くろやんの日記

思考・映画・ごはん・旅・自転車・読書・ライフハックのメモ帳

肺炎になったけれど夕飯の匂いがするこの街が好き

f:id:kuro-yan:20171220075848p:plain

 

地方から都会に出て、私は肺炎になった。

社会人になったばかりで毎日の疲れも重なったのかもしれない。

大学生まで空気がきれいな場所で育ってきたせいかもしれない。

 

とにかく、私は都会に出て肺炎になった。

それもかなり重度で、レントゲンに写った肺は真っ白。当初2週間の入院が必要、と言われて顔が青ざめた。

それほど重度であることとか、入院代のこととかよりも先に、仕事大丈夫かな、と思うくらいには心が社畜になっていた。

 

たまたま遊びに来ていた両親の助けを借りて入院の手続きをして、私は入院デビューを果たした。

夜中に高熱で緊急で運ばれたものだから、仕事先への連絡は次の日の朝になった。

朝、職場の上司に電話して第一声は、なんでもっと早く連絡しないんだ、ということだった。

 

夜中に緊急搬送された身としては朝、なんとか両親からスマホを受け取り、点滴を引きずって電話が可能な休憩スペースに辿り着いて、結構早急だったと思うけれど、違ったようだ。

どうやら運ばれた段階で連絡すべき、とのことだが、家族同居ならまだしも、一人暮らしの身であり、たまたま両親が来ていただけで、職場への連絡は頭にいかなかった。

そもそも真夜中に連絡するのは非常識な気もするし、取り急ぎであろうとそんな大事な事をメールで伝えるなんて、これだから今時の若者はとでも言われそうだな、とか思ったり。

 

とにもかくにも、第一声は心配ではなく注意、だったことに社会の洗礼を感じた。

 

仕事の方は教育期間だったことも幸いして、教育担当が引き継ぐことになった。上司と違って心配の一声とやっとくからきちんと休んで休み明けからまたがんばろう、の一言が重ねられた教育担当からの連絡は暖かく感じた。

 

色々引き継ぎ事項や、書類の置き場所の連絡をした後、最後に教育担当から、

「俺も仕事を始めたばかりのとき、肺炎になったんだ。その話しをした記憶はないけど、そこまで真似しなくて良いんだぞ(笑)」

との一言。

思わず笑ってしまうと同時に、同じように体を壊してしまった教育担当だからこそ、私の焦る気持ちも理解してくれたんだな、と経験と想像力の大切さを感じた。

私も将来、病気で休む事になった後輩、に限らず同僚、先輩には優しくなりたい。本当にどうしようもないのだから。

 

そんなこんなで2週間と言われて入院生活が始まったものの、若さ故か、医者も驚く驚異の回復力を見せて1週間で退院。

ただし、回復が急激だったため、残りの一週間は自宅療養ということで、診断書も書いてもらい、1週間入院の1週間自宅療養になったのだけれど。

 

仕事に復帰すると、肺炎なんてかかったのかと思うくらい元気に、仕事に取り組む事が出来た。

小さな風邪を引く事はあっても、大きな病気はしなかった。

 

 

けれどもやっぱり思うのだ。都会の空気はきれいではない。

大きく息をすうと、特に雨の日は気持ち悪いと思うし、河川敷をランニングして高速道路の下に差し掛かろうものなら、ものすごい悪臭を感じる。

免疫がない故に、私はまた、何か病気をしそうだ。

 

 

そんなことを頭に置いて、働き方を考えながら歩いていたある日だった。

引っ越しをして以前よりも静かな住宅街に身を置く事になったせいもあるかもしれない。

 

仕事帰りの薄暗い道に、その匂いは漂った。

ある家からはカレー。

ある家からは筑前煮だろうか、煮物。

 

夕ご飯の匂いは私を暖かく包んだ。人生で始めての感覚だった。

 

 

私は田舎で生まれ育った。

こんなに住宅が密集する場所に住むのは私にとって始めてで、だからこんなにもいろんな種類の夕飯の匂いが混ざり合うのを嗅ぐのも始めてだった。

 

よくマンガやアニメである、道ばたを歩いていたら、あ、あの家は今日はカレーだ、みたいなことはおとぎ話のように感じていた。

 

それを今、まさに経験している。

あの家は、この家は、あそこの家は。

各家庭から漂う夕ご飯の匂いは、街を優しくしているように感じた。

 

その瞬間、私はこの街が好きになった。

肺炎になったけれど、夕ご飯の暖かい匂いに包まれるこの街が好き。

 

 

そんなことを、今日またカレーの匂いが漂う街を歩いて、ふと思い出した。私はまだまだこの街から離れられそうにない。