くろやんの日記

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城は攻め落としながら見学すると楽しい

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しまなみ海道をぬけて、自転車も返して、3日目は松山。

松山の観光と言えば、松山城道後温泉!ということで2つとも行ってきた。

 

松山城は公園から自力でのぼっていく方法と、その反対側にあるロープウェイもしくはリフトを使ってのぼる方法がある。

 

今回は日本の戦国、江戸時代に詳しいメンバーによる、解説入りで足を使ってのぼった。なぜ足を使ったかというと、城がどのように攻め落とされるかを学びながらすすむためだ。当時の状況を現代の数値に置き換えながら行くと、VR眼鏡をつけていなくても当時の状況が目の前に想像できて楽しい。

 

実際松山城は二の丸と本丸の距離がかなり離れているところだ。二の丸と本丸が離れていると、敵に攻められたときに二の丸から本丸までの間に体勢を整えることができるというメリットがある。

実際歩くとその距離と、山を歩くのでかなり体力を使うことが分かる。しかも武器なんかももってのぼるのだから昔の足軽の人達は本当にすごい。

 

二の丸をスルーして本丸に行けば良いんじゃね?と思ったのだが、それだと後ろと前から挟み撃ちにされて部隊があっというまに死んでしまうとのこと。たしかに挟み撃ちは怖い。戻れなくなるのは怖い。

 

ただし当時から二の丸から本丸まで馬で走れるくらい幅があったそうなので、侵入はある意味されやすい構造ではあったとのこと。

 

行く先々で、鉄砲穴があったり、石を落とすところがあったり。ここで100人死にます。ここで300人使います。など、解説があったおかげでリアルに当時の様子を想像。人の命を文字通り消耗しながら戦争してたんだなーと感じることができた。

 

進むごとに弓矢やらなんやらで攻撃されるポイントがあるため、先頭の死亡率は高く、だからこそ一番乗りで城に入ると、めっちゃボーナスがもらえたらしい。

普段農民の足軽たちにとって、超リスクの高い副業みたいなもんだったようだ。解説者曰く、最初の門の所で、現在の換算で1000万円くらいもらえたそうだ。城の内部に攻め入り将軍の首なんかとってこようもんならボーナスは6億!今そんなもらえる会社はないね(笑)

 

一番乗りで城に入れてもそれを証言してくれる人がいるか、直接馬に乗っている部隊の偉い人にアピールしなければボーナスはもらえないので、周囲との人間関係づくりも大事だったようです。

 

そんな具合に城を攻め落としながらのぼったので、だいぶ松山城に詳しくなれた。次に違う城に行くときも事前に調べて攻め落としながら行ってみよう。

 

 

しまなみ海道で考える、「こんにちは」

 

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再びしまなみ海道ネタから。今回は2泊3日、出発尾道今治ゴール、からの松山、道後温泉にも立ち寄るグループ旅行。

2日目はついに広島県から愛媛県へと越境。サイクリストの聖地とか自転車グッズ、及びサイクルオアシスという名のコンビニ含め多くの休憩スポット。自転車の空気入れも置いてある。

さらに道の白線の隣にはずっとブルーのラインが引かれていて、しまなみ海道の道中は道に迷う心配もほぼない。通称ブルーラインというようです。

 

これなら外国から来ても手軽に行けるし、これは確かに自転車で走るには気持ちがいい。

 

しかし自転車の聖地と呼ばれると、どうしても比較してみたくなるのが北海道。あそこも大陸丸ごと聖地みたいなもんです。

そもそも道が広くて白線が本州の2、3倍の幅があって、路側帯はチャリが2台並走しても余裕なところが多い。(でも並走は基本的にはだめ)

路側帯が広いと、トラックとかに追い抜かれるときの圧力が緩和されて、走っているときの圧迫感がほぼない。こればっかりは土地がある北海道の完全勝利だ。山中かつメインではない道路に入ると車が少なくて走りやすいのも◎。

 

そんな中でしまなみを走っていて気がついたのは、走りながらこんにちはーと挨拶をする人が多いこと。これめっちゃ楽しい。

けれども、坂道を上って息切れしかけている人にこんにちはーと言っても苦しそう。そう、しまなみはママチャリで走っている人もいるので、そういう人はちょっと坂道辛かったりする。

道幅も広い訳じゃないから声で十分通じるんだけど、北海道なら自転車およびバイクはみんなピースサインをする。

ピースサインがこんにちは、の代わりなのだ。夏の北海道なんかみんなピースサインで挨拶し合っていて本当に楽しい。

自転車をこいでいて、バイクで抜いていくおっちゃんやお姉さんもみんなピースサインしてくれる。後ろを向きながらでもピースサインはできるから、なんともバイク乗りの人はかっこよくみえる。

チャリダーもかっこいいけどね。

 

車で走る人はやらず、自転車とバイクのライダーたちで交わされるこの挨拶は、本当に旅を特別にしてくれる。本州に入ってもうっかりピースサインしたくなるくらい。

 

しかし、しまなみにはピースサイン文化はなく、みんな声に出して挨拶していた。ちょっと本格的な自転車(多分自分の愛車)に乗っている人には、勇気を持ってピースしてみても良かったかなあ、と思ったり。

 

しまなみはしまなみで新しいポーズを考えても面白そう。

 

 

しまなみ海道、レンタサイクル利用の真実

 

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最近自転車の聖地、と言われているしまなみ海道に行ってみた。

普段はロードバイククロスバイクも乗りまくるチャリダーですが、今回は自転車初心者さんも含めた団体での旅立ったので、全員分まとめてレンタサイクルを利用。

中心になって企画してくれた人は別にいたけれど、私は自転車に詳しい人というポジションから自転車調達係を担当した。

 

調べ始めたのは4、5月くらいだろうか。

しまなみ海道レンタサイクルで調べると、きちんとした公式ホームページが出てくると同時に出てきたのがレンタサイクルの評価(口コミ)

良いも悪いも両方出てくれば良いのに、普段自転車に乗っているであろう人達の中ではかなりの不評。ブレーキの不具合、タイヤの劣化、エトセトラ。

あまりの不評に別のレンタサイクルを探してみるものの、やっぱり一番大きな検索トップに出てきたところが一番利便性はある。他と比較すると、やっぱり乗り捨てができるのも美味しい。

 

こんなに大きくできているのに、なんでこんなに不評なのか謎すぎて、これは実際行ってみて使ってみてだなーとちょっと思い始める。

 

団体とは言え全員気心がある程度知れた友達同士での旅だし、全員大人なのでいざというときはお金で解決も可能。(雨の日はレンタカーの予定だったし)

さらに、ギア調整、パンク修理、ブレーキ交換までができる人材が私を含め2人はいたので、最悪自分たちで直しながら、途中のサイクルステーションを活用しながら進もう、と口コミは頭の隅に置いて予約をした。

 

予約段階から、自転車に付属される装備は細かく確認。ちなみに借りた自転車は全てクロスバイク

確認したことは、荷台取り付けは基本的にされていないこと、もちろんクロスバイクなのでカゴはありませんということ、ドリンクホルダーは基本装備にはないけれど自分たちで持ち込んでつける分にはオッケーなこと、パンクの際は電話して頂ければ新しい自転車を車に積んでそこまで迎えにきてくれる対応もあるということ。ヘルメットの貸し出しがあること。

 

細かい質問にも丁寧に応えてくれるし、ネットの口コミはたまたまそれにあたった人だったのか?とますます疑問に。少なくともここまでの対応から地方独特の適当さみたいなものは感じられず、すごくしっかりしている。

 

と、ここまでは広島側で、自治体が変わって愛媛側は広島側と比べると地方独特の適当さというか仕組みが旨く作れてない感が若干でてくる。

広島側はどのサイクルステーションに連絡をしても確認と取り次ぎ、それができなければどこに電話すれば良いかとその番号まで丁寧に教えてくれたのだが、愛媛側はうちではできません、がしゃん、みたいな感じで切られてしまうところもあったので、その辺はちょっと差があったなーと感じた。

 

団体旅行でちょこちょこ確認事項がでてきて、当日までに5、6回は電話をしていたと思うけれど、出発の広島側は本当に丁寧な電話対応で、あの口コミは何だったんだろう、とさえ思った。

 

そして本番、旅行当日。予定では2日間借りて、途中の島で宿泊後、2日目に愛媛側で乗り捨て。

広島側で自転車を借りて、その口コミの意味がようやく分かった。

 

多分普段ママチャリしか乗らない人は気にしないポイントだと思う。

ただ、普段ガチなチャリに乗っている人は自分で調整したり直したりの対応ができるからいいけれど、トラブったらちょっとヤバいなっていう部分はあった。

 

まず貸し出すまでの書類の確認は大丈夫。サドルの調整もおじさんが手伝ってくれる。ただし、自転車の空気圧とブレーキの確認はほぼされていない自転車がそのまま貸し出された。

 

予約までして貸し出されるのだし、予約分で取り置いてある状態だったので、基本的な自転車整備が終わっていると、私ももう1人の自転車乗りも思い込んでいた。が、実際近くを試し乗りしてみたら、たまたま私の自転車が異様に空気が入っていない。

クロスバイクは空気圧が低いとママチャリよりも高確率でパンクする。しかもしまなみ海道は全部で70kmも走るのだ。初心者はそこまで出さない、出ないかもしれないが時速は30kmほど、原チャリと同じ位のスピードが出る。

初心者でも下り坂なら出るかもしれない。

全員に自転車を降りてもらって、私が空気圧のチェック!引っかかった人は借りたところまで戻って空気を入れてもらった。

 

ついでにブレーキもそのときチェック。全部ではないけれど、今回2日間なら大丈夫そうだけど、その後交換した方が良さげだな、というなんともギリギリのラインまでブレーキシューが削れておりました。

 

普段ママチャリだけの人だったら多分気にしないけれど、普段からこういうチャリで100kmとか走る人から見たら、確かに危険極まりない状態の自転車があったりして、そりゃ自転車乗りからの口コミ悪くなるわ、って思いましたよ。

だって近所のスーパーいくんじゃないんだもの。短い人でも20、30kmは走る道で、この状態の自転車は確かにあまりよくない。

 

しかもこういう自転車に普段から乗る人がメンバーにいて、乗る前のチェックを当たり前のようにしたから気がついたけれど、普段ママチャリだったら乗る前にチェックする習慣はほとんどないはず。本当はした方が良いけれど。

 

せめてブレーキとタイヤの空気だけは命に関わるから、貸し出すときに係の人がチェックした方がいいんじゃないかと思った。

 

ただし、言ったらすぐにその場で直してもらったり、予約台数より数台多めに確保してもらえているので同じ車種で交換してもらえたり、工具も貸してもらえるので、普段から乗る人は、点検さえすればあとの利用は本当に便利。

保証金は帰ってこないけれど返せる場所もたくさんあるし。所有台数が多いから団体旅行もばっちりだったし。

 

普段乗らない人は、試し乗りをその辺でしてから、ブレーキとタイヤの空気を確認してだめだったらすぐ係の人に相談して交換なり空気を入れてもらうなりして出発することを強くお勧めする。

 

というわけで、しまなみ海道1日目は景色は最高。レンタサイクルの口コミの真実が分かった1日目だった。

 

 

 

本当にプレミアムフライデーでいいのか

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最近ワークライフバランスという言葉が流行っている。働きすぎよくない、みんなもっと早く帰って自分の時間を持とうぜ、みたいな運動。

 

だらだら残っている職場には適切だけれども、経営陣の怠慢によりそもそも仕組みがうまく回っておらず現場の仕事量がそのままなのに早く帰りましょうはムリーという声もチラホラ。

 

実際今までより仕事が完遂される量を減らせば会社収益も減るわけで、回り回って社員の給料も減る。

 

そもそも残業というのをロボットに当てはめるのであれば、朝9時から5時までの稼働プログラムを組んでいて充電もそれしかしていなかったのに突然それ以上になるということ。
そこでロボットなら充電されたり、プログラム再設定(働く手法、場所の変更)がされる。というかしてもらえないと働けない。
そこを人間だから動けるよね、という人間最強説を唱える人たちの思想によって、何も与えられずにそれ以上を求められるというのが問題なんじゃないだろうか。

 

 

求めるなら対価を。これはビジネスだ。

 

 

けれどもこれは働く側にも当てはまる。最近の働く人たちは、働く前から会社に要求する。働いてもいないのに、あんたは給料これしかでないのか、とか。福利厚生をやたらと気にしたりする。会社に依存する気満々だ。

 

まず与える。これは会社は当たり前に持つべき思想で、給料も福利厚生も頑張るけれど、働く側も、まず与えるという同じ姿勢にならないとフェアじゃないと思う。

 

もちろん特殊能力者や事前に相手の実力が分かっているなら対価はアップしなければいけないとも思う。英語も中国語もフランス語もできて、法務に強いです、とか。スペックにはそれ相応の対価が出て来なければとも思う。

 

そもそも英語をはじめとする他の言語が話せるのであれば、日本でなくても求められる人材になれる可能性はある。

 

でもそれは支払う対価になりうると思う。

 

しかし、どちらにせよ、ワークライフバランスは働きすぎよくない、みんなもっと早く帰って自分の時間を持とうぜ、みたいな運動。

 

プレミアムフライデーでみんなを帰らせてるけど、業務量が合わない。

つまり本当に努力すべきは管理職、つまりマネジメント層なはずなのに、なぜか問題の所在を働く実働側に置いて、実働側早く帰れやっていう。

そもそも問題の所在地が違うから、解決しないんじゃないかな。

 

もちろん全部が全部そうだとは思わないけど、プレミアムフライデーが広がらないことからこれは証明されたんじゃないだろうか。

増えたのは居酒屋のフェアだけじゃないかな。実際の利用者は、定年退職した人たちが早めの時間に飲みに行ってる的な使われ方が多い気がするのは私の周りだけだろうか。

 

 

電車で突然、おじさんに話しかけられて、本を渡された時の話

 

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本棚の断捨離中、明らかに毛色が違う本が一冊出てきた。

最初は、これなんだっけ、と思ったけれどすぐに思い出した。

そうだ、電車で突然おじさんに話しかけられて、渡された本だった。

 

あれは、まだ私がピチピチかどうかは分からないけれど、女子大学生をやっていたときの話だ。

 

 

「いや、あんたは必ず2台目にロードバイクを買うよ」

 

そう言っておじさんは私に一冊の文庫本を渡した。

1台買うだけでも高かったし、整備をすれば10年は乗れると言われているのに2台目なんてどうして思いつくんだろう。

 

私は「え」と呟いたつもりだったけれど、声にはならなかった。しかし、表情を見て戸惑っていることは察したらしい。

「もうそれ読み終わったからいいんだ、あげるよ」

そこではないんだけど、と内心つっこみつつ表紙を見る。女の子が青空の下ロードバイクに乗っているさわやかな絵が書いてある。自転車小説だろうか。

 

「久しぶりに輪行をする女の子をみたよ、がんばってね」

そして名も知らぬおじさんは電車を降りていった。

 

 

輪行とは公共交通機関を使って、自転車を運ぶことだ。この日の私は自転車を分解して専用の袋に入れて、電車に乗っていた。最後尾の広めのスペースに自転車を置いて、周囲が空いていれば自転車のすぐ横の席に座る。例えガラガラの車内でも、他の乗客の迷惑にならないように目や気を周りに配るのは自転車乗りのお約束だ。

 

ママチャリはそう簡単に分解できないけれど、クロスバイクロードバイク、マウンテンバイク等のスポーツ自転車の分解は簡単にできる。自転車旅は全て自転車で走る場合もあるけれど、こうして電車を使うと自分が走りたい場所だけを走ることができる。

 

やっぱり走るなら、排気ガスだらけの道路よりも、道幅が広くて空気がきれいな道を走る方が気持ちいい。そういうときに、ワープするような感覚で輪行をするのだ。

 

自転車を運んでいると、やはり目立つ。今日もそうだったように、自転車が好きな人の中には話しかけてくれる人もいる。

 

これまで行ったところや、おじさんがどんな自転車に乗っているか、そんな自転車乗り同士の話で盛り上がっていた中でのことだった。

 

「お嬢さんはレースとかは出ないの?」

「全然、部内の男子の応援とかなら行きますけど、自分が出る方にはあんまり興味がないんです」

 

元々が体育会系とはいえ、私にまったくその気はなかった。高校まで部活を一生懸命やり過ぎた反動だろうか。

 

その後、おじさんにレースの面白さを語られたけれども、最後まで私にはまったく響かなかった。応援するのは楽しいけれど、やろうとまでは思えない。なにより、もうすでに1台持っているのだ。レースに出るならクロスバイクではなくロードバイクを買わなければいけない。

 

多くの人が自転車に20万も出せるか、と思うのと同じように、私は20万以上する自転車をわざわざ2台なんて持つか、と思っていた。

 

しかし、私に何を感じたのか、おじさんは2台目に私はロードバイクを買うと予言し、先ほどまで読んでいたのであろう自転車小説を手渡して去っていった。

 

私は、ギアをマウンテンバイク仕様に改造したクロスバイクに乗っていた。荷台もつけて旅仕様だ。素人目にはスポーツ自転車なんて全部同じに見えるかもしれないけれど、装備はロードバイクとは真逆だ。

 

おじさんと別れてから、降りる駅までの時間がまだたっぷりあったので、私は渡された小説を読み始めた。

 

読み終えたらロードバイクに乗りたくなるのかと思ったら、特別な感情はすずめの涙ほども湧いてこなかった。小説は面白かった。自転車初心者の女子高生が選手になるべく奮闘する話だったので、だれでもきっと楽しめる、ライトな読み物だった。しかし、2台目は欲しくならないし、レースに出てみたい気持ちも湧かなかった。

 

輪行の旅を終えて、自転車部の仲間におじさんの話をした。電車に乗っていたら自転車の話をするにとどまらず、本をもらったというネタはウケたけれど、だれもその本を読んでみたいという人はいなかった。

 

1年経って、片道40kmの美味しいカレー屋さんに、なんの躊躇もなく向かうことはあっても、レースに出たい気持ちは湧かなかった。帰りに道の駅で季節の野菜や果物を買うのも楽しかった。旅仕様の荷台がついている自転車でないと、これはできない。

 

2年経ち、九州に行って、いよいよ自転車に年季が入ってきても2台目が欲しいとは思わなかった。阿蘇山を走破した感想は、次は車で来たいな、だった。

 

3年経った頃なんか、自転車に乗る機会が減った。働き始めると学生の頃のようなペースでは乗れない。

もうこのままこの1台を大切に乗り潰そう。次に買うなら、やっぱり旅にも向いているシクロクロスがいいな、と思っていた。学生ではちょっと手が出せないお値段であきらめた種類の自転車だ。

 

4年が経った頃だった。もう本をもらったこととか、ロードバイクのことなんて忘れかけていた頃だ。決して体育会系ではない夫が、会社の人に誘われたという理由でトライアスロンへの参加を決めてきた。ロードバイクを購入し、トレーニングを始めた。自転車整備は私の担当になり、トレーニングにも付き合った。何しろ元が体育会系ではないのだ。運動に関する知識がないので、体の使い方から普段の食事まで、徹底的にマネジメントした。

 

私の徹底的なマネジメントは報われて、毎日の仕事に追われながらも夫はトライアスロンを完走することができた。ピカピカの完走メダルは玄関に飾った。

するとどうだろう。ひっそりと自分ももっと早く走りたい気持ちが湧いてきた。

 

練習に出ると、もう夫の方が圧倒的に早い。ロードバイクは時速30km〜40kmで走ることができる。その気になれば時速は60kmにもなる。私の改造クロスバイクではギアを一番重くしても平地の最高時速は30kmそこそこだ。車体の重さも違うし、ギアも違うし、そして値段も全然違う。

 

山道ばかり、峠ばかりを走っていた頃は、峠の頂上に到達することが快感で達成感があった。私の改造クロスバイクロードバイクより楽に山を登ることができる。マウンテン仕様のギアのおかげだ。けれど、就職でやってきた東京に手軽な峠はなかった。関東平野はその名の通り、ひたすら平野だ。峠到達の快感が得られない。そうなると快感はスピードに求める。しかし、スピードを出すにはやはり軽さとギアの変更が必要だ。平野ではロードバイク方が、という気持ちと、これまで乗ってきた自転車を大切にしたい気持ちが葛藤する。

 

しかし、夫が颯爽と1人でトレーニングに行く回数に比例して、むくむくとロードバイクが欲しい気持ちが育った。

 

そしてついに、購入に踏み切った。ボーナスを貯めて作った軍資金を持って、自転車屋さんに向かい、迷わずロードバイクのコーナーを見て、2台目を決めた。

 

 

「良い自転車を買うと、大抵2台目も欲しくなる」

これは自転車屋さんの台詞だ。

おじさんは私の自転車をみて、こいつは2台目を買う、と思ったのだろうか。確かに、1台目もそれなりのものに乗っていた。型落ちで安くはなっていたけれど、学生が乗るにはかなり良い自転車だった。しかも私は改造までしていた。

 

おじさんの予言が当たったようで、まんまと罠にはまった気分だった。

 

トレーニングにまた2人で行くようになって、私もトライアスロンを始めた。スイムでトラブルがあり、バイクで挽回するも制限時間に30秒ほど足りず、そこで失格となってしまったが、とにかく私はレースにも出てしまった。

 

ふと気になって、あの時もらった小説を読み返した。さすがに主人公の女子高生のように、ケイリン選手になりたいとまでは思わないな、と思いながら冒頭を読み返して、思わず笑った。

 

書き出しは、5年前……春。

 

もしもまたあのおじさんに会えたら、5年後の結末は違えど、レースに出るようになったことを報告したい。

 

 

荷物の先送りにとても頭を使うワケ

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今週末、我が家に少し遅めの夏休み第一弾がやってくる。

今年から私の仕事リズムに変化があり、夏休みを取る期間を夫最優先にさせた結果、夫が夏休みを連続ではなく分割でもぎ取ってきた。3連休がたくさんある感じがなんだか楽しい。

 

週末から旅行に出かけるのだが、自転車好きな我ら夫婦は満を持して自転車の聖地の1つに行ってくる。そう、しまなみ海道だ。

装備を軽くするために様々な荷物を先送りにしているのだが、これがとても頭を使う。今コレを送ると、出発までの日で困ることはないか、途中で困ることはないか、と一つ一つの荷物について云々考えるのだ。

 

きっと頭のいい人は最終目的イメージを明確に持ってしてそれに向かうから、作業スピードも速いのだろう。

 

今回自転車は自分たちで持っては行かず、現地でレンタル。途中島で宿泊もする。若干行程が複雑になってしまった感は否めないが、旅の醍醐味は準備から。準備が複雑な分、旅は面白くなったりする。

ツアーでぽいっと全部人に丸投げでもいいんだけど、案外あーでもないこーでもないって思いながら個人手配していくのも楽しかったりする。

あとその方が旅先では圧倒的に自由だ。

まあこれもきっと、誰と行くかっていうところがとても重要なポイントであったりするんだろうけど。社員旅行みたいな半分義務的に行くような旅行はツアーのパッケージ使っちゃって購入する方が断然らくちんなんだけどね。

 

荷物を準備する上で最も重要な思想は、

旅先でもどうにか生きていけるっしょ。日本だし。

と思うことだと思ってる。

 

そう、ここは日本だ。なきゃ買えば良い。あと借りれる物は借りれば良いんだ。日本語通じるから。っていうのが私の持論だ。

どうしてもこれが必要って言う物は大抵忘れない。忘れた物は忘れられる程度の物だったと思ってあきらめること。

そして本当に必要な物を忘れたときは次に活かす。

 

必要だったなーって思って私が次に生かしたもので記憶にあるのが、エコバックだ。

そうあの買い物とかに持っていくとエコポイントとかもらえちゃうバック。

 

今っていろんな種類があったり景品でもらえたりして、結構身近な存在。そして結構可愛い。このバックは旅先で本当に大活躍する。

 

、柄がついているやつとか色が濃いやつはお風呂バックとしても使える。お土産も入れられる。しかも牛乳パックとか重たい買い物を想定しているから結構な重さにも耐えられる。

使わないときは小さく畳んでかばんの中。ビニール袋でもいいんだけど、重たい物を入れたときに持ち手が伸びちゃったり、あと透けるからお風呂セットは入れられない。

 

エコバックは1つか2つかばんに忍ばせても重たくないから本当に重宝するやつである。旅先でお土産を買いすぎたときはエコバックも一緒に買ってそれにまとめたりする。トートバック型になってるやつなんて、けっこう持ちやすいし片手がちゃんとあく。

 

エコバック屋の回し者ではないけれど本当に便利。

 

というわけで荷造り完了!配送屋さんに持ち込みにいこう!

私の夏休みがやってくる!

 

 

 

子連れご飯に思うこと

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最近子連れの入店を拒否するお店がある、というニュースがチラチラ話題になっている。まあ、そういう店もあるよね、と思っていたら、そんなの時代遅れだ、なんだこの店はもう行かない。という声が結構多くて驚いた。

 

そう思ったら別に行かなくていいんだと思う。子連れ禁止のお店のターゲットは子連れ層ではないから対応に困っているのだろう。子どもが喜ぶようなお店で子連れ禁止の店なんてほとんどみないから、子連れをターゲットにしているお店もあるしいいのでは、と思ったりする。

というのも、基本的に子連れ禁止にしている店は元々そういう類いの店ではない(夜、生演奏が聴けるバーとか)か、子連れ禁止にしていなかったけれども、お店の物が破壊される等営業妨害を受けた店が他の客に対する対応措置として行っている場合が多いからだ。

 

私はこどもが好きだし、電車でマタニティーマークをつけた人を発見すれば積極的に声をかけて席を譲る。ファミレスでこどもが大きな声で話していても、気にしない。女子高生の方が大きい声を出しているときもたまにあるし、大声が気になるなら来る時間を変えるか、そうではない店にいけばいいのだ。と思っている。だってファミレスはファミリーレストランであり、元々そういう人達がターゲットであり主役の店だからだ。

 

けれども、例えばリッツカールトンなんかにいって、優雅に食事をしている最中に周囲を子どもが走っていたらやっぱりイライラする。高級なホテルで食事をしているというのは、その雰囲気も楽しみにいっているからだ。落ち着いて静かな空間でごはんを食べたいから、それなりのお金を出してそこに行ったはずなのに、目的は達成されなくなる。

 

私はそれでいいと思っているし、入店して子連れはちょっとって言われるより先に分かった方がいい。

 

私が分からないのは、なぜこの対応が時代遅れと言われてしまうのか、ということだ。極論だけどジャズバーに行ったのに赤ちゃんの泣き声しかしなかったら店、潰れるよ。店はボランティアではなくビジネス、商売だから。

 

ここまで悶々と時代遅れ論を考えた末、でも私のこの考え方ももしかしたら時代遅れなのかもしれない、と思い立った。

ふと、スターウォーズの世界を思い出したのだ。

 

スターウォーズの世界は宇宙間旅行ができるくらい発展した、今の地球から見たら超未来の話だ。宇宙旅行ができるまで、地球はあと何年かかるか。

 

そんなスターウォーズの世界では、宇宙旅行に乗るシャトルでは見知らぬ人間に気をつけようではなく、見知らぬ生命体に気をつけよう、というなんとも進んだ掲示もある。

 

そんなノリでレストランに入ってもあらゆる種族が一度に飯を食べている。その中にはやたらうるさいのもいるし、やたら臭そうなのもいる。

たまに、うちは××種族はお断りだよ、と言われているシーンもあったりする辺り、まだ差別はあるのかもしれないけれど、その種族はやたら臭そうだったりするから他の客への迷惑を考えているのかもしれない。

まだ差別は完全になくなってはいないけれど、今の地球と比べれば、日本と比べれば限りなく差別はない。

 

そうか。

そういうことだったのか。

 

何言ってんだこいつら、お互い分けた方が気持ちがいいじゃねえか、と思っていたのに、そんな彼らの主張は300年後くらい先のものだったのか。

彼らは未来のガリレオなのか。

 

障子を壊されようが、大便を漏らしたまま放置されようが、そんなことにも対応できるようになった店こそが、老舗となり100年、200年という単位で生き残るのかもしれない。

実際、スターウォーズでも店で銃撃戦やってそのまま店を出てきたりしている。危ない店だからかもしれないけど。その後で共和国もしくは帝国から補助やら保険やらがおりているのかもしれないけど。

 

 

まあ、でもなんか壊したら謝った方が良いと思う。

謝れない子どもばっかりになったら、100年200年経つ間に人間が滅びそうだ。

 

 

つきたての餅問題

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この世でおいしいご飯とはなんだろうか。

小さい頃は、お母さんと我が家では料理好きなお父さんが作る料理が最高に美味しくて、外で遊び回ってお腹を空かせて家に帰った後のご飯が最高だと思ってた。

学生の頃は何を食べていても楽しい仲間と一緒だととても美味しかった。

 

そして社会人になってからは、初めての東京で年上の夫に引っ張られるままに色々なおいしいを経験した。

ちょっと節約して日々の食事を抑えれば、銀座で回らない寿司食べられることが分かったし、高級なホテルのバーで飲むこともできる。友達が増えると、一見さんお断りのお店に入れる機会もゲットした。

 

最近よく聞く港区女子と呼ばれる彼女たちが、その美貌を持って港区界隈を闊歩する男たちにつれてってもらうようなレストランは、もちろん美味しい。

けれども、色々食べて思ったのだ。本当に旨いものは他にもある、ということを。

 

料理はその単品で美味しいと嬉しいけれど、他の要素もたくさんある。

一緒に食べる空気、ちょっと飲む水。食器を洗っている水。

量。そして一緒に食べる仲間。他にも色々あるけれど、料理そのもの以外の要素も、美味しく感じるための要素として確固たる地位を築いている。

 

とはいえやっぱり東京で食べると技がある店が多い。茶碗蒸しやお吸い物は確実に東京で食べる方が美味しい。

でも原材料に近いような物を食べるときは、その地方に行った方が美味しいし、もちろん安い。それに、本当に美味しいものというのは実は地元で食べ尽くされてしまって東京には出回らないこともある。

 

それから、私が生まれ育った場所は空気も水も美味しい。そして米もうまい。米は米だけで食べることができる、というのが当たり前で育った私は、毎日のように高級な物を食べている港区女子たちよりも、もしかしたら舌が肥えているのかもしれない。

 

さらに大勢で食べると美味しいマジック、が料理には存在する。

その代表だと私が思っているのは餅だ。特につきたてホカホカの餅は、みんなでよいしょーってついて大量につくる美味しさと、みんなで食べるからこその美味しさの相乗効果で最高級品のように思える。季節柄の寒さ、というのも美味しさを後押ししているだろう。

 

餅のような料理を見ると、私は思う。この世でおいしいご飯という物は何なのか。インスタとかFacebookとかのSNSに振り回されないよう、これからもその場のおいしいをちゃんと感じて生きていきたい、と思う。

 

 

 

三笠を見て艦コレに目覚めた

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関東内陸の天気が悪そうなので、手軽に晴れているところへ行こうと思い立ち、横須賀にやってきた。

初めての横須賀。イメージはカレーだ。お昼ご飯にカレーを食べる希望を出して、他のプランは久しぶりに夫に全任せ。

 

カレーは横須賀中央駅近くの、横須賀海軍カレー本舗というところに行った。

https://tabelog.com/kanagawa/A1406/A140601/14007903/

 

混雑直前に到着したことで大して並ばずに入店。

入店するや否や、武将をイケメンにしました、ならぬかわいい女の子のイラストポスターが至る所に!それとのコラボメニューも!

夫は特段そういうものに詳しい訳でもなく、デートコース選択ミスったかちょっと焦った、が、しかしカレーは結構おいしい。

 

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もちろんカレーを極めればもっと美味しいお店はたくさんありそうなのだが、日本に入ってきたカレーの元祖を体験っていう意味では十分満足。ってか結構最初の頃からカレーって美味しかったのね。

今よりコクが深いっていうよりはあっさりサラサラしていて、ごはんといくらでもたべられちゃうって感じのカレーだった。

決して水っぽい訳でもないのに、するする食べられるから、これでたくさんご飯を食べさせて、兵隊さんの肉体強化に一役買った訳かと納得。

 

お店を出るときに、お会計の脇にあった、お客さんが書けるノートを発見し、感動。かわいい女の子の絵がいっぱい。みなさんすごく上手。艦隊これくしょんっていうのかな。この子たちは艦娘っていうのね。ちょっと勉強になった。

今度はこういうのに詳しい友達と来ていろいろ解説してもらいたい。

 

カレーでお腹を満たした後は、お散歩。散歩の後に船に乗るとのこと。今日は夫に善任せ、なので女の子らしくエスコートされる。

ほどなくして三笠公園に到着。記念艦三笠、という大きな艦がお出迎え。すごい。思ってた以上にしっかり残っていて感動。

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日本史も世界史もしっかりだった夫の解説が入りつつ、見学。

とりあえず、すごい、の一言。

中央アジアとか昔ロシアと戦っていたような国に行って私は日本人って言うと、東郷平八郎の名前を挙げて、めっちゃ親日だったなあっていう旅行の記憶がよみがえった。

内部の見学するところも結構細部まで細かく見学できるし、ビデオ解説のクオリティも結構高かった。さらにVRで当時のバルティック艦隊との戦闘の再現とか、ゲームで戦闘の体験ができたりして、見学料金一般600円はかなり安いように感じた。

このクオリティなら、1000円取られても文句ないわ。

 

この艦に乗っていた人がどれくらいいたか、とか危険な作戦でも東郷平八郎の意気に応えようと、70人定員くらいの作戦に2000人志願者がいたとか、その人望すげえなあとか。戦争はもちろん反対だけど、実際の戦争を伝えるものとして、とても大事な施設だなと感じた。普通の記念館じゃなく、記念艦だからこそ感じられる物もたくさんあった。

 

ただの散歩で寄ったにしてはもったいないクオリティに後ろ髪引かれつつ、横須賀の軍港を巡る船のツアーへ。歩いている途中に米軍基地もあったりして、街の雰囲気がなんだか日本じゃないみたいな感じだった。不動産屋さんが店先に出す広告も英語で書いてあった。

ここに住んだら、当たり前に色んな肌の色、髪の色の人がいて、親が間違えなければ人権感覚のある子どもに育ちそうだな、とちょびっと思った。

 

船は船でまたハイクオリティー。お兄さんの解説が分かりやすい。ってかちょいネタが面白い。トーク力かなり高めなお兄さんのおかげで45分間飽きずに見学できた。

 

先に三笠を見ていたおかげで、昔の艦と今の艦を比べてみることができてそれもまたよかった。最近情勢がたまたま悪かったおかげか、ロナルド・レーガンもみることができた。すごく大きい。日本の色々な艦やその特徴、名前のつき方、海上保安庁海上自衛隊の関係など、色々勉強になった。

普通の人はもちろん、自衛隊反対ってデモやっている人にも一度実際に見て勉強して欲しいなと思ったり。やっぱり何かを論ずるためにはいろんなことを知っておかないとよりみんなが幸せになれる選択って難しいんだな。

日本のこともっと勉強しようって改めて思った。

 

夫婦で感じたことを討論しながらアイスタイム。船を降りた場所から近いところのお土産屋さんで、なんと棒アイスが1つ70円ほど。3つで200円。

もちろん3つ買いましたよ。チョコミント、チョコチップ、ミルク。チョコチップとミルクの2つ食べたのは私。久しぶりにアイスがおいしい天気だったので幸せな気分。

彼女だったら遠慮して1個で大丈夫とか言っちゃうのかもしれないけど、遠慮なく2つ食べられる夫婦関係ばんざい。

 

帰りは電車に揺られながら今日学んだことの振り返り。毎回見られる艦が違うから、また機会があればもう一度行っても良いなあ。

 

あ、艦これやってみようかな。。。

 

原作が映画化されたときに受けるショックについて

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原作、というと大抵小説だ。たまにマンガ。

作品は人気に火がつくと、ドラマ化とか映画化とかゲーム化される。

映画化は私の中では二種類あって、日本で映画化されるのとハリウッド映画化っていうのがあると思っている。

 

原作があるものを映画化すると、大抵何かショックを受ける。

原作を知らなければ特段なにも思わなかったりするけれど、大抵見た後に原作もチェックしたりして、原作の方がいいな、と大抵思う。

 

私は最近この問題を、読書感想文問題、と心の中で思うことにした。

同じ本を読んでも、人によって読書感想文に書く内容は全然違う。人間関係に注目する人もいれば、その物語の世界観に注目する人、はたまた一つの台詞に付いて、自分にいかに影響を与えたのか注目する人、本当に様々だ。

 

映画も多分同じだ。

監督と私とでは、着眼点が違ったのだ。

 

そう思っても消えない、映画化ショックの正体は一体なんなんだろうか。

 

それは映画化されたことによって、そちらの解釈が正解かのように世の中に普及していくことに対して何か歯がゆいものを感じるのかもしれない。

もちろん自分の見方が正解と思っている訳ではない。でも映画しか見ない人は、その映画での着眼点でしか物語をみようとしなくなってしまう。咀嚼のされ方が少し変化している自分の大好きな作品について、誰かに違う咀嚼のまま、それだけの視点でしか作品が見られなくなってしまうことへの寂しさもあるのかもしれない。

ああ、違うんだよ、作者はそこんところもっと深く文章化してたよ。

ああ、違うんだよ、そこでこういう登場人物のバックグラウンドがあるんだよ。

なんて、補強したくなる。

 

本当は正解なんてない世界なのに、無理矢理正解はこれですって決められて、これまでの自分の咀嚼方法について採点されてしまうような感覚に陥る。

 

読書感想文に100点満点採点なんてないのに、映画化されると途端に100点満点採点に変わったような気がして、そんなん聞いてないわ!みたいな。

 

でも自分の頭の中にしかなかった映像が具現化される嬉しさもあったりして、本当にいいな、と思えるときは映画と原作と両方をセットにして見たくなる。

ああ、小説だけでなく、この2つがそろって本当に作品としてなりたってるな、みたいな。

 

そんな作品との出会いはまだまだ少ない気がするけれど、映画にショックを受けてばかりでも映画界隈に申し訳ないから、映画の勉強を少ししてみたいと思う。

映画だって、私の知らない技法でそれらは演出ができていて、小説の伏線に気がつかない子どものように、映画の伏線に気がついていない私がいることもまた事実。

 

原作からのショック緩和策、

映画の勉強をしよう。