くろやんの日記

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翻訳機器が発展しても、私が英語の勉強をやめない理由

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去年の事だったかな。英語が苦手な中国の方とお話しする機会がありました。

当然ですが、私も中国語に関しては、大学の第二外国語でとった程度で、読み書きは多少覚えているものの、しゃべりはほぼムリです。英語の方がマシ。

大抵の海外の方とは母語だろうがお互いに外国語であろうが、英語を使う事が多かったのですが、彼女とは英語ではなく、翻訳アプリを駆使しての会話。

彼女が、スマホに向かって喋ればお互いの言語に訳してくれるアプリを持っていたので、それを使って会話をしました。

 

感想としては、政治的な難しい話はちょっと厳しいけれど、女子会で話されているようなことは基本的に話せる、という感じでした。(もっといいアプリもあるんだろうな、きっと)

 

 

翻訳機器、アプリは日夜進化をしていて、今後、特別英語が話せなくても、仕事にだって困らない時代が来そうだなあ、とも思ったりします。

というのも、ロシア・中国・インド辺りの人達にとっても、英語は外国語。さらにアジアの市場は大きくなってきていて、その中で仕事をしようと思ったら、共通言語としての英語はあっても、相手の心をつかみに行くならお互いの母国語を多少織り交ぜる方が、よっぽど相手の心をつかめそうだから。

 

しかも言語ってコミュニケーションにおいて、重要ではあるけれど、必須でもない、とも思っています。

学生時代、ウズベキスタンに旅行に行った事があるのですが、個人的には旅行した中で、一番英語が通じない国、でした。ロシア語圏なので、いろんなものの表記が、ウズベク語かロシア語。

一日だけ、泊まったホテルにいたホテルマンの一人が、たまたま英語が好きで大学で英語の勉強をした、という方がいて、私や友人が英語で話すと、よろこび、かつ誇らしげに英語で喋っていました。私達も母語ではないのに、聞いた事のある言葉を久しぶりに聞いて、何だか安心しちゃったよ(笑)(彼以外に英語を理解できる人がいなかった)

 

そんな中、とある市場で当時の自分と同い年の女の子と話をしました。

伝統的な雑貨を売っているお店で、私はお土産の購入の為来店。お客さんが私と友達しかいなかったのと、お互い同い年くらいに見えたところから、それとなくコミュニケーションが始まりました。

彼女は英語はぜんぜん分かりませんし、私達もロシア語とウズベク語の挨拶くらいしかしらないのですが、身振り手振りをするうちに、お互い同い年であること、彼女は結婚していて既に子どもが2人いること。私達は学生である事、などなどの意思疎通を取る事ができました。

私にとってこの時間は、

言語がなくても、究極的に人間はコミュニケーションを取る事が可能である。

ということを実体験した貴重な時間となりました。

 

そう、言語って究極必要がない上に、今後翻訳機器が発展するなら、もうあえて英語の勉強なんて、しなくてもいいんじゃないだろうかっても思ってしまいます。

 

ちなみに私は、車の運転についてはほぼ諦めました。自動運転を待つ事にしています。道路は真っ直ぐ走れるのですが、バックの駐車は苦手だし、空間把握能力は低い方だし、同時にいろいろな行動をとる事がそもそも苦手なので、運転はできてもあまり運転を長くしない方がいい人種、だと思うからです。田舎はともかく、都会は絶対運転できません。1回やってみて、もう二度としない、と誓う事にしました。

 

自動運転を待つように、優秀な翻訳機だってすぐそこなんじゃないか。

そう思えても、私はやっぱり英語を勉強しようと思うのです。

 

なぜなら、語学を学ぶという事は、究極的には文化を学ぶことに繋がっているからです。

文化を学ぶなら、その国に住む事が一番手っ取り早いです。

また、最も簡単かつ手軽なのは、その国から発信されている映画や本といったその国で生まれた芸術、他作品に触れる事だと思います。

けれども、その国を深く理解しようと思ったら、言語を学ぶ事もとても大切な事だということを、日本語と英語の違いを知る程に感じたのです。

 

英語の勉強をしていると、日本で日本人から英語を学んだ感覚の英語を使ってみようとすると、すごく堅過ぎたり、逆に日本人視点だと、え?それだけでいいの?っていうくらいの一言で済んだりしたり。とにかく、言語は言語。それよりも自分自身がどう考えているのか、という意見で喋りは飾れば良い、という印象を受けました。

日本語ってそうではなくて、例えば同じ政治的な事を話すにしても、どちらも立ててしゃべる、みたいなことが多いような気がしていて、純日本人である私が日本語で考えた事をそのまま、日本人的ニュアンスを残して英語に転換しようとすると、とにかくすごく意見を包み込んでしまって、だから何?って感じの文章になってしまい、何だかうまく伝わってない、みたいな感じになってしまうことがしばしば。

また、英語という言語の特質、特性から、正確に伝えられる単語がない、言い回しがない、みたいな場合も多いです。

 

また、英語は英語でも、イギリス圏とアメリカ圏では結構違ったり、アメリカではそう言うけど、イギリス人は絶対言わないよ、みたいな言葉もあったりします。

そんな言葉に出会って、違いをみてみると、確かにこういう言い方はアメリカっぽい、とか。イギリスっぽい、とか思えるようになって来るんだから、やっぱり言語ってすごく文化を理解する為に大事な要素の一つなんだろうな、と思います。

 

というわけで、どれだけスマホアプリが発展しても、とりあえず英語の勉強は続けたいし、人生100年時代に生きるであろう自分としては、もう一言語くらい勉強したいな、と思ったりします。