週末はサウナに行けるかなあ、と思いつつ、マンガで心を整えながらポツポツと修論を進めた一日でした。
ついったでもリアルでも、修論という圧をかけたりかけられたりしている現実ですが、私はちょっとした習い事に行くような気分で論文を書くことを心がけています。
何というか無理しない、がモットーです。
そもそも働き過ぎて心は元気だったけど身体にはキタ身としては、無理したら心より体が先に壊れるということを学習しているので、絶対やめよって思ってます。
心やられるのもやばいですが、心がずっと元気だと結構ヤバいところまで頑張れちゃうので自制。
大学院に必要なのは体力とかそういうのほんと要らない。めんどかったら適当に休めばいいんだよ。習いごと程度の感覚で通えるようになるほうがいいんだよ。
— ネオ高等遊民@哲学youtuber (@MNeeton) 2021年10月20日
このつぶやき、マジでこれだよこれっても思ったり。一度社会人を経て、資格もあるし、働こうと思えばいつでも働ける(というか今も緩く仕事はしている)ので、いい論文書いて就職しなきゃっていうプレッシャーから解放されているおかげなのかもしれません。
そういう意味ではやっぱり学問って、金持ちの道楽的側面は拭えないのかも。娯楽的側面強すぎる。
でも楽しくて楽しくて好きにやってたらいつのまにか学会発表もしちゃってるし、読書会も3つ4つ5つと参加してるし、ほかに主催もしてるし、なんか国際学会で発表する予定もできちゃったし、お金もらって遠くに研究しにいくグループ研究やってるし、それもやっぱりお金の心配せずに研究に打ち込める環境ありきだから、一つ言えるとしたら大学院に必要なのは体力じゃなくてやっぱ金かも。
仕事緩めな私は主婦の習い事感覚な部分ある。手芸教室とか料理教室とかに本気で通ってる感じ。
働きながら数年かけて修士やるとか、こういうやり方がふわっとできるような制度が広まっったら面白そうだなあ。
妄想妄想
おやすみなさい。