くろやんの日記

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スコアリングの未来について考えたこと

 

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www.jscore.co.jp

最近テレビはもっぱらNHKのBSばかりですが、久しぶりに民放をつけたら面白い特集をやっていました。テーマは「スコアリング」について。

 

 

スコアリングとは

最近中国では婚活や就活で「信用スコア」が使われているそうです。

IT企業アリババの決済サービス「アリペイ」が提供するサービスが主な代表となり、信用のスコアが高ければ各種サービスが優遇して受けられるというもの。

婚活や就活にも有利に働くため、クレジットヒストリー(信用の履歴)に傷がつかないよう気を配り、そのためにはあっさり友達登録も削除することも。

(その友達は借りたお金を返さず滞納していたため)

 

日本人が好きそうな思想な気がした

そのシステムの概要を聞く限り、かなり日本人が好きな「努力で上げられる数値」である部分もあるなあ、という印象を受けました。

例えば毎日の歩数(大抵スマホで記録されている)が多いと、健康に気を使っていると+の判断をされる、他にもポイ捨てしない、借りた物はきちんと返す、などなど結構当たり前のマナー的な部分が判断される行動というのも面白いな、と思いました。

 

既に私達は付き合う人を判断して取捨選択している

「類は友を呼ぶ」という言葉通り、既に私達は友達(付き合う人)を選んで生活しています。やたらめったらネットワークの営業しかけてくる人とは距離を置くし、金を無心して来るような人とも距離を置きます(運がいいことにまだ出会ったことないけど)

飲食店で店員を罵倒するような人と一緒にごはんはいかないし、人の陰口や悪口しか言わない人とも距離を置きたい。

もちろん友達として一言言わせてもらうのは前提として、それを聞き入れてもらえない、理解してもらえなければ違う常識の世界に住む人と捉え、でも自分はその常識で生きたくはないと思って距離をおくでしょう。

そうして年を重ねて思うのはいつのまにか変な人がいないコミュニティに属していることが多くなるということ。

もちろん新しい刺激を求めて新しい人と出会いに行くこともたくさんあるけど、気が合わなければそれ以上付き合うことがなく、ほっておくと相手も興味を失っていたりして結局長いお付き合いにならないんですよね。

 

判断基準を考えることと基準をいつも複数持つこと

ある側面からみたら最高だけど、ある側面から見たら大変な友達。それは絶対にいるし、自分だってそう。だって人間だもの。

紋切り型じゃないから人間面白いのよ。

 

だから「スコアリング」を見て思ったのは

有効に使えばすごくよさそうだな(実際中国ではこれのおかげで公共の場でのマナーが向上している)

でも

・判断する基準は常に複数ある状態にすること(絶対の1つを作るのは危険)

・アップデートし続けること

ということが大切だな、ということでした。

 

ちなみに日本でもお金を借りる時に使えるサービスとして提供されている事例があるようです。

資本主義とはまた違う世界が見えてくるんじゃないかな、とちょっとわくわくしてしまいます。まずその先端をいく中国の未来はどこへ向かうのか、定期的にウォッチしたいです。

 

おやすみなさい。

 

 

おまけメモ……

他、「スコアリング」を考えて思ったのは、

よく、AIに淘汰される仕事として弁護士、教師を上げている人がチラホラいるけど、法律と教育を放棄するのは、人間が、何が正しくて何がいけないか判断する権利を捨てること、に繋がると思ったので、昨日書いたような仕事しかしていない弁護士と教師はいなくなるにしても、法律に関する仕事と教育に関する仕事は人間の手に大きく残るんだろうな、ということ。