くろやんの日記

思考・映画・ごはん・旅・自転車・読書・ライフハックのメモ帳

映画『ファインディングドリー』を見て考えた、ちょっとウザいあいつ

2週間連続ディズニー映画!

ファインディングニモの続編的な立ち位置の映画、『ファインディングドリー』

ドリーというのはこの中心にいる青いお魚。ナンヨウハギという種類のお魚です。

sideworklabo.com

 

前作ではニモのお父さん、マーリンと共にニモを探しに一緒に旅をしたパートナー的存在。3秒後くらいには教えられた事を忘れてしまう、驚異的な記憶力のなさでお笑いなら最強のボケポジション。見る人によっては若干イライラしてしまう程の忘れっぷりです(笑)

 

ドリーの忘れっぷりは「小さい頃親とはぐれて実はそこに戻るはずだった」ということでさえ忘れていたというハードっぷり。

芥川龍之介のトロッコの主人公も驚きの、かなり強いハートの持ち主ですね。

(トロッコ:少年がトロッコ押しの手伝いをしているうちに気がつけば、自宅からかなり離れたところまで来てしまった。トロッコを押していた職人達はそのまま辿り着いたところで泊まるという。日が暮れていく中、少年は心細い気持ちでダッシュで家路につく、という話。気がついたら一人で遠くまでいっちゃって、心細くなった)

 

そんな忘れん坊のドリーが、ふと両親との事を思い出し、自分の家族を捜す冒険に出るというお話です。

 

 

★ドリーを見ていると、多分半分くらいの人が身近な人を思い出す

そう、クラスに一人、職場に一人、周りに一人、初期能力値が聖人でない限り、人生のどこかで一度は誰もが遭遇した事があるはず。

なんかこいつうざいな、みたいなキャラ。

すごくいいやつだし、特別に嫌な訳じゃないんだけど、なんだか関わりにくい。時と場合によってはこういうタイプの子が仲間はずれにされているところを目撃した事がある人もいるんじゃないでしょうか。

私も特に小学校時代で数人思い出す人がいます。幸い、世の中いろんなやつがいるよねと、クラス全体として認め合う雰囲気だったので、殺伐とした雰囲気にはなりませんでした。変な事言うけど、それがめっちゃ良いことな時もあったよね、みたいな、マーリンやニモに受け入れられたドリーのように、ほんわかした空気だった記憶があります。

実際私もそのちょっと変な奴、には結構色んな虫の名前を教えてもらいました。(変な上に気持ち悪い虫を教室に持ち込んでくるやつだった)

けれども、自分より一つ下の学年では、クラスに一人二人はいる、ちょっと変な奴に大して逆の事が起こっており、一つ上の学年にその悲惨な状況が伝わってくるくらい、悲しいクラス模様でした。

 

★本当にすぐ忘れる、けれども抜群の発想力と行動力は起業家顔負け

時が流れて大人になってみると、画一的な働き方が求められる社会が過去の物になりつつあり、ホリエモンをはじめとする起業家が注目され始め、会社員として働くのもすごいけど起業している人、シリコンバレーで活躍している人の方がスゲーっていう今の世の中においては、ドリーのようなタイプの人の方が競争力が高いようにも思います。

もちろんまだまだ大手企業の会社員はなんだかんだ強いけれど、ドリーレベルに行動力と危機迫る時に発揮する発想力は、シリコンバレーの起業家を彷佛させられます。

 

 

★共に暮らす、に関する知恵が詰まっている

ここまで考えたとき、よくよく考えてみれば、どんなにできる人でもちょっと変だなって思う人や、気が合わないな、と思った人とは距離を置くし、逆にどんなに変でも、世間的にこいつなんかちょっとオカしいって思われている人であっても、自分がこいつ面白いから一緒にいたいな、と思った人とはなんやかんや一緒にいます。

映画の中でドリーに対して冷たく振る舞っているように一見見える魚達の対応は、大人の世界とも言えるかもしれません。

彼らは意地悪するわけではなく、ドリーが名前を忘れた魚を探して欲しい、といろんな魚にお願いする訳ですが、名前が分からないような魚を突然知らない人に一緒に探して、と言われても困るなあ、というところが心情でしょう。

人間だってちょっと困ります。名前や住所が分かれば調べようがあるけれど。

一方マーリンやニモはそんな忘れっぽいドリーでも、ドリーと一緒に過ごした時間があるからこそ、ドリーの良さや強みを理解し、名前もどこにいるのかも分からないドリーの家族探しを手伝いました。

 

教育機関である学校では、しばしば「全員と仲良くしましょう」という主旨の声かけがあったりして、それって社会に出てどうなの? という論争が起きている場面もネット上ではしばしばみかけます。

本気で「全員と仲良くしましょう」って言っている人もいれば、公の機関である事から尖った発言を控える為に、半ば社交辞令的にそのように発言している人もいそうだな、とも思います。

結局対先生とでさえ社会に出た時の人との関わり方の勉強になってしまうことを考えると、子どもが人間関係で悩んでいたら、家族でファインディングドリーを観るのもいいのかもしれないなー、なんて気がしました。

と同時に、最近のディズニー考えさせられる系増えてきたなーという感想も持ちました。まだ観ていない最近のディズニー映画もチェックしてみようかな。

 

寺や神社でお願いごとをしなくなった

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これを見たとき、「商売上手、ならぬ、お布施上手」と思ってしまいました。

川越の氷川神社にあるおみくじです。小さな釣り糸が置いてあって、御神籤を釣り上げます。

 

結果は大吉でテンションが上がりつつも、いや、こういう所のって大抵大吉多目に入ってるし、みんな大吉なんじゃない?

と冷静に考察していたら、周囲のお姉さん達がみなさん、末吉と凶だったので、全部大吉なわけではなさそうです。

 

ここ数年、というか、今の夫に出会ったくらいから神社や寺でお願い事をしなくなりました。

 

それまでは

いい出会いがありますように

とか

いっぱい稼げますように

とか

超煩悩だらけなことを想い、願いまくっていたのですが、最近は特別お願いしたいことが思いつかなくなりました。

何でしょう。それくらいなら自分で頑張ってやろうかな、と思えるようになったのか。

はたまた欲が浅くなったのか。

 

色々考えたのですが、私は結婚したことによって、自分自身の様々な欲が満たされた、と考えることにしました。

 

というのも、私が結婚前まで一番多かった願い事は、

いい人と出会えますように

という願い。

 

自分が考えていることを共有したり、

無条件に承認欲求が満たされたり、

美味しいご飯を一緒に食べる人がいたり、

海外ニュースを見て世界の問題について意見を交わしあったり、

 

超田舎で家族以外に会話をする人が手軽にいない状況だったせいか、人に飢えていた部分があったのでしょう。

そこが満たされた途端、特別に神様に願いたいことも無くなりました。

だからといって夫に依存しているわけでもなく、一度満たされたことによって一人の時間もかなり有意義に使えるようになった気もします。

 

同時に、恵まれている人ほど、満たされる条件が高そうで実は人生difficultモードなんじゃないか?

とも思いました。

人生それぞれ、easyモードに見えてもその人自身がどう感じるかはまた別、とは頭ではわかっていてもやっぱり比べてしまうもの。

 

自分自身がeasyモードだったとは思いませんが、これがあれば幸せ!  のハードルは、都会で出会った友達を見ていると、私はえらく低いような気もします。

尺のハードルってきっと上げるのは簡単でも、下げるのは難しいんだろうな。

 

私はジャガイモが好きで、特にジャガイモ入り味噌汁が大好き。

実家は父が珍しくパン派だったこともあって、一人暮らしをするまで味噌汁を食卓に上げることは私にとって特別で、今では味噌汁を1日1回は食卓に出します。

そして1日のうちにジャガイモ味噌汁を食べることができたらその日一日は私にとってとてもしあわせないい日だった、と言えてしまうのです。

 

でも世の中には、毎日フレンチコースみたいな料理を食べたい人もいるし、ブランド物に包まれていたい人もいる。

LINEのメッセージが頻繁になきゃダメって人もいるし、1日3杯はスタバのコーヒーを飲みたいという人もいる。

私はそれがたまたま味噌汁だったのだ。

 

そんな私は、次から寺や神社に行った際には、味噌とジャガイモをこの世から無くさないでほしい、と願うべきなのかもしれない。

 

 

 

 

 

父から学んだ、人生の意味

今週のお題「おとうさん」

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人生を自由に生きるってどういうことなんだろう?

私が父からもらったものの中で一番大きなものといえば、この問いかけそのものだと思います。

直接、父からそう聞かれた訳ではありません。私より勉強はできるし、いわゆる良い大学も出ているけれど、全くガリ勉タイプではないし、どちらかというと不真面目で、若い頃はバイクを乗り回して、ちょっぴりやんちゃだった口のようです。

けれども私は父を見ていると、考えてしまうのです。

人生を自由に生きるってどういうことなんだろう? と。

 

父の人生自体を端から見ていれば、それは自由とは近いようでほど遠いもののように見えます。

たくさんいた兄弟に埋もれながら、やっと就職で自由に働き、遊んでいたところで突然ふりかかった田舎への道。

海外駐在の道を断って、小学校から転校でそこには住まなかった、親しい友人なんか一人もいない田舎に戻って、特別好きでもない家業に精を出す。

 

自分だったら自由がなさ過ぎて、発狂しそうな人生です。

 

けれども父はそんな自分の人生をめいいっぱい楽しんでいたように思います。

田舎で大して仕事に時間がかからないことをいいことに、私とたくさん遊んでくれました。学校から帰ってきて夕方、庭でバトミントンをしたり、テレビゲームも一緒にやったりしました。

旅行にもいろいろ行ったし、自然に近いところでとれたもの、いただきものを美味しく食べました。

 

病気とか、親戚との絡みについて、辛い事や苦しい事も多かったけれど、総じて父は全てを楽しんでいたようにも思います。

人生で何かを成し遂げたか、という問いには答えられそうにない父ですが、人生を目一杯楽しんでいるか、という問いにはしっかり答えられそうです。

 

何かを成し遂げるだけが人生じゃない。それをやってる人間だけが偉い訳じゃない。そんなことを学んだような気がします。

 

そもそも人間ってなんで生きているんでしょうね?

みたいな壮大な問いを、ずっと楽しく追いかける人生、とも言えるかもしれません。

 

そのままでいいのか?

とか

人生楽しく!

とか

人の人生に対して色々言う人は多い都会で、色々考えさせられたり、そんなこと言われる筋合いないわよって憤慨したりすることもあるけれど、そういう時、思い出すのはいつも父の姿。

誰になんと言われようとも、特別な事は何も成し遂げていなくても、生物として生きるってきっとこういうこと、っていうことをはっきり言える人でありたいです。

 

 

波乱が多いとワクワクしちゃう

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サッカー!日本勝利しましたね!

私を含め、多くの人が引き分けで御の字、くらいに思っていたのではないでしょうか?

 

日本に限らず、今大会は当初の予想とは大きく違う展開を見せている試合が多いようですね。

それだけ世界のサッカーレベルが足並み揃ってきたってことなのかなあ。

 

次の試合も楽しみです。

 

 

kuro-yan.hatenablog.com

 

移動範囲で変わる、故郷の広さ

手塚治虫の『火の鳥』を読んでいたとき、宇宙に飛び出した若い女性が年をとってから地球に思いを馳せるシーンを見て、

どこからどこまでを人は故郷だと思うのか

ということについて考えさせられました。

 

私は地球人で、宇宙戦艦ヤマトが地球に帰ってきたシーンは感動したし、故郷地球のありがたみも感じました。けれど、だからといって本当の意味で地球こそ我が故郷って思えているかというと、多分全然そうは思えていない。

 

そして、この感覚はその人自身の移動距離に反映されるのかな、と思ったり。

例えば小学生の頃は隣町の小学校の子に会うだけで、なんだか新しい気分というか、自分はこっちの小学校の学区で、あの子は違う、みたいな感覚があっても、高校生になる頃には同じ高校っていう感覚に。

そして大学進学で地元を離れる頃には、私は××県出身、みたいなところがアイデンティティーになって、さらに海外旅行に行って、私は日本人、という感覚が生まれたような気がするからです。

 

日本にいれば、沖縄県民に飛ばすジョーク、大阪府民に飛ばすジョーク、東北出身者に飛ばすジョーク、みたいなのが普通だけど、海外に出れば、日本人に飛ばすジョーク、イタリア人に飛ばすジョーク、と括りが大きくなります。

 

だから、移動範囲で故郷の定義って結構大きく変わるんじゃないかな、というか、変わる人が多いんじゃないかな、と思いました。

 

今の私の故郷?

まだ日本って思うかな。

 

 

富岡製糸場を見学して感じた、教育機関の重要性

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社会科見学ブームの最近、今日は群馬県にある富岡製糸場に行きました。

明治5年建設の官営模範工場、というところまでは学校の教科書にも載っていた知識ですね。

 

2014年には世界遺産にも登録された場所です。

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私の前知識としては、

・官営模範工場

・明治政府が外貨獲得のための産業に育て上げようとしていた

くらいしかなかったのですが、それでも中々楽しめました。

 

200円ポッキリで参加できるガイドツアーがあったので参加してみました。

 

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外観は監修がフランス人だったおかげか、なんだかオシャレ。

 

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このレンガの積み方はフランス方式とのこと。積み方で、ドイツ系なのかイギリス系なのかが違うそう。

今後レンガを見るたび、これはどこの国の人が監修したのかしら?という目線で見ることができそうです。

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広い建物ですが、柱は一本もありません。これもフランス人監修の建築方法が取り入れられた結果だそうで。

屋根に三角を作ることで、柱の代わりに屋根を支えられるようにしているそうで。

 

当時の女工さん達はここで最新の技術を学び、持ち帰るためにやってきていたわけですが、その待遇の良さたるや。

勤務時間は7時間ほど、しかも太陽の光によって工場稼働時間が決まっていたようなので、季節によっては短かったようです。

また、敷地内に病院があったり、食事も当時としてはそこそこ良いものを食べていたり。

 

官営の場所だし、学べる教養が元々備わっているような両家の子女がそこそこいたんだろうな、とも想像できるけれど、それでも働く人を大事にしようという気持ちが、現代を生きる私たちにも伝わるくらい形になっているなあと感じました。

 

日本の近代化を担った工場、という視点しかなかったけれど、見学が終わる頃には、明治10年創立の東大よりも先にできた教育機関、という印象も強くなりました。

企業教育の先駆け、とも言われているようだけど、これを見ていると、子供の教育と同じくらい、大人の教育も大事だなあ、と感じます。

 

 

《おまけ》

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工場の動力源となっていたブリュナエンジン。蒸気の力で動くのですが、今日はエンジンが稼動されていました。

各所に物理が使われていて、これ一つでとても分かりやすい物理の教材になりそうです。

子どもと見たら面白いだろうなー

 

 

 

ビール工場見学に行ってきました!

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どーん。これは試飲の様子。

 

今日はキリンのビール工場見学に行ってきました。

工場見学というと、小学生の頃の社会科見学を思い出して、大人になっても勉強かよ?って突っ込まれそうですが、大人になったからこその面白さもありました。

 

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昔つかわれていたという機械を見学

 

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今回はキリンだったので一番搾りについてお勉強。左が一番搾り、右が二番搾り。

通常のビールはこれを半々で混ぜるそうですが、キリンの一番搾りは左のみ。色も違いますし、味も全然違いました。特に麦の濃さが。美味しいです。

こりゃあ、糖質たくさん摂取することになっちゃうよねえー、納得!

 

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その後、ラベリングする場所まではバス移動。広い敷地です。

そして工場内走らせるバスを自前で用意しているとは、お金持ってる企業は違いますね(笑)

 

 

ビールに限らず、親に頼らず自分の力で生活していると、生活に関わる様々なものやシステムがとても不思議で、よくできているなあと思ったり、製品が身近に感じられたりするものです。しばらく工場見学ハマりそうです。

 

 

 

ディズニー映画『ズートピア』で描かれている多様性が奥深かった

※ネタバレ注意

今日の金曜ロードショーはディズニー映画『ズートピア

結構前に、飛行機の中で鑑賞して、なんだこの映画!本当にディズニー?って思ったのが最初の感想でした。

本当にディズニー?って思った点はこんなところ

・裏社会があまり悪く描かれていない

・動物というクッションは挟んでいるけれど、所謂教育上微妙なラインと呼ばれそうな描写の数々

 

そんな描写がありつつも、大人でも楽しめる映画だなあ、とぼんやり思いました。今回カットシーンはありましたが、改めて、『ズートピア』のおもしろポイントをまとめてみようと思います。

 

▼みんな仲良く・夢を追いかける・逆境に立ち向かう、等のキラキラした描写の裏側に迫るストーリー展開がアツい

舞台は全ての生き物が仲良く暮らしているズートピア。そこで肉食動物よりも力が弱く小さいウサギが史上初の警察官になる夢を追いかける。夢を叶えて警察官になってみても、自信がウサギであるということから様々な困難が……。

表面上のストーリーは、それこそアメリカで史上初の黒人大統領が誕生したぜ!みたいな、逆境を乗り越えてここまできたウサギの主人公ジュディの成功譚って感じなのですが、物語がそこで終わらず、ジュディ自身の内面問題にも迫りました。

それは草食動物であることから差別されたり、いじめられてきた自分自身も肉食動物に対して少なからず差別の気持ちがあったことが露出するシーンでした。

このシーンで大人達はぐっと心をつかまされたんじゃないでしょうか。

「あ、これ、私達が暮らしてる世界そのものじゃない?」って。

 

▼いい人そうな人のウラの顔、の描き方が徹底されている

ウサギの警察官ジュディは、奥さんと子どもがいて、家族思いの優しい夫オッタートンさんの捜索へ。

ただこのオッタートンさん、全員がはだかで参加するヨガに通っていたり、マフィアのボスとつながりがあったり、私達が想像するような善良な市民像を見事にぶちこわしているキャラだなあ、と思いました。

普段、普通の人、と思っていても、人それぞれ色んなつながりがあったり、嗜好は違ったりするんだよ、というメッセージにも受け取れました。

 

 

▼男女の友情は成り立つ、がはっきりした作品

私が子どもの頃、少女雑誌によくこんなアンケートがありました。

『男女の友情って存在すると思う?』

結果は大体成り立つが少数派。その雑誌の集計方法が正しければ、大体3割か4割くらいの小中学生女子が、男女がいたら友情から最後には恋愛になるでしょっていう回答。

そう、男女の友情というのは本当に存在し得るのか?男と女がいたら必ず恋愛に発展するんじゃないのか?というのがちょっと前までの世の中の認識だったように思います。海外はどうか知らないけど、少なくとも日本では。

(今自分の同世代をみていると、そうでもない人の方が多そうに見えるけどね。)

だから男女が一緒に仕事をしていると、男側の奥さんが嫉妬する展開はお決まりだったし、男女でごはんを食べに行く、なんてそれ以外に目的があるの?とでも言われそうなシチュエーション。

けれども、今回のズートピアでは、ニックとジュディがくっつかないで終わりました。仕事に対して、同志のような関係性で物語は幕を閉じたのです。

男女は必ずしも恋愛をするだけの関係性じゃないっていうのを、これまで男女をくっつけつづけてきたディズニー作品で明示されたのって結構メッセージ性が大きいなあ、と感じました。 

 

男女、種族、差別する側、される側、いろんな角度から多様性に対するメッセージが描かれていて、とても奥深い作品だなあ、と感じました。

さらに20年、30年とたった後、このメッセージを自分がどんな風に受け取るようになるのか、そういう時代もあったよね、となるのか、はたまた。未来にもまた楽しめそうです。

 

 

 《おまけ》

▼子どもだけでなく大人へのサービスシーンが多い

ディズニー映画では、他の映画に登場したキャラクターがちらっと登場したりして、ディズニーランドで隠れミッキーを探しだした嬉しさと似たような演出を繰り出しています。今回も要所要所で他の作品に出ていたキャラが出てきて、子どもなんかは、あ! ××のキャラだ! なんて楽しめてしまう。

というサービスシーンが、大人向けにもたくさんありました。往年の名作映画をパロディーにしたようなシーンがたくさんあったんです。

一番分かりやすいのがゴットファーザーでしょうか。キッスのシーンも、胸ポケットに付けている花の色まで再現されていて、芸が細かいなあ、と思いました。

また、私が最近観終わった、BACK TO THE FUTUREの名シーンも再現されていました。まだまだ見つけられていないシーンがあるんじゃないかと、また時間をおいてみてみたくなる!

 

近所の紫陽花がグラデーションしている理由が分からなくて調べてみた

 

紫陽花がキレイな季節になりました。近所の紫陽花も見事に咲いています。

が、毎年ここの紫陽花を見るたびに、とある疑問が思い浮かぶのです。

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そう、一つの場所から生えているのに、紫陽花の色がバラバラなのです。

紫陽花の色は土の酸度で決まる、ということは結構有名なことだと思いますが、土が同じはずなのに、というかそもそも同じ根っこから生えているはずなのに、ここの紫陽花は見事に色がバラバラです。

 

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一つ一つがバラバラなだけでなく、一株の中でもグラデーションが起こっています。

これはこれでキレイなんですけどね(笑)

私のイメージでは、同じ根っこからは同じ色ってイメージだったので、ここまできれいにグラデーションをしている理由があるのか?と疑問に思い、調べてみる事にしました。

hanagokoro.co.jp

 

とても丁寧にこちらのサイトに解説されていました^^

土の成分がごっちゃだと、色も混ざり合うようですね。ま、自然の物で機械じゃないんだから、土の微妙な成分の違いの影響を受けるのは当たり前と言えば当たり前ですね。

 

公園やお寺さんなどの綺麗な紫陽花は、管理された賜物だったんでしょうね。

個人的にはグラデーション紫陽花も好きです。

 

そういえばもう一つ。私達が紫陽花の花って認識しているこの大きな花びらの部分。本当はガクで、このズームで見える真ん中にちっちゃく咲いている部分が花の部分なんだとか。

写真だと、左側は開花していて右側はまだつぼみです。

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weathernews.jp

 

当たり前のように見かけていた紫陽花ですが、よくよく調べてみると新しい発見もありました。

世の中、分からない事っていっぱいあるわ〜

 

 

何が自分にとって心地よいのか

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朝ご飯は食べた方が良い

睡眠時間は◯時間以上とった方がいい

夜は早く寝た方が良い

夕ご飯は少なめに

 

世の中には健康情報って山ほどあるけど、結局人間ってひとりひとり違うから、毎日ビール飲んでるのに健康で長生きするおばあちゃんもいれば、毎日肉ばっかり食べて生活習慣病から死んでしまう人もいます。

 

そんなこんなで、何が自分の事を心地よく、健康でいさせてくれるのか、ということについてよく考える最近です。

とりあえず、夜遅くまで起きているのは自分には合わない、ということは分かってきました。夜更かしすると先1週間は体調が万全状態ではなくなる、ということ。

なんとなく体の動きが鈍く、(特にアタマの動きが)ついでに食欲も落ちて、体の動きも鈍くなる気がします。

 

これもやっぱり、自分で自分の体で実験して一つ一つ確かめていくのが確実なんだなあ、ということを実感する最近です。