アニメを見る習慣はないのですが、アニメ好きの友達に勧められて魔法少女まどか☆マギカを12話全部見ました。
「魔法少女アニメなんだけど、魔法少女にならないの」
という鑑賞前の友達の説明は全く意味不明だったのですが、全話見て納得。
ずっと魔法少女にならないってどんな話よ?と思ったのですが、想像以上に面白かったです。
以下、ネタバレ含むと思うので注意。
感想1:魔法少女という名の付いた、魔法少女アニメに対する強烈なアンチテーゼに感じた。
セーラームーンはなんだかんだラストが衝撃的な異色アニメだったとは思いますが、魔法使いサリーちゃんから最近のプリキュアって、きれいなお膳立てされた舞台で戦う魔法使い達、という意味でとてもシンプルで美しい世界です。
マーベルシリーズが描く、「アメリカの正義」みたいな世界にも近く、清く・正しく・美しく。
ちゃんと見たら奥が深いんだよ!といわれても、やっぱり表面的な美しさの部分が強すぎるし、主人公側ではない正義はあまり描かれないので、どうしても一面的に見えてしまいます。
魔法少女まどか☆マギカは、見た目とタイトルからは想像がつかないくらいダークなアニメでした。
力を誰の為に使うのか、その力はどこからやって来るものなのか、そしてその力が使われることによって何がもたらされるのか。
魔法少女ってどんな存在?
ということをアニメの世界のことだけでなく、現実の世界においてもどう扱われている?と、色んな角度でとことん考えさせられました。
都合良くみんなのことを守ってくれる女の子達が、このアニメでは本気で悩み、ガチ目に負傷し、そして決断をしていく姿はとても新鮮で、そしてそんな風に綺麗に見えている世界を疑うこと、という視点を改めてもつきっかけとなりました。
感想2:セーラームーンすごい
観終わって一番最初に思ったことでもありました。
セーラームーンっていう漫画、アニメはやっぱりすごいコンテンツだったのだな、ということです。
出て来る敵の名前は単純で、途中までは元祖プリキュアみたいなストーリーなのですが、(それでも女の子が戦ってタキシード仮面という王子様を守る、という展開がその時代的にめっちゃ新鮮なのですが)最後はなかなかにハードな展開になっていくし、最近プラトンの「饗宴」(古典)を読んで、またさらに読みが深められそうな気がしていて、思いっきり子ども枠で見せられていた気がするけれど、あれもとんでもなく奥が深いコンテンツだったんだなーと思いました。
30年前だと思うと尚更。
感想3:平和な社会で、綺麗な世界を見せられ続けた子どもたちに向けられている気がした
最近流行った不条理で衝撃的なコンテンツといえば、「進撃の巨人」でしょうか。あれも平和が突如ぶちこわされ、どんどん暗い展開となっていきます。
冷戦が終了した後の日本は不景気とは言えど、世界の底辺から見ればとても恵まれた社会です。
もちろん小さな格差はたくさんあって、その中で綺麗ではない社会をみた子ども達もたくさんいたと思いますが、綺麗な世界で育った子どもが不条理とまではいえない……けれども残酷な現実に立ち向かわざるを得なくなる描写は、中高一貫校で育ちほどほどに高い偏差値の大学を出て社会に出てみたら、なんだか全然想像より辛い……みたいな感じて脱落していく自分の同期達を見ているようでした。
全然悪いヤツではないし、仕事もできるけれど、社会がその子達より圧倒的に黒い場所だった。
雑草的に育った人は、上手く手を抜く場所を分かっていて、人生についても能力以上に、高尚過ぎる理想は持っていても相手をそこに染めようとは思わないし思えない。けれども所謂、温室育ちで人間的にはめちゃめちゃ良いヤツな同期は、めちゃめちゃいいやつだからこそ持っている、めちゃめちゃいい世界の在り方を、まだまだ黒い社会にも早急に求めてしまうんですよね。
そうした世界しか見てきていなければ尚更。ああ、せめてそういうきれいな人しか活躍できないような社会だったり場所だったりを選べばよかったのに、どうしてこんな汚れた場所にきたの?
そんなことを問うと彼らは大体、そういう社会(世界)を少しずつ変えたくて、と答えてくれます。
すごいことだし、人間として非常に出来ている彼らを尊敬はするのですが、それはやっぱりきれい事の、泥をかぶることのない正義の味方しかいない世界の話。
そうした豊かに、きれいに育った人にはぐっさりと刺さりそうだし、刺さった上で私達は何を選びますか、ということを問われている気がしました。
箱の中で大事に育てるのではなく、少々の毒を。
そんな「毒」の要素が、かわいく、美しく描かれているので子どもでも見ていられる、と思いました。
というわけで、簡単に感想でした。
友達に報告したところ、次は映画も観て〜といわれたので、週末にでも観ようかな。
おやすみなさい。