くろやんの日記

思考・映画・ごはん・旅・自転車・読書・ライフハックのメモ帳

グローバルに働くことができる、とは

f:id:kuro-yan:20191225202836j:plain

写真はスターウォーズ展より。

 

 

さて、クリスマスも過ぎていよいよ年の瀬が近づいてきました。

今年も旅行に行きましたし、色々新しい体験もたくさんしたのですが、時間も精神力も多大なコストをかけたのは大学院受験です。

 

色々戦略的に行動し、無事志望していた大学に合格することが出来ました。

(このためにとった行動や勉強方法について、激しい関東の受験戦争を地頭で乗り切った夫のアドバイスは超参考になりました。自分がそもそも大学院に限らず、全てにおける受験について、塾経験がない故に全くノウハウを知らなかったからかもしれませんが)

 

受験をするにあたり、「なぜ」(なぜ今?)ということも含む自己分析をたくさんやりました。

分析過程を残しておくことで、今後の自分への忘備録としておきたいのと、同じように「現状の自分」に悩んだときの誰かのヒントになれば、という思いで書いておきたいと思います。

 

・自立したい

社会的に自立したい、経済的に自立したい、昔から自立欲求は結構強い方でした。というのも「自由」が好きだから。

自由が苦手な人もいる、ということを知った上で、自分は自由が好きな人間だな、という自覚がありました。

これは今振り返れば、母や祖母の影響が大きかったと思います。

祖母は職業婦人でした。裁縫の勉強をして、デパートに卸す高級なオーダーメイドのスーツを作る仕事がメインで、他にお直し等の請負も。

というのも、障がい者手帳がない時代に祖母は足がない人として、結婚は出来ないかもしれない、将来自分の面倒を自分で見ることができるように、と考えて仕事を頑張っていた人だったんですよね。

(同じように足が不自由な祖父と結婚することになって、私が生まれるまでに至る訳ですが)

でもすごい強い、勝ち気な女性、というわけでもなく優しいおばあちゃんでした。好奇心が旺盛で、子育てが終わって子どもが独立してからは海外旅行も行っていました。

 

母は逆に専業主婦。父が最初転勤族だったことも影響してでしょう。ただ、高卒ながら順応性と学ぶ力が高い人だったんだとは思います。

まだPCが出始めのときに知り合いツテにパソコンを買って自宅に置いていました。(Win95)冗談ではなく、集落で唯一くらいじゃないでしょうか。

ホームページが出始めた頃、母は集落中の個人商店のホームページを頼まれて作っていました。ホームページビルダーで。

そもそもパソコン持っている家がその頃になってもうちと、自分の友人の公務員の父母をもつYちゃんの家だけだったし…。

ヤフーのオークションサービスが始まると、母は不要になったものやお裁縫でつくったカバン、手作りアクセサリーなどを売り始めました。祖母から習っているので、母はめっちゃ手先が器用です。

そこそこ売れた後、その売り上げを使ってお菓子専門学校でお菓子作りを習い始めました。通信だったと思うのですが、本校が東京の学校だったので、年に数回東京に行っていました。数年それが続いた後、何か資格を取り、修了。

母のケーキとパンは本当に美味しい。

正直高校生くらいまで、母のことはあまり尊敬できていませんでした。働かずにいつも遊んで、勉強して、を繰り返しているように見えたからです。

でも今なら分かります。すごく世の中を上手に生きているなー、と。

 

 

特に大学生のときは、再放送の女性OLが活躍するドラマを見ながら、ちゃんとした正社員で働くことを夢見てきました。

が、社会人として働いてみて、それから自分の目標「自立する」を改めて考え直した時、正社員になることが自立ではないな、とふと気がつきました。

 

手に職…いえ、手に一生暮らしに役立つ技術を身につけること、これが究極的には結構重要なんじゃないか、ということをふと思いました。

具体的に言うと、衣・食・住に関すること。

 

そんなことを思っていた矢先、公務員(正社員的な)ではない仕事をする機会に恵まれ、自営業もとい、かっこよく言えば経営者になることとなりました。

 

 

・日本だけでなく、世界というフィールドにおいて

仕事をするうちに思ったのは、世界に発信できる専門的な、何か「コレ」というものを身につけたい、ということ。

海外の友達が増え、色々な話をする中で、昔、考えさせられた、ある大臣と現地の子どもの話を思い出しました。

子ども「あなたの仕事は何ですか?」

大臣「日本の××大臣です」

子ども「?あなたの仕事は何ですか?」

 

中学生の自分でしたが、この現地の子どもが何を聞きたかったのか、すぐに分かりました。

大臣が答えているのは肩書きであって、これは仕事じゃないんだ。

私はちゃんとやってることが答えられる人間になりたい。

 

じゃあ今、自分がやってることは明確に答えられるか。

今はもう答えられるけれど、自営業を始めたばかりの頃は答えられずに仕事を始めたような気がします。

 

そして、この仕事を経て、じゃあ最終的に自分がやりたい仕事、やりたいことはなんだ、と考えた結果、もう一度勉強することを決め、そのために大学院へ進学することにしました。

博士までがんばろうと思っています。日本ではない場所にいる外国の友達と、将来何か仕事で一緒にできたら楽しいだろうな、という未来を描いた時、自分がそれぐらいがんばった成果がないと、そういう未来を描きにくいと思ったからです。

 

自分がやりたいことは、たまたまそういう勉強が必要な道だった。

でもこれがグローバルに働く道だとは思えない。

 

・グローバルに働くことができる、とは。

グローバルに働くことの本質は、英語が話せて、世界的にも認められうる証明書をもっていることではないっていうことに気がついたのは、母と祖母のことを思い出したから。

明日、自分が知らない異国の町に放り出されて、最初に何をするか考えた時、

祖母はその町の人の洋服を作ってあげたり、服のお直しをするだろうし、

母はその町にあるケーキ屋かパン屋で働くか、必要とあればお裁縫もできるので、なにかしかで生き延びる。

そして二人とも技術だけでなく、新しい町で新しい関係を人と築くための処世術ももっていた。

処世術を具体的にいくつか書くと、

人に親切にすること、意地悪な人とはあまり付き合わないようにすること、新しい文化を楽しむこと、

二人とも語学は私と比べたらきっとさっぱりだけど、生きる力強そうだなって思う。

 

そう、英語はやっぱり道具でしかない。

私の場合は言葉を巧みに使うことも必要になるから、必需品になるけれど、

「世界を舞台に(世界が舞台になってしまっても)働いて自立できる」

というのがグローバル人材だとするなら、

言語が要らない生活に関わる技術がまず大事になりそうだし、

言語は

・人をなんらかの形で幸せにする

・人を楽しませる

ことの道具でしかないと考えると、

 

何で

・楽しませるか

・幸せにするか

価値を生み出すか

 

ということの「何」を磨くことが本質的には大事なんだと思いました。

 

というわけで、自分なりの、自分がやってて楽しいと思える「何」を色々磨いていきたいな、と思います。

社会的にはこれから自分が専門的に勉強すること

加えて、

和食が好きなので手軽で楽しい和食レシピも趣味としてぼちぼち習得していこー

 

というわけで久しぶりに思考整理でした。

 

おやすみなさい。