私たちは、自分の周りにある世界の物をますます早く置き代える欲求にかられており、もはや、それを使用し、それに固有の耐久性に敬意を払い、それを保持しようとする余裕をもっていない。私たちは、自分たちの家や家具や自動車を消費し、いわば貪り食ってしまわなければならないのである。(p.187)
まさかアレントを読んでいて、ミニマリズムに繋がる一文を見つけようとは。私たちは基本的に色々なものを貪り食っている。
働き始めた頃、お金に余裕ができたときにまず1番最初に思いついたことが、いわゆる「ふつう」の暮らしをしてみたいということでした。
私が思い描いていた「ふつう」はドラマやCMの世界の話で、例えば
- クリスマスにピザやKFCを予約して買う(ケーキも予約して買う、もしくはデパ地下に行って買う)
- 季節が変わったら服を買いに行く(季節ごとの装いを変える)
- 便座が暖かくなるタイプの家に住む
- 仕事で疲れた日はコンビニスイーツに癒される(コンビニで物を買う)
などなど。
しかし実はこれらは実家に住んでいたときにはほぼやったことがないこと。
クリスマスは雪がすごすぎて外には出ない(KFCやピザは都会の食べ物)
服は基本全部おさがり(新しい服を買ったことがほとんどない)
コンビニにはそもそも行かない(高いから)
なので余裕ができてまずやってみたことが、やりたいと思い描いていたドラマの中の人たちがやっていたことを一通りやることでした。
お金は消費に消えていきました。
楽しかったけれど満足感が思っていたより高くなく、現在の生活(ほどほどに昔の生活に、ちょっと特別な日にピザを買いに行くみたいな)に落ち着きましたが、まさに置き代えて貪り食う生活だったと思います。
ちょっと油断すると色々な消費システムの中に知らぬ間に組み込まれてしまうので、サービス利用前はよーく考える習慣も身に付きましたが、ぼんやりしていると結構知らぬ間に、意図せず消費のサイクルに入っていたりします。
だからこそ日々の問いなおしの大切さを実感するわけですが。
消費のサイクルに知らぬ間に入ることの何が怖いって、あまりにも気が付かずに奥地に入り込み過ぎると、なかなか抜け出せなくなる上に、何か一つでも歯車が狂うと(職を失うとか)、途端に破綻すること。
ちょっと何かが消えたりなくなったりしたくらいで壊れる自分の生活ってちょっと心許ない。
私は強靭な心臓の持ち主ではないので、力強い土台の上の方が精神が安定して人にも優しくできる。なので自分自身が誰かに優しくあるためにも、しっかりとしてリスクヘッジもした土台の上で暮らしたい→消費のサイクルの奥深くまで行き過ぎない、ということを心がけたいと思っています。
その上で、労働が終わった後にも持続する主体の中に、何かを見つけたい...(p.198)
おやすみなさい。