毎年楽しみにしているキリンの秋味が発売になったので購入。
秋味は毎年、通常営業の一番搾りと比べてもちょっと濃いめな感じの印象がありましたが、今年は気持ちさっぱりめな感じでした。
いつもと違うことと言えば猛暑だったことだけど、他に何がビールの味に違いをもたらしているのかなあ。
秋味研究でもしている人のブログでもないかなあ。
今回は豚の角煮(風)とモツ煮と合わせて。
さっぱりめに合うおつまみを探してレシピをめくるのもまた楽しいです。
毎年楽しみにしているキリンの秋味が発売になったので購入。
秋味は毎年、通常営業の一番搾りと比べてもちょっと濃いめな感じの印象がありましたが、今年は気持ちさっぱりめな感じでした。
いつもと違うことと言えば猛暑だったことだけど、他に何がビールの味に違いをもたらしているのかなあ。
秋味研究でもしている人のブログでもないかなあ。
今回は豚の角煮(風)とモツ煮と合わせて。
さっぱりめに合うおつまみを探してレシピをめくるのもまた楽しいです。
平成最後の夏というやつもそろそろ終わりが近づいていますね。吹いている風の湿度が少し下がったような気がしますし、近所の和菓子屋さんは芋まんじゅうを出し始めましたし、スーパーには大好きなカボチャプリンが並び始めました。
平成という時代がそれぞれにとってどんな時代だったか、は人それぞれだと思いますが、ゆとり世代な私は今後、平成=青春時代という括りになりそうです。
青春時代と言うと、仲間とやらかしたおバカなアレコレ、勉強したアレコレ、部活で頑張ったアレコレ、そして甘酸っぱいアレコレを思い浮かべる訳ですが。
振り返ってみると、おバカなアレコレはたくさんあるんですが、色恋沙汰がほとんど皆無。そう、甘酸っぱい青春とは無縁な生活を送っていたように思います。
これを友達に話すと、私の見た目が『色白文化部のやさしそうな女の子』なせいか、100人中100人に「うっそだー」と言われます。
クラリネットを吹いていそう+優しそう+ニコニコしている=リア充
の図式に当てはまる女子は確かに多い……。
初めてのちゃんとお付き合いした現夫と出会うまで、「彼氏いないの?うっそだー」を何度繰り返されたか……両手には収まりきりません(笑)
こうも友人に繰り返し言われるということは、甘酸っぱい青春を送る素養はあったはずなのです。結局なんでなかったんでしょうかね。
何を間違えていたのか、平成最後の夏が終わる前に振り返ってみたいと思います。
このみんなでわいわいのカラオケに行けない、行きたくない、と思っている時点でリア充へのハードルはかなり高かったのかもしれません。音痴なのでおもしろキャラになりきるしかない訳ですが、女友達とだけのカラオケならまだしも、ちょっと良いな、とか思ってる男の人の前で音痴をさらけ出せる程、私は大人にはなれませんでした。いや、大体の女の子、が無理でしょ。相手も大人じゃないし、ノリよく突っ込んでもらえたらいいけど。
大体色白系女子の枠に入っていて、化粧もナチュラルめだと、いじってもらえるキャラになれないし、多分いじりにくいだろうよ。
夫によく、「くろやんは妻には向いているけど、彼女には向いていない」と言われます。優しいけど、言いたいことはしっかり言って、自分のことは大抵自分でこなしてしまうカアチャン気質もそれなりにあるからかな。
女友達からの評価はもちろんしっかり者。だからこそたまに抜けているのがかわいいよね、は付き合いの長い友人からの一言。
けれども、大学生男子の心をつかむような可愛げのある行動は取れていなかったと思う。大学生男子でカアチャン系女子を彼女にしちゃう人ってあんまりいないし、想像がつかない。
甘酸っぱさを求めるなら、きっともっと可愛げが必要だったんだと思う。20kgの機材を一人で運んじゃわない、とか。行きたいお店にラーメン屋を挙げない、とか。自転車で北海道一周しちゃわない、とか。ノリでフルマラソン走らない、とか。
今の自分が手にした未来を考えると、間違えてはいなかったんじゃないかな、と思います。甘酸っぱい青春は送れなかったけれど、まあまあ失敗確立もある結婚というイベントに対して、大吉レベルのくじを引けたかな、と今のところ思えているからです。
音痴を笑い飛ばせるくらい気の置けない関係性
一人でなんでもできる行動力と自立性で依存し合わない関係性
ラーメン屋に行きたがる安上がりな妻
自転車趣味が一致する
ノリでフルマラソン走れる夫婦
うん。よかった。
甘酸っぱい青春は遠かったけれど、私なりに自分が楽しいと思ったことを突き詰めたり、やりたいことをやりきったからこそ、今の生活がある、って思えるので、なんだかんだ間違っていたけど、間違っていなかった、と思うことにします。
というわけで、みんなと同じようなこと、とか、リア充かどうか、とかは自分が楽しいかどうか、という判断基準だけで突き進んでも大丈夫だし、むしろその方が自分自身の幸せには近づけるのだと思います。
日曜日はボランティアだけでは終わらない一日になりました。
力仕事をこなしつつも想定よりも早めに終わった私達はスーパー銭湯に行くことにしました。
駐車場に駐車して、のんびりお風呂に浸かって、ついでにアイスやかき氷も楽しみました。ついでに夕食をとるお店を検索して、電話予約を入れ、さて出発と外に出て車に向かうと、何やら人がウロウロ。
近寄ってみると、擦られた後。
あちゃー、と思ったところで、ウロウロしていた人が、
「あそこのあの車に乗っている方が擦ってしまったみたいです。私、目撃者でした」
と、正面にいる車を指差してくれました。あ、あなたではなかったんですね。というか持ち主が来たんだから、擦って待っていたなら降りてきてくださいよ〜(汗)
夫が先方の車に近づいて、ようやく人が降りてきて会話スタート。
擦ったことも擦られたこともない夫(と私)
とりあえずお互いの連絡先を聞くのと、相手は保険会社、私達はカーシェアの会社に連絡。公道じゃない場所で、完全に10-0の案件でしたが、そのまま警察に連絡する指示をいただき警察へ連絡(ここは初めてだったので勉強になりました)
駐車中の車に擦ったこと、目撃者がいたこと、そして何より先方の方も動揺しながらも反省されていたこともあり、処理はそれなりにスムーズでした。
よき仲間たちが「いやー自分も知らなかったから勉強になったわー」と時間がかなりかかったことをフォローしてくれたのもありがたかった。いや、全然夫悪くないんだけどね。むしろ運転手として手続き関係全部やってくれてありがとう。
スムーズはスムーズだったのですが、先方、ちょっと人任せ気味なところもあり、事故の証明書の取り方についての説明の時、夫はスマホのメモ帳にメモしながら聞いている間、うなずくだけの先方。
警察の方に「きちんとあなたもメモを取っておいてください」と注意されるも、「保険会社に全部任せるから、私よく分からないから」という態度。
いや、そんなこと言ってたら運転する資格ないよ。と突っ込みたくなりました。
(私達が突っ込む前に警察の方が突っ込みいれてくれました)
もちろん予約していた夕食のお店(居酒屋的な場所)は予約変更。席数が多かったのと、日曜の夜ってことで遅い時間になっても大丈夫、と言われて安心したけれど、これがちょっといいお店とか、そんなに夜遅くまでやってないお店とかだったら、ホント、ガッカリだったよね。さすがに。
それからたまたま友人たちと出かけて、それぞれの自宅近くに送り届ける予定で車を長めに借りていたから特別問題なかったけれど、一応レンタカーなので借りている時間オーバーとかだったらもっと面倒なことになっていただろうなーとも思います。
事故の件はカーシェア側が対応するにしても、オーバー分のレンタカー代金とかって自分たちで請求することになりそうじゃない?(実際はどうなのか分かりませんが)
(今回は案件が完全に10-0の事故で、返却時間にも影響がないためその後の事故処理はカーシェア側がやってくれることに)
起きてしまったことはしょうがないし、人間完璧じゃないからそういうこともある。そう思うけれど、先方のあまりにも人任せな態度(当事者意識のなさ)に、正直、私達の楽しい時間をなんだと思ってるんだろ? って気持ちがちょろっとわきました。
基本的に、人生で起こることは自分たちになんらかの意味があるもので、まあ起きたことはしょうがない、対応力を求められているで自分ら!というスタンスの我が夫婦(と仲間たち)
今日もボランティアの帰りという、なんとも徳のある休日の過ごし方をしたワケですが(笑)これも菩薩になるための訓練なんでしょうかね(笑)
結果として夕食の予約を入れていたお店には行けましたが、予定していた時間よりも1時間半ほど出発が遅れた上に、渋滞にもつかまってしまい、(渋滞を避けた時間配分をしていたつもりだった)運転者の夫はだいぶ疲れてしまったよう。
仲間たちはそれを感謝し、励ましつつ、元気が出る明るい話題を車の中でたくさん話してくれたのは本当に楽しかったしありがたかった。
今回は事故という形で見えたけれど、「時間に対する価値」を低くみている人って結構多いなあ、というのは社会に出てから感じたことの一つです。
高校生や大学生の文化祭じゃないんだから、と思うような価値観の大人(良い年をしたおじさん、おばさん)が多くてびっくりすることが多いのです。
時間に対する価値をきちんと理解していないと、平気で他人の時間を奪う人になってしまいます。
井戸端会議に引きずり込む人
飲み会に半強制的に誘う人(二次会、三次会に引き止め続ける人)
泊まりがけの合宿なんかで寝る人を引き止めてしゃべりつづける人
自分自身も気をつけたいと気を引き締めるとの同時に、何か相手に時間を使わせてしまうときは誠意ある対応を心がけたい、と思いました。
追記:
仲間の一人が、自分がもしも擦ってしまった側だった場合、時間を使わせてしまったことを詫びる意味も込めて、これで美味しい物をたべてください、と警察対応などが終わった後、取り急ぎその場で1万円くらいあげちゃうかも。と言った話で全員が盛り上がりました。乗っていた人が一人じゃなくてグループってことは、運転手以外の同乗者の時間も奪っているんだものねえ。
もしも自分が加害者になってしまったら……というのは、こういう機会でもなければ考えなかったことなのでよい機会にはなりました。
昨日の日記にもポロっと書いたのですが、トライアスロンの大会のボランティアに行ってきました。
きっかけとしては、元々夫とその友人が各地のオリンピックディスタンス(オリンピック選手が走る距離のトライアスロン)、アイアンマン70.3(オリンピックより距離が長いやつ)というトライアスロン大会に出ていたこともあり、近場の大会でボランティアしてみようよ!
ということで、他マラソンやショートのトライアスロン大会経験者(私も含む)の友人グループでボランティア参加することになりました。
ボランティア募集を公式にたくさん募っているわけではないのですが、企業のボランティアなどを見て、友人が代表者として開催自治体と直接電話で聞いてみて、ボランティア団体グループとして登録。大会のボランティアにこうして自発的に参加するのは初めてなのでドキドキわくわくでした。
が、心配材料が。
・当日イマイチ自分たちが何のボランティアをするのかという詳細までは送られてきていないこと。
・選手のときはいつも送られてくる大会概要(手荷物受け取りの時間帯、トランジットの注意事項、などなど)がないため、大会全体像の事前把握ができないこと。(これは現地で当日言われるのか、そういうことがまったくない場所への配置なのか、と想像を膨らませていた)
まあでもボランティアですし、行ってみての応用力を高める良いチャンス!と当日を迎えました。
到着は余裕をもって一時間前に。自分たちとしては正解だったけど……
指定時刻より一時間近く余裕をもって到着できました。
理由としては、
・当日周辺が交通規制などで混雑する可能性(詳しいコースマップさえ選手ではないせいか情報を取れなかった……)
・指定駐車場から本部までの距離が遠く当日通行できるルートが規制されて時間がかかってしまう可能性
があったから。
早めに到着し、本部に挨拶をしに行ってボランティアリーダーさんも人当たりがいい感じだったのですが、仕事の詳細はまだよく分からず。
トイレに行っておく、会場内をぐるっとして把握する、ちょうどトップ集団のゴール時間と重なったので、拍手、などなどして雰囲気掴み、をしました。
でもとりあえずここまでで、いつも大会に出場した時にボランティアの方に分からないことを聞いても、ちょっと分からなくて……と言われる理由が分かりました。選手側に配る要項と同じ物をメールで送って、印刷は自分たちで(もしくはスマホで確認してね)くらいでもいいことをやればいいのになあ、と思いました。メールで送るだけならそんなにコストかからないと思うけど。
実際にやってみて感じたことリスト
ここからは実際にボランティアとして活動してみて、思ったこと、感じたことです。
自治体の大会なので、市のスタッフがボランティアとして参加しているけれど、適材適所感がまったくないし、多分スポーツの大会なんて全然来たこともないような人もいました。
例えば私達は後半に、ランの周回コースで道を間違えないように間違えそうな場所に立つ役割でした。ただ立つ、で仕事としては成り立つんですが、大抵他の大会だとそういうスタッフさんの応援がめっちゃあって、それが選手側としてはめっちゃ嬉しいんですよね。
ボランティアとして大会を盛り上げたい気持ちもあったので、我々で盛り上げようぜ!ってことでめいいっぱい声を出して応援してきました。
市のスタッフさん、誰も声だしていなかったのですが、私達が参戦して声を出すにつれ、なんか周りも盛り上がり、ラストランナーもみんなで元気よく、雰囲気よく送り出すことができました。
これは+アルファな部分ですが、各所でなんか仕組みが上手く回っていない感があり、夫や友人が提案、実行する場面も多々ありました。かなりよく働いた方なんじゃないかなあ。だいぶ感謝もされたし。
市のスタッフなんて、事前に大会概要把握なんて簡単だし、人によっては毎年スタッフやっているのだから、もっとそういう仕組み化がすすんでもおかしくないのになあ、と驚きました。
例えば震災があると、ボランティアの体勢が整うまで個人のボランティアはお待ちください、みたいなアナウンスあるじゃない。ああやって急場でやるボランティアなら分かるけど、これって事前に分かることも多いし、毎年やっているんだから、そういう仕組みも整えればいいのに……と思ってしまいましたが、そういう人が配置されていないのかもしれません。
ボランティア用のお弁当なんていらなかったので、そういう人材配置にお金使って欲しいと思ったり。
私達にいろいろ気がついたことがたくさんあったので、大会終了後にそういったアンケートがあればこんなことを書いて残したいね、と思うことを、お仕事をしながらみんなで話していました。
が、終わってみればそういったアンケートなどは一切なく。リーダーからも、どうでしたか?と聞かれることもありませんでした。
また、ボランティアで振られた役割自体が終わったあと、撤収でどうぞ〜と緩めに言われたのですが、大会終了後にコースを作っているコーンとかそのままだったんですよね。
審判のオジさんたち(後でボランティアと知る)2、3人で何百個とあるコースを形作っていたコーン(とポールと重し)を片付けていたので、近づいて声をかけてお手伝いすることに。
役所からの派遣スタッフがほぼほぼ撤収していたので、残っていたのが私達と私達のボランティアリーダーの方。派遣スタッフとやる仕事だったみたいだけど、連絡が上手くいかなかったっぽい。
ただの有志ボランティアなのにいいんですか?とリーダーの方に言われつつ、私達はやる気まんまん(笑)みんなで審判員の方のお手伝いで体を動かす労働もしっかりやってきました!
もちろん暑い日だったから体力の問題もあるし、(普段運動なんてしなさそうな人達も多そうな感じだったし)無理は駄目だけど、事前に想定していた仕事以外のことがないか把握して来年に活かすのも仕事だと思うし、最後までいて欲しかったなあ、と思ったり。アンケートないなら尚更。私達は、毎年必ず参加できるボランティアとは限らないのよ。
これは普段大会に出ていたものとして頭が下がりました。トライアスロンって他の競技に比べて参加者の平均所得は圧倒的に高いと思いますし、協賛やスポンサーも結構いいブランドがやってきていたりします。(アイアンマンの大会のときはマセラッティがいた)
なので審判なんかはちょっとした謝礼くらい出ているのかなあ、と思ったら0だとのこと!これはこうやって参加して、なんかやる気ある若者グループじゃん!って思われて声かけられなかったら分からなかったことでした。
ま、審判やっているおじちゃんもかなりの高所得者で余裕がある感じっぽかったですけど(笑)笑いながら、「謝礼なんて0だよ〜。国際審判員の資格も持っているからたまに海外にも行くけど、全部自腹(笑)」って(笑)
今後大会に参加するときに、審判の方に対するリスペクトがアップしそうです。
もちろんボランティアさんにも!
来年も是非って言われたのと、審判資格とってよ!と言われたので、来年までにみんなで勉強して資格をもって参加しに来ることになりそうです(笑)
今回いろいろボランティアをやってみて、終始思ったことは「もったいない」ということです。
例えば役所から派遣のボランティアさん。絶対もっと適材適所あったと思うし、自分が楽しい、やりがいのある、と感じられないと、もっとこうしたいな、と仕事の質を上げていこうとは思えないよね。
もちろんやりがい搾取とか、そういう法律違反案件はだめだけど、お金にならないけど力を尽くすことって、目には見えない信用だったり、縁だったり、結構いろいろなものを得られるチャンスでもあります。
特に今の世の中って、元々労働の価値を暫定的に形にしたお金と同じくらい、誰かにこんなことをしてあげてた、みたいな信用の積み重ねがネットによって見えやすくなっています。(AirbnbもUberも提供側、使用者側両方の評価を蓄積している)
そういう信用がいっそう大事になってきた世の中で、こういうお金に結びつくかどうか分からないことが、自分の人生を豊かにしてくれたりするんですよね。
例えば今回だったら、一生懸命やってあの審判員のおじさんと顔見知りレベルで仲良くなって、たまたま普段の仕事で出会ったときに、おじさんが自分が仕事する地域のドンみたいな金持ち社長で、でもボランティア繫がりで上手く普段の仕事に繋がった、みたいなこともあり得る訳ですよ。
私の夫はこういう小さい積み重ねによって、本来なら100万近いチャリのパーツをそういう金持ちおじさんに半額以下で譲ってもらえたりしているので、本当に信用とか人間性とか大事。金持ちな人ほどそういう人間を見る目はしっかりしていたりする。(そうじゃないパーティー社長もいるけど)
得をするから、とは必ずしも言えないけれど、形ではない財産を自分に形成するという意味で、人生を豊かに生きるライフハックの一つかもしれません。
お金をたくさん稼ぐ力も大事だけど、信用をたくさん稼げる力も同じくらい大事だし、違う環境に放り出されたときに、最初に力を発揮するのは信用をたくさん稼げる力難じゃないかな?とも思っています。
というわけで、ボランティアで感じた、信用が評価される(されやすい)世の中で生きるということ、について考えたことでした。
学びの多いボランティアだったのですが、この日はまだまだこれで終わらなかったのです……。違う事件が起きたことは、また明日書き残したいと思います……。
今日も暑い日でしたが、友達数名とトライアスロンの大会ボランティアをしてきました。ボランティアが別途募集されているような大会ではなく、申し込みは代表の子が役所に直接電話して申し込む、というなんともヤル気に満ちあふれたボランティアでした(笑)
こちらはこちらでものすごい学びと、面白い発見が色々あったのですが、暑さでかなり疲れ果てたので、明日以降ゆっくり思考を整理して日記にしてみたいと思います。
さて、ボランティア自体も面白かったのですが、仲間内で集まるとドライブ中の会話も盛り上がります。
特に帰宅途中で話題になったことの一つが、
「自分自身が本当に何が好きなのか、何がやりたいのかを考えること」
でした。
いつもと違う環境に身を置くこと、たまには一人でじっくり考える時間を取ること、海外に行ってみる、などなど色々な話が出たのですが、その会話の中で、
「一番忖度無く、自分のやりたいことをやっていた時っていつだろう?」
って話になりました。
小学生のときとか、幼稚園じゃない?
ってところで、案外小学校のときにやっていた係活動とか委員会活動って自分が好きでやりたかったことをやっていることが多いのでは?
という話に。
まあ、仲いい友達がいたから、とか動機は色々かもしれませんが、係活動に限らず、小学生くらいのときにハマっていたことって、多くの人はまだ受験という呪縛がないし、結構自分が本当に心から面白くてハマっていたことだったりすることが多いのかな、と。
自分探し、というか自己分析で自分という人間ってどんな人間?
って掘るときって、自分が生まれ育って今に至る迄の年表書いてみたり、自分のルーツ(親や祖母、祖父たちがどのように生きてきて自分が誕生したのか)を調べてみたり、色々やり方はあると思うのですが、そこに一つ、小学生のときの自分はどんなやつだったか、という考察を加えても面白そうだね、と思いました。
自己分析に悩んでいる方でも、そうではない方でも、久しぶりに思い出してみませんか?
「小学生のときの自分ってどんな人でしたか?」
『ブラック企業』というワードと一緒に、『ブラック校則』というワードも世間一般に馴染んできたんじゃないかな、と思う最近です。(ネットだけでなく、リアルの世界でもこの単語を聞くようになったので)
その中でも最近気になったのが「下着の色は白」という校則について。
理由は、制服を着て透けないようにするため、が主たるところなようですが、実際下着店の実験によると、白は結構透けています。画像を見ていると、紺色とか真っ赤とかの方が透けていません。
ならその校則、別にいらないんじゃない? というか透けないが目的なら、違う色を指定しなきゃ駄目じゃない? と思うのと同時に、「当たり前を疑って、実際はどうなの?と調べる文化」が育ってきているのでは? と感じました。
ネットによって、疑問を持って実際に調べてみた人の情報が広まりやすくなっているのもあるかもしれませんが、『疑問を持って実際に調べてみた人』の存在を認知することによって、なんとなく生きていた人、そういう所に着眼点が向かなかった人が、「あ、そういう目の付け方もあるのかー」と学習できる下地がある状態、と表現できるのでしょうかね。
昔から、こういう人をあっと言わせるような発想をもって、発言が注目されるような人が学校に一人や二人、あるいは教室に一人はいたと思います。
(その発想のレベル、段階に差はあるとは思いますが)
そして、そういう子が考えた数学の解法の説明とか、ちょっとした討論の授業での発言なんかに新しい発見や学びを得ました。その一人の天才によって、ひっぱりあげられた、という人も多いと思います。
(ドンケツでもいい学校に行けば引っ張り上げられて、つられて成績も伸びるよ、はこういうことなんだと思う)
ですが、全員が運良くそういうクラスメートが存在したクラスに在籍していたわけではないと思います。天才のレベルも様々ですし。
私も天才にひっぱられて色々な思考を学んできた上に、より高いレベルの天才のそばにいると学びのレベルも変わる、という経験もしました。
そこで思うのが、ネットは天才の発想・着想・思考を、より多くの人に広めるという効果を発揮した点で、これまで物理的壁で遮断されていた学びの機会が、本当に一気に広まったんだな、ということです。
ネットの効用で大きいこととして、今まで簡単に知ることができなかった情報を手に入れられるっていうことがよく言われますが、それよりも、これまで実際に会わないと体感できなかった一部天才たちの発想・着想・思考を吸収できる場ができた、というのもとても大きな効用なんじゃないか、と思いました。
上手いたとえがなかなか思いつかないのですが、「魚の図鑑を与えられただけでなく、釣り竿の手に入れ方ハウツー本も共有されるようになった」といった具合でしょうか。
文科省でも世間でも「自分で考える力」が注目されていて、実際最近の教育現場に行くと、自分たちの時代には考えられなかった考えさせられる授業が展開されている現場もあります。学校以外にも、企業のCSR活動の一環なんかで展開されている教育活動なんかはかなり面白いラインナップもあったり。
教材は豊富な世の中です。
けれど、それ以上にやっぱり、教材に対する個々の思考が見えやすくなった、という事実が大きいと思いますし、「考える力」はそこから伸びるんじゃないかな、と強く思ってしまうのは、個人的な体験も影響しているかもしれません。
私は中学、高校時代、いわゆる小論文や討論が得意な方でした。
意外な角度から意見をぶつけたりして、その能力に関しては先生にも一目置いてもらえていたと思います。実際そういう代表にさせてもらえることも多かったです。
今冷静に振り返っても思うのは、自分のそういう能力は全てネットで培われたな、ということです。
特にブログや掲示板、中高生向けのチャットルームで。
私は超ど田舎、山奥に住んでいたので、同じ本の話ができる人、朝見たニュースについて意見交換できる人をネットに求めました。クラスにもそういう話ができる人がいなかったワケじゃなかったけれど、いかんせん人数が少ないので偏りがち。
しかもクラス(というか学年で)でインターネット環境が整っていたのは、私を含め、2人くらい。
ネットでは本当に多様な意見に溢れていて、色々な角度での見方、というのは確実に、その時ネット上にいた各地方、都市部の頭いい子たち、色んな大人の意見に触れる機会が自分より多い子たちによってひっぱりあげてもらいました。
(情報のソースを開示すること、ソースの探し方、何がソースと言えるのか、というのもここで学んだ)
おまけに同年代よりちょっと上のお兄さん、お姉さん(嘘ついてなければ。笑)たちの意見も聞けて、それも自分に取っては新しい発想で。
そういう中で、毎日のように「考えたこと」を交流(=学校用語でいうところの活用)していました。ネットをやっていなかった子よりも、圧倒的に多いPDCAサイクルを回していたと思います。
その中には、今回の「白い下着の校則」ではないけれど校則ネタも結構あって、そこから当たり前を疑う習慣、が身に付いたように思います。
教材は面白いものが揃っていて、アクセスも容易になった時代ですが、それに対して考えたことを交流することが一番「考える力」を伸ばしてくれるんじゃないかなあと思います。
そして、大人でも議論が稚拙な人、相手の主張を正しく受け取れずに暴走する人を、こういうニュースのコメント欄で見かけるたびに、持った方がいい知識量に上限がないように、「考える力」にも上限はなくて、いつまでも磨き続けることも大切だなあ、とも考えさせられます。
いつも楽しく読ませて頂いている、ハイマメさんのこちらの記事を読んで、『パンとスープとねこ日和』を鑑賞しました。
ほっこり、ゆっくり、ていねいな暮らしが描かれています。『かもめ食堂』とか『しあわせのパン』とか、そういう系統が好きな人はきっと好き。あの手の映画って、自分の生活を見直したい時とかに、あのキッチンいいなあとか、あの部屋いいなあ、あの洋服いいなあ、と雑誌をめくる感覚に近いですよね。
映画ではなく4回に分けられたドラマなのも、隙き間時間に鑑賞できた上に楽しみが四分割されていた感じがしてなんだか得した気分です。
ハイマメさんは観た後、自分で丁寧にごはんを作るということをしたくなった、とおっしゃっていました。
私も同じことを思うのと同時に「これなら洗い物も少ない上に、めっちゃ栄養価も高いんじゃないか?」というズボラ思考が働きました(笑)
今回小林聡美演じる主人公が作るのは、日替わりのサンドイッチとスープです。スープは大きめのお椀型のスープ皿に。サンドイッチは白いお皿にのって登場します。
そう、これだけなんです。小鉢とかないんです。でもオシャレ。
小鉢を用いずしてこんなに食べ物ってオシャレに見えるのか、とシンプルなお椀とお皿にとても惹かれました。
しかもお皿系2つにサンドイッチは手で食べて、スープ用にスプーンを一つ使うだけだから、洗い物も3つだけ。二人分でも6つだけ。
これ、家庭で実践したらすごく楽なスタイルなんじゃないか?
とズボラ思考が始まりました(笑)
スープにサンドイッチってすごく軽食感ある響きで、「丁寧」とか「カフェ」とか「オシャレ」という言葉が似合うような代官山系女性(もしくは世田谷区系主婦)しか、登場しないんじゃないかという勝手な偏見を持っていました。
が、出てきた実物をみてびっくり。結構ボリューミーです。昔なじみの近所のおじちゃんなんかも応援にお店にやって来て、最初は今風で女子っぽいお店の雰囲気にやられるわけですが、それでも通うようになるのはオジさんでも満足できそうな量が出てくるからじゃないか、と考えてしまう程。そうか、小さく作る必要なんてない。大きく作れば良いんだ、という発想を刺激されました。
途中、男子学生風の子たちもお店にやってくるようになるのですが、それも納得。
特にスープは汁物なので、あの大きさのお椀で食べたらお腹が膨れそう。あれで1,200円なら食べたい。普通にランチに行きたい。
大体スープとサンドイッチを出すオシャレカフェって量が少なくて、友達を誘ってランチに行くには躊躇するのだけれど、この映画に出てくるお店は友達誘って行きたい。
スープが野菜たっぷりだったり、サンドイッチにはガッツリめのタンパク質(チキン、サーモン、コロッケ、など)とサラダが挟まっていて、これは結構栄養バランスもよさそうだし、量も多いから満足度も高そう。
サンドイッチはタンパク質とソースを変えればレパートリーも無限大になりそうだし、スープは季節の野菜を使っても楽しいだろうな。
コーンポタージュとか1から作るのは大変だけど、カルディで買ってきて温めるだけとかでも良さそう。
検索してみたら、レシピがこちらのサイトに載っていました。週末色々試すのが楽しみになりそう♪
連続ドラマW「パンとスープとネコ日和」|WOWOWオンライン
というわけで、もう少し涼しくてスープが美味しく頂けそうな季節になったら、こういうレシピの朝ご飯を用意してもいいかなあ、と想像しました。
洗い物を少なく、という発想で、「丼もの」「袋拉麺にわかめや旬の野菜をじゃんじゃん入れる韓国スタイル」が私の手持ち札だったのですが、『パンとスープとねこ日和』で「サンドイッチとスープ」という手札も増えそうです。
今ならAmazonプライム会員は無料で鑑賞できますので、興味がある方は是非。
「1週間経っても欲しいと思ったら買いなさい」
というのは、昔ショッピングセンターで母に言われた言葉です。
確かその時は、中高生女子が好きそうな可愛い雑貨のお店で、かわいいメモ帳を発見したんです。かわいくて欲しいなあ、と思ってお小遣いとにらめっこしていた時に母に言われた一言です。
多分そのお店でめっちゃ長い時間悩んでいた気がするので、母は一旦その場から離したくて言った一言だったのかもしれませんが(笑)
計らずも、この「1週間経っても欲しいと思ったら買う」は私のショッピングルールの中でも超重要ルールとなりました。
物が欲しいと思う気持ちが衝動だったのか、それとも本当に必要(自分が欲しいと思った)からなのか、物を目の前にしている状況だと冷静に判断できないことがほとんどです。
そんな時、物と物理的にも時間的にも距離を置いて考えることで、とても冷静に考えることができます。
そんなマイルールを持っている私ですが、最近ずっと欲しいと思っているものが増えてきた気がするので、一旦書出してみたいと思います。
《1ヶ月以上経過しても欲しいと思った物・サービスリスト》
・置き型食洗機
・新しいタオル
・新しいリュック
・コスメボックス
・美容院に行くこと(サービス)
・Spotify有料化(サービス)
これは夫も欲しいもの、かつ置き場所についても確保済み。あとは水道の取り付けに関する知識武装とサイズの検討(置き型はパナソニックしか出しておらず、選択肢が少ないので楽)。目標としては十二月くらいまでに設置したい……と思っています。
色々検討したけど、iPadではなくproがいいな、と思っています。
3月くらいからずっと欲しいと言っています(笑)多分本当に欲しいんだな、自分。勉強用ノート、読書記録ノート、アイディアノート、などすごくたくさんのノートやメモ帳を持ち歩いている上にノートを使い切ると前使っていたノートのアイディアのために、使い切ったノートもリュックに入れていたりするので、リュックが超絶重い……という問題を解消したい。ノートを電子化しちゃえばファイリングも楽だし、身軽になるし。クラウドに保存しちゃえば家の中にある紙ものも捨てられるし。
ただ、色々調べていると秋頃に新しいiPadシリーズの発表があるかも……。みたいな情報が流れているので、せっかく新品でお金だして買うなら新しいやつがいい! って思っているので、秋のAppleの発表までちょっと待ちます(笑)
特にバスタオル。ほわほわの幸せに包まれたい。ささやかな幸せを得られる手軽な手段だし、そろそろ替え時だとも思っているんですよね。
壊れた訳ではないけれど、色が剥げてちょっと(かなり)みすぼらしい感じに。壊れた訳じゃない、というところがずっともったいないセンサーに引っかかっているけれど、全食事代からずっと使い続けているし、そろそろ心機一転しても良いかなあと思っています。
次はipadとpcを入れたいからそういうケース部分が充実しているやつがいいかなあ。なんて。
こういうオシャレな女子グッズ。みたことも持ったこともなかったからそもそも発想がなかったのだけれど、女友達が使っているのを見てから一目惚れ。同じタイプじゃなくても、コスメボックスが欲しい。そうしたらコスメとアクセサリーを同じ場所に入れられて便利そう。なんなら化粧水とかもまとめて、朝一気にこれ一つで支度ができるような環境を整えちゃいたい。
ロングヘアに甘えて、気がつけば多分1年以上行っていない……。元々美容師さんが不得意なので、美容院無精。
結婚して年数も経つし、ショートとまではいかなくてもそろそろ短くしたいなあ、という欲求も出てきた。いきなり切らずとも、とりあえずトリートメントだけでも行きたい。
ドライブの時にCM入らない方がいいなあ、とはずっと思っていたけれど、google home miniを導入してさらに想いは加速。
今なら3ヶ月100円。に心が揺れる毎日。どうせ夫と家族で使うし、ヘビーユーザーなわけなので観念して入会しようかなあ。
欲しい物が明確な物もあれば、ちょっとぼんやりしているものもあるかも(コスメボックスとか)。一気に入れるとてんてこ舞いになってしまうので、ちょっとずつ、生活に導入していきたいです。
我が家は特別、最新ガジェットを追いかけている訳ではないし、その方面に詳しい訳ではありません。(興味はあるけど友達の話を聞いて面白がるくらい)
エリクサが活躍するCMを見ても特別欲しいとは思わなかったし、ビックカメラでスマートスピーカーが特売価格になっていても、じゃあ安いし買ってみようか、とも思いませんでした。
そんな我が家に、『google home mini』がやってきました。
たまたま夫が友人の結婚式の二次会で当ててやってきたgoogle home mini。
お互いに設定を面倒くさがって、放置されること1ヶ月、先週末久しぶりの自宅でゆっくり過ごす休日中にようやく重い腰を上げて、箱を開けました(笑)
そもそもどういう仕組みなのかも分かっていなかったのですが、スマートスピーカーはスマホもしくはタブレットを介して機能するんですね(←そこから)
とりあえず我が家は音楽をよく聞くのと、Spotifyで音楽を聴くのですがgooglehomeminimと連携させておくことによって、「OK google、音楽かけて」の一言でSpotifyから音楽を流してくれる機能があることを知り、自動音楽再生機能をめあてに設定をがんばることにしました(笑)
設定は思っていたより簡単でした。
(1)スマホのアプリでGoogle home をダウンロード
(2)google home mini自体が発していた信号をスマホのwi-fi設定のところで探してキャッチ→繋げる
ーーーーここまでで設定は完了!
私は以前、実家でChromecastを使って写真をテレビに投影するためにダウンロードが終わっていたので、繋げた後、持っているグーグルのアカウント(Gmailで主に使っているものの一つ)でログインして完了でした!
ここまでで、
・検索(例:「OK Google、東京都の人口は?」とか)
はバッチリできるようになりました。
※ちなみに「ねえ、google」でも大丈夫なようです。夫は「Ok,google」ですが、私は「ねえ、google」と話しかけています。
我が家は音楽を聴けるようにしたくて、Spotifyと繋げたいので、
(4)google homeでSpotifyと連携
をして完了です。
※Spotify=音楽再生アプリ 無料版は広告が付くけれど好きなアーティストの曲を聴くことができる。(全てランダム再生なので曲を選ぶことはできない。有料版だとスキップができるので、結果として好きな曲を再生することが可能)
これで「Ok,google 音楽かけて」と言うと、「spotifyから再生します」と言って、自動的に音楽がかかりました。
自動再生なので、私がSpotifyでよく聴く音楽が流れました。記念すべき一曲目はtake6!
「音楽止めて」も声だけでオッケー。いつもスマホをコンポと繋いでスマホを直接いじっていたのですが、これからは料理している時を始め何か家事などをしていて手が話せない状況でも、声だけで音楽をかけて欲しい指令を出すことができます。
唯一、コンポの方が音質が良かったなーとは思うものの、低音もそこまで悪くない音が出るので個人的には及第点です。カフェとかでかかっているBGMくらい。
さて、数日間使ってみて、もうこいつは手放せないな、と感じているgooglehomemini。1ヶ月も放置しててごめんね。
いいな、と感じたポイントをまとめてみます。
音楽が生活に欠かせない我が家には本当に嬉しいポイント。これを機にSpotifyも有料会員になろうか検討し始めている自分がいます。
(月額980円で、スキップし放題に音質もアップする)
すぐに頭の中で変換ができる人はいいんでしょうが、私はできないのでけっこうこれに助けられています。
これが雑談のときにとてもありがたいサービス!夫婦でよく、××って首都はどこなんだろう?とかその首都の人口はどれくらいで、日本の都市で言うとどこと同じくらいなんだろう?とか。
都市に限らず、雑談中でも具体的な数値を調べながら会話をすることが結構多いのですが、こういう時、いつもスマホで調べていました。
二人とも黙って調べる訳ですが、googlehomeminiがやってきてからは、どちらからこの子に話しかけて聞きます。なんだか家族がもう1人増えたような気分です。
まだ使い始めて数日だし、元々なーんも知らない、興味ない状態でものだけやってきたので全然使いこなせていないと思うのですが、すごく便利です。
夫はこの子がどういう質問なら答えられて、どういう質問はまだ答えられないのか、という実験を暇なときにやっています(笑)
私も他の方のブログを読みながら、他にどんな使い方ができるのか研究中です。
また新しい使い方、便利なことを発見したら日記に書きたいと思います。
それでは「ねえgoogle、音楽止めて」
おやすみなさい。
風水的にはお財布の寿命は1000日(約3年)とか、1年ごとに買い替えた方が良い、と言われていますが、私は高校の入学祝いに母に買ってもらった革の財布を未だに使っています。
こんまり先生風に言うなら、未だにトキめくのでまだまだ現役です。
買ってもらったのはマンハッタナーズという絵画のような猫の絵が特徴的なブランドです。本革で3万円くらいだったと記憶しています。当時田舎の高校生だった自分が使うには、あんたどこのお嬢様ですか、と聞きたくなるような高額財布ですが、母は本当に良い物を長く使うこと、を教育したかったのでしょう。「革は使い込めば使い込む程味わいが出てよくなる」「お母さんも今使っている財布はもう10年くらい使っている」と言って、高校生の私にブランド品の使い方、考え方について刷り込みました。
元々定期券入れに『わちふぃーるど』で革ものを使っていたのと、猫ちゃん柄が好きだったことも重なって、当時周囲の子が持ちたがるコーチとかアナスイには惹かれず、社会人になっても未だ一筋で未だに大事に使っているので、母の教育はある意味成功ですね。
www.manhattaners-onlineshop.jp
ただ、大人になればなるほど、持ち歩くカードが増えて、最近はお財布がパンパンになっていました。
車の運転免許証、健康保険証、銀行のキャッシュカード、は緊急時に備え学生のときから持っていたのですが、そこに加わったのが、
クレジットカード、ETCカード、近所のデパート(食品も買う)のポイントカード、クリーニング屋さんのカード、他家具や洋服のお店のポイントカード...などなど。
気がつけばお財布がかなり膨れていまして、先日ついに買い物先のホームセンターで、あれ?ポイントカードどこにやったっけ?という捜索タイムが発生してしまいました。
夫にも、必要だし夫婦で使う物を全部持たせているわけだけど、日常使いしないカードはカードケースを使って休日のお出かけのときだけ持ち歩けばいいんじゃない?
とズバリ提案されました。
そして早速夫に買ってもらったカードケースがこちら。
中は花柄、外は藤色のちょっと大人っぽいカードケースです。こちらも一応革ものなので、(本革ではないですが)長く使えそうです。
既にパンパンですがその為のものなので気にしないことにします(笑)
お財布は自分でも驚く程スッキリしました。厚みも減った分だけ重量も軽くなって、いつも持ち歩いている鞄が軽くなったことがなんとなく分かります。
これでポイントカードを探して時間を消費してしまうことはもうないだろうし、中に入っているお金の量もとても見やすいです。
現在のお財布の中身はこんな感じ
・現金
・クレジットカード(3枚:メイン、よく行くデパート用、海外用(カードの特典目的)
・免許証
・保険証
・かかりつけにしている病院の診察券
・近所のよく行くスーパーのポイントカード
・クリーニング店カード
・Tポイントカード(レンタルカード兼用)
・ポンタカード
・JREカード
・お気に入りのたいやき屋さんのスタンプカード
・キャッシュカード(1枚)
いや、多いじゃん!って少ない方には突っ込まれるかもですが、お気に入りやよく行くお店、割と頻度高く使う上にいざという時忘れてはいけないカード(ETC)、は外せなかった。というのも、私自身が忘れっぽい方だから。
以前、大事なときにうっかり忘れて大変だったこととかもあるので、そういうすごく困ってしまうカードたちは財布の中に入れています。
再びときめき度が上がったお気に入りの財布ですが、次はいつ買い替えようかな…という気持ちも少し湧いてきました。
けれど、どうせ買うなら本当に自分が気に入った物が良いし、今のもまだまだ使えるし、と思っていたら、財布は使っていた年月分大事に寝かせておけば、再度運気が回復してまた使える、という風水の記述を発見しました。
それならもう一つ10年使っても良いと思えるようなお気に入りを見つけて、10年ごとの交換で使ってみようかしら。
そんな財布を出会えたときにまた考えたいと思います。