くろやんの日記

思考・映画・ごはん・旅・自転車・読書・ライフハックのメモ帳

破綻さえもエンターテイメントに。映画『ドラえもん のび太と夢幻三剣士』の感想

現在Amazonプライムドラえもんの映画が見放題となっています。昔懐かしい作品が並んでいて、ガラガラ声のドラえもんに会いたくなって一つ見てみることにしました。

 

選んだのは『映画 ドラえもん のび太と夢幻三剣士』

子どもの頃から、理由は分からないのですがなぜかこれが好きで、繰り返して見ているはずなのにいつもラストが全く思い出せない作品。

場面ごとのエピソードは印象に残って忘れられないのに、何度見直してもめちゃめちゃ面白かった、という終わりだったのかさえ思い出せないのに、時間が経つと観直してしまう、そんな作品です。

 

 

【ここからネタバレ注意】

 

見終わった感想としては、「よくトラウマにならなかったな」と思うくらい、結構怖いストーリー展開でした。

いや、大人になったからこそ、この怖さを理解できるようになった、というのが本当のところでしょうか。とにかく、ラストが怖かった。

 

ストーリーの概略はこんな感じです。(wikiより)

ドラえもん のび太と夢幻三剣士 - Wikipedia

夢の中で良い思いをしたのび太は夢と現実の落差を嘆き、せめて夢の中で良い格好をしたいとドラえもんに懇願する。一度は「もっと現実の世界で頑張らないと駄目だよ!」と怒られるも、最終的にはカセットを入れることで自分の好きな夢を見られるひみつ道具「気ままに夢見る機」を出してもらう。その翌日、宿題をやり忘れたのび太が裏山で宿題をしていると、奇妙な老人が現れ「知恵の木の実」をのび太に与え、帰り道では「あなたはもっとすごい力が手に入る。ただし、『夢幻三剣士』の世界でのことだが」と言い残し去っていく。
「夢幻三剣士」とは気ままに夢見る機の夢カセットのことであった。のび太ドラえもんに「夢幻三剣士」のカセットを買ってもらい、「妖霊大帝オドローム」に侵略されかけているユミルメ国を救う伝説の剣士ノビタニヤンとして冒険する。
しかし、ドラえもんも気づいていなかった。この冒険、この夢世界が単なる一時の夢ではないことに。

 

 

 

こんな話なのですが、単純に夢の国に飛び立った、ジャイアンスネ夫、しずかちゃんと協力して魔王を倒し、そして現実の世界に戻ってくる、みたいな終わり方でもないんです。

トラウマにもなりそうなストーリー展開のキーポイントがいくつかありました。

ドラえもん映画の中で、ほぼほぼ唯一、明確に主人公チーム(というか主人公の)のび太、しずかちゃんが一度死ぬ(竜の力で一度だけ生き返れる設定で戻ってくるけれど)

→結構はっきり、ちゃんと死ぬ。これだけでも子どもだったらちょっと怖いかも。

・最初の知恵の実の伏線が回収されないまま

→ブリキの迷宮の時のように、向こうの世界とあっちの世界、という明確な線引きがないせいか、この知恵の実が渡されている場面でさえ夢?と感じさせられる。結局最後までこの怪しい人物の伏線はあまりきちんと回収されません。

のび太たちの手助けとなる向こうの世界のキーキャラ(ゲスト)がいない。

→案内人はドラえもんが夢見る機のキャスト設定でセッティングしたしずかちゃんがやってくれています。(でもしずかちゃんは夢幻三剣士としても活躍しているので、あれ?しずかちゃんはどっちを自分として夢見ているの?とも)

・ラストの大団円でジャイアンスネ夫がいない

→いつも最後までみんなで冒険するのに、ジャイアンスネ夫は途中棄権してしまいます。

・最後に夢から覚めて、学校にしずかちゃんと向かうシーンで終わるけれど、その最後に出てくる学校の絵が、夢の世界と融合したような絵になっている。(しかも夢の途中で夢見る機は未来の業者によって回収済みのはずなのに)

→この絵、めっちゃ怖いです(笑)子どもの頃、どんな気持ちで観てたんだか、思い出せない。もしかしたら、理解できていなかったのかもしれない。

物語はここで終わり。追記も何もありません。ハッピーエンドに見せかけて、ぜんぜんハッピーでもない感じが尾を引いて、ある意味忘れられない作品となっているのかもしれない。子どもの頃はこれが途中だと思って、いつもラストまで観ていない、という気分だったから、ラストってどうなるんだっけ?って思っていたのかも。

 

うわあ、違和感、と思いながら観終わった後ググってみたところ、藤子F不二雄自身が『長編の組み立てにした失敗作』と言っているようです。

しかしながら、夢だからこそ破綻していても、「そういうもんか」という姿勢で観ることができるが故に、最後まで観ることができる映画になっているのかもしれないです。もちろん子ども向けのストーリーとしては絶妙な破綻状態で終わることになり、そこが夢っぽくもあり、言い表せない怖さと、なぜか何度も観てしまう魔法を私達にかけているんじゃないかと感じました。

 

「よくわからなかった」と一言で片付けられそうな映画かもしれないけれど、破綻しているが故に惹き付けられる部分もあり、

藤子F不二雄先生は、「失敗した」って言っているけれど、破綻しても尚、エンターテイメントとして人を惹き付けている辺りは、やっぱり藤子F不二雄先生天才か、とも思ったりします。

いや、普通にこれはこれで面白いよ、先生。

 

 

【妄想】もしも今、自分が高校三年生だったら考える、受験に対するあれこれについて

 

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2月も気がつけば中盤を過ぎて、中学生も高校生もいわゆる受験も佳境に入る時期なようです。最近カフェに行くと、最後の追い込みのように真剣に勉強している受験生の姿を多く見かけます。

大学が全入時代になったとは言え、この先生がいるから行きたい。こういう仲間がいるところで学びたいから、都会に出たいから、色んな理由でそれぞれ志望校があって、その目標に向かって精神を削っている最中だと思います。

 

私は受験からそろそろ1×年の月日が経過しようとする今、もしもこの時代に自分が受験をするとしたら、もしくは今の自分が10年前に戻るとしたら、こういう選択肢を取りたい、という妄想をしてみました。

 

過去の自分の選択は変えられませんが、自分は色々あった末、背水の陣で国立大学を受験し、ギリギリ後期試験での合格を果たしました。

もしも落ちていたら浪人かな、とぼんやり考えていましたが、社会人になった今なら日本で浪人という形は取らないかな、と思い始めました。

 

じゃあどうするか。今の自分だったら留学を考えます。行き先は東南アジア。タイなんかを狙いたいです。

 

ここで大事なのは、自分の人生の目的、そして生きていきたい方向性、さらに自分自身のスペックです。

もちろん18歳やそこらで、人生の目的なんてそこまで定かじゃないし、スペックの伸びしろもまだあと少しあるでしょう。けれども、好きなことだったり、自分の趣向っていうのは何となく見えていたりもします。

外交的なのか、内向的なのか。特筆して好きなことがあるのか、ないのか。

 

私自身のスペック、性格としてはまず、

・勉強は好きだけど苦手。努力の才能はそれなりに神様からいただけたようで、努力の総量でみんなと勝負している。けれども理解力は本当のトップ層には及ばない

・根性はあるけれど、分かり易い特筆して好きなことで輝いた経験もまだない。(全国レベルで戦える能力が18の時点でまだない)何かのスキルで差別化が必要

・出かけたり新しい物を見ることが好き。ビルゲイツみたいな金持ちになりたい願望はない。人の役に立ちながら、自分が楽しいと思うことをして生きていきたい(=経済的野心は薄く、社会貢献欲求の方が強い)

 

現実の私は大学に合格したので、そこで様々な資格を取りまくりました。海外で働きたい欲求もあったので、海外でも通用しそうなスキルを磨きました。

 

合格しなかったのであれば、その資格は大学でしか取れないので別のルートを考えなければいけません。正直今の時代、浪人してまで行く価値のある大学、もしくは学部って日本には少ないかな、とも思います。

というわけで今の私のスペックなら、確実にタイ他、東南アジアを狙いたい。

理由は以下の通り。

・入学までに英語をとりあえず勉強する。ネイティブの間で揉まれなくても、しゃべれるようになれば後で鉛は直せる。というか、元々純ジャパなのだから日本なまりは基本的に残る。

そうすると、仮に向こうで大学に入れない事態が置きても、今の時代英語ができたら何かしら仕事はある。それに日本では英語ができる人に対して優しい受験制度になっているところが多い。

・運良くタイの大学に行けたらタイ語も学ぶ。これから発展する国の言語が分かるというのは、現地もしくは日本で絶対ほしがられる。何かしらで。言語はやっぱり強い。自分の理解力が乏しくても、実際に住んで、仲間をタイ人で囲んだら自然と学べる。

・日本より物価が安いので、住むのにお金があまりかからず、親の財布にも優しい。

 

 

と、今の自分だったら考えているかもしれません(笑)

最近LIFESHIFTという本を読み進めているのですが、今若い人ほど、人生の時間はこれまでの先人達よりもはるかに長くなる人が多いです。60歳なんて通過点な訳ですね。 

大学だって一度行けばいいもんでもなくなりそうです。

ただ、大学は大学で面白い場所です。大学に行って思ったことの一つが、ここは仲間作りの場だ、ということです。仲間がたくさんできます。

けれども、ネットが発展した今、自分自身が面白い人間であれば、どんな大学出身の人とも繋がることができる、というのもまた事実です。

最近は海外の有名大学出身者の知り合いも増えてきました。みんなめっちゃ頭良い。

けれどもありがたいことに、自分がやっているプロジェクトだったり仕事だったりに、知恵をたくさん貸してもらっています。

私自身は特に勉強もできないし、何かができるという目に見える悪魔の実的な能力はないのですが、常にやる気と主体性は持ち続けています(笑)

そしてこのモチベーションを維持し続けられていることこそが自分自身の強みでもあったのだなあ、と受験から1×うん年たった今、やっと気がつくことができました。

 

受験期というのはどうしても、よくも悪くも勉強だけに目がいきがちです。偏差値の高い大学に行った人間が偉いようにも見えます。

もちろん偏差値が高い大学に行く価値はありますし、偏差値が低くてもそこでやりたいことがはっきりしているのであれば、自分にとってはものすごく価値があるということになります。

けれども、大学に行けさえすればいいという価値が低くなった今、受験期も就活と同じくらい自己分析が必要な時代になってきたのかもしれません。

何の為に行くのか

考えてみれば、これは大人になってもずっと続く永遠の問いですね。

何の為に生きているのか

けれどもこれだけはいえます。

悩んでもがいた分だけ、人生の色は深みを増して、楽しくなる。と。

 

 

 

オンライン英会話を始めて約半月、効果と日本の英語教育について考えさせられたこと

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logmi.jp

 

早いもので、オンライン英会話『ネイティブキャンプ』を始めてそろそろ半月が過ぎようとしています。一週間過ぎたなあと思っていたら、もう半月も経とうとしているんですね。

kuro-yan.hatenablog.com

 

頻度としては、土日以外の平日の朝は毎日1回。基本的にやっています。土日でも一人の時間が取れたときには1、2回やりました。

最初の頃は使い方をよくわかっていなかったのですが、最近はレッスン前にテキストを全部自分でさらってみて、質問を2つほど考えてからレッスンに望むようにしています。

どんな学習でも同じですが、自分が主体的になることで学習効率は驚くほどアップします。(質問をもつ、というのはとても簡単に自分を主体的な状態に落とす方法の一つです)

15分〜30分で予習をして、30分レッスン。終わった後に新しく知った単語があればそれを自分のページの単語ノートに登録+スケジュール管理もしている自分の手帳に書き込んでいます。

スケジュール帳を開いたときに、実際に使った単語が目に付く回数を増やして、語彙力を上げていこう、と自分なりに考えた方法です。

(やっぱり活用+目に付く回数を増やす、というのはどんな学習方法でも効果的ですね)

 

 

そんなこんなで英語にも慣れてきたせいか、喋れる内容も増えてきてレッスンは楽しくなってきました。

特に予約をしないため、毎回違う先生にしているのですが、おかげで毎回フリートークになったときに、スターウォーズが好き、とかJAZZが好き、とかアカペラが好き、とかそういう話しが何度もできてテンションが上がります。

同じ先生だと、同じ話題をさらに発展させることになると思うのですが、ちょっと私にはまだまだ高度です^^;

しかも毎回、それを言いたいならこういう言い回しが良いよ、というアドバイスをもらえて、そのメモを練習して次に望むので、毎回スターウォーズを語る英語力は確実に向上しています(笑)結果オーライです(笑)

 

 

英語力が上がったのか、と聞かれたら上がったかどうかはよく分かりません。が、能力として英語を使う力は着々と付いている気がします。

半月の変化をまとめてみたいと思います。

 

・瞬時に使う相槌の表現力が向上し、会話のキャッチボールができるようになってきた

日本語でも会話をしていて何気なく使う言葉、「それでー」とか「多分」とか「なるほど」とか。そういうちょっとした相槌というものが、自然と出てくるようになりました。

短いフレーズだし、一番良く使うせいでしょうか。これは相手が喋っているのを観察する+夫が喋っているときに多用している単語を真似することでなんとなく習得できてきた気がします(笑)

 

・単数か複数か、doseかdoかなどを瞬発的に脳が判断できるようになってきた

これ、大きい気がします。

読み上げたりとか、文章中で選択するとかだったら、単数か複数かdoかdoseかなんて中学英語のないようなのでチョロいのですが、これを会話の最中にやろうと思うと、考えてしまって会話のテンポが悪くなるし、ノリで話しているとすっかり忘れて、ごちゃごちゃで話していたりしていました。

これが考えなくてもすっと出てくるようになって来た気がします。やっぱり毎日ちょこっとでも続けるって大事なのかもしれないですね。

 

・次、こんなこと話したいけれど完了系っぽいな、とか自分で例文を複数調べて、どっちが正しいか聞くことによって、細かいニュアンスが分かってきた。

こういうときはこういう言い回しがいい、って結構あります。未だに日本の英語の教科書にはThank youのあとってYou're welcomeとか書いてありますが、結構偉そうな言い方になるらしく、ネイティブはあまり使わないようですね。

その他にも、こう言いたいけどこの言い方あってるのかな?みたいな時は、複数例文を言って、どっちがよりこの場合はいいか、教えてもらえるので、実践的な英語が学べているなあ、という感覚がものすごくあります。

 

 

そんなこんなで英語力を身につけていると、日本の義務教育での英語教育って何だったんだろ、と思います。

もちろんいい面もあります。それはグラマー(文法面)。大学に行って英語の論文にぶち当たっても、喋れなくてもとりあえず読めれば戦えます。論文は書けます。(練習しておかないと、発表時に死ぬことになるけれど)

でも、全員が研究者になるわけではないし、英語の本を理解できるのも大事だけど、英語の動画をきちんと聞けたり、友達と会話できることもすごく大事だし、もっとそういう部分を強化してもいいのになあ、と思います。

 

小学五年生からの英語教育義務化が始まりますが、早ければ喋れるようになる、わけではないとも思います。

(もちろん喋れるようになるという意図だけでなく、小学生からやる意義というのは文化理解という側面が大きいので、多様性が広まるこれからの未来において、意味はあるとは思いますが)

大人になってこうして真面目にオンラインスクールで学んでそこそこ話せるようになるのであれば、やっぱり根本的なやり方さえ変えれば、日本人はもっと喋れるようになるんじゃないかとも思ったり。

(意外とそれは政府が狙っていないのかもしれないので意図的にやらない、ということも考えられますが)

 

あとはマインドの問題でしょうか。外国の方なんて、「にんじゃ!」「すし!」と言えるだけで、俺日本語話せるんだぜどやあ!って顔しています。

日本人もそれくらいのマインドで行けば、実は結構しゃべれるって言っていいんじゃない?

 

というわけで最後は私のアイドル、ヨーダの言葉から。

「やるかやらぬかだ。試しなどない」

 

人生で一番嬉しかった表彰は、私に『大人の世界の道理』を教えてくれた

今週のお題「表彰状」

 

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表彰されたこと、ある?

幸せなことに、子どもの頃からちょこちょこと表彰される機会がありました。習字もピアノも習っていない、水泳やミニバスはやっていたけれどスポーツは得意な子がわんさかいるど田舎で、私が表彰されることが多かったのは作文の分野でした。

本好きで語彙力が高かったことと、田舎ということで競争率が低かったことがプラスに働いたのだと思います。

 

けれども、人生で一番嬉しく、記憶に残った表彰は作文の分野ではなく、中学の部活動でした。

 

中学の頃、部活動はソフトテニス部を選びました。元々バトミントンが好きだったのですが、ラケット競技はソフトテニスしかなかったのでソフトテニスを選ぶ、(高校でバトミントンをやるためにラケットに慣れておこう、みたいなことも考えていた)という理由でしたが、楽しかったので割と上達しました。

 

小学校までミニバスをやっていて体力の基礎は合った上に、小さい学校で文化部がない状態のうちの中学は比較的運動が苦手な子が入るのがソフトテニス部だったのもあり、やる気にみなぎる私は同学年の中で自然とみんなを引っ張る存在にもなりました。

他にも、近所に住んでいるおじいさんが、実はシニアで現役でも活躍しているすごい人(たまに海外の大会にも出ていた)で、数年前からコーチに来てくださっていた幸運と、

運動は苦手でも、学年の賢い子が集まっていたため、ひたすら戦術を研究したり、練習方法を自主的に工夫したり、切磋琢磨しあえる環境

というものが重なって、郡部の地区大会(といっても郡部にうちともう一つしかソフトテニス部がないので2校対決)では常勝。県大会ではそこそこ勝ち上がれる、くらいのチームでした。

人数が自分たちの倍以上いる学校に勝つときはいつも気持ちよかったことを記憶しています(笑)

 

 

ただ、私が三年生になるとき、状況は大きく変わりました。

まず、学校が統廃合によってこれまでとは違う環境になること。(ただしソフトテニス部は自分たちの学校にしかなかったため、部活の合体は起こらず)もう一つは、市町村の合併で地区大会が、大きな市の大会になることでした。

これまでよりも県大会にでるハードルが大きく上がったのです

ハードルが大きく上がった、というのも、当時はものすごく大きく考えていました。というのも、学校が田舎にありすぎたのと、強い印象は持たれておらず、練習試合等をお願いしても断られ続けて、私達は大会以外の練習試合をほとんどしたことがなかったのです。

 

実際に統合してからも大変でした。校庭ができていないのに統合してしまい、多くの部活動はそれぞれ市が持っている河川敷まで走っていって練習する等、……ソフトテニス部もコートできちんと練習することが中々できなかったのです。

それでも元々地域で練習試合を多くこなし、強豪とされている部活動は、活動先まで優先的にスクールバスを回してもらえたりしていて、ここで私は、実力あるものとないものの差、というものを突きつけられたように思いました。

もちろん先生に直談判もしてみたりもしましたが、効果のほどはなく、私達はこれまでの三年間至上、最も悪いコンデションの中、市大会を迎えました。

 

結論から言うと、市大会では、大会関係者いわく、大番狂わせの結果となりました。

団体戦は準優勝。それでも決勝戦では、県大会で決勝まで行くようなチームと競り合いました。

個人戦では部長でありキャプテンである私は優勝。三位にも私の学校の組が入りました。(ちなみに途中で同士討ちになっての三位です)

市大会ということで、長い長いトーナメント戦を勝ち上がって、最後の頂点に辿り着いた気持ちよさは今でも忘れられません。

しかも準決勝の同士討ち以外は全てストレート勝ち。0点ゲームもありました。決勝戦も圧倒的だったのです。

 

表彰された時、親ももちろん喜んでくれましたが、一番喜んでくれたのはコーチだったかもしれません。

コーチは絶対に怒鳴らないコーチで、ソフトテニスをまず楽しむことが大事、ということを常に言い続けてくれた人でした。

相手校のコーチが怒鳴りまくりの人とかもいたので、コーチは自分が信じてきた指導が間違っていなかったことを確信してくれたと思います。

また、様々な人達への感謝の気持ちも自然に湧きました。とりあえず合併した範囲が広過ぎて、市内の大会なのに会場まで車で2時間ほどはかかる道程。(電車は田舎なんでないです)朝が超絶早く、それだけでも親に感謝です。

他にも人数が少ない故に応援していも1回戦なんかは肩身が狭い思いをしていたりもしていました。

体育会系の方なら分かるかと思いますが、人数が多い、かつ中途半端に強豪なところの保護者 はなぜかすごく会場で幅をきかせていたりします(笑)

勝戦でさえ、人数が多い相手チームが周囲を囲んでいたので、その間からうちの親はひっそりと同じチームの親と見ていたようです。

それでも応援に来て、車の送迎も出してくれて、と色々やってくれていた母には本当にありがとうの気持ちでいっぱいになりました。

これまで2校としか戦ったことがない地区大会でもらっていた賞状よりも、とても重たく感じましたし、市大会としては第一回目だった大会の初代チャンピオンになれたこと、そしてこれだけの人数の頂点というのも初めてだったので、自分の中ではそれだけでも忘れられない『表彰』でした。

 

 

けれどもその後の状況で、私はより、この『表彰』が忘れられないものになりました。

まず、県大会でも強豪の学校を打ち破っての個人戦優勝は、翌日割と大きめに地元の新聞に載りました。

休みが明けて学校に行くと、色んな先生方に声をかけてもらいました。

さらに校長先生にも直接声をかけてもらい、今後はスクールバスも優先して乗せてもらえるようにもなりました。

さらに次の日から学校に練習試合の問い合わせがわんさかくるようになったのです。

 

嬉しい気持ちと同時に、結果を出すことの大切さを、身を以て学んだような気がしました。

結果が出てから手のひらを返すように優しくなった先生方に対して、特に怨念のような気持ちはありませんが、世の中って単純だと思うと同時に、シビアだとも感じました。

 

 

世の中もちろん、必ずしも結果だけではないです。過程に価値があることだって山ほどあるし、その過程の価値が結果をひっくり返すこともままあると思います。

それでもやっぱり結果というのは強いです。

話は大きくなりますが、オリンピックの舞台というのはそういうことがたくさん起きるなあ、とも思います。

フェンシング銀メダリストの太田選手も、メダルを取ったときはニートで、職が欲しい旨をインタビューで語っていたことが印象的でしたし。

今回だと、高梨選手に向けられていた大人達の目がなんと厳しい(でもスポンサーの意向だよね、基本。とも思ったけれど)ものだろう、とも思いました。

 

私自身が経験したことなんて、オリンピックなんて遠く及ばないたかが市大会レベルの話ですが、それでも強く「結果」の強さを考えさせらた、

私にとって、『大人の道理の世界』を学んだ第一歩でもある表彰だったなあ、と思います。

 

 

ズボラを極める自分が心がけている、オシャレの『かきくけこ』

 

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日記にズボラ、ズボラと書きすぎて、将来のひ孫に、「ひいおばあちゃんはとことん面倒くさがりやだった」と思われそうだなと、ふと思いました(笑)

 

最近は、「面倒くさがり」「ズボラ」というよりも「合理的」なんじゃない?と友達がポジティブに言い換えをしてくれてちょっと嬉しくなったりしています。

「ズボラ」の極みとして、私はあまりファッションに時間をかけたくないと思っている節があります。服を選ぶ時間は最小限にしたいし、お化粧を長い時間するのも面倒くさいのでとにかくミニマム化したい。

けれども、綺麗になりたくないわけではありません。海外ドラマを見てはこんなクローゼットいいな、とも思いますし、街を歩けば靴や鞄だって欲しくなったりします。

 

また、対人と仕事をする時、やっぱりカッコいい人、素敵な人と仕事をしたいという気持ちがあります。もちろん見た目だけで中身がないのは本末転倒ですが、中身をきちんと磨きつつ、見た目も格好良くありたいものです。

その点「制服」がある人達って、それを着こなすだけでそう見えるのっていいですよね。看護師さん、消防士さん、警察、スーツを着るサラリーマンも。他、お坊さんや神主さんなんかも。

 

「私服の制服化」というワードは、結構ミニマリスト界隈で話題になる言葉の一つかな、とも思います。

私服を制服化すると、

・クローゼットがすっきりして衣替えをする時間を取らずにすむようになる

・一つ一つの服の管理や手入れが楽

・コーディネートに迷う時間が少なくなる

と、小綺麗な格好をしたいけれどさほどファッションに興味がない(そこにそこまで時間をかけたいと思っていない)という人には結構いい効果が生まれます。

また、服を買いにいくときに、どんな服が必要か、(欲しいか)とか、すっきりしている分何が足りないのかも見やすいので、余計に買いすぎることもなく、お財布にも優しいです。

また、かのスティーブジョブズや、ザッカーバーグなども毎日着る服を決めてしまうことで、ファッションにかける時間というものを自分の好きなことにあてていますね。

 

しかし、さすがに毎日一緒はなあ、とか。

女子だし、ちょっとはおしゃれしたいしな、とか。

女子的なわがままを詰めていって、私の中で自分なりのマイルールができました。その名も、『オシャレのかきくけこ』

 

 

『か』・身体を知る

私は身長の下二桁と体重の数字が同じ位、というちょっとぽっちゃり体型です。自転車やマラソンが趣味なので、同じ体重の人よりは筋肉量が多く、締まって見えるかもしれませんが、少なくともスレンダーではありません。

高校生くらいまではこれが結構コンプレックスでした。ネットで色んなダイエット情報を検索しては試し、を繰り返していたこともあります。(おかげで色々な食べ物の栄養について、詳しくなれた気がします(笑))

けれども、大学生になってフィンランドに旅行しにいったときに、その概念が大きく変わっていきました。

欧米系の人たちは、スレンダー美女もたくさんいますが、日本を含めたアジア系と比べるとみんな身体が大きい人がとても多いです。それこそ日本人より圧倒的にふくよかな女性が多いと思います。

私自身もぽっちゃりだと思っていましたが、欧米系の人たちと並んだら、割と小柄とも取れるポジションになりました。

その時彼らをみて感じたことは、自分の身体をどうしたら一番美しく見せられるかを、よく研究して、似合う服を着ている、ということでした。

私を含め、日本では「服を着れるようになる為にダイエットをする」という発想がものすごく多いです。もちろんああいう服をかっこよく着こなしたい、という欲求は素敵ですし、頑張れる人はがんばってみるのもいいと思います。

ただ、ここで私は、「服に自分を合わせるのではなく、服を自分に合わせる」という発想を学びました。

そこで必要なのが、「身体を知る」ということでした。重要なのは体積の量だけでなく、身体の形や、手足の長さ、自分の肌の色合い、など。

私はお尻が大きいことがコンプレックスで、いつも隠れるようなチュニックの服を選んでいたのですが、隠すよりも出してしまって、色の効果で締まる印象を付けたり、パンツの形を選ぶことによって、同じ体重のはずなのにとてもオシャレにみえることが分かったりしました。

海外ドラマを見ていると、かならずぽっちゃりポジションの子が出てきます。そういう子の着こなしや、服のセンスも参考にしたりしています。(そう言う意味では、ほとんど同じような子しか出てこない日本の学園ものドラマってちょっと怖いですね)

 

 

『き』・着心地を大事にする

ファストファッションが主流の世の中、私もユニクロやGUは大変活用しています。けれども、どんなに形が合っていて、自分に似合っていて、安くても、着心地がなんか悪いな、とか納得できなかった物は絶対に買わないようにしています。

ファッションを仕事にしていたりする人は「オシャレは我慢」でいいかもしれませんが、普通程度にしかファッションに興味がない人としては、いや、寒かったら来たいし、暑かったら脱ぎたい。とか、「オシャレしたいけど快適に」くらいでいいと思っています。

着心地、というのは生地の素材という部分が大きく関係してきます。例えばうちの夫はTシャツやジーンズ等にはそこまでお金をかけておらず、ユニクロZARAを活用しているのですが、インナーシャツはちょっとお金を出して良い物を買おうという方向性になりました。というのもユニクロでインナーを買ってみたら、冬に静電気が酷過ぎたからです。気にならない人は気にならないのでしょうが、朝、ばちばちっという音を近くで聞いていると、やっぱりインナーは素材をみてちょっとお金をかけたほうがいいかな、と思いました。

私自身も、ちょっとチクチクする服、等は試着ではいいと思っても、結局長く着続ける中で、チクチク=嫌という思考に至り、せっかく買ったその服を自分で選ばなくなり、最終的にあまり着なかったりするんですよね。

 

 

『く』・靴こそお金と時間をかける

海外映画を見ていると、服はシンプルでも靴はみんなすごくオシャレな物を履いていたりします。以前洋装に詳しい人に話しを聞いた時、洋装は帽子から靴までトータルコーディネートをしてこそ。とおっしゃっていました。

和装にその伝統的な着方、着こなしがあるように、洋装もきちんと着こなしを学ぶことによってより洗練されるのは考えてみれば当然ですよね。

帽子と靴ならまず靴の方にお金をかけてみると、シンプルな服装が洗練された印象になるとのこと。

ただブランド物であれば良いという訳でなく、自分のカラーに合っているか、とか、履き心地も大事だとのこと。

お金だけでなく時間もかけて探したいものです。

 

 

『け』・化粧品は定期的にアップデート

女性に取って最大のネックであり、楽しみでもあるお化粧。私は正直、苦手です(笑)最小限にする為にはどうしたらよいか、というものを考えた結果、常に元の肌を美しく保っておくのが一番楽だ、ということに気がつきました。

年齢や季節によっても必要な成分は変わっていくので、私はLDKを1年に1、2度くらい、化粧水のところは特にチェックしています。

ちなみにお肌の曲がり角を迎えたこの冬から、もう少し保湿を強化したいと考えて、これを使い始めました。日本酒の匂いが結構強いですが、肌の調子はかなりよいです。昔からアトピーがひどかった肌の弱い夫も一緒に使っています。ドラッグストアで大容量で価格もリーズナブル。

 

 

『こ』・小物で個性を出す

めんどうくさがり、ずぼらな人間は、服で個性を出すよりも「小物」で個性を出す方が圧倒的に楽です。

どこかすでにここでしか買わない、というブランドを決めるのも一つの手ですが、色々なお店を回るのも実は楽しんでいる、という人にとっておすすめなのが、「小物」でしか個性を出さないと決めてしまうことです。必然的に服はシンプルな物を選ぶことになります。

けれども、服がシンプルだと小物一つで自分の印象を変化させることができ、海外旅行なんかに行くときも荷物が少なくなって楽です。(小物=ストール、ネックレス等のアクセサリー。服を詰めるよりもコンパクトです)

また、服は失敗したときにサイズなどもあって誰かに売ったり譲ったりというのも面倒がありますが、小物はサイズが基本的に関係ないので、その辺りも楽です。

私のお気に入りはobagの鞄。新婚旅行でイタリア・スイスに行ったときに気に入って購入しました。まだ日本には入ってきていないようですが、色鮮やかでエコで結構海外では話題になっているようです。

naturacart.com

日本から買おうと思うと高いですね(^^;)向こうで買った時こんなに高くなかった気が……

欧米圏にはお店がわりとありましたが、日本からだと近いところでハワイにもあるようです。

 

以上、私なりのオシャレの『かきくけこ』でした。

 

 

ズボラな性格ですが、今年はガーデニング始めます

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今年のやりたいことリストの一つが『ガーデニング

実家に畑は合ったものの、マメなお世話が必要だったお花系は一人暮らしのときに全滅させるというズボラっぷりですが、今年こそはチャレンジしたい。

というのも、我が家は戸建てなのですが、表玄関側が殺風景すぎて誰も住んでないと思われているのか、結構な頻度でゴミを投げ入れられているのです(泣)

そもそも道ばたにゴミ捨てんなよ、と思いますが、きれいなお花が咲いていたらゴミを投げ捨てられる事も憚られるようになるのと、景観も良くなるし、家に人がいる感を醸し出せそうだなあ……

と、なんとも合理的な理由です。

 

また、表だけでなく裏に小さい庭も付いていて、きちんと外に水道もあるし、昨年カンボジアに行ったときに買ってきたハンモックも活用したい(庭で使ってみたいと思って買いました。丈夫なのに超安かったので)

 

 

というわけで、さっそく「ガーデニング 初心者」でググってみました。

kinarino.jp

kinarino.jp

 

ふうむ。こういうお庭素敵。だけど私は初心者も初心者だし、なによりズボラだ。というわけで、検索ワードに「ズボラ」を追加してみて、ブログから検索しようと、グーグルではなくはてなで検索……

mushitomo.hatenablog.com

とても分かりやすくて素敵な記事を発見する事が出来ました!

そう!私も手抜きしたい!これだ!

 

鉢植えに植えた方がいいのかなあ、とか思っていたんですが、意外と地植えが楽なようですね。

 

家庭菜園ですが、こちらのサイトも中々分かりやすくてそそられる。そう、枝豆とかトマトとか、夏にビールと一緒に楽しめたら気持ち良さそうだよね。

pacoma.jp

 

ガーデニングの触りやイメージはついてきました。やっぱりどういう庭にしたいか、というイメージを最初に作るのも大事そうです。

 

というわけで私が作りたい庭のイメージについて考えてみます。

・手入れが楽

・食べられるものも植えたい(枝豆、トマト、オクラも育てたいけれど日当りスペース的に厳しいかな)

・Gが苦手そうなハーブを植えて、G避けもしたい

・屋外でビールが飲めそうなテーブルとかを置けるような庭

・そしてハンモックもかける

 

 

暮らしやすくする為に庭を手入れするって方向性になりそうです。

 

特にG対策に有効というキャラウェイは絶対に植えようと思いました(笑)

自然と暮らす(ハーブ) キャラウェイ

ゴキブリ対策用ハーブはこれ

 

クミンもG対策に……なんだかG対策ばっかりだなあ(笑)

yasai-sodatu.net

 

さて、実際にこの2月という時期にできることって何なんでしょ。

調べてみると、一旦ハーブ系なんかは室内である程度育てて、って感じなので、ものによっては部屋で育てて植え替えても良いようですね。

 

そして何よりまず私の場合は草取りが必要そうです(笑)

いつか素敵なお庭を写真に撮りたい……

 

 

 

舞台を見に行って考えさせられた、芸術の楽しみ方

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芥川賞直木賞。年に二回発表される、文学の賞。

テレビで特集されるし、多くの人が名前だけなら聞いた事があると思います。

 

じゃあ芥川賞直木賞の違いは?

となると、あれ?どう違うんだ?となりそうですが、ざっくりとはこんな風に違います。

 

芥川賞

各新聞・雑誌あるいは単行本として発表された純文学短編作品中最も優秀なるものに呈する賞

 直木賞

各新聞・雑誌あるいは単行本として発表された短編および長編の大衆文芸作品中最も優秀なるものに呈する賞

 

 

ざっくりまとめると、

芥川賞が芸術性や形式を重視した作品に贈られる賞

直木賞が娯楽性や商業性を重視した作品に贈られる賞

というような意味になります。

 

 

さて、先日、舞台を見に行きました。新宿ゴールデン劇場にて講演されている「衣衣」という舞台です。

stage.corich.jp

 

音楽でも舞台でも本でもそうなのですが、その作品を理解する為に必要な知識がより必要になってくるのが芸術的な作品。

今回鑑賞した「衣衣」も分かりやすさはあるかなと感じつつも、どちらかと言えば、芸術的な部類に入る作品でした。

主に仏教の世界観が分からないと、台詞に出てくる単語の意味がちんぷんかんぷんになりそうです(笑)

 

 

どちらかというと大衆的な作品を見る方が楽だし、単純に面白いと思えるし、なんですが、久しぶりにこうした作品に触れて、たまにはこういうのもいいな、と改めて思いました。

芸術的な作品というのは、どこを切り取っても絵画のように美しいです。それは選び抜かれた言葉の一つ一つが、その場面で最も美しく見えるものが選ばれているからでしょう。

また、芸術的な作品が私達に与える感情が、一つに限らない、というのもまた面白いポイントなのかもしれません。

大衆的な作品でも、笑あり、涙ありなのですが、芸術的な作品からはいつも複合的な感情にさせられることが多いように思います。

哀しいけれど嬉しい気持ち、とか。

笑いたいんだけど怒りたい気持ち、とか。

とにかく複雑で、終わった後に、頭と心の中で悶々としてしまうこともしばしば。

 

ふと、こうして芸術的な作品から受け取る感情について考えたときに、あの映画を思い出しました。

ディズニーの「インサイドヘッド」です。

kuro-yan.hatenablog.com

去年のマイ10選にも選ばれておりました。

 

 

ネタバレになりますが、ラストで主人公の女の子は、単純な感情表現から、複数の感情が入り交じった感情を感じられるようになります。

思春期に突入して、感情が単純な物ではない事を受け入れる場面は、私自身が大衆的な作品だけでなく、純文学的な作品も受け入れられるようになれた過程のようにも見えました。

 

経験や他の人との関わりから学ぶ事によって、感じる感情がどんどん複雑になる。と同時に、単純な物ではだんだんと満足できなくもなってきます。

幼い頃、飽きもせず毎日読んでいた大好きな本でも、年を重ねると刺激が足りなく感じて、もっと高い感じる力が求められる作品を読んだり、鑑賞したりすることになるのは、多くの人が経験した事がある事かもしれません。

 

最近私はこの状態を音楽で感じました。

決まった音楽しか聞かない私の耳は、大学入学当初、難しい音楽は理解できず、普通のJ-POPばかり聞いていました。たまに聞く洋楽もコードが単純な物ばかりです。

もちろんそれでもいいのでしょうが、例えばJAZZの良さ、というのはほとんど理解できず、JAZZを楽しめる友達が羨ましくもありました。

子どもが楽しそうに遊ぶ大人を見て、楽しそうだけど何が楽しいのか理解できないな、みたいな気持ちと似ているかもしれません。

 

けれども、だんだんとJAZZを繰り返し聞くようにしていたら、耳が慣れてきたのでしょうか。久しぶりにJ-POPを聞いたときには若干の物足りなさを感じました。

 

これはJAZZに多用されているテンションコードによるものだということを知りました。一般的なJ-POP、他洋楽でもアイドルが歌っているような曲は単純なコード進行です。

すごくざっくり言うと、「ドミソ」みたいな綺麗な音が普通の曲には多いのですが、JAZZはいつも奇想天外な動きをします。「ドミソ」に違う何かが足されて、時にそれはものすごく気持ち悪いです(笑)気持ち悪いのに、ぞわぞわしたあの気持ちよさが止められない、なんて感情が生まれます。

これは刺激のレベルの違い、と言えるかもしれません。JAZZの方が刺激が強いのです。

今では私もすっかりJAZZが好きになりましたが、だからといって毎日死ぬほど聴きたいとも思えません(笑)

夫が、音楽はある意味で麻薬と一緒、と言っていたのですが、慣れてくるとその刺激じゃ満足できずに刺激を求め続ける。

けれども緩急を付けて、複雑な音楽だけでなく単純な音楽も聴く。

刺激が欲しいときは複雑なものを聴きたくなりますが、リラックスしたいときや、単純にテンションを上げたいときは、ロックやJ-POPが聴きたくなります(笑)

 

 

あれこれ話はとびましたが、芸術の楽しみ方として、日常生活にたまに入れるアクセントなんだなあ、とも思いました。

好きならどっぷり浸かるのもありかと思いますが、玄米みそ汁の生活に、たまにフランス料理が入るといい刺激や新しい発見があるのもまた一つ。

 

その際に、合うワインはこういうのかな、とか。この季節だからこういう調理法なんだな、みたいな知識があるとなお楽しい、というのもちょっぴり芸術に似ている……(料理も考えように寄っては芸術ですものね)

芸術という非日常も積極的に生活に取り入れて、心豊かに暮らしていきたいな、と思う次第です。

 

 

苦手な事しかやらない、というエンタメについて

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私は小さいときから音楽というものが苦手だった。

苦手だけれどもじゃあ嫌いかというとそうでもない。親に音痴音痴と言われ続けても、『おかあさんといっしょ』の歌のお兄さん、お姉さんに合わせてテレビの前では踊っていたし、おかあさんが大好きで家にあったSMAPのアルバムも聞いていた。

ただ、再現力はほぼゼロな上に、聞き分ける能力は皆無だった。歌を覚えるのも苦手で、いつ聞いても初めての気持ちだった。

歌を覚えられないのは幼稚園でも一緒だった。本気で、死ぬ気で覚えようとがんばらないと覚えられない。友達達があっさりと歌って、踊っている姿を見て、私には歌と踊りの才能が0なんだと、5歳にして悟った。

 

家での音楽環境は最悪だったかというとそうでもない。

母は幼少期からピアノを習っていて、ピアノを弾けた上に、家にもピアノが置いてあった。

結構良さげな大きなスピーカーがどどんと置いてあって、ピアノはもちろん、オーケストラもよく母は家事の合間に流していた。

その他にEnyaも好きで、不思議に重なる音は私のお気に入りでもあった。SMAPはドライブに行くときに、車の中で流れる音楽だった。しかもそれも母の運転のときだけ。

父が運転するときはもっぱらビートルズカーペンターズだ。

おかげで曲名も曲中の意味も知らないけれど、メロディーを口ずさめるビートルズの曲は多い。

とりあえず、生活の中に音楽はそれなりにあった。

 

けれども、BGMが流れるようなお店に行く事がほとんどない上に、一度聞いただけじゃ音楽を覚えられない私の才のなさも重なって、最新の曲はほとんど覚えられなかった。そのせいか、流行の曲、というのもあまり耳に残っておらず、テレビで懐かしの曲ベスト30で紹介されまくった、美空ひばりとかももえちゃんとかの方が耳に残っている。あなた、何年生まれなの?とたまに聞かれる。

 

弟も音楽が苦手そうだった。音痴だし、楽器も苦手だ。

けれども母と父は違った。歌はうまいし、家族でカラオケにいくと、父と母は大体90点とか出すけれど、私と弟はそりゃ酷い。いつしか私と弟が歌うときには点数を付けるモードにはしなくなった。

私も友達とカラオケなんてほぼ行かないけれど、多分弟もそんなに行くタイプでは無くなった。

 

かといって体育が得意だった訳でもないけれど、音楽ができないから体を動かす方を頑張った。とりあえず、長い距離を走ったり、時間をかけてトレーニングをすれば結果がちゃんと出る。分かりやすかった。

音楽はどうしてできないのか、理由が分からないし、上手くなるなり方も分からなかった。

 

けれども私の音楽に対する憧れと、できるようになりたい欲求は収まらなかった。苦手だけど、できないけどやってみたい。

中学は市大会で優勝するまでの結果を出しながらも、密かに高校では中学ではなかった吹奏楽部に入る計画を立てていた。

学校の生徒の人数が少な過ぎて、文科系の部が1つしかなかったのだ。しかもそこは不登校になりがちだった子たちの救済部活動みたいな感じだった。つまりほぼ帰宅部だ。

となると中学校は運動部のみ。しかも4択。男子は3択だったからまだマシか。

とにかく体を動かした。

 

高校に入って、吹奏楽部の見学に早速行った。

みんな中学からやっているから上手い子ばかりだけど、先生が教えてくれるならなんとかなるだろうと思っていた。

が、しかし。母が猛反対。

小規模学校で育った私には分からないだろうが、早い子は小学校で鼓笛隊というものをやる。レギュラーも取れない3年間になるだろう、という言葉

そして楽器って金かかるけど、その投資分に有用性はあるのかという言葉

 

ちょうど中学のときの結果を知った上級生から猛烈なアピールをもらっていたことにも背中を押されて、私は中学のときにやっていた部活をそのまま高校でも続ける事になった。弱いチームではなかったけれど、一年生にして即レギュラーとなって、大会でもすぐに結果を出したから、結果としてはよかったかもしれない。

自分が必要とされていて、自分の力を発揮できる場所に行くというのは社会では大事な事の一つでもあるかもしれない、とこの時学んだ。

 

大学に入って、満を持して音楽系のサークルに入った。

後から物足りなくなって、結局自転車部にも入る事になるんだけれども、それでも四年間音楽に触れた。

けれども、みんなが簡単にできる事がすぐにできないのはやっぱり一緒だった。

教えてくれる先輩はいたけれど、私はそういうレベルでもなかったようだ。

それこそサークルには教育学部で音楽を専攻しているような、それこそ音楽を教えるセミプロのような先輩達もいたのに。

 

しかし、私はついに自分で先生を捜し始めた。

東京にはいるかもしれない、とサークルに音楽を教える先生を招く企画、と称して先生を呼び、その企画の首謀者として先生と仲良くなって、色々な事を尋ねた。

後にそれはサークルにとっては財産となったようだ。今でもきちんとした先生に教わる文化を残せた。

私はといえば、ちょこっとマシにはなったものの、上達した感というものはほとんど感じられずにいた。

そして、普段は普通の会社員、たまにボランティア的に先生をしたりしていた人と結婚するわけだけど、そうしてマンツーマンの状況になってもお手上げをされた。

そしてボイトレを勧められて、現在だ。

ボイトレをきちんとした先生にお願いしようと思うと、結構お金がかかる。そこまでして歌えるように……なりたいのだが、それはもう少し自分の収入が伸びてからかなあ、なんても思う。

なんせ現在、趣味で自転車、マラソン、習い事としては英会話。そして土日は切り絵もやるし、ガーデニングも好き。

お金というよりも時間の方がないかもしれない。

 

夫にはたまに聞かれる。

どうしてできないこと、自分にとって苦手な事をやろうと思えるのか。

私があまりにも音痴だし、グルーヴ感もないし、つまりセンスの欠片もない、という言葉がとても似合うのだが、あきらめないからだ。

(そしてたまに、どうしてこんなに音楽が好きなのに、音楽が出来ない人と結婚したんだろう、と笑いながら話す。彼は普通の会社員だが、絶対音感相対音感もあるし、彼の家族には音楽で生計を立てている人が多い)

 

たしかにそうだ。

私がやりたいと思った事のほとんどは、自分にとって苦手な事が多数だった。

高校を卒業するまでの18年間は自分の苦手と向き合ってきた18年間でもある。

そもそも一番好きな事は読書。図書館に引きこもるのが一番好きで、作文が得意だった。

けれども動きがどんくさいのが嫌で、突然ミニバスに入ってみたり、その流れでその後は体育会系の道をまっしぐら。

音痴で楽器も一つも出来ないのに音楽サークルに入る。

 

一体何の苦行なんだ。

 

けれどもある意味、ものすごく楽しい時間でもあった。

やるときには迷いなく最も初心者のクラスを選べば良いし、底辺だと思って入るからへんなプライドもなく教わった事をそのままやる。(よく素直だと言われたけれど、それ以外に何をしたら良いのか自分で分からないとそのまま先生の言われた通りにやるしかない)

それ以下になることはないので、技術は基本的に上昇しかないのもある意味楽しい。自分が出来ない事をやるということが、いつしか自分の中での最大の生きる上でのエンターテイメントになっていたのかもしれない。

すごく刺激的なのだ。

そしてそれ以上に刺激がある事、というのが案外世の中には少ない。

映画を見たり、劇を見たり、そういうのももちろん素晴らしいエンターテイメントなんだけれども、やっぱり一番ワクワクしてスリルがあるのは、自分自身の人生を舞台にして動き回ることなんだろうな、

 

なんてことを、エンタメについて考えていたときにふと思いました。

 

 

モーニング娘はやっぱり伝説的なアイドルだったんじゃないかと思わされた

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※私はアイドル初心者です。モー娘。メンバー全員言えないくらいアイドル初心者の私が初見で思ったこと。

 

先日だっただろうか。モー娘。の新旧メンバーが一同に会して、昔やってた企画とかの再放送をやっていた。

私はアイドルにあまり興味がなかったので、メンバーの名前とか、有名な人でさえもよく分からず、名前は聞いた事あったけどこの人が本人だったのね、くらいな認識だ。

それでも旧いメンバーは大体名前を知っている、みたいな人も多かったので、全くアイドルに興味がなかった私でさえ名前を聞いた事がある、という意味でやっぱりすごいなとも思ったし、現役モー娘。メンバーには応援の声を送りたい。(誰も名前を知らなかった)

 

そんな中で、旧モー娘。がかなり身体を張っていた事がよくわかった。

多分、SMAPを始めとするジャニーズがアイドルなのに体を張り始めていたせいもあるのかもしれないけれど、モー娘。もかなり体を張っていた。芸人並みに面白いコントに、思わず笑ってしまうとともに感動してしまった。

 

だって、モー娘。って結構歌も、ダンスもうまい。

ぶっちゃけAKBとかは、上手い人は上手いけれど、メンバー全体の上手い人の割合、みたいなのでいったらもうモー娘。の方が圧倒的だった。

クラスで10番目っていうコンセプトらしいから、いいと思うけどね。

アイドルだからそこは特段、かわいければいいかなって思うけれど、モー娘。はそれなりに可愛くて、歌もダンスも踊れるのに体も張っていたのかと思うと、色々問題はあっても、みんな根性座ってたんだな、と思わせられた。

だからこそ、今バラエティーで生き残っていたり、ママアイドルとして一定の地位を築いていたりしているのかなとも思った。

苦労したり、全力でなにか取り組んだ事がきちんと糧になっている一例のように見えた。

 

しかも今思えば、モー娘。の全盛期はバブル崩壊後の冷えきった日本経済状況下だ。

お金はいつでもどこかにはある、とはいえ、みんながお金がない状況で、アイドルに金をかけるって相当何かがないとかけられないし、それぞれファンはなけなしの銭だったんじゃなかろうか。

景気が悪い時ってアイドルなんて下火になりそうだけど、以外とそういうわけでもないのかなあ。

けれど、スポンサーとかはバブルほど羽振りが良くなさそうだし、そういう冷えきった日本を元気にしてくれたという意味では、やっぱり伝説的なアイドルだったのかもしれない。

 

なんとなく風が刺さらなくなると、そろそろ冬の食べ物が食べ納め

 

最近肌に吹く風が、突き刺すような寒さではなくなってきたように感じます。だんだん春に向かって季節が動いているんですね。

そんなこんなで食べ納めになりそうな冬の食べ物をリスト化してみて、2月に楽しめるだけ楽しみたいと思います。

 

その1.キムチ鍋

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真夏の鍋も良いんですが、やっぱり鍋は冬ですよね。我が家ではもっぱらキムチ鍋が多いです。キムチ万歳。

白菜に豆腐、豚肉、そして私がえのきが大好きでして、大量のえのきを投入します。鍋一つで栄養バランスも良いし、お腹いっぱいにもなるし、いいとこずくしの料理だなあ、とつくづく思います。

 

 

その2.鶏肉と大根の煮物

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夏に作れない事はないですが、放置して味を染み渡らせる行程を考えると、夏には怖くて作れませんね(笑)

鶏肉大好きな夫もお気に入りの一品。さっきもまた仕込んできました。明日の朝が楽しみです。

 

 

その3.おでん

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夏のおでんも乙ですが、やっぱりおでんは冬でしょう。ハフハフしながら熱燗とか最高です。私はちくわとか練り物系が大好きです。

 

 

その4.もつ煮

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ビールと相性抜群のもつ煮。最近家でも美味しく作れるようになってきました。我が家のポイントはジャガイモを入れる事。丸ごとごろっといれます。ほくほくしていて美味しいです。

 

 

まだまだ最後の冬を楽しみたいです。