くろやんの日記

思考・映画・ごはん・旅・自転車・読書・ライフハックのメモ帳

想像力と問題の本質を見る力はかけ算すべきだと思ったこと

 

 

f:id:kuro-yan:20190214122732j:plain

最近書店に行くと、AIに仕事を奪われる!

的な煽り文句の本がたくさん積まれているのをよく見かけます。

 

ちなみに「AIに仕事奪われて僕たちは豊かに自由に生きれば良いじゃん」

というのには大賛成ですが、そう言う人は現状として仕事以外にやりたいことに溢れている人(実行できているかどうかは別として)で、

本棚に積まれている本達は、どちらかというと、

AIに仕事を奪われて困るのは仕事を少なからず自己実現の一道具として使っている(情熱を傾けて休日にやりたいことが特にない)にもかかわらず、その仕事はAIに奪われる可能性がある、どうする!?

という人達向けな気がしている、ということをメモしておきたいと思います。

 

積まれている大抵の本に、

人間にしかできない想像力を使った仕事、ってあるのですが、それってぶっちゃけ、職種に限った話じゃないんじゃないかな、と思うのです。

 

先日、知り合いの行政書士に仕事の質問をしました。

わりと具体的に質問をしたのですが、ネットで書かれている(調べられる)以上の答えは返ってきませんでした。

もちろんプロにタダで聞きたいわけではなく、今後この質問内容に関する仕事を依頼する人を探しているという状況だったので一緒に仕事をしたいと思えるかどうか、ということも踏まえてメッセージをしてみた、という状況がありました。

 

こうした返事が返って来た後、自分の質問力を反省すると同時に、それでも相手がどうして直接連絡を取った上で質問して来たのか、という意図を汲んで返事を出した場合と、今回とで随分印象が変わりそうだな、という学びも得ました。

 

ネットで聞けることをわざわざ聞いてくる女、と思われたかもしれませんが、私がネットでなく人に聞いたのは、それ以上を求めたからに他ならないわけですが。

塩梅が難しいといえば難しいですが、普通に人との仕事でも起こりうる事象だな、とも思いました。

 

気が利く後輩、先輩って相手が行った言葉の背景を読むんですよね。

空気を読むんじゃなくて。背景を読んでくれるんです。

これって別に日本に限ったことでなく、仕事ができてよく稼いでいる人はみんなやっていることな気がします。

 

つまり、問題の本質をちゃんと捉えて何を求められているか考えて回答を出せるかどうか、そしてこの力が将来いわゆるAIにはできない人間ならではの仕事ができる人間になれるかどうかの分岐点なのではないかな、と思います。

 

 相手はどうしてそんなことを言ったのかな

どうしてこういう言い回しにしたのかな

どうして今なのかな

空気ではなく背景を読むことで問題の本質に気がつくことができると、AかBか、の回答しか存在しないと思っていた世界にCという全くの違う提案を持ってくることができるようになるわけです。

たまにいますよね、すごく優秀でいつも相手の期待を上回る提案や企画を持って来る人。

 

というわけで、私はこれからもずっと仕事はしていきたいなあと思うので、想像力と問題の本質をきちんと見る目は養いながら生きて行きたいと思う次第です。

日々勉強。

おやすみなさい。