見た人も多かったのか、フィルマークスのトレンドにも上がっていました。
あれを初見で見たときはいつだったか。宮崎監督の息子さんが初監督、ということで、いろんな期待感と、今思えば何様って感じですが、息子は父を超えられるのか、という目線で見ていました。
初見で見たときは、正直「えっ」って思いましたし、そう思っていた人が多かったとも思います。え?ジブリ?みたいな。
最後の『おわり』も漢字でやられて、なんだかいけすかない。ジブリじゃない。みたいな。とにかく前に見たときの印象はさほどよくなかったなあ、というのが本心でした。
時を経て、本日鑑賞した後、
「あれ、前に見たときよりも面白いぞ」
と感じました。
そんなことをフィルマークス上で呟こうと他の人の感想も覗くと、そう思っている人が他にもチラホラ。
どうして前よりもなんだかいい、と感じたのか。
自分の感情を因数分解して考えてみました。
その1:『真名』という概念を始めとする、古典や文学の知識が身に付いた
つまり、以前見たときよりも、教養が身に付いた、とでも言えばいいんでしょうか。知っている事が増えて、物語の様々な伏線や、行動の意味を理解する事が出来た気がします。
自分の中でのその最もたるところは『真名』の意味の理解だったかな、と思いました。
真の名前、というのは、他の物語の中でも結構重要な役割を果たしていまして、自分自身の心の中に入る、もしくは心が込められた物の中に入り込むための鍵のような役割を果たしています。
古くは古代日本の『言霊信仰』から来ているようですね。
言葉に力がこもっている、という考え方がある中で、そのものを表現する真実の名前、というのはとても強い力がある。
そういうことを、他の様々な古典を読み込んで、理解したからこそ、『ゲド戦記』における真名の扱い方の丁寧さや、それがきちんと鍵となっているなあ、と納得感をもって物語に入り込めたな、と思います。
その2:光と闇の対立、という抽象概念を理解する素地ができた
これはスターウォーズに鍛えられたのかもしれない(笑)
『ゲド戦記』でも強く描かれている光と闇。これは人々の心の中のことなので、とても抽象的で、初めて見たときはどっちがどっちで・・・と頭が混乱していたようにも思います。
これも、他の心の中の光と闇を描いた作品を見る事によって、人々の心の中の変化、というものを観察する目が育ったのかもしれません。
元々、『ゲド戦記』という話しの光と闇の対立構造が、いろんな物語(スターウォーズをはじめ)に影響を与えている作品であるとのこと。
ハリーポッターのウォルデモートも、闇の象徴として描かれていますが、その名を言ってはいけない、というのは人々の中の闇を表しているのかなあ、とかって想像できる思考段階に至ったのはつい最近。
そんな闇という概念、光という概念の理解が進んだからこそ、今回この映画一本だけで満足に理解ができたのかもしれません。
内面の心情変化、というものは人生経験をそれなりに積まないと、なかなか理解できない物なのかもしれないなあ。
その3:これらの理由に基づく伏線や、意味ある場面が結構多い事に気がついた。
その1、その2という前提知識、概念を踏まえてみると、結構意味ある場面が多かったように思います。表情の変化や街を歩く人達が考えている事。ちょっとした建物や歩いた道程。
ネタバレになっちゃう気がするので、あまり書かないようにしたいと思いますが...
最後がジブリのいつもの「おわり」ではなく「終」だったのは、こういうことだったのかあと納得できました。
最初は、親父とは違っておれは大人向けのちょっとコムズカシイアニメつくるぜ、的に思えてしまったのですが(ごめんなさい)
前提に知っておかないと理解が難しいという意味で、本当に大人に向けたアニメを真面目に作っていたのかな、と感じました。
光と闇が題材ってプリキュアもそうだし、マーベル系もまあそうっちゃそうだし。子ども向けにはすごく簡単に描かれている作品が多いけれど、そんなに単純な話しじゃないよねっていう風な映画だと、今回は感じました。
だから、最後が「終」で、子ども向けには、君たちが思っているほど単純な話しではないのだよ。だから大人になったらもう一度見てね、みたいなメッセージが込められているんじゃないかと思っちゃいました。
いや、そうでないとしても、私はそう感じました。
そして実際大人になってから見て、納得感があった訳だからすごい。
お父さんが圧倒的すぎるのは辛い事も多いだろうけど、今回こういう風に楽しむ事が出来たので、また、作品を作って欲しいなあ。
なんて思いました。