くろやんの日記

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「こなす」ではなくきちんと「取り組む」人間になりたいと思いました:映画『日日是好日』

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www.nichinichimovie.jp

新年度ですが、時間をつくって映画、『日日是好日』を観てきました。
やりたいことが見つからない20歳の大学生が、お茶を習いはじめる、というお話です。
大学生役を黒木華さん、お茶の先生役が樹木希林さんが演じています。

 

主人公が通うお茶の教室に飾ってある言葉が、『日日是好日』という言葉です。
この言葉は禅語の1つです。


そのまま読むと、「毎日良い日が続いて嬉しいね」といった具合なのですが、もちろん違います。
好日の好は好悪の好ではなく、「よし、今日もこれを改善しよう」とか「よし、がんばるぞ」という決意の意味での好だそうです。
毎日、いろんなことがあるけれど、そんな日々を良い日だ、悪い日だと決めるこだわり、とらわれをさっぱり捨てきって、その日一日をただありのままに「よし、がんばろう」と生きる、という清々しい境地。
というのがこの言葉が意味するところのようです。

 


私がこの言葉と始めて出会ったのは、『日日べんとう』という漫画でした。

www.kuroyan.tokyo

 

私は、毎日朝食にお弁当、夜食をつくっている中で、どこかで食事の準備が「こなすもの」という感覚になっていました。
けれどもこの漫画を通して、主人公が日々の食事を心を込めて準備する姿を見て、自分自身のお弁当作り(と夜食、朝食作り)も人生の修行のようなものだと考えるようになりました。
一回一回が真剣勝負の場だと捉え、工夫と努力を怠らないよう心がけるようになりました。

 

映画の中でも、
・お茶の世界はそういうもの
・頭で考えずに手を動かす、そうすれば手が覚える
など、表面だけなぞると、
・思考停止状態
・機械にもできること
といった、「こなすもの」の感覚である風にも捉えてしまえるような台詞がバンバン出てきます。

けれども、黒木華演じる女子大生が、手を動かす中で自分自身が見つけた感覚がそうではない、ただ「こなす」だけでは見えない世界がその先にあるのだということを、お茶を通じて理解して行く場面は、見ているこちらも言葉に単純に表すことが出来ない、「何か」に気がつかせてくれます。

 

 

観終わった後には、
映画は所詮他人が切り取ったものなのに、お茶を習っているだけの、言ってしまえば地味なシーンだけでこんなにも深いメッセージを送ることが出来るなんて。
・この監督(映画)スゴい!
という気持ちと、
・お茶ってスゴい!
という気持ちになりました。

 

お茶に限らず、日本の「道」と名のつくお稽古って全部そういう側面があるのかもしれません。
柔道、剣道、合気道、華道、そして茶道。どの「道」もその技術自体を高めることを大切だとしつつも、それ以上にその人自身の精神性を育てる側面があります。
私は「道」と名が付くお稽古事は1つもやったことがないので、もうちょっと今の自分の生活が落ち着いたら、何かの「道」を始めてみたいな、と思いました。

 

おやすみなさい。