ホノルル空港に着くと、そこはホノルル空港ではなかった。
ダニエル・k・イノウエ国際空港
それが私が到着したオアフ島ホノルルの空港だった。
イノウエ?日系の人だろうか?
すぐにググった。
調べると、1963年から50年近くにわたって上院議員に在任していた長老議員であり、上院民主党の重鎮議員の1人だったことが分かった。半世紀近く、それもアメリカで議員をした彼の出自はどのようなものだったのか。
1924年(大正13年)にアメリカ合衆国ハワイ準州ホノルルで生まれた人のようだ。じゃあハーフ?かと思いきや、両親共に日本人。福岡県からの移住者。
この頃ハワイでサトウキビ畑および製糖工場で働く移民を募る関係で、たくさんの日本人がハワイに渡った模様。
イノウエはホノルルに育ち、ハワイ大学マノア校に進学した。
大正時代に渡ったということは太平洋戦争開戦の時、彼らはどうだったんだろう?と気になった。
開戦時、やはりすごい差別を受けたようだ。
イノウエ氏は開戦後、ハワイでの医療支援活動に志願、その後アメリカ人としての忠誠心を示すためにアメリカ軍に志願し、アメリカ陸軍の日系人部隊である第442連隊戦闘団に配属され、ヨーロッパ前線で戦ったそうだ。
イノウエ氏に限らず、この頃にアメリカにいた日系の人たちは葛藤があっただろうな。イノウエ氏のようなアメリカ生まれアメリカ育ちもそうだけど、その親達は祖国から爆弾が降ってくる状況ということ。
考えただけでも複雑な気持ちになる。
彼には戦時中にできた武勇伝があった。
イタリアにおけるドイツ国防軍との戦いにおいて、1945年4月21日にドイツ軍のトーチカ群を攻撃した際、イノウエが手榴弾を投げ込もうとして右腕を振りかぶったところ、ドイツ軍兵士が発射した小銃擲弾がその右腕に命中して切断。
イノウエはなんと、自身の右手が握ったままの点火済み手榴弾を左手でもぎ取り、ドイツ軍側に投げ込んで炸裂させたという。
戦後は日系アメリカ人社会からだけでなく、アメリカ陸軍からも英雄としてたたえられたという。
腕がなくなったことでもともと目指していた医療の道を諦めて政治家へ。
上院仮議長まで上り詰めたという。上院仮議長は大統領継承順位第3位の高位で、アメリカの歴史上アジア系アメリカ人が得た地位としては最上位とのこと。
いや。イノウエ氏すごすぎる。
杉原千畝のように映画になりそうだな、と思ったけれど、戦争時に日本と戦った、とか、色々日本人とのことを考えるとまだできないのかもしれない。
そう思うとこうして旅をして、実際の色々を感じて、知っていくことって大事だなあと改めて思った。