「困難は分割せよ」
よくデカルトの言葉として紹介されますが、デカルトのどの著作の中で、どんな背景の中で述べられた言葉なのか、ということまで紹介されることは少ないです。
色々調べてみると、方法序説で紹介されている真理を探究する為の4つの法則の2つめがこの言葉のオリジナルなようです。
なお4つの法則は以下
第1:明晰の規則。自分が明証的に真理であると認めたもので、いかなる疑う理由もないほど精神に明晰判明にあらわれるもの以外は、真理として受け入れないこと。
第2:分析の規則。それぞれの問題をできるだけ小さな部分に分けること。
第3:総合の規則。それらの中でより単純で認識しやすいものから段階的により複雑なものへと順序立てて考えること。
第4:枚挙の規則。見落としがないように、一つ一つ数え上げて完全に枚挙し、全体を見渡すこと。
第2の法則の原文(フランス語)は以下、フランス語は分からないので、分からない成りにも、secondとか、diviserとか、difficultesとか、意味としてはこれだなと思いつつ、念のためDeepLに突っ込みました。
Le second était de diviser chacune des difficultés
難問それぞれを分割すること
といったところでしょうか。
困難は分割せよ、は有名な言葉であることもあってか、ネットだけでもかなり正確な情報が出てきました。
けれども最近感じるのはこのこととは逆で、原著を見てみたらそんなこと全然書いてないじゃん!?本当に原著読んだ?という感覚です。
ネットニュースなんかは無料で読めるサービスであることもあってか、書いてあることがだいぶ適当です。政府からのデータを参考文献としてリンク貼られていても、書いてある文章は全然論理的でなく、本当にこのデータから言えることなのか疑問に思うような記事ばかり。
あまりにもネット記事が有象無象すぎて、最近はニュースアプリは話題をキャッチするだけのために使うのはいいけれど、内容理解にはもう使ってはいけないかもしれない、と思うようになってきました。
価値ある有料記事を定期購読することをそろそろ考えても良いかもしれない、と考える最近です。
それから結構エラい先生でも、本当に適当なこと言っちゃっている人も改めていっぱいいるんだなーということを最近実感しています。
それは自分が研究者としての勉強と研鑽を始めて、社会、世界への解像度が少しあがったおかげなのかもしれません。それって本当にそうなの?と原文、原著にあたる行為が自分の中で日常になり、ちょっとしたことでも大元を辿る習慣が身に付いてから、結構多くのエラい人が適当なことを言っている、ということを感じ始めました。
もちろんアカデミックな場に置いても、色んなウソはないわけではありませんが、一定論理的に、価値のあると判断された方法で審査されているというところは意味があるのかなと思ったりもしました。
色々最近思ったことをとりあえずまとめると、
・原著を読むこと、確認すること大事
・基本無料の情報は無料なりの価値しかない
おやすみなさい。