くろやんの日記

思考・映画・ごはん・旅・自転車・読書・ライフハックのメモ帳

損して得する。ホワイトデーのお返しに関する考察

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ホワイトデーなんて一週間程前に過ぎた訳ですが、今日、夫とホワイトデーのお返しについて話をしました。

勉強も運動もできた子で、通知表はオール5、という私の中ではマンガみたいなやつって本当にいるのか、という小・中・高時代を過ごしている夫。

さぞかしチョコレートもたくさんもらったんじゃないかと聞いたところ、もらっても、気持ちがないのにお返しをするのは申し訳ない、という論理から、お返しを一切しなかったとのこと。

ええっ!

律儀なんだか、律儀じゃないんだかよく分かりません。

お母さんも働いていて忙しかったから、そういうところを指摘されることもなく、今思えばちょっと申し訳なかった、と反省しておりました(笑)

 

そんな話から思い出したのは、私の弟のお返しについて。

そう、私の弟。勉強は超ど田舎の学校で、クラスに天才肌がいなかった為に、できる方に分類された上に、小3からバスケをやっていたおかげか、スポーツもできた。

姉目線で、顔面偏差値は普通だと思うけれど、運動ができたおかげで毎年バレンタインでチョコレートをたくさんもらっていた。(小学生って特に運動ができる子がモテるよね)

(そしてチョコは食べきれないって言って、私と母が結構もらっちゃってたけど)

 

弟自身は特にモテたい、とかそういう想いは持っていなかったけれど、お返しはしたほうが良い、という母の教育によって、もらった子の名前はメモ帳に書いておいていた。

そしてホワイトデーが近づくと、母と一緒にクッキーやらチーズケーキやらを作って、可愛く包装。

このお菓子達が、母がお菓子の学校に通ったことがある資格持ちだったことも手伝って、その辺のお店よりも美味しかった。

超ど田舎には当然ながら、ケーキ屋さんという存在はない。

ホワイトデーのお返しとなると、饅頭か手作りか、ちょっと親とお出かけした時にイオンで買ってくるかだ。

 

そして次の年にはまた、弟がもらうチョコの量が増えていて。。。。

 

後から弟と同じ学年の後輩に聞いたところ、このお返し欲しさにあげる女子が多数いたそうで。

 

ホワイトデーって、男側からアプローチするというよりも、お返しのイメージが強いけれど、お返しだってちゃんとやると、相手に気持ちは伝わるし、その相手以外にも自分のイメージって広がっていくんだなあ、ということを考えさせられた一件でした。

 

中学生くらいまでは母とお菓子を作っていた弟も、今や一人で何でも作る、女子力高い系男子に。先日はチーズケーキを作ってインスタに載せていました。

 

ホワイトデーのお返し文化も侮れない。

 

今年こそ旅行に行きたい場所(国内編)

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海外旅行に簡単に行けちゃうようになった現代ですが、改めて日本国内にも素敵な場所がたくさんあるし、行っておいた方が良い場所ってあるよなあ、と思います。

田舎から東京に出てきて思ったのは、そんな日本各地に東京からだとめちゃめちゃ生き易い上に結構安く行けることが多いということ。

夜行バスは全国各地に向かって出発しているし、飛行機にしても羽田に成田。新幹線だって、JR東日本JR東海、とやっぱりここは日本の中心なんだなあ、と感じます。

 

というわけで、まだ行った事がない、日本の行ってみたい場所のリストを作っておこうと思う。

 

1.広島

ざっくりしていますが、広島は昨年、しまなみ海道を走るのに入り口をかすった程度。あとは、学生時代に九州から東京へ夜行バスへ行く為に、広島で一度降り立ったという記憶が。。。

私の広島の思い出は、広島駅近辺の繁華街にある公衆浴場に行って、人生で初めて巨大な入れ墨を入れたおば様と裸の付き合いをし、(余談ですが、西の方が入れ墨入れている人多い?)広島風お好み焼きを食べて、飲んで、夜行バスに乗った。というものだけ(笑)

厳島神社はもちろん行ってみたいし、原爆ドームとかも日本人として行ってみたい。(思えば私の広島への知識って、小学生のときに読んだ『はだしのゲン』だけだわ)呉にも行ってみたいし、美味しいものももっとたくさん食べたい。

 

 

2.長崎

広島と同じくらい行きたい場所、長崎。学生時代、九州自転車旅行をした時は、九州の端の方だったから通らずに終ってしまったのよね。

出島とかも行ってみたいし、こっちも広島同様、負の遺産もしっかりみたい。

それからハウステンボスにも行ってみたい。

そして長崎ちゃんぽんも食べたい(笑)

 

3.石川県金沢

冷静に考えたら、ちゃんと行った事がない気がする。通過は何度もしたことがある気がするんだけどね。

冬にカニを食べに行きたいなあ。

 

4.北海道礼文島

学生時代に行きそびれてしまった礼文島。かなり北にある島ですが、夏はとてもキレイで、しかも快適らしいです。自転車仲間の先輩にお勧めされていたのに、未だに行けず。

そろそろ自転車もって、遊びに行きたい。

 

5.八丈島、父島、母島(東京都)

東京に島があるって言うと、大体の人に最初、えっ?って言われるけれど、八丈島とか東京なんだよね。

前職の職場の先輩が、毎年八丈島に行っているんだけど本当に楽しそう。夏にダイビングとかしにいったら最高、だそうで。私も行ってみたい。

 

6.屋久

呼ばれないと行けないという屋久島。本当は屋久島の隣の島がいいって前職で島好きな先輩が言っていたけれど、やっぱり初回は王道で行ってみたい、屋久島。

 

7.青森、奥入瀬渓流

天気がよくないと中々行けないよね。しかもめっちゃ辺鄙なところにあるし。車がないとなかなか難しい。

 

8.高尾山

周りの人がみんな行ったことありすぎて、逆に誰も一緒に行ってくれない場所。東京に来たのにテレビでしか見たことがないよ〜。

 

9.香川

映画『UDON』を見てからうどんを食べにいきたくてしょうがない。

 

10.高知

とにかくごはんが美味しそう。

 

さて、何カ所行けるかなあ。

 

インスタ映えカフェ

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最近友達とこんなカフェに行った。
女子の夢と希望がふんだんに詰め込まれた図ですね(笑)
池袋にあるはちくまカフェ。
予約不可にドキドキしながら12時過ぎ頃行ったのですが、並んでいたもののすぐに中に入れました。

出てくるものがとにかくフォトジェニック。

店内は可愛いけれど、ちょっと狭め。カフェですが、ゆっくりするというよりは、本当に雰囲気を味わう場所なんだろうな。

店内も学生さんっぽい人がほとんどで、皆さんランチなのにハニーフレンチトーストハーフにお茶、みたいな注文の中、
カレーとか食事系ランチに普通サイズのハニーフレンチトースト(2人で分ける)にハニーなお茶等を注文した私たちは、途中テーブルに乗り切らなくなりそうになりました(笑)


雰囲気だけかと思いきや、フレンチトーストが結構美味しかったです。

が、これがインスタ映えカフェの裏側かもしれませんが、店内もかなり狭く、(170cm声の男性はすごく狭そうでした)隣の人との距離もかなり近かったので、カフェとしてゆったり過ごす、というよりは、本当にキャラカフェというかエンタメカフェみたいな気分で行くべきなんだろうな、と思いました。

好きな移動手段

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私は乗り物が好きだ。新幹線は勿論、在来線も好きだし、バスも好き。
なので、旅行に行くときは最短最速の手段も使うけれど、あえての鈍行、バスを使うこともある。

とはいえ、仕事がらみの時は新幹線率が多い。
けれども残念なことに私は新幹線で酔うため、新幹線内で仕事が1つも進まないことがとてもネックなのだ。

いっそのこと旅気分で、とバスを使うときもあるが、やっぱり遅い。

となると、時間を有効に使うには、寝ている時間に移動ができている夜行バスが、私に向いているのでは?
と考えた。

夜行バスは寝られない、辛い、という人もいるし、多分私も歳をとったら辛いのだろうが、今は平気だ。
しかもちょっとお金を出せばかなり広く、個室のような夜行バスもある。

そしてこれは夫と乗った時に気がついたのだが、夜行バスって多分女性の方が快適に過ごせている。
体のサイズが男性ほど大きくないので、割と多くの女性が快適だし、小柄な女性なんか、隣がいないとか広々タイプを選んだら、ちょっとしたカプセルホテル気分なんじゃないだろうか。

しかも朝は強制的に早く起きることになるので、そこから仕事もスタートできる。

次からは夜行バス使おうかな。

よそ者、若者、馬鹿者

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地方創生が流行ワードとなって、最近日本各地に遊びに行くと、面白いワークやコンテンツ、取り組みに遭遇したりなんかしてワクワクします。

逆に、広告で言うほどでもなかったな、と期待値を裏切られることもあります。

各地方に行くたびに、うまく行っている地域とそうでない地域の1つの共通点を見つけたような気がします。
私の体感値であり、統計を取ったわけではありませんが、
ご飯が美味しい(都内レベルで)地方は栄え、地元でしか愛されない味(好みがかなり分かれる味)を出す地方は、地方創生プログラムが残念な結果になっているように見えます。

 

個人的ランキングは以下の通り


〈流行っている〉
ご飯が美味しい+都内ではあり得ない地方価格で提供している
ご飯が独特+地元民が独特の中の良さをマーケティング調査して上手くアピール

ご飯が美味しい
ご飯が普通+土地を生かしたオシャレor広い箱物で食べられる

ご飯が独特+地元民がこれが一番と思い込んでいる(美味しいからマーケしなくても大丈夫と思っている)
〈残念になっている〉


★ご飯が美味しい+都内ではあり得ない地方価格で提供している
言わずもがなですね。空気も美味しいので都内で食べるより圧倒的に美味しく感じます。刺身系はホントこれ。だから海のものを出す地域って流行るのかなあ。

 

★ご飯が独特+地元民が独特の中の良さをマーケティング調査して上手くアピール
意外とこれもある。岩手の冷麺とかこれだと思う。私はゴムみたいな麺、好きだけどね。だって大分にも大分冷麺あるのに、冷麺っていうと岩手が連想されるよね。

 

★ご飯が美味しい
見つけられるまでに時間がかかるので、これで生き残っている店は、そこ地域でその1店舗だけ行列ができていたりする。


★ご飯が普通+土地を生かしたオシャレor広い箱物で食べられる
今流行りのインスタ映えだったりとか、建物が可愛いとか。都内はなんだかんだお店はどこも狭いですからね。
広々とした場所でゆったりとした食事は美味しいです。

 

★ご飯が独特+地元民がこれが一番と思い込んでいる(美味しいからマーケしなくても大丈夫と思っている)
まずい、とかそもそも店がない、とかは論外と言うか戦い方の軸が変わると思うので出しませんでした。
ご飯に限らず、残念になっている地方って、地元民が他地域のことを全然知らず、おらが町の一番をずっとおしつづけているようにもおもいます。
外から見たら違うのに、とか。若い人はそれ食べないよ、とか。


地域おこし協力隊とかって、そう言う外の知見を内に入れるためのプログラムだと思いますが、結構その地域よがりになってしまっている協力隊員も多いんんじゃないかな、と思います。
逆に完全によそ者扱いして、地域おこし協力隊員をこき使う地域も、それじゃ意味ないじゃんって思いますけどね。

 

何はともあれ、地方創生って難しいです。

 

歩きたい道を考えられる、という才能

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どうやったら好きなことって見つかるの?

結構色んな人に聞かれる気がします。色々人と出会って思うのが、人は好きなことに困るタイプと全く困ったことがないタイプ、というのがいるのかもしれない、ということです。

ホリエモンだったかも言っていました。好きなことがある、生きたい道があるというのもそれだけで才能の1つである、と。

私は割と常に、やりたいこと、に満ち溢れています。一方、夫はそういうタイプではなく、隙あらば、
「俺に向いてることってなんだと思う?」
とか
「どうしたらそんなに夢中になれるの?」
とか聞かれます。

もう、好きだから、としか言いようがないのですが、自分が何かを好きになる思考回路が、どのように育っていったのか、ちょっと考察してみました。

 

★ちょっとでも面白い、と思ったことは、極端なほど時間をかけて取り組んだ
小学生の時、本を読むことにハマった時は、1日5冊以上は読み続けていました。ほぼ毎日。とにかく飽きるまで。
本以外にも、お絵かき、テレビゲーム、飽きるまでやって、続けられたことは案外少ない。私はテレビゲームも外れました。弟がプレイしているのを見る方が好きだったので、あの頃Youtubeのゲームプレイ動画を見つけていたら多分ハマっていた。
多分本当に好きなことしか続かない。

 

★飽きた時に自分なりに考察する
考察というほど大層なことではないけれど、ここのこういうところは好きだなあ、とかテレビゲームは仲間プレイが好きだけど一人で黙々やりたいとはそこまで思えないな、とか。
そんなちょっとした感想の積み重ねで、自分が好きだと思っている傾向のあるもの、を分別していったように思います。

 

★たまに超苦手なこと、避けてきたことに取り組む
例えば運動が苦手だと感じていた時に、仲良しの友達が入ったからという理由でミニバスを始めて見たり、音楽は苦手だけど楽譜を読めるようになりたいと思って音楽系のサークルに入って見たり。
そうすると、運動は苦手だと思っていたけれど、それは基礎体力がなかっただけで体力がついたらそれほどでもなかったことがわかったり。逆にどれだけやっても、なんとかゆっくり楽譜を読めるようになったけれど、未だ音痴は直らず、おまけに最初にシャープとかフラットが付いてた奴は自分で印をつけておかないとやっぱりまだ読めない。
なんてことが分かって、それは自分が何が好きな傾向にあるか、ということを考えるのに、大いに役立っていると感じます。

 

 

こうして振り返ってみると、歩きたい道を歩くって、こうした人生の積み重ねなんだなあと改めて思いました。
また、私はど田舎で割とのびのびと育ちましたが、夫は都会育ち。周囲の目線とかプレッシャーに晒されながら、人に媚びる生き方に偏っていた時期もある、というのは本人談ですが、そういった環境の違いもあるのかなあと感じます。

 

とは言え、私はその分すっごく社会のことを知らなかったので、良し悪しだなあとは思いますがね。

 

都心部の大雪に見た人間の集団

 

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暖かい日が続いていて、そろそろ春が近いのだなあと感じます。
この冬はタイに行ったり、ハワイに行ったりで暖かい所に逃げていたはずなのに...日本に帰ってきたと思ったら、ここぞとばかりに大雪が降ったり、記録的寒波がやってきたり、思いの外、くろやんの体は激しい気温差にさらされることになりました。
大きく体調を崩すことはなかったので自分の体を褒めたいです。

暖かくなってふと、大雪のことを思い出しました。
あの日、雪国生まれ雪国育ちの私は東京にいたわけですが、雪もそうだけど人の方が怖いな、と感じたことを思い出したのです。


例えば車。
ノーマルタイヤが多すぎて、歩行者として歩くのも怖い日々が続きました。
(雪が思いの外1週間くらい残ったので)
後、都内運転したことがある人はわかると思いますが、都内及び関西とかの都心部って、車間距離の詰め方エグくないですか?

自動車学校によって指導が違うんじゃないかと思うくらい車間距離なさすぎて怖いです。
それでちょっと隙間あればぐいっと入ってくるのも結構よくあるし。
人も車も超絶過密して共存している街だからだと思うけれど、雪の日はそれもかなりマイナスに働いたんじゃないかなあと思います。


駅には早く行っても人で溢れていて、黙って大人しく並んでいる人に敬服したくなった。
もちろん職場の近くに住めよ、みたいな話になりますが、家族がいたりして難しい人も多いのもまた事実。
今回はメディアがずっと振る前から警告してくれていたお陰か、大きな混乱がおきた感があまりなかったので、JRさんが頑張ったんだと思います。
あと、こういう時地下鉄の駅が最寄りにあるとちょっと安心しますね。


自転車漕いでたおバカはすぐにヤメろ!と言いたかったです。
てか絶対コケるから。都内、坂多いし。


そんなこんなで色々な人を見かけた雪の日でしたが、ツイッターではいわゆる北から目線、というハッシュタグが流行ってましたね。
追いかけて読んで、ふふっと笑わせてもらいました。

そんな東京は地元民の街というより、上京者の街なので、都民にもたくさん北から目線な人はいるはずなんですがね。
でもふと思い出した時、そういえば北国にも雪の中ママチャリ漕いでたおバカさんはいたし、そういう奴は道も広くて人もいないから、毎日そうしていても事故らないだけで、、

単純に東京でそういう事故が起きるのは、雪に慣れてる、慣れてないの違いではなく、母数の違いじゃないのかなっても思いました。

とりあえずほぼ除雪車無しで状況を切り抜けたところは、すごい都市だな、と感じました。

自分自身を見失いかけた時に観る映画10選

 

3月になると人はナーバスになるのでしょうか。

それとも、私だけでしょうか(笑)

暖かくなってくると、寒いときよりも行動量が増えていくのか、3月のスケジュール帳は久しぶりに隙き間がありません。

自分と向き合う時間が減るせいか、環境が新しくなるせいか、この時期はすごく前向きで自分探しをしている映画がなぜか観たくなる。

 

というわけで、個人的に『自分自身を見失いかけた時に観る映画』を10作品、選んでみました。

 

1.生きること、食べることの原点を見直す『little forest夏秋、冬春』

  

岩手県のとある小さな村、小森に住む女の子が主人公。自然と向き合う中で、人との向き合い方を見つめ直していく作品。

NHK朝ドラ『あまちゃん』であきちゃん役をやっていた橋本愛さんが主演。

見所としては、みんなが夢見る田舎の生活の中で作られる田舎料理(とれたての魚、米、野菜、山菜)と、それを処理する大変な現実もきちんと描かれている点。

食べ物ってこうして、農家を始め田舎の人が手間ひまかけて作り上げたものである、ということを改めて考えさせられる。

私としては共感ポイントがものすごく多い作品。田舎のリアルがかなり表現されている。例えば田舎の人間は、近所に美味しい物がないと基本自分で作る。

私も実家を出るまで、ピザは自分の家で発酵させて焼いていたし、栗を始め、木の実、山菜は自分で採ってくるもので、買うものではなかった。

草刈りと雪かきは素人っぽさがあるのもまた味があって素敵。一つ一つのエピソードが短くまとめられているので、ながら観もいける。

 

 

2.理不尽と戦い疲れても、世界はまだ広い『かもめ食堂

フィンランドに行った後、これを観ました。フィンランドの首都、ヘルシンキで食堂を営む主人公の女性、他、人生色々あった女性達が集まって広がるストーリー。

原作の小説も元気がもらえる一作。

どんなに大変で、理不尽なことがあっても、日本からこんな場所まで来てしまえば、何かが変わるかもしれないよねっていうメッセージを私はキャッチして、とある思い出を思い出した。

 

超ど田舎暮らしをしていた小学生時代、たまたま近所に夏休みの度に東京から遊びにくる同い年の女の子がいた。

私にとってその子は東京のキラキラを教えてくれるちょっとしたアイドルのようだった。本屋のない田舎暮らしで、初めて「ちゃお」や「なかよし」という月刊誌の存在を教えてくれて、読まなくなったマンガを私にくれた。

テレ東限定でやってたアニメの話とか、雑誌でしか知らないおはスタという番組の内容も彼女から聞いて、東京への憧れを募らせた。

一方的に教わる関係というわけでもなく、私達は仲がよかった。大人になって、私が上京してからはたまに一緒にランチに行く。

最近彼女について、母から聞いた話が、この『かもめ食堂』と重なったのだ。当時、東京では各学校で「いじめ」が問題になり始めていた。

東京のその友達がいる学校でも、やっぱりいじわるをする子がいたようで、友達のお母さんは大層心配していたようだ。けれども、どんなに学校でいじめられても、この東京から遠く離れた田舎に仲良しの子がいる、というだけで、どんなに辛くなっても一人じゃない、と思って欲しい、と考え、必ず毎年、中学に上がって部活が忙しくなるまでは夏休みに田舎に来ていた、とのこと。

それは私の母も逆のことを思っていたようだ。田舎という狭い場所で、いじわるな子がいなかったわけではない。都会よりも逃げ場がない田舎で、私の母は母で逃げ場としてそういうつながりを大切にしていたようだ。

 

というわけで、『かもめ食堂』もそんな逃げ場、みたいな存在になっているようなところがある。私もたまに『かもめ食堂』を逃げ場にしている(笑)

 

3.本当に自分が大切にしたいことを思い出す『しあわせのパン』

人生にちょっぴり迷子になった人たちが行き着く場所は、北海道月浦にあるパンカフェ。ちょっぴりファンタジーテイスト。

これを観て、田舎暮らしに憧れを持ってはいけない作品(笑)

迷えるカフェを訪れる客達に、人生との向き合い方、を教わる作品。若い人もお年寄りも、小さい子も大人でも、それぞれに向き合う方は違うけれど、向き合う先にはきちんと何かが見えてくる。

大切にしたいことを見つけることは大変だけど、一人ではなく誰かと一緒ならきっとできるよ、と元気づけられる作品。

そして個人的に、私は沖縄より北海道派です(笑)

 

4.時には傲慢に、貪欲に、我が道を『セックス・アンド・ザ・シティ

  

1も2も。時には欲望のまま、わがままに生きたい、という気持ちを発散させてもらえる作品。ニューヨーカーらしく、派手に遊ぶ彼女達のパワフルなこと。結婚式や独身パーティー、そのなぐさめ旅行の豪華さは、ああ、人生一度くらいはやってみたいことだなあ、と思ったり。

暴飲暴食をしそうになったときは、ちょっといいワインに、チーズと高級ポテチを準備して、これらをお供にこの映画を観ると、だいぶ気持ちが収まる、という私にとって鎮静剤的な役割を果たしています。

自分よりはちゃめちゃな人達を観ると、落ち着くもんですね。

 

 

5.確かに、きっと、うまくいく『きっとうまくいく』(All is well)

どんなにどん底のときでも、どこかにチャンスはきっとある。そんな元気をもらえる作品。インド映画でダンスや歌があって、シリアスなシーンもありますが、基本的には楽しい作品。個人的には脚本としてもどんでん返しがいくつもあってとても面白く見ることができた。

作中に度々出てきて、かつタイトルでもある『All is well』という言葉は、普段からも使える言葉。

観た後、自分自身にも、『大丈夫、なんとかなるよ』って言われているような気分になれる。

 

 

6.果てしない道でもいつかどこかに辿り着く『グッド・ライ〜一番易しい嘘〜』

アメリカで、ロスト・ボーイズと呼ばれたスーダン難民達の話。アメリカと難民の関係性と、難民問題に関することの勉強にもなる。

注目は物語冒頭で、難民キャンプに辿り着くまでの道程を描くシーン。苦労とか悲しみ、辛さは比べられる物ではないけれど、何千キロという舗装されていない道を、着の身着のまま、裸足でただひたすら歩く姿を観ると、自分の悩みや苦しみが小さく見えてきて、もう少し頑張ろう、違うやり方を考えよう、と違う視点で考える余裕が頭の中にできる。

彼らはアメリカに渡ってからも苦労が絶えない。けれども、暮らしとは裕福になることは幸せへの1ピースにはなりえても、全てにはなり得ない、ということも語っている。

 

 

7.自分にとっての譲れないものは何だろう『プラダを着た悪魔

もしも鬼上司と出会ったら、それは自分の人生と向き合いなさい、という神様からのメッセージなのかもしれない。と私はこの映画を観た後、理不尽な人と出会うたびに、そう思うことにしました。

勝手に『神人事』って私は呼んでます(笑)

やめるも一つ、とりあえず一生懸命やるも一つ、続けるのも一つ、どの選択にも共通して言えるのは、それは自分自身が生きたい人生か、ということ。

そんな人生における譲れない物を考えさせられます。

 

 

8.積み上げた先に、どん底からの逆転は必ずある『ショーシャンクの空に

どん底の描き方は色々あるけれど、フィクションに限れば主人公がどん底に落ちる映画ランキングベスト5には入る気がするし、そのどん底までの落差はノンフィクションとも肩を並べられる落差なんじゃないかと思っています。

どん底の牢獄生活の中でも垣間見える輝きも美しいのですが、なんと言ってもラストシーンの太平洋の開放感はすごい。

古い映画で映像も古いのに、私の中ではこの映画に出てくる海が最も美しく撮れた海、に見えるんですよね。

 

 

9.まだ、探す時間は山ほどある『最高の人生の見つけ方

タイトル通り、自分自身を見失いかけたら探しましょう、というわけで、具体的に探しにいくお年寄り二人の行動力溢れるシーンには、自分自身も奮起させられます。

人生はどこからでも始められるし、その始め方の具体的なやり方までも映画で描かれているので、終わった後はそれを実践してみたり。

私もこれを観てから、ルーティン的に毎年12月31日と1月1日にかけて、やりたいことリスト100を更新します。 

 

 

10.最も単純なことが最も難しい『イエスマン

どんな誘いにも絶対に乗らない男が、とあるセミナーに言って、全てに「イエス」と応え始めてから人生が変わる、というストーリー。

単純なことだけど、とても難しい習慣なのかもしれない、と考えさせられる。普段運が向いてない、とかついてないって言う人って、端から見るとそういう風に繋がる行動を取っているって、見えるもんだったりする。

最後に、「イエス」を言い過ぎて失敗する場面が描かれているのもとてもいい映画。よくある、宗教的にイエスを言い続ければ良い、という訳ではない、という部分にもきちんと言及している。

たまに出会う、『お楽しみ様です』系の人達は、もちろんそれはそれでいいけれど、それはマイナスを0に戻すための要素が強いこともきちんと理解していないと、気がついたらこの映画の主人公がそうであったように、大切な人を失いかねない。

 

並べてみたら、10選以上でて来た中で自分なりにリストアップ。

時代や自分の年齢によって変化する気もするけれど、とりあえず今の私の精神衛生を保ってくれる映画達はこんなかんじでした。

 

 

真面目に生きようと思うと本当に大変なので、程々に手を抜こうと思う

 

3月というだけで様々な卒業ソングが頭に浮かんできます。

中学校の卒業式がこの辺りだったでしょうか。小学校はもうちょっと遅くて、高校はもっと早かったかな。

 

卒業、というフレーズが似合う3月に、このドラマを思い出しました。

女王の教室|日本テレビ

 

そう、『女王の教室

いい加減、目覚めなさい。

日本という国は、そういう特権階級の人たちが楽しく幸せに暮らせるように、あなたたち凡人が安い給料で働き、高い税金を払うことで成り立っているんです。そういう特権階級の人たちが、あなたたちに何を望んでるか知ってる?

今のままずーっと愚かでいてくれればいいの。世の中の仕組みや不公平なんかに気づかず、テレビや漫画でもぼーっと見て何も考えず、会社に入ったら上司の言うことをおとなしく聞いて、戦争が始まったら、真っ先に危険なところへ行って戦ってくればいいの。

 

 

この台詞は子どもながらに衝撃的で、良くも悪くも、『国=システムの1つ』としてとらえるきっかけにもなりました。(王制、共和国制、独裁、それぞれのメリット、デメリットを考えるきっかけになった気がします)

 

愚かなままでいると、損をする。

というのは勉強をしてみるとよく分かることでもあったりして、思考がどちらかというと遅い自分はかく生きにくい世の中だなあ、とたまに思います。

けれども、どんなに理解が遅くても、理解をしようとすることを止めなかった、というだけで、学生時代私よりずっと賢く、聡明だった子とは全然違う人生になっているなあ、と感じることもしばしば。

たまたま彼女に会った時、彼女は自分自身の職場だったり、社会に対してだったり、人生だったりに愚痴と批判のオンパレードで、とても幸せそうには見えませんでした。

話すうちに、最近の話題書のことなんて全然知らないし、メディアに出てくるホットワードも、彼女にとってはちんぷんかんぷんの別世界。だからなんだという話かもしれませんが、学生時代に勉強がさほど得意でなく、できないという状況でも、落胆する必要は全くないのだな、と感じました。

天才的に得意な人もいるし、それを好きだという熱意と努力でカバーして後天的に天才になる人もいる。

けれども人生勉強だけで生きる訳ではないし、人の学びは経験×学習のかけ算だと思うので、経験の総数が大きくなったときに再び学び直し、なんかしてみると、学生のときとは大違いの理解度で勉強が進んだりもする。

 

何が言いたいかって、ひ孫よ。

勉強が苦手で嫌いでも、手を抜いたり、のんびりやるのはいいけれど、やめてはいけない、ということだ。

1mmでもいいから続けることが幸せへの第一歩だと思う。

 

 

アドレス

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LINEやメッセンジャーが主流になってから、連絡先アプリを開くのはとんとご無沙汰になっている。

あの頃はまだスマホに切り替える直前だったから、地震があって、電波が繋がるようになるとたくさんのメールが届いた。

全国各地に散らばる友人達からの生存確認メールに1つ1つ、丁寧に返信をした。
生きてるよ、って返信する機会なんてこれっきりがいいな。

返信を一通り終えた後、アドレス帳を眺めて、同じく被害があったであろう地域にいる友達にメールを送った。
返事があったのもあったけれど、ずっとそのまま、春になっても返事がない友達もいた。
ケータイが流されて、そのまま機種変した、とかであってほしい、と心の底から願ったまま。
それ以降は怖くてメッセージを送ることができていない。

今日、久しぶりに連絡帳アプリを起動した。もうみんなほとんど、LINEやメッセンジャーでしかやりとりがない。
格安スマホに変えちゃったりして、キャリアが変わっただろうから、ここにあるメールアドレスももう殆どが繋がらないアドレスだろう。

あの日は少しだった繋がらないアドレス達も、林に木が生えて森になるように増えて、繋がらないアドレスだらけになった。

 

 

直接会う友達もいれば、facebookで近況報告を聞くだけの友達もいるし、どこで何をしているのかさえ知らない友達もいる。

 

 

また、明日から私は連絡帳なんて起動しないのだろう。