くろやんの日記

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映画としてのスターウォーズ感想と、シリーズとしてのスターウォーズ感想

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私は『スター・ウォーズ』が好きだ。

どれくらい好きかというと、映画のシリーズを全部見て、映画『クローン・ウォーズ』、そしてアニメシリーズの『クローン・ウォーズ』シリーズを全部観て、新婚旅行先をエピソード2のラストでアナキンとパドメのカップルが秘密の結婚式を挙げたナブーの湖水地方の撮影ロケ地と言われている、イタリアの秘境的な田舎、コモ湖にするくらいには好きだ。

基本的に全部観ているとはいえ、惑星の名前とか小物の名前を全部覚えているわけでもないから、プロの『スター・ウォーズ』フリークというわけではないんだけれど。

 

何が好きかと聞かれたら、それはまた違う機会に思う存分書いてみたいと思う。今回は最近公開になった、『スター・ウォーズ〜最後のジェダイ〜』の感想を記録していこうと思う。

思わずネタバレをしてしまうかもしれないので、今回ばかりはクリックして続き、を読む形式にしてみたいと思う。

 

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飛行機の中で考える、ホワイトカラーの働き方

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働き方革命

 

プレミアムフライデーが始まって、電通の事件からの労働時間に関する監視が厳しくなって、労働者にとって働きやすくなっているかと思えば、それで成功している人(会社)もいるにはいるけれど、私の周りには違う人もいる。

 

やらなきゃいけない業務量は減らないのに、時間だけ減らせって言うのは無理がある。そういった設備投資をしてから時間を減らして欲しい、という声だ。

 

他にはこんな声も聞こえる。

仕事が好きで好きでしょうがなくて、それだけをやっていたいのに、時間監督が厳しくなって辛い。

経営者さんの中には、働く事が大好きで死ぬほど働いて幸せっていう人も多いようですが、上のような主張はいわゆるホワイトカラーの人から聞く事が多い。

ある程度のクリエイティブを求められる仕事で、時間監督が厳しくなった事によって、逆に辛くなった、とのこと。

 

その方がぽろっとおっしゃった一言が忘れられなかった。

工場労働じゃないんだから。と。

 

仕事が好きな彼は言いました。休みの日に、もしくは有休を取っていた日にとても良いアイディアが思いついて、今すぐ会社のある資料にアクセスしたくなっても出来なくなってしまって。辛い。

 

強制的に休みを取らせようとする事で、不当に労働させられている人達を救おうとしていることは理解しているけれど、

そもそもホワイトカラーの仕事って、ある一定の場所でないとできないもの、というわけではないものが多いと思うし、逆に休みの日であっても何かがアイディアが思いついたりして、いわば労働時間なんていつでも、どこでも、と言っても過言ではないきがした。

自分にしか出せないアイディア、そして四六時中それが脳の中にあること。だからこそのお給料でもあるとも思った。

 

 

労働時間が長いとストレスなのか、労働時間中嫌な人と一緒にいる事がストレスなのかは考えた方がいい問題な気もした。

 

あと、時間を短くしたら、生産性が上がっていない限り給料が減るのは当たり前な気がした。だって生産量が減るんだもの。

時間だけ減らせば良いって問題じゃない、でもそこを強制しなきゃできない社会にすごく問題を感じてしまう。

 

 

世界の危機に、頼りになるのは本当に友達らしい

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爆弾が落ちてくるかどうかは友達次第。

 

物騒な内容だけど、ある知人から聞いた話しだ。

例えば某国から攻撃を受ける、という話しが出た時、一番国を守るために力になってくれるかもしれないのは友達である。

だから、外国に親しい友人をたくさんつくりなさい。

 

お互いに親しい友人同士になると、あの子今頃何しているかな?と気になるように、相手の国について気にかけるようになる。

実際私も、結婚式にまで行った友人がタイにいるため、タイの政治状況やタイのニュースには敏感になったし、日本がタイと関わるようなプロジェクトにも目がいくようになった。

私の夫はもっと世界中に友達がいるから、色んな国にそういう感情を抱いているのかもしれない。

 

思えば自分も3.11の震災のときに、自分が岩手にいる事を知っている日本の友達はもちろん、外国の友達もたくさんのメッセージをくれた。

私、という存在がいたことによって遠い海の向こうの地に住んでいる外国の友人も、日本の大きな地震について強く関心をもってくれたのだ。

 

関心を持ってもらう事ほど心強い事はない。別に募金や義援金、ボランティアがこなくたって、その事実を知っていて考えている、それだけでも全然違う。

かつてマザーテレサだって、愛情の反対は無関心と言っていたしね。

 

関心が増える事によって、自分の生き方にも影響するし、いざというときは考える。もしもその友人がとても優秀で、その国の中の中枢に関わる人になったら尚更だ。

そんなに私情をはさむもの?

と頭に疑問が浮かぶかもしれないけれど、大統領だって総理大臣だって、みんな人間だし、親しい大切な人がいれば、その人のことが頭に思い浮かぶ。

 

最近はそんなこともないかもしれないけれど、留学する人の日本人の数が減っている、というニュースを耳にしたことは記憶に新しい。

 

これがどういう意味をなすのかというと、日本が何か危機に陥ったときに、日本を気にかけてくれる人の数が減っているかもしれない、また、日本が何か重要な交渉をしたいときに手持ちのパイプが少ない、という状態になっているということだ。

 

留学先で大事な事の一つは友達をたくさんつくることで、自分が大人になって社会の一員として働き、もしも何か国家的なプロジェクトに関わる事になったり、国の中枢で働く事になった時、相手国に交渉をしたいときにそういった友人が架け橋の一端になったりするものだ、と。知人は言っていた。

 

マンガやアニメの文化ももちろん日本を気にかけてもらうツールにはなるけれど、やっぱり生身の人間同士のコミュニケーションは力が大きい。

 

最近、よく自衛隊の武器の購入の反対運動や、北朝鮮の驚異に対して武器を廃部する事に対して反対する集団の集会をみる。

 

私だって戦争は嫌だし、軍事力にお金をかける事はあまりよくないことだとも思うけれど、現実の問題という物がある。

だからこそ、そういった集会で声高に叫ぶと同時に、その集会に使うお金を少し貯めて海外に出て友達を作る、そんな個人的に外交をする人がもっとたくさん増えたらいいな、とも思う。

 

外交は外交官だけの仕事じゃない、ということはアントニオ猪木さんが証明してくれている。(多分今、実際に北朝鮮に行けて対話が出来るのはこの人しかいないんじゃないだろうか)

 

「主張」という行動がとれたのであれば、実際に見に行く会いに行く、という行動もきっと難しくないはずだ。

 

ポキ丼から感じるハワイの歴史

 

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イノウエ空港の件しかり、旅先に関する勉強について、今回はかなりサボってしまっていた気がする。

 

カンボジアに行く時はあれほどきちんと勉強したのに、今回はなぜか、みんな行っているハワイへの安心感か、日本語が通じるハワイへの安心感か、ハワイの歴史、に関する勉強をほとんどしないまま旅立ってしまった。

 

ハワイに来てからというもの、ハワイの食文化からすごく日本人に近いものの匂いがする。というのは日系人が歴史の関係上多い、ということからなんとなく察した。

 

そう。アメリカのはずなのにご飯が日本人に優しいのだ。

特に魚介系。ポキ丼なんか、日本人が好きな味そのもの。うまい。

量は多いけど。

 

 

元々ハワイには生の魚を食べる文化があったらしく、それが様々な移民達の紹介で登場した新しい食材と融合した結果、1970年ぐらいに確立したらしい。

 

そう思うと、さとうきび畑や製糖工場で働くために海を渡ったご先祖様達にも大感謝だ。多分彼らがいなかったらこんなに日本人が好きな味、にならなかったんじゃないかと思う。

 

ごはんが美味しいと思うのはタイ以来だろうか。タイも住めると思ったけれど、アメリカも住めるな。けれどもオアフ島よりもハワイ島の方が私は好きかも。

 

 

ハワイで最高の星空を見上げたのに、私の記憶に残らない理由

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世界中の観測所が集まるこの島で見る星は、一生忘れられないと思っていた。

そして私の記憶にある星空を上書きしてくれると思っていた。

 

 

しかし、予想はあっさりと裏切られた。

 

 

朝、というか夜中の3時頃。標高2000m地点で見上げた星空には、南十字星北極星に、と赤道付近だからこそ見える星たちが勢揃いしていた。

冬なのに天の川もしっかり見えて、感動できる水準だ。確かにきれいだ。

 

ここに観測所がこれだけあるのも納得。

 

けれども、やっぱりここは「観測」を適切に行う場所なんだ、ということも感じさせられた。

 

 

星は見えすぎると目視では観測しにくくなるように。

 

 

多分、感動という視点だけで星を見る事を考えたら、地平線が広がる、とにかく広い場所で、そして暗い場所での方が、360度星空になって感動も大きい。空気がきれいな事も大事な条件だ。

 

そう言う意味ではニュージーランドはとても適した場所なのだろう。

星空を見に行く人達には有名な場所だ。

私は行った事がないけれど、多分同じような地形の北海道で、地平が続く場所で見た星空は忘れられない星空の一つだ。

 

 

今回の星空も、私にとっては忘れられない星空になった。それは間違いない。とても素晴らしい景色だった。

 

 

けれども。

 

 

同時に思い出した星空もあった。

もしかしたら、この先、何があっても一番記憶に残る星空なのかもしれない。

それだけ、あの時、あの場所で見た星空は美しく、同時に不気味さもあって、私はハワイ島でこんなに美しい星空を眺めているというのに、あのときの忘れられない星空を思い出した。

 

 

その星空は岩手県でみた星空だった。

そして、その日付は2011年の3月11日だった。

 

 

あの日、私は岩手県にいた。

実は岩手県には国立の天文台があるくらいには星空の観測に適している場所があったりもする。星空スポットもなかなか多い。

 

そんな場所で、あの日は停電で全ての灯りが消えていた。

 

本当に真っ暗な闇だった。何も見えないし、当時ニュースも見る事ができていなかったので、何日停電が続きそうなのか、どれほどの震災が発生したのかも分からず、日が沈んだ後は電池の節約のために早々にベットにもぐりこんだことを覚えている。

 

カーテンは開けていた。

 

ふと、窓を見上げると、そこには宇宙があった。

 

 

正確には星空なのだけれども、あれは宇宙そのものだった。

多分全ての街灯が消えていて、どの家からも灯りが灯っていなかったせいもあると思う。

真っ暗闇の中で上の星空だけが光っていた。

まだ春先、というか冬みたいなもんだったのに、気持ち悪いと思うほどくっきりと天の川が見えたし、本当に宇宙旅行にきたような感覚になった。

 

そして私が考えた事と言えば、なるほど、宮沢賢治はこれをみて銀河鉄道を書いたのか、としみじみしていた。

多分、どうでもいいことを考えていないと不安に押しつぶされそうだったからだ。

 

本当にあの時が特別だったのだろう。

街灯も、信号も、全ての灯りが消えた夜は本当に暗くて、何も見えなかった。

火の偉大さを考えさせられた。

 

そんな星空を見てしまったせいか、北海道を1ヶ月近く自転車旅行したときも、散々感動的な星空を見上げたはずなのに、星空の記憶は全て3月11日に戻ってしまう。

そして今、違うきれいな星空をみているはずなのに、ああ、あのときってやっぱり特別だったんだな、と改めて思うのだ。

 

 

今回、一緒に行った友人達は星空に感動していた。夫も感動していた。

私も感動した。けれども。

 

あの宇宙を忘れられない私は、手放しで、これはすごい、感動した、これまでの自分が見てきたものを書き換えられた、と思うほどには感動できなかった。

 

それは物心ついた頃から高校を卒業するまで、天の川が見える事が当たり前の田舎で育った影響もあるのかもしれない。

 

天の川が見える事は当たり前で、条件が良ければ天の川はスモッグを巻いたように濃く見える。それを何度も何度も。

幼い子供の方が目に細かい傷がついていなくて、大人と違う青空を見ている、とどこかの研究者が言っていた事が本当であれば、子供のときに見たあの星空の方が感動が大きいのは納得だ。

 

そんな私でも、驚異と感動とが混ざり合った感情を抱いたのがあの日の星空だった。もはや星空ではない、宇宙そのものだった。

 

ワイ島の星空もとてもきれいだった。普段見えない星座も見えて、南半球まで来た訳でもないのにとても素敵な星座がたくさん見えた。

 

けれどもやっぱり同時にあの日の宇宙も思い出してしまうのだから、ハワイ島でみた星空、というきれいな記憶で私の中に残る事はなさそうだ。

 

 

そこは小さな港区だった

 

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アメリカに来たはずなのに。

12月だというのに半袖で過ごす事が出来る体感だけが、ここはアメリカのハワイである、ことを証明しているかのようだった。

 

マラソンを走り終えて、最高に気持ちのいいビールを仲間と頂く。そんな夜の街を歩くと、聞こえてくるのは英語ではなく日本人の声だった。

 

スタスタと歩いて、日中に行ったダイビングの話しをしている辺り、マラソンの参加者ではないのだろう。

大股で3、4歩以上は離れている私達にも聞こえるボリュームで、仮想通過で儲けた話しやら、次にくる仮想通過のうんちくを、連れている女の子にしている。

 

分かりやすく女の子が美人だったら良かったのに、お前が言うか、というくらいには私も大した美人ではないけれど。

 

お金持ちになったら美人をつれて歩けるんだぜ、という夢を私達に見せてくれてもいいじゃないか、と心の中で突っ込む。

 

しかし私は確かにハワイについたはずだった。それなにびっくり仰天。到着先は港区を凝縮したような街だった。

なるほど、ハワイに行った友人達が、オアフ島ではなく違う島の方がよかった、と言っていたのはこのことかもしれない。

対して海外に来た感、というのがオアフ島にはあまりない。そもそも日本語通じるし。

 

せっかく飛行機に何時間も乗ってやってきたのだから、非日常感というものを感じたい、というのが旅の常だ。

 

私がオアフ島で感じた非日常は、12月だけど暖かい、ということと、南国の植物がたくさんあること。

空と海がきれいな事。

車が右側車線を走っている事。

Uberが使える事。

建物が東京ほど高くない事。

屋内に入ると天井が高い事。

道が広い事。

人口密度が東京よりは低い事。

たまに英語がよく聞こえる事。

レストランで出てくる食べ物のサイズが大きい事。

 

あれ、案外いっぱいあったな。

 

というわけで明日からはハワイ島にいってきます。

 

 

ダニエル・K・イノウエ国際空港にて

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ホノルル空港に着くと、そこはホノルル空港ではなかった。

 

 

ダニエル・k・イノウエ国際空港
それが私が到着したオアフ島ホノルルの空港だった。

 

 

イノウエ?日系の人だろうか?
すぐにググった。

 

調べると、1963年から50年近くにわたって上院議員に在任していた長老議員であり、上院民主党の重鎮議員の1人だったことが分かった。半世紀近く、それもアメリカで議員をした彼の出自はどのようなものだったのか。

 

1924年大正13年)にアメリカ合衆国ハワイ準州ホノルルで生まれた人のようだ。じゃあハーフ?かと思いきや、両親共に日本人。福岡県からの移住者。

この頃ハワイでサトウキビ畑および製糖工場で働く移民を募る関係で、たくさんの日本人がハワイに渡った模様。

イノウエはホノルルに育ち、ハワイ大学マノア校に進学した。

大正時代に渡ったということは太平洋戦争開戦の時、彼らはどうだったんだろう?と気になった。

開戦時、やはりすごい差別を受けたようだ。

 


イノウエ氏は開戦後、ハワイでの医療支援活動に志願、その後アメリカ人としての忠誠心を示すためにアメリカ軍に志願し、アメリカ陸軍の日系人部隊である第442連隊戦闘団に配属され、ヨーロッパ前線で戦ったそうだ。

 

イノウエ氏に限らず、この頃にアメリカにいた日系の人たちは葛藤があっただろうな。イノウエ氏のようなアメリカ生まれアメリカ育ちもそうだけど、その親達は祖国から爆弾が降ってくる状況ということ。


考えただけでも複雑な気持ちになる。

 

彼には戦時中にできた武勇伝があった。

 

イタリアにおけるドイツ国防軍との戦いにおいて、1945年4月21日にドイツ軍のトーチカ群を攻撃した際、イノウエが手榴弾を投げ込もうとして右腕を振りかぶったところ、ドイツ軍兵士が発射した小銃擲弾がその右腕に命中して切断。
イノウエはなんと、自身の右手が握ったままの点火済み手榴弾を左手でもぎ取り、ドイツ軍側に投げ込んで炸裂させたという。

 

戦後は日系アメリカ人社会からだけでなく、アメリカ陸軍からも英雄としてたたえられたという。

 

腕がなくなったことでもともと目指していた医療の道を諦めて政治家へ。

上院仮議長まで上り詰めたという。上院仮議長は大統領継承順位第3位の高位で、アメリカの歴史上アジア系アメリカ人が得た地位としては最上位とのこと。

 

いや。イノウエ氏すごすぎる。
杉原千畝のように映画になりそうだな、と思ったけれど、戦争時に日本と戦った、とか、色々日本人とのことを考えるとまだできないのかもしれない。

 

そう思うとこうして旅をして、実際の色々を感じて、知っていくことって大事だなあと改めて思った。

 

 

人生に悩んだら、フルマラソンでも走ってみれば良いんだと思う

 

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12月の第二週の日曜日。

この日程を言うだけで、分かる人には分かる。そうホノルルマラソンだ。

 

私としては人生二度目のフルマラソン。

夫はもう何度目か片手には収まらない。

 

 

景色を楽しみたい、ということと、ただハワイに遊びに行くだけじゃつまらないから、みたいな理由をつけて参加。

 

結論は、楽しかった。けれど思ったよりも日差しが強かった。

 

 

フルマラソンを走る、というと大抵の人から驚かれたり、尊敬のまなざしで見つめられる。

分かる人には分かるけれど、ホノルルマラソンは制限時間がないので、マラソン玄人目線の人からは、「あ、ホノルルね」くらいの反応なのだけれど。

 

私は二回目、夫は片手に収まらない、ともなると、「フルマラソン」に対するハードルは低い。

けれども、フルマラソンの辛さも分かる。30kmを過ぎた辺りから、なんでエントリーしたんだろう、って考え始めるのに、完走した後次の日か、次の次の日にはまた走りたいと思っているんだから、不思議だ。

 

そう。辛いのだ。

なのにもう一度やりたくなる。

 

多分、あなたも。

 

 

フルマラソンをやることによって一番効果があるのは、足が強くなる事ではない。

持久力が上がる事でもない。

やせてダイエットになる、ということでもない。

 

 

なにはともあれ、とにかく自信がつく。

そう、自信。圧倒的な自信。

 

 

この自信というのは生きていく上でとても重要なものなのに、鍛え方は曖昧で、学校できちんと育まれるかというと運の問題もある。

 

場合によっては体力よりも自信の方が大事だとさえ、私は思う。

 

なぜなら、大抵の問題は「自信」で解決するからだ。

こればっかりは上手く説明できないけれど、ある凄腕個別教師の例を話そう。

 

この凄腕教師は受け持った生徒のほとんどを希望する大学へ入れてきた。ちなみに東大や京大がほとんど。しかも最初は見込みがないと言われるような子ばかり。見込みがないから普通の塾でなく彼に頼むんだろうけどね。

 

そんな彼は、彼自身は勉強できるけれど、基本的に勉強は教えないという。

 

じゃあ何をするのか?

 

 

徹底的にスタンスを整えるというのだ。

 

 

自分は何のために生きているのか?

何のために生きていきたいのか?

将来に何をしたいのか?

今の自分にどれくらい満足しているのか?

 

徹底的に自己理解をし、そして自分に自信をつけさせていく。そうすると自然に勉強はするようになるとの事。

自分がその場だけ勉強できるようにさせても、大学で、大人になっても勉強する人材にはならないけれど、自分から勉強する人になれれば、例え大学受験を失敗しても生きていける、とのこと。

まあその人が担当して、分かりやすい失敗、はまだないらしいけど。

 

 

とにかく、自信がつくと堂々とするし、自分の生き方についてより考えるようになる。

そう、案外色々な問題を解決してくれる。

 

だからもしも自分に悩んだら、今の自分には無理だろうと思われる挑戦をしてみれば良いんだと思う。

 

それで一番手っ取り早い方法がフルマラソンだと私は思う。

人によっては地元で開催されているし、トライアスロンとかよりも準備するものは少ない。基本的に靴だけでいい。練習場所にも悩まないし、エントリー料金もそこまでべらぼうに高くはない。

登山やトライアスロンと比べれば、達成感に対する費用対効果はNo.1だと思う。

 

 

というわけで、ホノルルマラソン楽しかった。

 

 

想像力は生きる源になる理由について考えてみる

 

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「想像力」

あなたがこの言葉を最後に聞いたのはいつになるだろうか。

昨日?一昨日?先月?それとももう10年以上前?

 

ショーシャンクの空に」という映画を久しぶりに観た。

 

もし観た事がない人がいたら、ぜひ、一度は観て欲しい。「ホームアローン」がコメディ映画で観るべき映画の一つ、に入るとしたら、「ショーシャンクの空に」は感動系映画で観るべき映画の一つに入ると思う。

 

物語は主人公が無実の罪で刑務所に入れられる所から始まる。

いわゆる刑務所もの、なのだけれども、終わり方は何とも明るく爽やか。

 

 

主人公は刑務所で服役する中で図書係に任命され、劣悪な環境の刑務所内に図書室を整備して、新しい本をたくさん入れたり、室内をきれいにして勉強の環境を整え、服役囚人達で高卒の資格を取りたい人達の勉強を支援したりする。

 

一見、主人公が刑務官に対して賢く立ち回るシーンに目がいきがちなのだけれども、囚人達の刑務所を出た後の問題、ということにも向き合っている。

 

一度犯罪を犯した人は、再度犯罪を犯すことが多い。

 

これは日本でもきっと言えることだろうし、刑務所でなくて身近なところでも起きている問題ではないだろうか。

 

なぜ、犯罪を犯すのか。

それは、もう一度刑務所に戻りたい、と願ってしまうからだ。

 

人間、一度全て許可をもらって生活することに慣れてしまうと、自由すぎる中で行きて行く事はとてもハードルが高い。

これは日本の義務教育後の、高校を卒業した後の大学生だったり、社会人にだったりに当てはまる。

自由すぎるが故につらい。

 

大学に入学した当初、そう漏らす同級生が何人かいた事を私はよく覚えている。

 

人は一度何かに縛られて、それにのっとって生きると、それに慣れてしまう。親に全てのレールを敷かれている人もそうだ。

 

自由に生きるという事は、ほいと与えられたらすぐにできそうだけれど、実は意外と心のハードルが高くて、難しい事なのだ。

 

囚人じゃなくてもそうなのだから、囚人であればなおさら。

きつい縛りの中で、生きてきた囚人達にとって、外の自由は自殺したくなるくらい心苦しい気持ちになるものなのだ。

 

それは真っ暗闇を見ていた中で突然、光が見える事に似ている。私達も、暗闇に目が慣れているところに光が差し込むと、それが例え少しであってもまぶしいと感じる。まさにその感覚だ。

 

 

主人公がその外の世界の自由に対して順応できるように囚人達に与えたのは、想像力という名前の希望だった。

 

例えば、あの海の向こうにはこんな素敵なものが眠っているんだよ、という話しを聞いて育てば、いつか海の向こうに行きたくなったり、海の向こうに行ってきた人の話しを聞きたくなったりする。

あの木下に宝物が眠っていると言われれば掘って何が眠っているのか確かめたくなったり、そういうものが想像力であり、生きる希望になっていたりする。

 

そんなわけで主人公が図書室に入れた本として映画中に出てきた冒険物は「宝島」だった。これも名作。

全員が海に行きたくなる訳ではなくても、あの本の主人公のようなワクワクした気持ちになりたい、と考えることができるようになる。

 

それこそが希望だ。

 

もしも「想像力」という言葉を聞いたのが久しぶりだった人は、何か児童書を読んでみるのもいいかもしれない。

大人向けの物よりライトですぐに読めるから。

自分の想像力が低下している事に気がついたら、少しずつ、リハビリしていけばいい。

 

そう、未来の自分にも伝えたい。

 

 

いつも観光しないで終わる街、大阪について

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何年ぶりだろうか。大阪にやってきた。

乗る飛行機がたまたま関西空港経由だったことが理由の一つだ。

 

大阪に来ると、なぜかいつも観光をしないで終わる。

だから大阪に来るのは別に初めてではないのに、通天閣大阪城も行った事ない。もちろん海遊館もないし、道頓堀もない。

 

今回も全国に展開しているショッピングセンターで買い物をして終わった。

 

次こそは、と大阪の観光地をネットでチェックするのだけれど、次に帰ってくるときも、映画を見る予定を入れてしまった。

大好きなスターウォーズを早く見たくて、飛行機までの時間がある大阪で観ようと言う作戦だ。

 

ああ、いつ大阪を観光できるのだろうか。

 

と思っていたら、今回はお好み焼きとたこ焼き、たこ煎にありつくことができた。たこ煎うまい。