くろやんの日記

思考・映画・ごはん・旅・自転車・読書・ライフハックのメモ帳

借り暮らしに気がついた日

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あの日東北で揺さぶられたにも関わらず、若者がこれからの復興に大事!という(私にとっては)呪いみたいなまなざしから逃げるように都会に出てきてしまった私。

 

色んなものがなくなって、あんまりかなしいことも書きたくなくて、一番かなしくなくて心に残っているのが大停電下で見ることができた天の川だったことで記憶を埋めていましたが、今日は「その日」ではなく「ここまでの時間のあゆみ」について振り返っておきたいと思います。

 

・大事なものはモノではないと思った日

家が流されて全てを失った人の話を聞いているうちに、モノの重要度が低くなりました。思えば多分ここが私がミニマリズムへ向かう一つの分岐点だったかもしれません。

この時点ではモノを一番大事に考えてモノを精神的支柱にしてしまうことへの恐怖だったのかもしれませんが。

モノを失っても生きていればなんとかなる、と若い時は思えても、歳を重ねてもっているものが多い人ほどそれが難しそうだなということをたくさん感じました。思い出の品にたくさんの拠り所を作るのではなく、自分の記憶や身体に思い出をためていきたいなとぼんやりと思いながら今日まできた結果、手持ちの思い出の品はだいぶ最小限になりました。

 

・家も土地も借り暮らし

家も土地も買える日本ですが、いつかは誰かに返すモノ。という認識も高まったように思います。返すモノなので、すぐに返せる範囲で購入しようという意識も高まったかも。

土地だって自然災害で変化するので、今住んでいる場所が一生永劫住めると思ってはいかんなという気持ちです。

(この意味で今回のNHK大河は徳川が300年もっていた権力を返却する話としても面白く、みています)

 

というわけで、借り暮らしという気づきを得て10年。だいぶ身軽にここまできたようにも思います。物理的にも身軽になりつつあります。

まだまだ向き合えないことはたくさんありますが、今日も私は元気で、ドーナツが美味しいです。

 

おやすみなさい。