まだまだそんな切迫した世代でもないんですが、たまに考えます。
というのも、私の世代の視点から見て、今の老人たちって、きちんと自分の老後を見据えて準備してきた人とそうでない人の差が激しすぎるって思うからです。
もちろん色んな人生があったと思います。大変な時代でもあったでしょう。けれども、私達の世代から見れば、真面目に銀行にこつこつ貯金してさえいれば、お金はどんどん増えていくし、真面目に働けば給料は増えていくし。
あと、インターネットがないので、こんなにみんなが夜遅くまで働いていて、休みがない、みたいなこともなかったようですし。
もちろん一部エリートは忙しかったとは思いますが、それはいつの時代でも一緒だし。
祖母は幼いときに片足を失い、いわゆる障がい者として生きてきました。
運がよかったのは実家がそれなりに土地持ちで、足を治療してなんとか生きる事ができたということ。当時お医者さんなんてすごくお金かかりますからね。
山をいくつも売った事で生きながらえた祖母は感謝をするとともに、他の兄弟よりもお金がかかった負い目も若干あったようです。
たくさんいる兄弟の下の方で、家を継ぐ訳でもない自分に手がたくさんかかった訳なので。
祖母は自立し、縫製系の職人としてこつこつ働き、母を育てあげ、私を始め孫にも恵まれました。
祖母の様態が悪くなってから施設に入るようになりましたが、祖母は自分でこつこつ貯めていたお金を母と兄弟にたくし、そこから自分の人生終盤にかかる費用を工面するよう頼んで、静かに施設で過ごしています。
祖母は色々な面で、とても恵まれていた、という人ではなかったでしょう。今でこそオシャレでいい義足はたくさんありますが、昔はいろいろ大変だったようです。祖父も足が悪い人だったので、二人であの時代に子育てをするのも色々大変だったと思います。
苦労は比べられる物ではありませんが、同じ世代の中では色々大変な方ではあったんじゃないかなあ、とは思います。
が、老後に子どもに迷惑かけまい、という気持ちは強かったようで、こつこつと準備していたおかげで、たまに遊びにくる孫にはおこずかいをあげることができたし、いざ自分に手がかかる段階になっても、資金力が使えることも手伝って、子ども達(母)もそこまで困らず世話ができている状況です。
それはテレビのバス旅特集なんかでよくみる、高齢のご夫婦、もしくは奥様集団たちにも言えるのかもしれません。彼ら彼女らはとても余裕があります。
(もちろん余裕がなくて、すごいケチケチしてくる人もいますが)
一方で、ひたすら自分が苦しい事を国や若者のせいにして、怒ってばかりの人もいます。
国に対してそこそこ自分も思う事はあったりはしますが、誰かのせいにし続け、怒り続ける彼らのようになりたいという憧れの心は残念ながらもてません。
何が違ったんだろう。
複利の法則で、きっと小さな違いが年数経って大きな違いになったのかな、と思います。
自分に対して、どんな未来が待ち受けているのか、世の中の流れをしっかり読んで、考えて、行動する。
孫がひ孫に、おばあちゃんすごい人だったよ、とまではいかずとも、おばあちゃん楽しそうに生きてたし、私達にこんなものを残してくれたよ、とおもってもらえるような歳の重ね方をしたいものです。