明日から本格的な「平日」を前に、今日は親しい友人達との新年会に行きました。
気の合う仲間とおいしいものを食べながら定番の今年の目標について語りながら、ふと考えたのが、「学習すること」と「試行回数」のこと。
発端は一人の友人Aが、
昨年はとにかく失敗したり、嫌われたりしてみてもいいから、自分がやりたいと思うことを失敗するまで(嫌われるまで)とことん突き詰めてやってみること、を実践してみた。この行動によって、よかったことも悪かったこともあった。
今年は去年までの学びを活かして、「大人な発言・対応が出来る人間になること」を心がけたい。
という目標を発表したことでした。
昨年そうやってあえて、どこが失敗のラインなのか?を知る為に、ギリギリまで攻めた友人Aの行動は、ちょっと年が下に離れた友人Bには新鮮だったようで、「Aさんもそういう失敗をして学習しているんですねー」と相槌。
思えば自分も、どこまで自分の意見を周囲に通してもいいのか、どうやってウマく通せばいいのか、のさじ加減は大学時代にサークルや部活を通して学んで、しかもそこで大失敗(こじれ過ぎて、仲の良かったサークル同期の結婚式に呼ばれるまで私はLINEグループに入れてもらえない、という事体に)をして、ぐっちゃぐちゃになった過去があって、そこで「忖度」という技を手に入れました。
大雑把に「忖度」とまとめましたが、もっと具体的に言えば、「相手を思いやる様々な型」とも言えるかもしれません。
友人B的には、私は年の割に相当落ち着いて見えるらしく、そんな大失敗歴史があるのにとても驚いていました。
と同時に、安心もしていました。
Aも私も、Bが憧れている(というのは言い過ぎかもだけど)相手との距離の取り方や、コミュニケーションの取り方について「失敗」を積み重ねた末に現在がある、ということを知ったからです。
そんなこんなで、お互いの失敗談を色々話すうちに、
テクニックや方法論は色々あっても、「学習」が最終的に行き着く本質の中で大きい部分を占めているのは「試行回数」なんだろうなあ、ということを再確認した時間になりました。
そんな私は昨年まで、「試行回数」つまり「量」を追求していました。今年は「正しい努力を積むこと」も大事にしたいので、テクニックも磨いて行こうと思っていますが、なんだかんだ根本には絶対的な試行回数、量の問題が潜んでいるんだな、ということを頭に入れて、テクニックを追求したいと思いました。
おやすみなさい。