くろやんの日記

思考・映画・ごはん・旅・自転車・読書・ライフハックのメモ帳

【目標振り返り】4月の振り返り

 

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ドタバタしていた4月が終了。今日で一年の3分の1が終了した訳ですね。3分の1って表記しただけで、すごい日数経った感あるぅ。

【2018年の目標】

《大枠の方針》「継続」

《目標リスト》(3月見直し後若干変更)

・映画150本鑑賞

・本を100冊読む

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・日記を毎日書く

・英語力向上→スカイプ英会話

美ジョガーになる

 

《インプット系について、振り返りと考察》

映画本数、読書冊数共に今月数は少なめ。映画は7本、本は2冊(588ページ)。全体的に忙しい月ではあったが、隙き間時間はそれなりにあった。読書については、読書をする時間、というものを確保したい。娯楽的に、教養を深める為に読む物と、実を学ぶ為に読む物とで時間をわけても良いのかもしれない。

映画については3月までがハイペースだった。4月は映画以外に、アルティメット人狼の動画にはまった。これはこれで思考の勉強になって面白かった。また、映画はスマホにインストールしておいて、移動時間を利用してちょこちょこ観ていきたい。

 

★映画については4月に本数が落ち込んでも気にしない。これまでがハイペースだった。

★読書については、実を学ぶ物は朝に、教養を深める物は夜に行いたい。

 

 

《アウトプット系について、振り返りと考察》

日記についてはアップをせず書き溜めてしまった後半だった。できれば1日1日上げたいが、いくらアプリがあるとはいえ、画像をwi-fiなしの環境でアップするのはなんとなく避けたい。

英語については単語力を向上させたくなってきた。様々な単語を覚えて、会話に活かしたい。

ランニング・サイクリングについて。今月はサイクリングの比重高。総走行距離は300km程。体を動かして健康を保ちたい。平日にも運動をする習慣をきちんとつけたい。

 

★日記:引き続き頑張ろう。リアルタイムでのアップを心がける。他の人の記事への反応について、いいね(星)で簡単に済ますだけでなく、文章できちんと伝える習慣をつけたい。

★英語力向上:単語力を上げたい。何かアプリも併用しようか。

美ジョガーになる:美サイクリストでもいいよね

 

 

 

 

 

 

走る喜び

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どこかの企業のCMみたいなタイトルですね。

 

最近仕事の関係で都市から離れているので、ちょくちょく運転しています。

免許自体はマニュアルでとった上に、その後保険的に自分が運転していいのが実家の軽トラくらいだったので、

久しぶりの運転×オートマの普通車

というかけ算にとても緊張しながらの運転です(笑)軽トラばっかりだったので、普通車だと前の距離感覚が最初ドキドキしました。

 

 

田舎で行きて行く為にとっただけで、運転自体はそこまで好きではありません。

講習中にあった原付講習でバイクも自分に向いていないと思って、良い自転車を購入したくらいなので、そもそもモーターがついているものが苦手なのかもしれません。

なんというか、リアルに自分の足で走るのが一番好きみたいです(笑)

 

 

そんな私は早く自動運転が普及しないか、とただそれだけを考えています。

運転はできるし、そこまで下手でもないけれど、空間把握能力が低い私は運転中、かなりの集中状態に入っています。テニスの王子様的に言えば、ゾーン状態でしょうか。(言い過ぎ)

そして運転後はすごい疲弊しています(笑)

 

 

運転大好き人間である夫は、自動運転が普及したら、自分で運転しても良い場所がすごく少なくなりそう、と少し残念そうにしているのをみると、走る喜び、を維持したまま、自動運転が上手に普及するといいなあ、と思う次第です。

 

 

 

私の世代の老後を考えてみる〜その2〜

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昨日、こんな日記を書きました。

kuro-yan.hatenablog.com

 

今日は楽しく未来予想図してみたいと思います(笑)

私の世代の老後、どうなっているんでしょうね。とりあえず、介護はきっとロボットがやってくれるようになってるんじゃないかな、と思っています。

 

きっと介護ロボットにいろんな型があるんだと思います。で、日本が意外とその道で世界をリードしているんじゃないかなあ。

ロボット系もまだまだ頑張れると思うし、なによりそのロボットの型どうする?ってなった時、

絶対みんな、ガンダムがいい、とか。マジンガーZがいい、とか。ドラえもん型がかわいくて癒される、とか。いや、やっぱりここはヒューマノイド型で、イケメンorかわいいマンガ、アニメキャラがいい、とか。

そうなった時、著作権握っているのは日本ですもんね。

 

個人的にはC-3POR2-D2を揃えて余生を送りたいです(笑)

C-3POに飲み物もってきてーって頼みたい(笑)

 

 

そんな未来予想を友達とした時、友達は、

「私達が老人ホームに入る頃には、そもそも歌やお手玉ではなくテレビゲームでしょ?んで、みんなで、スマブラで盛り上がるんだよ、きっと」

とか言っていました。

 

たしかに〜。

と思うと同時に、介護ロボットの方が安価になって、老人ホームは金持ちが行く場所(というか金持ちしか行けない場所)になるのかもしれないなあ、とも思いました。

 

あ、でも介護ロボットを同じホームでシェアする形が一番安価か。

 

 

でも、そもそもみんなゲームとかをやり続けていたら、意外と簡単にボケなくて、そういう介護の需要って低下するのかなあ。

 

一昔前は、ゲームばっかりやっていたらバカになる、とか言われてたけど、結構頭使うゲームもあるし、今やe-スポーツとなってプロ化されてるし、意外とゲームが人間の健康寿命を伸ばしてくれるかもしれないね。

 

 

私はいつまでも足腰元気に、C-3POR2-D2を連れて宇宙旅行に行きたいです。とりあえず火星行ってくるって言いたい。

 

 

私の世代の老後について考える

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まだまだそんな切迫した世代でもないんですが、たまに考えます。

というのも、私の世代の視点から見て、今の老人たちって、きちんと自分の老後を見据えて準備してきた人とそうでない人の差が激しすぎるって思うからです。

 

 

もちろん色んな人生があったと思います。大変な時代でもあったでしょう。けれども、私達の世代から見れば、真面目に銀行にこつこつ貯金してさえいれば、お金はどんどん増えていくし、真面目に働けば給料は増えていくし。

あと、インターネットがないので、こんなにみんなが夜遅くまで働いていて、休みがない、みたいなこともなかったようですし。

もちろん一部エリートは忙しかったとは思いますが、それはいつの時代でも一緒だし。

 

 

祖母は幼いときに片足を失い、いわゆる障がい者として生きてきました。

運がよかったのは実家がそれなりに土地持ちで、足を治療してなんとか生きる事ができたということ。当時お医者さんなんてすごくお金かかりますからね。

山をいくつも売った事で生きながらえた祖母は感謝をするとともに、他の兄弟よりもお金がかかった負い目も若干あったようです。

たくさんいる兄弟の下の方で、家を継ぐ訳でもない自分に手がたくさんかかった訳なので。

祖母は自立し、縫製系の職人としてこつこつ働き、母を育てあげ、私を始め孫にも恵まれました。

 

 

祖母の様態が悪くなってから施設に入るようになりましたが、祖母は自分でこつこつ貯めていたお金を母と兄弟にたくし、そこから自分の人生終盤にかかる費用を工面するよう頼んで、静かに施設で過ごしています。

 

 

祖母は色々な面で、とても恵まれていた、という人ではなかったでしょう。今でこそオシャレでいい義足はたくさんありますが、昔はいろいろ大変だったようです。祖父も足が悪い人だったので、二人であの時代に子育てをするのも色々大変だったと思います。

 

 

苦労は比べられる物ではありませんが、同じ世代の中では色々大変な方ではあったんじゃないかなあ、とは思います。

が、老後に子どもに迷惑かけまい、という気持ちは強かったようで、こつこつと準備していたおかげで、たまに遊びにくる孫にはおこずかいをあげることができたし、いざ自分に手がかかる段階になっても、資金力が使えることも手伝って、子ども達(母)もそこまで困らず世話ができている状況です。

 

 

それはテレビのバス旅特集なんかでよくみる、高齢のご夫婦、もしくは奥様集団たちにも言えるのかもしれません。彼ら彼女らはとても余裕があります。

(もちろん余裕がなくて、すごいケチケチしてくる人もいますが)

一方で、ひたすら自分が苦しい事を国や若者のせいにして、怒ってばかりの人もいます。

国に対してそこそこ自分も思う事はあったりはしますが、誰かのせいにし続け、怒り続ける彼らのようになりたいという憧れの心は残念ながらもてません。

 

 

何が違ったんだろう。

複利の法則で、きっと小さな違いが年数経って大きな違いになったのかな、と思います。

自分に対して、どんな未来が待ち受けているのか、世の中の流れをしっかり読んで、考えて、行動する。

 

 

孫がひ孫に、おばあちゃんすごい人だったよ、とまではいかずとも、おばあちゃん楽しそうに生きてたし、私達にこんなものを残してくれたよ、とおもってもらえるような歳の重ね方をしたいものです。

 

 

自分の力で生き抜くという考え方について

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先日、たまたまテレビを観ていたら、過去、満州に取り残されてしまった日本人たちに関する特集をやっていた。

 

 

終戦後の満州』と日本語でgoogleやyahoo検索をかけると、当時の満州でどんなことが起こったのか、小学生が図書館でひっそりと読む『はだしのゲン』くらいの衝撃的な事柄が綴られている。

もちろんいろんな見方があるだろうし、日本も似たような事をやっていた、とか、感情の問題とか色々あるけれど、とにかく当時、満州に取り残された日本人というのは大変だったのだ。

 

 

戦争中では敵側だった国との境にいる上に、味方は海の向こう側。

敗戦国側であることの不安。

先行きが見えない不安。

今の日本人には想像が難しい不安に囲まれて、当時満州にいた人はどんな気持ちだったのだろう。

そんな気持ちを持ちながら、私はテレビのドキュメンタリーを見続けた。

 

 

「国に頼らず、自分の力で生き抜く事への覚悟」

観終わった後、彼らからはそんな気持ちを強く感じた。

 

偶然にも、別の機会に歌手の加藤登紀子さんのインタビューもみかけた。

www.news-postseven.com

 

加藤登紀子さんは終戦の時、満州ハルビンから母子4人で命からがら引き上げてきたという経歴を持っていらっしゃる方だ。

まだ3歳にもならなかった加藤登紀子さんに、母が「自分で歩きなさい、そうしないと死ぬのよ」と叱咤したという。

 

加藤登紀子さんのお母さんは、「私の生き抜く力と判断だけが頼りなんだ」と自らを奮い立たせ、仕事も食料も懸命に探したそうだ。

なんと略奪に来たソ連兵にも毅然と対応したそうだ。曰く、「一対一の人間同士なら必ず分かり合える」とのこと。

 

これは『母は強し』とか『火事場の馬鹿力』とか、そういう言葉で片付けて良いことではない、と私は感じた。

 

 

「国に頼らず、自分の力で生き抜く事への覚悟」

国は万能じゃない。国だって人が作った物だ。歴史があるし、忖度も賄賂も山ほどあっただろう。

今の日本の基礎だって、戊辰戦争からできてる、という話を聞いて思わず納得してしまった。同じ田舎でも東北と九州じゃ全然発展度合いが違うって、行ってみて知った。

そうして国ってできてる。もちろん頼りになるときもあるし、ああ、国のおかげでなんとかなったってこともたくさんある。

 

 

けれども、それでも「国に頼らず、自分の力で生き抜く事への覚悟」は持たなければいけないと強く感じる。

 

 

ずいぶん前に、知り合いの校長先生が言っていた言葉をふと思い出した。

「本物のセレブは、よっぽどのことがない限り、学校にクレームなんてつけないのよ。だって学校に大して期待していないから。大事な事は自分の家で、塾なりなんなりで、自分でやるって考えているから」

 

私もそんな本物のセレブのような、豊かで広い心をもちたい。

 

 

学校がいらない、と思う派に対する考察

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最近ネットサーフィンをしているとみかける、「学校なんていらない派」

意見に対する賛否両論はあるかと思いますが、個人的には彼らが言っている事や、彼らの生きている世界が面白いな、と思い、彼らを観察してみました。

 

◯「学校なんていらない派」は自分の頭で考える力が早期にあった人達

「学校なんていらない派」の人達の主張によくあるのが、好きな事や大人になれば理にかなっていてやらなくてもいいようなことを、先生に強要されて嫌だった、という思い出。

これは「学校なんていらない派」の人達が、比較的早期から、自分の頭で考える力があった何よりの証拠なんじゃないかな、と思いました。

「自分の頭で考える事」ってすごく大事だけれど、発達の状況なんかで自己認識ができるかどうかっていう年齢はかなり人によってバラバラ。

早い人は幼稚園くらいでできているし、遅い人は中学生になってやっと、という人だっている。

そしてちょっと遅めな人、を救い出してくれているのが先生だったりもするから、いちがいに「学校全部いらない」とは私は現段階では思えなかったりします。

 

◯「学校なんていらない派」の多くは、中規模もしくは大規模都市出身っぽい

っぽい。というのは、そういう一派な人達の言動や、プロフィールからの推察にすぎない、という意味です。

が、「学校なんていらない派」の多くは大体中くらいの町レベルから大都市にいたっていう人が多いな、という印象があります。

これは、都会で人が多ければ多い程、集団で行動しなければいけない場面が多く、何かを強制させられたり、守らなければいけないルールが多かったせいなのかな、とも思いました。

すごい田舎であればあるほど、人数が少ないゆえに、雪が降ったら授業止めて雪合戦しようぜ、みたいなことがはじまる、みたいな環境で、あんまり縛られた教育を受けた、という思い出がない人が多いように思います。

逆に学校がないと、同い年くらいの子達との出会いというのは一切なく、そういう意味で私にとっては、同年代の子が何を考えて生きているのか知る場所、としてとても有効な場所だったな、とも思うのです。

また、学校の先生というのは自分の田舎地域の外を色々知っている、かつ身近に話しを聞き出せる貴重な大人であり、そういう人の話というのも子どもの頃は貴重でした。特に若い先生なんかは人気。だって、自分と近しくて、当時の最新機器のことも一番詳しいし。

そして田舎の学校というのは、海外青年協力隊に行っていたため、ちょっと教員休んでました、みたいな、多分教育界的にはアウトローな存在になった人達が流されてくることが多いようで、海外経験が多い先生が多かったのも、面白かったなあ、と思います。

ま、この辺の出会いは、大規模・中規模都市で生まれ育っても、運の要素が強いのかもしれませんが。

 

 

 

ちなみに私は、最終的には学校はいらない方がいいんじゃないか、学校がなくてもいいような仕組みが作れたらいいんじゃないか、そして学校に行くか、学校に行かないかが自由に選べる状態ができたらいいな派です。

(一昔前は、高校進学ってそうだったと思うけれど、今や全員行くの当たり前になった世の中だもんね。高卒資格がないと就職できない企業がほとんどだし。そういう圧力がなくなればいいな、と思う。頭いい人は中卒でも頭よくて、起業して立派に社長やってたりするし。その方がよっぽど経済も回るしいいよね。そして自分の好きなタイミングで学校に行ける世の中になったらいいな)

 

 

正直こいつ学校いらなかっただろって人もいれば、学校というシステムに救われた、みたいな子もいるわけです。

下を救うだけになるのではなく、上位の子も救いたい(下の子に合わせてばかりだと本当にトップレベルに勉強ができる子って我慢ばかりさせられてかわいそうだな、と思う場面もあります)、と思う気持ちは、色んな人に出会う中で私にも芽生えた訳ですが、「学校というシステムに救われた」側の子たちは、「正直こいつ学校いらなかっただろ」側の子達よりも、命の危機に直面する場合が多い、というのもまた印象としてあります。

命の危機、というのは家庭の問題であったり、本来それ学校の先生が助ける場面じゃないよね?という問題の多くを、学校の先生が力になって解決したり、助けに入っていたりする例も少なくないようなのです。

で、やっぱり命の危機は問題としては、とても重たく見えてしまう。

 

 

そういったことを考えると、やっぱり必要に応じて、世間体を気にせず選べる、という環境が一番贅沢だし、目指すべきところなのかなあ、と思ったりします。

 

 

年を取っても、アップデートを続けていきたいと思う理由

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先日、ついに父がガラケーからスマホに機種変更をしました。

家族の中では唯一のガラケーユーザーで、当たり前だけど家族LINEに父はいないため、父との連絡は電話かSMS。

特別ガラケーにこだわりがある、というよりは、変えるタイミングもなく、ガラケーだけで十分満足していた状況、そして物持ちが良い上にガラケーがずっと壊れなかった、というところから、ずっとガラケー

もちろんそのまま新しいガラケーに変更する、という選択肢もあったのだが、母が楽しげにかつ便利そうに、スマホで美味しいレストランを手軽に検索している様子や、Googleマップで地図を開き、場所を調べる様子を見て、これは便利な物だ、とは感じていたようです。

そこで、大手キャリアの2年縛りの契約更新のタイミングを待って、ついにスマホにすることにしたのだ。

 

 

色々調べた結果、ウィルス対策等が特別そこまで必要ではない、という点と使い方を教えてくれる人が周りに多い、という点からiphoneを選択。

さらに、私が最近格安スマホに変えた情報から、格安スマホ会社をいくつか調べて、最終的には私にも色々な意見を聞いて、大手キャリアから格安スマホに変える事に決定。

周囲には格安スマホ、なんてものを使っている人が少ない上に、そもそも初スマホという、ドラクエで言うなら賢者を戦士にジョブチェンジするくらいのインパクトの大きい変化にみえました(笑)

 

 

さて、スマホiphone)に変えてまずやることは、そう。Apple IDの作成です。

私が全部やってしまっても良かったのですが、父が「とりあえず全部自分で操作はやらないと覚えないから」と、初めてのスマホでの文字入力も全て自分で操作し、やり切りました。

入力が一文字ずつ、とてもゆっくりでしたが私も付き合いました。まあ、自分がちいさい子どもの頃は逆の事を親にやってもらっていたわけですからね、親孝行はせねば!

 

Apple IDを取得し、LINE、Gmail、googlemap、食べログ、そして株価を見るのが日課の父に、株価情報がみやすいアプリ。

アプリをダウンロードし、利用登録が必要な物は登録をし、大体の気になっていたアプリを登録する頃には、かなりスマホの操作にも慣れ、私がいなくても自分の好きなアプリをダウンロードする事ができるようになっていました。

 

そんな風に進歩が続いた父に母が、「スマホに変えてよかったわね。ボケ防止にぴったりだわ」と呟いたのが私の心にも響きました。

そう、常に新しい物に触れ続ける、というのは、社会に対して興味関心を持ち続けるという事。

社会に対する興味関心を失っていくと、人は頭を使わないで生活をしていくことになり、頭を使わない状態が続くことによって、ゆっくりと、頭を上手に使う機能を失って行ってしまうのかもしれない、と感じました。

現に祖母は、施設に入所して少しボケ始めている部分はあるものの、今度の外出ではどこどこの寿司が食べたい、とか鰻が食べたい、とか、食事に対する意欲関心は持ち続けているし、こんな服が着たい、とかこの化粧水がなくなったから買ってきて欲しい、とか、オシャレにもまだまだ気を使っているせいか、本当に何も自分でできなくなってしまった人達よりも、とても元気です。(とてもその人達と同い年とは思えない)

施設に入所するまでずっとクロスワードパズルを趣味でやり続けていたのと、ケータイで孫である私とたまにメールをするくらい、その年代の人としては最新機器に触れ続けたおかげなのかもしれない、と思うのです。

(そしてメールは今でもします)

 

というわけで、自分の体を元気に保つ技術は医学がなんとかするにしても、頭の中や精神を元気に保つのは、年月が経っても自分で何とかしなければいけない部分だと思うので、そのために自分自身の頭の中のアップデートは続けて行きたいなあ、と思う次第です。

 

 

子どもの頃食べた味は忘れられない

お題「思い出の味」

 

久しぶりにお題スロットを回してみました。

お題は『思い出の味』

 

北海道出身の先輩が、こっちのラーメンもおいしいと思うんだけど、特別美味しい評価がついているわけでもない地元のラーメンを定期的に食べたくなる、と言っていたのですが、まさにそれって『思い出の味』だなあ、と思ったり。

卵焼きとか、みそ汁とか、そしてラーメンとか、そういう日常食は子どもの頃に食べた味、というのが自分にとって一番美味しく感じる「味」なのかもしれません。

 

母に取っての思い出の味は、とあるケーキ屋さんのコーヒーロ―ル。

小さい頃、親戚の家に行くと、必ずその近所にあるケーキ屋さんのコーヒーロールを食べていて、今でもそのコーヒーロールを食べると懐かしい気持ちになるとの事。

子どもの頃って、自由にいろんなものを食べに行けない(食事を親が準備する、連れて行く都合上)状況から、近所の味、地元の味が身に染みるもんですよね。

 

そういう意味で、私の中での思い出の味、色々ありますが、一番はこれかな、と。

www.recipe-blog.jp

そう、がんづき。

岩手の郷土料理、とありますが、東北ではどの県でも割とメジャーなおやつです。

売られている道の駅で食感や味が微妙に違うのもまた面白いおやつです。

岩手はふわふわが多いですが、秋田、山形側の道の駅だとちょっと固めな感じのが売っています。

甘いだけでなく、味噌等も入っているところから、ちょっと総菜パンとも似ているところがあります。

(夫には、そんなに好きじゃないと言われてしまった)

 

というわけで、私の思い出の味。

ひ孫世代にとって、思い出の味ってどんなふうな味なんだろうね。

 

本気の雑談

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今日は友達がうちに遊びにきました。

ただ、遊びにきてご飯食べるだけだとつまらないなあ、と思ってとある企画をしてみました。

その名も・・・本気の雑談会

そう、雑談を本気でやりました。

 

雑談は人生を豊かにしてくれる、と私は思っているのですが、それぞれみんな面白いネタを持っているはずなのに、普段それは表に出てこない。

ならば徹底的に語る場にしてしまおう、ということで本気の雑談会を開きました。

 

今回遊びにくる友人が音楽好きという事もあって、テーマは「音楽」

それぞれ音楽について多面的に好きな事を語り合いました。

気をつける事は1点だけ。その話しを聞いた後、相手が何を知る事ができるのか、明確にしてから話し始めるという事。

 

そんなこんなで

カラオケが健康に与える影響、とか。

日本の音楽教育の現在、とか。

日本の音楽市場の動向、とか。

ア・カペラの変化でみる、音楽の流行について、とか。

 

いろんな角度から音楽を切り取った話ができて、なかなか楽しかったです。

少人数であることによって、一人一人から深く話しを聞けたのもまた面白かった。またやりたいなあ。

 

 

演者ではなく企画側だった私が考える、誘われて気持ちのいいライブ

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バンドのライブ、演劇サークルの発表。

学生時代で一旦終わりかと思っていたのですが、社会人になっても周囲からのお誘いはそこそこある状況は続いています。

元々夫婦揃って大学時代に音楽活動をした事があったりして、誘う側としても誘い易いのかもしれません。私達夫婦誘えば一気に2人分のチケットが売れますし。

 

こういう時、誘われて(行ってみて)嬉しい、楽しいライブもあれば、まあ知り合いだから行ったけどリピートはしないかな、と思うライブまで、いろいろ。

 

楽しいライブ、劇は本当に面白くて、お金と時間をかけた価値があったなあ、と強く感じます。

プロ、とまではいかなくても、劇であれば脚本や舞台演出、ライブであればお客さんのことを大切にしている事が伝わってくる演出やMC。とにかく濃やか。

さらに、会場の各所まで気を配られていて、当日スタッフをやっている裏方まで、お客さんはお客さんで、聞かれればできる限りで答えてくれるし、受け答えも丁寧。

 

けれども、残念な事にそういうライブや劇は中々珍しいです。

いや、アマチュアだったら劇の内容やライブの内容がしょぼくたって、気にしない。身内の応援感覚で行く事だってある。

 

でも私は、チケット代がかかるようなライブや演劇は、私はアマチュア感覚では見に行かない。

私の中で、代金をもらう=プロ(セミプロ)

であって、もはや趣味の領域を越えていると思うから。

 

ライブなんかはまだ手軽だけど、劇はそこそこいい値段することが多い。もちろん機材等、ただじゃないのは分かるけど、趣味なら学生のサークルやおばちゃんのフラダンスサークルみたいに、会費を取って、その中でできる範囲にする、ではダメ?

とも思うのです。

 

そういうところは学生サークルの方が徹底しているところが多いような気もします。

各種定期演奏会が、自分たちの自己満足だから、と割り切って、サークル費(会費)のみでまかなえる規模でやってるところもあるし、お金がかかるものは、結構クオリティが高く、ちゃんと面白かったり。(そして固定ファンがついていたりして、チケットを取るのもハードルが高かったりする)

 

 

誘われて気持ちいいライブはこんなところが充実しています。

・受付から身内感が染み出ていない

(身内だけのライブだったら問題ないけれど、そうでもない人もいるのであれば、出しちゃダメだと思う)

※例えば突然タメ口だとびっくりする。お金の扱いが雑だと、コンビニ他レジバイト経験者でも置いた方がスムーズなのに、と思う。というか、お金の扱いが雑だと色々心配になる。

 

・こちらで受付どうぞ〜等の声をかけてくれる人がいる

受付とも重なるけど、たまに受付がお喋りしてたりすると、どこでチケット出せば良いの?と迷う。こういう大手銀行で言う総合案内人ポジションがいると安心する。

学生、高校生のライブ・演劇なら結構いるけど、大人のライブ、演劇には存在しない不思議。人手不足?それなら受付頑張って欲しい。

 

・全員がお手洗いへの案内ができる

スタッフTシャツ着ているのに、お手洗いへの案内ができない人が多過ぎてびびったライブがありました。そのTシャツ着ているならお手洗いの場所は抑えておいて欲しい〜

 

・ドアマンがいる

もちろんいなくてもいいんですが、運営がしっかりされているイメージがついて、これからも応援したくなる。

 

 

・ライブ、劇が始まる前に、アナウンスや注意が流れる。

(もちろん演出としてないやつもありますが、ない場合は事前のパンフレットを充実させて欲しい)

会場内は時計がないところが殆どですし、行き届いているライブは、開演5分前とかアナウンス入れてくれるの、すごくありがたい。

 

えっ?こんな初歩的なところ?

と思う人もいるかもしれませんが、結構多いです。

学生時代、企画側だった身としては、社会人とはいえやったことがないとそこまで頭が回らなかったりするのかしら〜と思ったり。

気持ちのいいライブ、素敵な劇が増えるといいな。