くろやんの日記

思考・映画・ごはん・旅・自転車・読書・ライフハックのメモ帳

私は彼らを責められない

 

私は今、社会人を経てからの大学院生生活を送っています。大学院には色々な人がいますが、基本的にはいわゆる優秀な人が集っています。

が、入学した時に一番驚いたのは、似たような人達が集っているということ。

一番多いのは、都心の中高一貫校出身者。(男女問わず)

 

ど田舎(本屋などもなく、小学校高学年になるまで漫画雑誌の存在もよく分かっていなかった、イナゴはおやつ)×女性×社会人を経てからの大学院生(自分でお金貯めて大学院にきた)、というスペックはレアキャラになります。 

 

マジョリティの彼らに限らず、大学院にいる人達は、一定の受験戦争を突破してきたぞ、という自信からか、自分の努力に誇りをもっています。

私ももちろんもっていると思います。

あんな田舎からここまできてやったぜ、とも思いますし、塾などもいったことないので、それでもこの土俵に立てた!費用対効果が高いな自分、と思うこともあります。

 

けれども、こういう場所に立っている一定の層が主張する、

「努力しないヤツがわるい」

とか

「がんばれないならしょうがない」

とか

「うまく生き抜くことも努力の1つ」

みたいな、主張には一ミリも同意できないです。

 

というのは、運でしかどうしようもなかった場面で、運が良かったな、と思ってクリアしてきた面が頭にたくさん思い浮かぶから。

貧乏でも努力すれば、は生存率0%ではなく1%はあるんだから、生存率95%の場所にいる人と条件は同じ!みたいな話にしか私には聞こえないのですよね。

俺、私、こんな条件でも生き残れた!

には生き残れない多くの人達がいたわけだし、そこでの差は本当に努力だけだったのか、分からないのが実際のところだと心の底から思うのです。

 

これからもこのことは忘れずに、研究生活に励みたいなと思います。

おやすみなさい。