くろやんの日記

思考・映画・ごはん・旅・自転車・読書・ライフハックのメモ帳

大人のためのサンタクロースシステムをはじめてみた

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大人のためのサンタクロース。

その名も、Amazonほしいものリスト。

ブログをお散歩しているときに何人かの方が公開しているのをみて、どんな仕組みなのか調べると、自分が欲しいものをAmazonでリストにしておいて、それを公開。

見つけて気が向いた誰かがプレゼントしてくれる……かも?というもの。

 

読んだ瞬間に思った。これはリアルサンタクロースじゃないか、と。

 

でも送るときに名前とか住所とか、相手に分かっちゃうのかな?それは怖い、とか思って調べていたら、住所は相手に知らせず、名前もブログでつかっているハンドルネームで大丈夫なよう。

こちらの記事がとても詳しくて、大変お世話になりました。

www.tamashii-yusaburuyo.work

 

というわけで、自分でも作ってみました。サイドバーにも同じリンクをはりつけてみた。

www.amazon.co.jp

 

リストを作ってみたものの、いざ欲しいもの、聞かれると意外と思いつかなくて、物欲が減ったのかな。なんて思った。

 

もちろん頂けたら嬉しいけれど、これの何と言っても楽しいのは、自分がサンタクロースになれる、ということだ。

大人になったら誰もがサンタクロースにならざるを得ないんだよ、という台詞はおいておいて、自分がいつも読んで楽しませてもらっているブロガーさんの欲しいものリストをみて、1000円前後くらいで手軽に遅れるものがあったら、ぽちっとしたくなる。

お歳暮ほど大それてなくて、でも今年も1年楽しませてもらってありがとうございました、みたいな。

そんな感じで、クリスマスプレゼントのようなお年玉のような感覚でも使えるなあ、とちょっと楽しい気分になる。

 

応用したらTwitterとかにもはれるのかな?文字数的に無理か。

でも、今やリアルの友達よりもネットの友達との方が仲良しっていう人とか、自分の推しの絵師さんとかを応援したい人に取っては最高の仕組みだな、と思った。

相手からしてもほしいものリストの中から届くから、ハズレがないのもうれしいポイント。

 

賛否両論あるようだけれど、いいなと思ったので、サンタクロースになりきって、12月はブログサーフィンしてみよう。

 

働くことに疑問をもった時は小学生のときの係活動を思い出す

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お題「働き続けるためにしている工夫」

 

社会人になりたくない。社畜になりたくない。早期リタイア。

ネットを歩くと、こんな言葉がたくさん出てきて、社会人最高!とかもう学生に戻りたくなーい、なんて書いている人を見かけたことはほとんどない。

ちなみにグーグル検索で「仕事」というワードを入れると、

仕事 探し

仕事 行きたくない

仕事 やめたい

仕事 できない

というネガティブワードのオンパレードになる。なんで禁断の果実なんか食べちゃったのよ、と大昔の誰かさんに言いたい人はたくさんいそうだ。

 

大体の人が、「働く」ということに対してネガティブに考えているけれど、仕事の次に「探し」というワードが出てくる辺り、多分みんな本当は楽しく仕事をしたい、という人がたくさんいるんだと思う。

年配の方は仕事は辛いものだ、とか、どうしようもないことを乗り越えてなんぼ、という人もいるけれど、世代によってこの考え方は大きく違いがあるんじゃないかと思う。

 

その違いとして感じるのは、「辛い」の捉え方だ。

 

例えば、オリンピックに出ているような選手。例えば浅田真央選手や福原愛選手、吉田沙保里は端から見ているととても幸せそうだし、本人たちのTwitterやブログなんかを見ていても、まじしんどい、トレーニング止めたい、みたいなことは感じられない。

オリンピックに向けてのトレーニングなんてしんどいし、多分普通の人なら逃げ出したくなるようなトレーニングを日々積み重ねて、そしてオリンピックに臨んでいる。

その過程ではやめたくなることもあっただろうけれども、オリンピック会場に到着してからもモチベーションが沸かない、みたいなことはなかっただろう。

 

これは私達の中学や高校の部活動とかにも当てはまると思う。普段の基礎トレーニングとかは辛いけれど、本番の試合で勝利する喜びが忘れられない、気持ちよかった、とかって思って練習をがんばれたりする。

 

多分仕事にもコレが当てはまる。目的や目標に対して自分が納得しているものに大しては、人間は一生懸命になれる場合が多いし、多少辛くても嬉しい。

そう、辛くても嬉しいのだ。部活じゃなくて、文化祭とか運動会とかでも当てはまると思う。何が楽しくて放課後居残って、もしくは徹夜で文化祭の準備をしたんだっけ。

思い返すと、やっぱり楽しい仲間たちとそういうのを乗り越える楽しさ、みたいなものが楽しくて、そのときが辛くても乗り越えられる。

 

年配の方の世代だと、がんばれば給料も上がる、年数を積み重ねれば給料が上がる、高いポジションに行ける、という分かりやすい指標があった。

だから辛くても頑張れる。辛いけれど、ご褒美がしっかり見える。

 

けれども私達はどうだろう。もはや給料だけが幸せの指標じゃないし、高いポジションに上がることが幸せかどうかもそれぞれ。しかもがんばれば、時間をかければできる、みたいな単純な構造ではない。

つまり、ご褒美が見えにくい、というかこれまでとは違うアプローチをしないと自分のご褒美が見えてこない、故になんでこの辛いことをがんばっているんだろう、と考えてしまうんだと思う。

 

こういうことを踏まえた上で、働き続けるためにしている工夫が3つある。

 

1.自分の人生ゴールを明確にする

なんでも良いと思う。私の場合は幸せになること。誰かをどうする、ではなくまず自分のことをどうしたいか考えた方がいい。自分のことを決められない人が他人に影響を与えるような人間にはなれないと思うし。

私が幸せだと、私の周りの人にもその幸せをお裾分けできるという意味も込めて、まず幸せになることを考える。

じゃあ私の幸せって何だろう。これがとても大事。マーケティングに影響されて、ではなく自分が心から求めているものを考える。

どんな場所で、どんな風に暮らすか。人付き合いはどんな風にするか。

結婚も、消費行動も全ては手段、と思って考えることがこつだと思う。

 

2.働く=お金を得る行為という式を頭からはずす

働くというのは、誰かの役に立つということ。それがお金になるのが会社員だけれども、もっと広い意味でとらえる。

例えば、友達の引っ越しを手伝ったら菓子折りを頂いた。

困っている友達の相談に乗ったら、喫茶店でケーキをごちそうしてくれた。

これだって、相手が助けてくれてありがたかった、と思っているからこそ生まれる行為。見方を変えればこれも働く、という行為。

例えば会社でも、会議のための資料を作ったら、それは顧客には直接の利益にはならないけれど、一緒に働く仲間に分かりやすい資料が提供されたことによって、「資料を読みつぶす時間が短縮された」という利益を渡していることになる。

という具合に、自分の仕事が生み出す価値を想像してみると、同じ仕事でもすこし変わって見えてくる。

そしてそれはおもしろい人との縁だったり、何かたまたま手に入れたチケットを譲ってもらうとか、そういったもので返ってきたりするんだから面白い。

 

3.小学生のときの係活動を思い出す

幼児や小学生と触れ合っている人は分かると思うし、そうでない人も思い出して欲しいのだけれども、彼らはとても働く意欲がある。

大人のお手伝いをしたことで欲求が満たされている、とか色々あるんだろうけど、とにかく彼らはお手伝いをしたがる、つまり働く意欲にあふれている。

係活動が面倒だった人もいるかもしれないけれど、自分が何の係に立候補していたか、考えることで、自分がなんのしがらみもない状態で求めていたことや、やりたかったこと、実は違っていたんじゃないか自分の適正、なんかがふと思いつく。

年少の頃であればあるほど、自分の能力ではなく自分のやりたいことでやりたい係に立候補していたはずだ。

ここで注意なのが、例えば生き物係に立候補していたからといって、自分が生き物につて興味が合ったから手を挙げたのか、という式にしないことだ。

別の理由があったのかもしれない。

ちょっと気になる子、仲良くなりたい子がそれに手を挙げていたのかもしれない。

面白い生き物を学校で飼っていて、それを触りたいミーハー欲求だったのかもしれない。とにかく、年少の頃を思い出すと、自分ってこうだったかもしれない、というメタ認知ができて、仕事に対する向き合い方も考えられる。

 

 

そんなこんなで、私は働くことが好きだ。そう言う意味で、学生の頃には戻りたくないとさえ思う、ちょっと珍しい大人かもしれない。

働くことは、同じ会社に居続けることではなくて、誰かの役に立ち続けること、だもの。

 

 

何かを変えたいと思って購入した本たちを手放す時

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一体どうやって私は生きていこうか

という問いは、大人になる過程で誰もが通る道じゃないだろうか。もう通り抜けたよ、という人もいれば、何十年経っても抜けられない道でもある。

今の時代は高校は多分何の疑いもなくほぼ全ての人が進学して、早い人で大学か専門学校か就職かで悩み、次の余波は就活時期。

それから働き始めて2、3年が立った頃。ふと、思う時がくるのかもしれない。

 

どうやって生きていこうか、のどうやってには色んな意味が込められている。

もっと自分に出来ることはあるんじゃないだろうか。

もっと良い会社で働けるんじゃないだろうか。

もっと良いお給料もらえるんじゃないだろうか。

もっと楽しく毎日を過ごすことは出来ないだろうか。

 

プライベートを充実させたい。仕事を充実させたい。恋愛を充実させたい。なんならプライベートも仕事も境目がないような楽しい暮らしがしたい。

もはや仕事をしたくない。

 

現状に不満があったり、足りないものへの欲求が強くなった時、人は変わろうとする。逆にそう言うものが無くなってくると、人の心は落ち着いてくる。

 

数年前、好きなことを仕事にして、結婚もして、毎日楽しく過ごしているのだけれども自分の向かうべきところや目標が見つからなくて、しあわせな毎日なはずなのに、私はイライラして過ごしていた。

結婚式も終えたらいよいよだ。次は何をがんばればいいのか。仕事を頑張れば良いのだろうけど、どうも頑張り方がしっくりこない。

 

疑いの目を持たずに行こうと、ネットワークに誘われてみて行ってみたものの、しっくりこなかった。ただ物を買う、という行為を友達からするだけで、それが世界を平和にするようにも思えなかったし、それって誰の何を幸せにするの?と問うと、私と友達とそのネットワークに入っている人に限られる。

他にもいろんなセミナーに行ってみたし、多くの本を読んでみた。なかなかしっくりこない。

ミニマリストのブログも、シンプリストのブログも片っ端から読んだし、海外暮らしのブログも読んだ。

旅のブログも色んな人のを読んだ。

どの暮らしもしっくりこなかった。

 

けれども、多量の様々な人の暮らし、と向き合うことで、自分はこれは好き、これは嫌だ、というのが部分的に見えてきた。

そういった、この部分は好き、の積み重ねが溜まって、自分にイライラしなくなった頃、私は仕事を変えて、新しい暮らしを始めた。

 

今、私は自分が納得した暮らしと納得した生き方で毎日を過ごしている。

 

 

そして今日、本棚を整理した。

あの時悩んで読んだ多量の本を、とっておきたいものともう卒業するものに分けた。残った本たちは、私が生きていく上での方位磁石のような役割を果たしてくれる一級品ばかりだ。

卒業するものたちは、過去に悩んだ私の怨念を全て吸い取って役割を終えたかのように静かだ。また、誰かのエネルギーを吸い取るために、もしくはエネルギーを与えるために旅立って欲しい。

 

確かにあのときは、何かを変えたいと思って、この本が変えてくれる、という気がして購入したのだけれど、残った本は案外わずかだった。

けれども、これが本当の読みつぶす、ということなのかもしれない。

 

 

高校生の自分に宅配便が送れるなら、この10冊の本を送りたい

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お題「高校生の自分に読ませたい本」

「若い時は本を読んでおけ」

中学生だったか高校生だったか、大人に、もしも高校生に戻れるなら何をしますか、と聞くと、何人かいる大人のうちの1人は必ずこう答える。

だから読書だけはずっと続けてきたのだけれど、大人になってやっとその答えが分かった。良質な本は自分の頭の価値観を多様にしてくれたり、その他にも言葉には言い尽くせないほど自分を変えてくれる魔法の力をもっている。

ネットの記事でもそういう奇跡の記事がない訳ではないけれど、本はたくさんの人の手を通っている分、ハズレも少ない。

 

一年に200冊から300冊、あれだけの量を読んでいたのにもっと、読んでいれば、もっとこんな本も読んでいれば、と今でも思ったりする。

後悔してもしょうがないから、今でも読むことを続ける他ないんだけどね。

 

そんな今の私が、高校生の私に送りたい本10選を選んでみた。出版年は最近のも含めて。

 

1.新しい市場の作り方 三宅秀道

ビジネスの作られ方の本質が突かれている本。天才エジソンがなぜ、ウォシュレットを思いつくことが出来なかったのか、という切り口から、新しい市場、つまり文化をつくる発想の仕方が論理的に書かれている。

天才だから発明が出来て、それが売れる訳ではない。物を作るという発想ではなく、文化を創るという発想は、物があふれるこれからを生きるために必要な思考だと感じた。高校生のときに読んでいたら、進路選択が変わっていたかもしれない。

 

2.学問のすゝめ 福沢諭吉

言わずと知れた名著。短編がいくつもまとめて収録されているので実は読みやすい。順を追うごとに難しくなっていくけれど、短いので分からないところは教科書のように何度も読んで理解を深めたい。

今でも十分通じる、学問の本質について細かく説明されている。考えるだけ、知るだけでは本当の学問ではない。実践してこそ、と現代人にも胸に刺さる一言をあの時代に考えていたのだから、やっぱり諭吉先生すごい。

タイトルだけ知っていて読んだことがない人はぜひ。

 

3.生物と無生物のあいだ 福岡伸一

生き物って何、という哲学的な疑問に答えてくれる一冊。あと純粋に面白い。上から目線で何様だけど、文章がかなり上手いから本当に読みやすい。専門的な内容だけど、高校生でも十分に分かるような内容。

文系でもこれを読んだ後は、本気で理転を考えたくなる。生物Ⅱをやりたくなる。

 

4.バッタを倒しにアフリカへ 前野ウルド浩太郎

最初に言いたいのは、まずこの作者は純日本人である。純粋な秋田県出身の方だ。ウルドはアフリカで親しくなった人に頂いた名前、どういう経緯で頂いたかは中身を読んで欲しい。

正確な意味でのバッタは日本にはいない。バッタとは、バグズライフに出てくるような、通り過ぎたら一瞬で作物を食べ尽くしてしまうような大群を指し、アフリカではそうして作物が大被害を受けている。これに立ち上がったのが、この緑の服装をした作者の前野氏だ。

とにかくコミカルで、話が面白い。高校生に講演をして大爆笑を誘ったらしいから、その話術、文章力は本物だろう。おもしろおかしく、アフリカのことやバットのことがよくわかるし、夢を叶えるやり方を模索する手段を考えさせてくれる一冊。

 

5.坂の上の雲 司馬遼太郎

日露戦争前後、大正時代を知る勉強になる。日本の歴史では戦国時代、江戸時代までは詳しくやるけれど、近現代史はほとんど学校で扱わないから、本当はこういうのを読んで詳しく勉強すべきだった、と今一生懸命読んでいる。

自分が生きる時代に一番近い時代に生きていた人達がどんなことを考えていたのか、という想像力がとても養われる。

もしも読んだら、大人になってからでも良いので横須賀の記念艦三笠にも見学に行ってみて欲しい。

 

6.キケン 有川浩

高校生のうちに読んで欲しい。大学では無為な遊びに惚けるよりも、こうして本気に遊びに行った方が絶対面白いし、世の中を渡り歩く力が身に付くよ、ということがよくわかる小説。大学は遊びに行くところ、というのは前提だとしても、遊び方で卒業後に身に付く力は本当に違う。

どんな大学生活を送るのが良いのか、一つのモデルにして欲しい。

 

7.金持ち父さん 貧乏父さん ロバート・キヨサキ 

もしもお金に関する教育を親から聞いたことがなければ、大人の世界に行く前に読んでおいた方が良い。お金の使い方である消費と投資について、それぞれの違いを考えさせてくれたり、自分がどういう生き方をしたいか考えさせてくれる。高校生までだと、大抵消費しか経験していないと思うから。

アメリカの人が書いているので、日本で生きるためには少し解釈を変えた方が生きやすいな、と思う場面もあるけれど。

また、これを使った詐欺的商法も世の中にあるので、事前に読んできちんと理解しておくことで騙されることも防いで欲しい。

 

8.大学受験に強くなる教養講座 横山 雅彦

大学を受験しない高校生にも読んでもらいたい一冊。教養とは何か、分かりやすく教えてくれる。教養を身につけることによって、当たり前を疑えるようになったり、新しい時代や技術に自分を追いつかせる柔軟さが身に付くことに気がつけた一冊。

高校のうちに教養を身につけ、仕事をしながらでも教養を身につけ続ける姿勢をこれで手に入れて欲しい。

 

 

9.海賊と呼ばれた男 百田尚樹

表紙からずいぶんと固そうな、難しそうな印象を受けるけれど、中身はジャンプマンガさながら。友情(人情?)、努力、仲間と主人公の成長、男子高校生は必ずはまる。女子高生も、主人公のイケメンな行動に多分惚れる。

内容は戦前と戦後の石油をめぐる話。当時の政治状況や、石油の世界情勢の勉強にもなる。

 

10.私の財産告白 本多清六

 将来、専業主婦になりたい人の必読本。専業主婦じゃなくても、公務員になりたい人、とにかく世間で言うところの安定的に生きていきたい人は必ず読んで欲しい。

この本では特に起業をしろ、とか書かれていないし、カタカナ文字も出てこない。しかし、堅実に生きたい人に取っては最高の教科書のような一冊だと思う。

金持ち父さん 貧乏父さんが合わないな、と思った人は多分こっちなら合う。

 

 

以上、私的、高校生の自分に読ませたい本(読んだ本も含む)

 

 

 

 

11月に今年こそはやりたいこと

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私は11月の主婦向け雑誌が好きだ。クリスマスと年末年始をゆったり迎えるモデルプランを見ているだけで、なんだか優雅な気持ちになる。

実際のところはクリスマスと年末年始をゆったり迎える計画を読んでは、実践を試み、失敗に終わることを繰り返す。
今年こそは、あのモデルプランのような年末年始を過ごしたい。


まずは去年の反省
去年の私はと言えば、まず11月と12月の仕事の繁忙期に押された。
さらに土日に予定を入れすぎて12月になるまで動けないという四面楚歌。
うまく夫を巻き込めず、1人12月に奮闘し、年賀状がやっつけ仕事のようになってしまったことを後悔している。
さらに大掃除も終わらなかったし、物も捨てきれなかった。
ここまで書くと散々な年末年始だけど、従兄弟たちへのお年玉を用意する、とかおせちを用意するとかはバッチリできた。
でも本当はもっと正月ゆっくりしたい。


今年の作戦1:11月上旬に計画を立てる
雑誌を読んで気がついた。そう、もう年末なのだ。勝負は始まっている。
幸いまだ11月の上旬。まずやることリストを作成して、計画表を作ろう。
やることの総量が分からないから、毎年年末に慌ててしまうのだ。

予定をたてるときに気をつけたいこと
夫を巻き込みために予定を詰め込まないように、夫婦の予定表に掃除デーを何度か入れておく。
事前に予定表に記入してしまっていればもうこちらのものだ。へっへっへ。

早急に取り掛かりたいこと
→年賀状の住所録を作成すること。宛名印刷を特定の業者に絞ってしまえば同じ住所録が使える。
宛名印刷だけは何があっても弔辞が無い限り毎年変わらないから、これは早急に仕上げて来年以降も楽したい。

→11月大掃除前に断捨離、整理整頓を終わらせる
整理整頓は掃除では無い。故に、掃除の前に整理整頓が必要。
11月中にきちんと終わらせよう。

さあ勝負の11月!

 

自分の幸せが何の上に成り立っているのか考えること

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東京生まれ東京育ち、に限らず、都市部に住んでいる人の声に驚くことがある。高校生の時はいちいちそれに驚いて、いちいち心の中で感情を爆発させていた。

 

熊を撃ち殺すなんてかわいそう

イノシシを電気ショックで追い払うなんてかわいそう

野菜と自分の命を守りたいのに、大変さを何も知らないくせに。と憤慨すると同時に、知ってもらいたくてしょうがなかった記憶がある。Twitterがあの頃にあったら、多分私はそんなことを呟いて、もしかしたら炎上でもしていたかもしれない。

 

そんな気持ちも打ち壊されたのは、この一言だった。

鳥を解体するなんて、かわいそうだからやめて。

 

お前は鶏肉を食ったことがないのか。クリスマスに一度もケンタッキーを食べたことがないのか。と驚くと同時に、物理的には同じ世界に住んでいるはずなのに、違う世界に住んでいるかと思うくらい人がそれぞれ考えていることは違う、と感じた一言でもあった。

以来、誰かに分かってもらおうとする欲求が少し減ったようにも思う。分かってくれる人が分かってくれればいい。

 

けれども相変わらず、自分たちが食べているものがどうやって出来ているのかも知らずに、横やりだけいれてくる声に苛立ちを感じていた。

 

しかし、そう言う自分もなんてことはない。自分が何の上に立っているのか理解していなかった。

 

便利な携帯電話、スマートフォン。どこでどうやって生まれたのか

便利な家電製品。誰がどうやって作ったのか

安いけどおしゃれな服。どんな人がどうやって作ったのか

質問を突きつけられたとき、私は答えられなかった。今でも正確に答えられるほど知っている訳ではない。

 

世の中の会社の仕組みを知ると、法人税は上げた方がいいと思っていたけれど、もっと会社にお金を還元した方が、政治に無駄なお金が流れるよりも素敵なものがつくってもらえるんじゃないかと思ったり、

海外旅行に行って、子供に物乞いをされた時は、田舎で生まれ育ったことが嫌でしょうがなかった自分の気持ちはどこかにすっ飛んだ。

 

幸せは誰かと比べるものではないけれど、自分の幸せが何の上に成り立っているのかを考えるには、想像力が必要だった。

 

傲慢になる前に考えたい。これからも考え続けていきたい。

自分の幸せが何の上に成り立っているのかということを。

 

 

五年前くらいの自分にいいたい。まず調べるという姿勢の大切さ

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本当に分からないことは、そもそも何が分からないのかさえ分からない。

 

自分もそれで困ることは今でもあるし、これまで専門家の方にとても失礼な質問もたくさんしてきたと思う。

ググればいいじゃん、と思うかもしれないけれどそもそも検索ワードに何を打ち込んだらいいのかも分からない。

この、分からない、は本当に分からなくてどうしようもなくて、とりあえず助けを求めたくて詳しい人に聞く。

聞いている本人は切実なのだ。このどうしようもない問題を、そもそも問題の形さえ見えていないから、恐怖そのものをどうしたらいいのか、一生懸命解決しようともがいた結果が、人に聞くというところなのだ。

 

しかし、それでも。そんな、恐怖そのものと戦っている状態だった五年くらい前の自分に一番伝えたいことは、「聞く前にまず調べろ」ということだ。

多分これだけではあの時の自分にはちんぷんかんぷんだし、不親切だと思うけれど、やっぱりこれに尽きる。

 

なので「聞く前にまず調べろ」に、一言付け加えたい。

「調べる目的を変えろ」と。

 

そう。恐怖そのものと戦う時こそ調べた方が良い。けれども、課題を解決しようとする調べ方ではだめだ。

課題を解決しようと調べるのではなく、そもそも自分が今一番知りたいことは何か、恐怖の正体を暴くという目的で検索をすると、問題が見えてくる。

いきなり課題を解決しようと調べても、そもそも課題が見えていないのだから解決しないしよくわからなくなることは当たり前だ。

 

例えばドラゴンボールでは、悟空が誰かと戦って負けたり引き分けたりしたあとは、必ず新しい師匠を探す。(というか巡り会うというのか)

けれども、探している段階では自分に何が足りないのか、分かっていないし、巡り会った後でやっと自分の課題が見えて、トレーニング内容が決まる。

トレーニング内容が決まった後はひたすら一人で繰り返したり、すこしレベルが上の人と組み手のような基礎練習を繰り返してレベルアップをする。

 

分からないことが分からない状態、というのは悟空が新しい師匠を探している時の状況と似ている。

自分の課題がまだ明確ではない。けれども、今自分に出来るトレーニングを続けることを悟空は怠らない。

分からないなりに調べる、ということは必要で、いきなり専門家にいきつくのは、いきなりビルス様に教えを請いにいくようなものなのだ。

いきなり神様の神様のような人に教えてください、と言っても神様の神様が言っている意味が理解できない。

着実にレベルアップをしてきたからこそ、ビルス様が言っていることも分かる。

 

分からない状態だけど、まず会う。まず聞く。という手法は、聞く相手がよっぽど親しければ、またはそういう問題でも大丈夫です、とあらかじめ相手が宣言していれば問題ないけれど、相手にそういう心構えが出来ていない状態でそのようなお願いを何度もしていると、相手は確実に疲弊する。

相手がそれを専門に仕事をしている人ならなおさらだ。相手はそれで他の人へ価値を提供して、それで自分の身を立てているのだ。

定食屋が友達だからといって、よっぽどの仲でない限りタダ食いすることがないように、専門的な知識を教えて頂く時も、やっぱり友達だからこそ、親しいからこそ、考えなきゃだめだ。

 

昔、私もただただ聞いてばかりの時があった。今でもその友達は本当に仲良くしてくれているが、別の友人から、そういったタダ食いをしてくる友人に困っている話しを聞いて以来、自分もそう言ったことをしてしまっていたかもしれない、と大いに反省した。

 

今後気をつけよう。

 

 

ブログを書きたくない、と思った時に書きたくなるように自分が思い出すようにしていること

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今週のお題「私がブログを書きたくなるとき」

 

ブログを書きたくなるとき。これほど私にとって難しいお題はないかもしれない。

そもそも私がブログを書き始めた理由は、何かしらを続けてみよう→日記を書こう→さぼれないようにブログにしよう(保管も場所を取らなくて楽)みたいな経緯があって、ブログは毎日、書きたくなかろうが1つは書くし、どれだけ書きたくても1日1つしか書かない。

 

書きたいと思った時は心の底からの欲求で、多分お腹が空いたからごはんを食べようとか、トイレに行きたい、とかそういう欲求と同じようなものなんだと思う。

 

じゃあ、今日は書きたくないな、とか書くことないな、と思ったときに、それでも私をパソコンの前に座らせて、はてなブログを開かせる源はどこにあるのだろうか。

書きたくないと思ったときに、私が私を動かす理由について考えてみた。

 

1:継続は力なり、という今年の目標

2017年の生き方の目標として私が掲げたのは、かの有名な「継続は力なり」だ。どんな大きなことでも小さな一歩から始まった、というのはジャンプのマンガを読むとよく分かる。人生もやっぱり同じで、大抵の人は何かしらの積み重ねをこつこつ続けて、それが花になっている。

意味ある積み重ねは、どんな天才が存在しようとも価値になる、そんな時代がちゃんときている、と感じるからこそ、大事にしたいと思ったのだ。

何かを続けること、ということで映画を見続けることと本を読むことを続けていたのだが、もう一つくらい何か、がんばれそう。そう、アウトプットを何かがんばろうと思って、始めたのがブログ。

何かがアウトプットできればいいので、毎日一行でもいい、というハードルの低さも手伝ってくれている。

 

2:なんやかんや、書いて他の人のブログを読んで足跡(スターとか)をつけていると、結構色んな人がブログを読んでくれる、という楽しみ

日記だから誰かに読んでもらう、ということは最初一切考えずに始めたけれど、やっぱり読者の反応があると嬉しいし、もっと上手くなりたいな、というモチベーションもあがる。

変な方法でアクセス数を上げているブログもたくさんあるけれど、アクセスがある人の文章はやっぱり上手い。これって人に分かりやすく伝えたり、人が知りたいと思っていることを見つけたり、はたまたどうでもいい日常を面白いエンターテイメントにカエル力だったり、普段の仕事にもきっと生きる大事な力だと思う。

自分自身のそういう発信力、創作力のパロメーターとしての役割を、ブログは知らず知らずのうちに担ってくれている。

そしてこれは続けないと正確に計れないし、他の人のブログを読むというとてもいい勉強もさぼってしまうことになるから、続けたい、書きたいと思うのかもしれない。

 

3:気持ちが混乱しているとき

気持ちが混乱している時ほどブログを書きたくなる。書いて、思考をまとめて、ああ、自分って今こんなことを考えているのか、と自分で自分を理解したい気持ちが高まるからだ。

自分が混乱している時は、そう言う時期も必要と思いながらもやっぱり気持ちのいいものではない。世界で一番どうしようもない人間に見えたり、自分が何の役に立っているのか、とか、最高にネガティブになった時ほど、ひもとくと自分自身の課題が見えて、やるべきことが見えてくる。

一番怖いのは自分自身に自信を過剰に持っていて、自分の課題が何も見えなくなったとき。完全無欠だと思い込んでいる時が一番危ないし、成長も出来ないし、傲慢になる。傲慢になると、大切な友達を失いかねないし、大切な自分も見失う。

だから、混乱期が来ると、ブログを書いて思考整理したくなって、一日ににいくつも記事を書きたくなったりする。

 

書きたくないな、と思ったときに自分が考えていることは、大きくまとめるとこの3つ。じゃあ、書くことないな、と思った時って何をしているんだっけ。というのはまた違う日にまとめてみたい。

 

 

 

11月になったし、そろそろ本気で手帳を検討しようと思う

 

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毎年この時期になると、考えることがある。

そう、来年の手帳、何にしようかな、ということについて。

 

日本は四月始まりだし、四月始まり手帳の方が案外合うのかな、とか思って四月始まりを使ってみたこともあるけれど自分には合わなかった。

やっぱり一月を基準にして自分の変化を考えるからだろうか。社会がどれだけ四月から色んなものを変えてこようと、自分の変化の物差しは一月で見ます、みたいな頑固なDNAが組み込まれているようだ。

 

本当は手帳で毎年悩みたくない。そう、先月だって今年こそ悩みたくなくて、私が手帳に欲しい機能について自分でまとめた日があった気がする。

悩んでいる時間というのが、楽しい時間もあれば、これについて悩むのは時間の無駄と感じるものがあるわけでして、手帳は私の中ではぶっちゃけ後者。

手帳は道具だし、自分の自己実現の道具なのだから自分のことをよく理解して適切な手帳を選べば良いはずなのに、これからは一生コレ、と思える手帳にはまだ出会えていない。

毎年文房具屋とか雑貨屋さんをこの時期覗くのって結構楽しくて、もはや手帳を購入することがエンターテイメントみたいになっている気がするけど、なんだかそれに踊らされたくない、みたいな無駄な抵抗をしてしまう(笑)

 

何はともあれ毎年悩み、この手帳祭りに参加する私だけれど、近年やっと自分の傾向が掴めてきた。手帳を本格的に使い始めてかれこれ10年以上経ってみてだ。その積み重ねたるや。

 

今年の候補はこちらたち。

その1:ロルバーンダイアリーA5

私が使った中で数少ない、使いつぶした感が年末にきちんと出た手帳。マンスリー以外は全てメモ帳でウィークリーは特についていない。

一日一ページ書くほどマメにもなれないし、絵もさほど上手じゃないからほぼ日もエディットも持て余し、ウィークリーも週によっては持て余した私は多分大きめのマンスリーだけでいいんだ。という結論からこういうタイプに行ったらすごくよかった。

ウィークリーが使いこなせたのは、バイトを三つかけもちした大学三年時のみだったな。社会人になってからは職場支給の手帳が仕事には合っていた。社会人なるし、と意気込んでウィークリー買ったのに超持て余した社会人一年目が懐かしい。

それから何気にいいのが書き味。紙質がいい。というか結構私の好み。真っ白じゃなくて黄色いところも、光の反射が少なくて目に優しくて好み。方眼なので図形のメモも楽チンだった。

A5サイズのマンスリーの中では一番紙目一杯使ってある気がしている。マンスリーしか使わない派にとってはマンスリーが大きい方が良いけれど、持ち歩くときに大きすぎない方が助かるから、サイズは小さくてもそのノートいっぱいにマンスリーが広がっているのが本当にありがたい。

 

 

その2:アピカ プレミアムCDノート マンスリー A5 

あれです。紳士なノートのダイアリーバージョン。社会人になって、ウィークリー手帳に失敗した次の年からスマホで管理に変えたけれど、本当はその日に起こったことを記録できたらいいな、と思うようになってメモ帳を持ち歩くように。

どうせなら紙質の良いちょっといいやつ買おうって思って購入したのが始まりだったけれど、何と今年このマンスリーの手帳が出た。これはロルバーンと悩むやつ。何もなければロルバーンという後がまに戻ろうと思っていたのに、突如現れた刺客。

紳士なノートのよさはなんといっても書き心地。ノートとして完成されたクオリティがある。ノートを開いた時の具合もいいし、デザインもオシャレ。

 

 

今年は迷わずロルバーンだな、とか思っていたら思わぬ提案がアピカから出てきた。こちらも赤い方眼タイプもあるし、違いと言えば紙の綴じ方ぐらいなんじゃないだろうか。リングタイプにするか、糸綴じにするか。

リングタイプだと外で便利。くるっとすれば半分の大きさになってメモしやすい。ただリングに手が当たる部分は書きにくい。あと処分のときに捨てにくいことが難点だろうか。手帳はあんまり積極的に捨てるタイプじゃないけど、将来捨てる時が来たとき、全部リングだったらちょっと面倒だな。場所もかさばるし。

紳士なノートはここ数年ずっと使っているからその書き心地の良さは知っている。ただやっぱり幅は取る。ちゃんとした机がないとメモは取りづらい。ただここ最近、ちゃんとした机がないところでメモを取る機会ってほぼなかったけれどね。あってもなんとかしちゃうのが人間って奴なんだよな。

ただ手帳として使うとしたらどっちがいいんだろう。こうして今年も迷うのか。あとは決めの問題なんだけどな。

 

くうぅぅ。悩む。

 

 

 

 

 

11月のめあて

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めあてって言う言葉、なんだか懐かしい。目標じゃなくてめあて。調べてみると、意味は目標とするもの、とか目印、とかまあ目標をひらがなにしたって感じの意味なのかな。

先月、洋書に全く手を出せなかったのでその反省をふまえて今月のめあてを考えてみた。そういえば坂の上の雲も読み終えていない。。

 

*読書…年間目標まであと26冊

一日一冊ペースなら余裕でクリアだ。本当は一日二、三冊でも読みたいくらいには、というかクソ忙しい体育会系の高校生時代になぜか一日一、二冊読めていたんだから、本当は自分をそこまで伸ばしたい。

図書館で時間決めて滞在したら学問のすすめが時間内で読み終わって、感想も記録できたから集中力の問題だろうか。何かここにずっといられない、的な追い込まれるものがあると読めるのかもしれない。

そういう環境を自分に用意しようか。読書会的なものに参加してみれば良いのかな。ただ気の合う人と集まって、美味しい朝ご飯を食べながら本の話しをする、とかでもいいのにな。本を紹介し合う友達、とか欲しい。

 

*映画…年間目標まであと35本

こちらも一日一本ペースならクリア可能だ。最近Amazonプライムのダウンロードという機能を覚えた。家のwifi環境下でダウンロードしておけば外で通信状況を気にせずに観ることができる。細切れになるという映画の見方としては正しくないのかもしれないけれど、時代状況や文化、ストーリーを中心に観ている者としては細切れになってもあまり気にならない。

 

*洋書…アソーカタノを読んで最新作に挑みたい

一番自分がやる気が出る時間帯は朝だ。そして毎日読むとか無理だから、習い事のように曜日を決めよう。

一番予定が入りにくい、火と木がいいかな。

 

*トレーニング…ホットヨガとランニング

ホットヨガは継続。ランニングは徐々に距離を伸ばしていきたい。先月まで5km〜10kmだったので、今月は10km〜15kmの間で。

膝上の筋トレも継続。加えて食事制限も始める。高タンパク低カロリー。

 

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そろそろ、2018年の自分はどうなりたいか、ということも考え始めたい。