くろやんの日記

思考・映画・ごはん・旅・自転車・読書・ライフハックのメモ帳

他人と暮らすということについてアレコレ

 

大学生(夫のいとこ)がやってきて、もう丸2ヶ月が経ちました。私(そしていとこ)視点だと、はじめての他人との共同生活。

夫は親戚で小さい頃からの知った仲かもしれないけれど、私は完全に超他人。生活習慣など様々なすれ違いやストレス(特に向こうが)について心配していましたが、それなりにのびのび暮らしてくれているみたいで嬉しいです。

 

私個人として、完全な他者と暮らしながら感じたこと、考えたことをつらつらと。

 

・相手のことをいい意味で気にしない(無視する)

共同生活で一番ストレスなことって、生活習慣にしろ家事習慣にしろ、「相手が気になること」ではないかと思います。

何かをやってあげようと思うと相手を気にし始めてしまうので、基本は何もできませんヨースタイルで、相手を気にせず生活することは他人と生活するにあたって大事なことな気がします。

どの程度無視できるか、気にせずいられるのかは、ある種の修行と悟りが必要かもしれませんが笑

 

・実家の家事レベルの高さをなんとなく自覚

自分がめちゃめちゃ厳しく教え込まれたという認識はなく、かつ母親も、何にも教えないまま嫁に出してしまった...と言っているのですが、自分の家事へのこだわり意識はやっぱり割と高めなのかもしれないと思いました。

1度目は夫と結婚した時。弟も父もなんなら自分より家事が上手で、家族内で一番家事が下手って感じで過ごしていた身としては、夫が洗濯機すら回せない状況にびっくり。

2度目は育ちのいい夫の親友がうちに遊びにきた時。気兼ねなく色々本音を話せるその親友が、私の掃除力の高さを褒めてくれたんですよね。めっちゃ忙しいのに、家が隅々まで超綺麗で感動する!って(結構具体的に、普通こういうところは目が行き届かないのに超綺麗だった!みたいに具体的に言われて、個人的には全然嫌味ではなくめっちゃ嬉しい褒め方でした)

夫の親友は結構いいお家のご出身で、めちゃお育ち良い人なので、そういう人にガチ褒めされるくらい掃除しっかりできる自分だったんだなあ、と自己肯定感高まりました。

そして感じる3度目の今回。自分が一人暮らしを始めた頃、弟が家に泊まりにきた時の振る舞い。いとこはしっかり者だけれど、いとこの年齢だった時の自分と弟を重ねた時に、実家はゆるゆるだと思ってたけど、意外と家事しっかりやらさせてもらってたのかも?と気がつきました。

なんとなく自分が求められてきたものが、結構高いものだったかもしれないと思ったので、相手になんも求めない(困らない程度に)というスタンスを大事にするような意識がより高まりました。今後もう少し夫にも優しくできそうです。

 

・共同生活だからこそ必要な、一人で暮らせる能力

共同生活にこそ、一人で暮らせる能力の必要を感じました。一人で暮らせる人たちが集まるからこそ、共同生活は可能であるともいうことができるかもしれません。

ティファニーだったかなあ...結婚は自立した男女が行なうこと、みたいな格言があったかと思うんですが、共同生活も自立した人同士でないと成り立たないです。

この場合の自立した人というのは、

・自分の身の回りを自分で処理できる(掃除、片付け、食事、洗濯)

・自分で時間の使い方をコントロールできる

・共有空間にいる他者を大事にする

(自分が他者と快適に過ごせる関係性を構築する)

かなと思います。

自立できていないと、名もなき家事が全部誰か一人のものとなり、一人だけで家を回すことになる、専制政治スタイルの家になる気がします。民主主義スタイルで過ごすためには、誰もが生活に参加することが必要で、その意味で全員が一人で暮らせる能力が求められるなあと思いました。

 

そんなこんなで他人と暮らすあれこれについて考えたことのまとめでした。

 

おやすみなさい。