くろやんの日記

思考・映画・ごはん・旅・自転車・読書・ライフハックのメモ帳

親切の連鎖を、いつまでも発信する人でありたい

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ペイ・フォワード、という言葉を知ったのは、確か高校生の時だったと思います。

(たしか)国語の先生が、「親切をもらったら、次の誰かに渡す、ということをするには、誰かの親切に敏感になっていなければ気がつけない。親切に気がつくというのは、色々な本や映画を見たり、実際に色々な経験を積んで想像力を養わなければ磨かれないので、色んな刺激を積極的に受けにいきなさい」

みたいなことをおっしゃっていたんですよね。

 

 

地域の小学生や未就学児と月1で遊ぶボランティアを中学・高校と続けているくらいに社会貢献にはアンテナが強めの思春期を過ごしていた私ですが、

あー人に親切にしたなあ、と初めて自分自身で自覚的に感じ、今でも忘れられない、と思う経験は17歳の時のことでした。

その日は歯医者に行く為に、高校がある町の隣、自分が住む集落からはみると隣の隣町、という定期券の中間の駅で降りました。

単線の電車が交差する少し大きな駅だったのですが、降りた人数は5、6人ほど。

その中にベビーカーをおし、抱っこ紐でもさらにお子さんを抱えている、二人の子連れのお母さんがいました。

 

そもそも車社会なので、物心がついてからベビーカーに乗った子どもを見るのはボランティアで小さいこと触れ合う機会が多い私でもほぼ初めて。

珍しいなー

というのが最初の感想。

 

そしてその後ふと気がついたのが、

この駅、エスカレーターはもちろんエレベーターもないぞ、ということです。

 

電車が駅に到着して、押しボタンを押して電車から降り、少し後ろの母子を気にしながらゆっくりめに歩く私。

観察を続けていると、なんとお母さんだっこしたままベビーカーを持ち上げようと……!

 

慌てて、とっさに、一緒に持ちますよ!

って言ってました。

お母さんがベビーカーにいた子をおんぶして、私がベビーカーを運ぶことに。

その後長い階段の上り下りをベビーカーをもってエンヤコラ。

 

降りた時、えらいお礼を言われて、とても気持ちよく歯医者に行きました。

 

後日、階段を下りた先の改札から見ていた別の高校の生徒が、私のことを噂(良い方の)にしていたのが、その別の高校に行っていた友達経由で耳に入って来たのと、

なんとその後、自分の高校にも親切のお礼の連絡が入ったようで、担任の先生から全体にお話がありました。

(うちの高校の生徒で、こういう人がいてお礼を言われた。困っている人がいたらこれからも行動でしめせる人であるように励みましょう、的な)

(その人に名前は何も言っていないので、私がその時来ていた高校名入りのジャージを見たのかも)

 

私は一人にんまりして、心の思い出としてそっと胸にしまいました。

(担任にも特に言わなかったので、私だということは地元の友人(別の高校)しか知らないままです)

 

そんなことがあってから、ペイ・フォワードの話を聞き、映画を見て、

小さなことでも自分が一声かけるだけで、自分も相手もなんだか幸せな気持ちになる、みたいな素敵なことが起こる訳で、そりゃーあの空気感を味わったら誰かにお裾分けしたくなるよね、と共感。

以来、自分にもできることは臆せず「大丈夫ですか?」「お手伝いしますか?」

と声をかけるようにしています。

 

この話を思い出したのは、今日再び、同じようなことが都内であったから。

都内の駅は大体1つはエレベーターがあるのですが、出口によってはない場所もあるんですよね。

エレベーターが近くにない出口で、くまちゃんの帽子をかぶったかわいい赤ちゃんが乗るお母さんにお声かけし、階段を登るお手伝いをさせていただきました。

お母さんの安心した笑顔にこちらもにっこり。

 

数週間前にはバス停で、ベビーカーをバスに乗せるお手伝いもさせていただいたのですが、こうした小さな親切が、その日一日を終える時、お互いにふと幸せなことを思い出せる、そういう記憶になるっていいなーって改めて思いました。

 

 

東京に来てから、「ペイ・フォワード」という言葉が金持ち父さん、貧乏父さんにも登場するせいか、

なんかすごいビジネスじみていて、自分自身の有益な情報を渡すとか、有益な人と会うチャンスをつくる、みたいな方向を想像しがちになってしまっているんですが、

映画の内容ってそうじゃなくて、もっと素朴な親切だったよなーってことと、

そういう素朴な親切って、自分の有益な情報を相手に流す以上に幸せが広がる気がするんですが、どうでしょう。

 

おやすみなさい。