くろやんの日記

思考・映画・ごはん・旅・自転車・読書・ライフハックのメモ帳

感情=エネルギー。お金のように使いどころを考えたい

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先日、久しぶりに昼間のお役所に行ってきた。

混む前に行きたいなあ、と思って午前中の役所が開いてすぐくらいの時間を狙って分館などではなく本館へ。

開いてすぐの時間でもそれなりの混雑。いくつかの申請をして、椅子に座って待っていると、絵に描いたような役所の窓口の人に怒鳴りつけるおじさんを発見。

声が響いているので周囲の人も気がつき始めた。

しかも怒鳴りつけているのはみんなが待っている住民票などを取り扱う部署の窓口。混雑を避けるためにこちらで話しをお伺いします、と係の人が移動を促しても動かず。

自分はこの日急いでいる訳ではなかったので人間観察がてら静観していたけれど、午前休だけで手続きを急いでいる人にとってはたまったもんじゃないだろうなあ、なんて思った。

 

こういう人の対応にも税金が使われているのかと思うと、もっと違うところでその怒りを表現して欲しいし、なんなら係の人にしたがって個室での対応に受け答えて欲しいな、と思いつつ、聞き耳を立ててみた。

誰が税金を払っていると思っているんだ!

とお決まりの文句が聞こえて、本当にドラマとかだけでなく言う人がいるんだなあ、としみじみ。

 

でも、税金払っていてお前らの給料ここから出ているんだぞ、の論理が成り立つと、税金を納めている金額が多い人の言い分から聞きます、という盛大なブーメランが返ってくるんじゃないだろうか。

このおじさんがとんでもない資産家ですごい税金納めているんだったら何も言えないけれど、多分一番納めているのはこの場にいないで今会社とかに働きに、勤めに出ている人達なんじゃないだろうか、と思ったり。

 

そもそも怒る、という感情も自分のエネルギーの一つだ。自分のエネルギーを消費して感情として表現している。

笑ったり、涙したり、いろんな感情は誰かに何かを伝えるときに使ったり、自分自身のストレスを発散したりするときに使う。

笑った後や涙した後はすっきりしたり、気持ちよくなったりする。

 

怒るとすっきりする、という人がいるけれど、怒ってすっきりするような感情は誰か人に向けるものではない。そのすっきりはその誰かが怒りを受け止める、という決してフェアじゃない関係の中で起きた気持ちよさだからだ。

だれかをいじめてすっきりした、というの大して変わらない。

怒るのがダメとは言わない。でも対人に対してやるときは、本気で何かを伝えたくて、つまり相手の命の危険だったり、そういう安全を脅かすが故に真剣に伝えたい時に、つまり相手のためになるときにしか使ってはいけない感情表現だと考えている。

 

では今回のように、役所の人に怒ったところで何かが変わるだろうか。

役所の人は商売人じゃない。何かを売っている訳ではない。

いや、今時役所もサービス業でしょう、と言う人もいるけれど、そもそも彼らは労働基準法で守られていないし、退職するときも、退職ではなく辞職で、失業扱いにはならず、すなわち失業保険という概念はない。

毎日怒鳴りつけられて結果精神病になって退職に追い込まれたのだとしても、普通の一般企業に勤めている人よりは分が悪い。

もちろんお互いに気持ちいい方が良いと思うけれど、サービス業なんだから、とこちらから押し付けるのは、ちょっと傲慢な気もする。

 

それに怒ったからといって何かがまかり通るほど役所は柔らかくない。文字通り、堅い場所だから、どんなにわがままいっても窓口の人にそんな権限はないし、奥に潜んでいる人が権限を持っていたとしても施行までには時間がかかる。

 

色々総合的に考えた時、役所という場所で「怒り」というエネルギーを発散させることは、得策なのだろうか。

 

お金の使いどころを考えるように感情の使い道を考えた時、「怒り」の使いどころはそこじゃないと思うんだけどなあ。