くろやんの日記

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五年前くらいの自分にいいたい。まず調べるという姿勢の大切さ

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本当に分からないことは、そもそも何が分からないのかさえ分からない。

 

自分もそれで困ることは今でもあるし、これまで専門家の方にとても失礼な質問もたくさんしてきたと思う。

ググればいいじゃん、と思うかもしれないけれどそもそも検索ワードに何を打ち込んだらいいのかも分からない。

この、分からない、は本当に分からなくてどうしようもなくて、とりあえず助けを求めたくて詳しい人に聞く。

聞いている本人は切実なのだ。このどうしようもない問題を、そもそも問題の形さえ見えていないから、恐怖そのものをどうしたらいいのか、一生懸命解決しようともがいた結果が、人に聞くというところなのだ。

 

しかし、それでも。そんな、恐怖そのものと戦っている状態だった五年くらい前の自分に一番伝えたいことは、「聞く前にまず調べろ」ということだ。

多分これだけではあの時の自分にはちんぷんかんぷんだし、不親切だと思うけれど、やっぱりこれに尽きる。

 

なので「聞く前にまず調べろ」に、一言付け加えたい。

「調べる目的を変えろ」と。

 

そう。恐怖そのものと戦う時こそ調べた方が良い。けれども、課題を解決しようとする調べ方ではだめだ。

課題を解決しようと調べるのではなく、そもそも自分が今一番知りたいことは何か、恐怖の正体を暴くという目的で検索をすると、問題が見えてくる。

いきなり課題を解決しようと調べても、そもそも課題が見えていないのだから解決しないしよくわからなくなることは当たり前だ。

 

例えばドラゴンボールでは、悟空が誰かと戦って負けたり引き分けたりしたあとは、必ず新しい師匠を探す。(というか巡り会うというのか)

けれども、探している段階では自分に何が足りないのか、分かっていないし、巡り会った後でやっと自分の課題が見えて、トレーニング内容が決まる。

トレーニング内容が決まった後はひたすら一人で繰り返したり、すこしレベルが上の人と組み手のような基礎練習を繰り返してレベルアップをする。

 

分からないことが分からない状態、というのは悟空が新しい師匠を探している時の状況と似ている。

自分の課題がまだ明確ではない。けれども、今自分に出来るトレーニングを続けることを悟空は怠らない。

分からないなりに調べる、ということは必要で、いきなり専門家にいきつくのは、いきなりビルス様に教えを請いにいくようなものなのだ。

いきなり神様の神様のような人に教えてください、と言っても神様の神様が言っている意味が理解できない。

着実にレベルアップをしてきたからこそ、ビルス様が言っていることも分かる。

 

分からない状態だけど、まず会う。まず聞く。という手法は、聞く相手がよっぽど親しければ、またはそういう問題でも大丈夫です、とあらかじめ相手が宣言していれば問題ないけれど、相手にそういう心構えが出来ていない状態でそのようなお願いを何度もしていると、相手は確実に疲弊する。

相手がそれを専門に仕事をしている人ならなおさらだ。相手はそれで他の人へ価値を提供して、それで自分の身を立てているのだ。

定食屋が友達だからといって、よっぽどの仲でない限りタダ食いすることがないように、専門的な知識を教えて頂く時も、やっぱり友達だからこそ、親しいからこそ、考えなきゃだめだ。

 

昔、私もただただ聞いてばかりの時があった。今でもその友達は本当に仲良くしてくれているが、別の友人から、そういったタダ食いをしてくる友人に困っている話しを聞いて以来、自分もそう言ったことをしてしまっていたかもしれない、と大いに反省した。

 

今後気をつけよう。