くろやんの日記

思考・映画・ごはん・旅・自転車・読書・ライフハックのメモ帳

おばあちゃんと思い出の蒸しパン

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今年に入ってから私を一番可愛がってくれていた祖母の状態が思わしくなく、今か今かという状況が続いている。

私の祖母、祖父はどちらの家も私が生まれるときに高齢だったこともあり、物心ついた頃から一緒に映画に行ったり、遊びに行ったり、一緒に過ごした時間が一番長い祖母だ。

祖母にとっても私は初孫で、なんやかんやと思い入れが深いようで、私が病院へお見舞いにいくととても元気に色々しゃべってくれた。

母には、初孫パワーと言われて、暇さえあれば顔を見せて欲しい旨がLINEメッセージで届いた。

 

ど田舎に住んでいた私にとって、祖母は都会のマダムだった。そして、服飾関係の仕事をしていたせいか、とてもオシャレなおばあちゃん、だった。

祖母は幼いときに片足を病気失っていて、義足だったけれど旅行も色んなところに行っていた。障がい者が旅できる海外のほとんどを行った、と思う、砂漠の場所以外と本人は語っていた。砂漠は砂が義足に入るから嫌らしい。

 

映画を見るのも大体祖母と一緒だった。特に弟が小さいときは一緒に行けないので、祖母と二人で映画を見に行った。

祖母は障がい者手帳の料金で、私は小学生料金。ドラえもんの映画だった。普通の家族よりも安く済む分、祖母はよくおかしも買ってくれた。

普段、父や母と行くときには絶対買ってもらえない。映画は映画を観るところだから、という我が家ルールがあったから。だから祖母と行く映画はちょっと特別だった。

足の悪い祖母と一緒に歩いてお出かけに行くことが多かったせいか、バスでも電車でも、公共の場所に行くときには普通にお母さんと行くときとは違うサービスを知る機会も多かった。

そのおかげか、何かに不自由している人に自然と親切になれる自分がいる。道を聞かれたら一緒に地図を見るし、何かを落とした人がいたら結構反射的に身体が動く。障がいが有る無し、じゃなくて困っていたら助けてあげる、は祖母が私に教育したといっても過言ではないだろう。

 

祖母の料理も好きだった。一番好きなのは炒飯。私はお父さんが料理上手で、祖母もそれを知っていて、お父さんより美味しくないよ、といつも言っていたけれど、炒飯だけは、中華鍋で本格的に作られたお父さんのものよりもフライパンで普通に炒めた祖母の味の方が好きだった。

あればっかりは材料を揃えても自分で再現できない。どこかでおばあちゃんマジックが働いていたのかもしれない。

 

祖母は山崎パンマーラーカオという蒸しパンが好きだった。五個入りを買って、よく私におやつ代わりにくれた。最初私はレーズンが苦手だったけれど、そのうち慣れた。気がつけば、レーズンが入っていないと物足りなさを感じるようになった。

 

今日、久しぶりにスーパーでみかけて、思わず買ってしまった。2個入りもあったけれど、あえてお五個入り。

おやつに食べてみたけど、やっぱり美味しい。

五歳のときから干しぶどうが好き、という夫も多分気に入るだろうから、明日の朝に出してみよう。

 

人にはどうがんばっても、寿命がある。

生きている物には必ずあるものだ。祖母はとても幸せだったと思うし、残り少なくなった時間も幸せに過ごせると思う。

明日もまたマーラーカオが買うことができる世界は続くから。