世界中の観測所が集まるこの島で見る星は、一生忘れられないと思っていた。
そして私の記憶にある星空を上書きしてくれると思っていた。
しかし、予想はあっさりと裏切られた。
朝、というか夜中の3時頃。標高2000m地点で見上げた星空には、南十字星に北極星に、と赤道付近だからこそ見える星たちが勢揃いしていた。
冬なのに天の川もしっかり見えて、感動できる水準だ。確かにきれいだ。
ここに観測所がこれだけあるのも納得。
けれども、やっぱりここは「観測」を適切に行う場所なんだ、ということも感じさせられた。
星は見えすぎると目視では観測しにくくなるように。
多分、感動という視点だけで星を見る事を考えたら、地平線が広がる、とにかく広い場所で、そして暗い場所での方が、360度星空になって感動も大きい。空気がきれいな事も大事な条件だ。
そう言う意味ではニュージーランドはとても適した場所なのだろう。
星空を見に行く人達には有名な場所だ。
私は行った事がないけれど、多分同じような地形の北海道で、地平が続く場所で見た星空は忘れられない星空の一つだ。
今回の星空も、私にとっては忘れられない星空になった。それは間違いない。とても素晴らしい景色だった。
けれども。
同時に思い出した星空もあった。
もしかしたら、この先、何があっても一番記憶に残る星空なのかもしれない。
それだけ、あの時、あの場所で見た星空は美しく、同時に不気味さもあって、私はハワイ島でこんなに美しい星空を眺めているというのに、あのときの忘れられない星空を思い出した。
その星空は岩手県でみた星空だった。
そして、その日付は2011年の3月11日だった。
あの日、私は岩手県にいた。
実は岩手県には国立の天文台があるくらいには星空の観測に適している場所があったりもする。星空スポットもなかなか多い。
そんな場所で、あの日は停電で全ての灯りが消えていた。
本当に真っ暗な闇だった。何も見えないし、当時ニュースも見る事ができていなかったので、何日停電が続きそうなのか、どれほどの震災が発生したのかも分からず、日が沈んだ後は電池の節約のために早々にベットにもぐりこんだことを覚えている。
カーテンは開けていた。
ふと、窓を見上げると、そこには宇宙があった。
正確には星空なのだけれども、あれは宇宙そのものだった。
多分全ての街灯が消えていて、どの家からも灯りが灯っていなかったせいもあると思う。
真っ暗闇の中で上の星空だけが光っていた。
まだ春先、というか冬みたいなもんだったのに、気持ち悪いと思うほどくっきりと天の川が見えたし、本当に宇宙旅行にきたような感覚になった。
そして私が考えた事と言えば、なるほど、宮沢賢治はこれをみて銀河鉄道を書いたのか、としみじみしていた。
多分、どうでもいいことを考えていないと不安に押しつぶされそうだったからだ。
本当にあの時が特別だったのだろう。
街灯も、信号も、全ての灯りが消えた夜は本当に暗くて、何も見えなかった。
火の偉大さを考えさせられた。
そんな星空を見てしまったせいか、北海道を1ヶ月近く自転車旅行したときも、散々感動的な星空を見上げたはずなのに、星空の記憶は全て3月11日に戻ってしまう。
そして今、違うきれいな星空をみているはずなのに、ああ、あのときってやっぱり特別だったんだな、と改めて思うのだ。
今回、一緒に行った友人達は星空に感動していた。夫も感動していた。
私も感動した。けれども。
あの宇宙を忘れられない私は、手放しで、これはすごい、感動した、これまでの自分が見てきたものを書き換えられた、と思うほどには感動できなかった。
それは物心ついた頃から高校を卒業するまで、天の川が見える事が当たり前の田舎で育った影響もあるのかもしれない。
天の川が見える事は当たり前で、条件が良ければ天の川はスモッグを巻いたように濃く見える。それを何度も何度も。
幼い子供の方が目に細かい傷がついていなくて、大人と違う青空を見ている、とどこかの研究者が言っていた事が本当であれば、子供のときに見たあの星空の方が感動が大きいのは納得だ。
そんな私でも、驚異と感動とが混ざり合った感情を抱いたのがあの日の星空だった。もはや星空ではない、宇宙そのものだった。
ハワイ島の星空もとてもきれいだった。普段見えない星座も見えて、南半球まで来た訳でもないのにとても素敵な星座がたくさん見えた。
けれどもやっぱり同時にあの日の宇宙も思い出してしまうのだから、ハワイ島でみた星空、というきれいな記憶で私の中に残る事はなさそうだ。