が子供をそこまでして欲していないならしょうがないです。高齢者と子供にかける費用の比率はこのままいくしかないのであれば、やっぱり子供が冷遇される社会なのだと割り切って、育てられるくらい稼ぐしかない、と考える必要がありそうです。

 

とすると、必要なのは2で挙げられていたような、高度な技術や知識を身につける為の学習環境の整備になると思います。いや、正確には学習環境の整備ではなく、学習履歴がきちんと評価してもらえる環境づくりになるのかもしれません。

技術や知識を身につけるための学習環境自体は、日本もないわけではないかな、と思います。ただ、そういった学習を世間があまり認めていない感じがあるなあ、というのは私の肌感覚です。

例えば私は自分自身もいくつか通信大学に通った経験と、昼間の国立大学に通った経験がありますが、通信大学で単位を取る方が大変でした。サボろうと思えばサボれるあたりに、ものすごく自分を主体化していないと完遂できない、というのが一つ理由としてあるのかな、と思います。

しかし、通信大学の卒業そのものを評価している人は少ないような気がします。(もちろん大学もそれぞれで、例えばあるゼミに参加したときは発表がめちゃ大変で、死ぬ程本読みました。)

 

『日本社会のしくみ』の中でもありましたが、18歳段階での学歴が一番重要で、さらに高学歴者の中だとセンターが何点だったとか、そういう話が30歳くらいになっても出てきたりするのは、旧日本軍が陸軍、海軍学校時代の成績がずっと影響する、のとほぼ同じなんじゃないかと思います。

(いわゆる学歴ロンダリングという言葉も、こうした慣習が変化して表象されたものなのかもしれないですね)

なので、学習環境を整備、ではなく学習が評価される環境を整備する、になるのかなと思いました。

 

また選択2だと、1ほどに性別や年齢で判断することがないために、性別や人種による差別が1よりはおきにくくなるのでは?と思うのも選択の理由の一つです。本の中でも、性別や人柄、人種を脱出する為の手段としての学歴、という話がありましたが、まず前提として同一労働同一賃金を選ぶ方が、性別や人種によるふりおとし機能の社会から脱する事ができそうだな、と思います。

これは自分が、田舎(地方都市ではない)で育った女性だから思う事なのかもしれません。

 

私はまだまだ知識不足なので、本の中の選択肢1、2、3、の中から自分はどれに近いかな、ということしかまだ考えられませんでしたが、また知見が増えたら、1、2、3どれでもない、4を考えられるようになりたいな、と思います。

 

それでは。