くろやんの日記

思考・映画・ごはん・旅・自転車・読書・ライフハックのメモ帳

銀座の寿司屋でよくあること

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付き合いで銀座の寿司屋に行くことがある。最初はちょうビビっていた。大将がめっちゃマナーに厳しかったらどうしよう。つれてってもらうのにきちんとせねば!と意気込み、寿司の食べ方のマナー本を読み、ネットでこれでもかというくらい検索し、勉強した。

 

勉強のかいというか思っていたより大将たる人は優しく、美味しく頂けたことはとても良い記憶で、また機会があればぜひぜひ行きたい。まあここで人間で来てない大将に握られようものなら、きっとそんな寿司はうまくない。

 

びびりにびびった私だが、一つだけ、銀座の寿司といえども、なーんだ、と感じたことがあった。なーんだ、と感じたと同時に東京の価値観の恐ろしさを感じた瞬間でもある。

 

茶碗蒸しとか前菜的な物が一通りでて、寿司に移行したときの一品目のことだった。大将は丁寧に、魚の産地まで教えてくれた。

「女川産の・・・」

気仙沼産の・・・」

石巻からの・・・」

「釜石からの・・・」

そして米は宮城県ササニシキ

ササニシキが寿司の米に向いているらしい。

 

そうか。東京だけではこの寿司は生まれない。地方あっての銀座の寿司やなのだ。これは東北に限らない。地方から来ると、銀座の寿司やにビビる人多いと思う。というか、東京のレストランにビビる。おしゃれで。

けれども、そんな東京のレストランで出てくる物は、地方で作られたものなのだ。それも堂々と。ここのこいつがいいんだよねーと褒められながら登場する。

 

今回、地元の寿司屋に入ってみた。多分お吸い物や寿司単体の味は、職人さんが握る、作るほうが美味しい。

けれども、うまいネタに美味しいお水と空気で炊いた米を寿司用にしたもの。それなりの職人が握ろう物なら、私のような凡人が食べると、遜色がないように思う。

というか一緒に食う空気が美味しいせいか、美味しく感じる。

 

ああ

東京の空気がもう少しきれいだったらなあ。

 

と考えずにはいられなくなった。

寿司、旨かった。