くろやんの日記

思考・映画・ごはん・旅・自転車・読書・ライフハックのメモ帳

終わりのあるゲームvs終わりのないゲーム

今週のお題「やり込んだゲーム」

 そんなに裕福な家ではなかったのですが、年がだいぶ離れた社会人の従兄弟が飽きたゲームが中古でよく我が家にやってきて、特に父、弟、私が遊んでいました。 たまに母も遊んでいたかな。両親もゲームを楽しんでいたので、特にゲームは悪いもの、ということもなく、宿題とやるべきお手伝いをしっかりしていれば好きなだけ遊んでいい状態だった我が家で、私が繰り返しやっていたのは多分FFシリーズ。

お下がりでもらっていたのでスーファミではなくファミコンの作品もずいぶんやりこんでいたのですが、なんだかんだでいちばんはまったのはFF5でしょうか。FF5のジョブシステムが特に好きで、全てのジョブをマスターさせたくて頑張っていた記憶が……。多分頭の上に星をつけたかったんですよね。

 結局自分では全てに星をつけるところまではいかなくて、父親がそれを達成したのをみて、一度このゲームからは、離れました。

ときを経てつい2年前。スマホでリリースされていることを知り、言語設定を英語にしてプレイしました。英語の勉強がてら。7もやっているんですが、記憶や印象では5の方が記憶に残っているんですよね。多分弟や父と競ってやった、(=人とやった)という記憶があるからなんだと思います。

 

私の中でゲームの位置づけは小説や映画のようなもので、終わりがあってほしいと思っている派でした。「The End」があるからがんばれるので、オンラインゲームは自分には向いていないだろうな、と思っていました。

が、最近『光のお父さん』というオンラインゲームを舞台にした映画を見たり、

 

遅まきながら、SAO(ソードアートオンライン)を観たりして、オンラインゲームも面白そうだな、と思い始めました。

 フィクションですが、オンラインゲームを楽しんでいる人達を観ながら、オフラインでプレイするボードゲームに近しいものを感じました。装備を整えたり、経験値を一定積むあたりは旧来のRPGなんですが、本質的なおもしろさは人狼とかカタンに通じているような気がします。仮想の世界で、みんなで1つの目的を達成するべく協力したり、時にライバルになったり。

終わりのないゲームには縁はなさそうと思っていましたが、人狼やカタンにハマることができる自分は、案外楽しめるのかもしれない、とも思いました。

また就職して(今学生なので)、お小遣いでデスクトップを購入することになったら、オンラインゲームにも挑戦してみたいなあ。

 

おやすみなさい。