くろやんの日記

思考・映画・ごはん・旅・自転車・読書・ライフハックのメモ帳

脱・整いすぎた履歴書。308日目の自己紹介。

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今週のお題「自己紹介」

 

はてなブログで日記を書き始めて308日目が経過しようとしています。

ふと気がついた事が、これまで一度も自己紹介なる記事を書いてきていないという事。今週のお題に便乗して、この機会に自己紹介ページ的なやつ書いてみたいと思います。

 

名前:kuroyan

ネットデビュー時から使っているいくつかのハンドルネームのうちの1つ。主にチャットなんかをするときに、自分という存在がIPアドレスでも辿らない限り、自分と特定されない為に、かなり適当に、kuroと名乗っていたところから。

そこに自分自身にリアルについているあだ名を足して、くろやん(kuroyan)という名前で日記を書く事にしました。

 

性別:女性

最近は性的趣向についても気になる情報の一つになっているようですね。大多数の人間生物と同じように、女性として男性が好きです。が、学生時代から色んな人にときめく、みたいなことは殆どありませんでした。多分恋愛向いていない。いちゃいちゃデートしに行く、みたいなことに対して、その結果何を得られるか?とか恋愛さえ合理的に考えてしまうので本当に向いていない。でも、結婚はして幸せだったし、夫にはしっかり者でよかった、と言われたので結婚はきっと向いている。

(夫にも、妻は向いているけど彼女には向いていない、とびしっと言われました(笑))

 

誕生日:冬

寒くなってきて、街にイルミネーションが飾られる頃。

欲しいものリスト公開中です(笑)

 

出身地:東北地方の超・ど田舎

とにかく都会に早く出たくて仕方なかったイモ娘。何を間違ったのか、都会に出てルブタンとかジミーチュウという存在を知る前に、極度乾燥(しなさい)。に出会って、なぜか極度乾燥(しなさい)。に強い憧れの気持ちを抱く。スイスに行って見かけて以来、あのリュック欲しいんですが、日本には店舗がないんですよね。日本から一番近い場所では台湾で売っているとの事。今度台湾行ったときに買ってきたい。

 

自転車:ロードバイククロスバイク

一台目に購入したクロスバイクは、ギアをマウンテンバイクと同じ歯数にして、10%越えの山道でも楽々行ける仕様に改造した本気のクロスバイクルイガノ

北は北海道の三国峠、西は阿蘇山を走り抜いたクロスバイクは、街乗り用の、ちょっと自転車始めてみました系だよね?君?とは言わせない(笑)

二台目のロードバイクは、トライアスロンに出場する為、また関東平野をぶっとばす為に購入。関東、平野ばっかりでみんなはやいんだもん。

爽やかなスペシャライズド。そろそろロードでの峠デビューもしてみたいけど、足がついていくか心配。トレーニングしよう。

 

 

整いすぎた履歴書:美しい履歴書にしたい

高校、大学、そして最初の就職まで、私の履歴書は日本人のお手本のような履歴書だった。留年も、休学も、休職もない。全部オールストレートだ。

卒業してきた高校や大学も、ある意味では整っていた。特段変哲もない、けれども特別優秀でもない、日本人の平均値ど真ん中を行くような能力値だったことは、学生時代の成績が証明してくれている。

けれどもいつも、虎視眈々と、自分自身が生きたい道、ということについてはずっと考えていた。

15歳という義務教育を終える頃に、どこかのアスリートや芸術家になれそうなセンスやひらめき、そして最も必要である情熱はなかった。それに気がついた自分は、まず自分の足下を固めることを決意。

次いで勉強面でも、トップクラスにはなれないだろうと自分の能力値の壁と直面。それは毎日、修行僧並みに自力でやってみた結果、あまり向いていないと分かった。でも向いていないからといって、放り投げる事はしなかった。

そして大学時代はとにかく自分の苦手な事、やったことがないことに対して挑戦を重ねた。能力値が平均値である自分は、経験値だけでも平均値から突き抜けないと、これからの時代生き抜くのは難しくなっていく気がしたからだ。

そんなこんなで音痴なのに音楽系サークル(歌う系)で4年間やりきった自分を褒めたい。まじで。

 

そして私は戦略的に、最初の就職までの間の履歴書を完璧なまでに整えた。食って行く為に。ある意味どこにも隙がなくて、履歴書だけをみれば、私という人物ほどつまらない人もいないかもしれない、と思える程に。

けれども、「整っている=美しい」わけではない。人間しかり、芸術も、どこかが崩れている方が、より美しさを感じるそうだ。

 

これからは整いすぎた履歴書から、美しい履歴書にしていきたいなあ。

 

週末、プチ旅。宇都宮の餃子よりも満足感が高かったもの

 

 

週末、運転好きな夫が久しぶりにドライブがしたい、と言い出したので、プチ旅してきました。

私は「今日は餃子が食べたいわ」という気分で、最初は渋谷にある気になっている餃子屋さんにでも行こうかと思っていたのですが、急遽宇都宮に食べに行く事に。

それだけでは何だかな、と夫が言うので、ついでにどっかで温泉入ろう、と提案→採用。

というわけで、おやつの時間も過ぎようとする時間に出発し、宇都宮に餃子を食べに行きました。

 

今回行ったお店はこちら。

tabelog.com

もちもちの餃子で食べログの点数もかなり高め。超・行列を覚悟して行ってみたのですが、並んだものの、わりとすぐに入れました。20分くらいだったかな。

中に入ると、寒い中並んで頂きありがとうございます、とおばちゃんが声をかけてくれたり、とても雰囲気が暖かいお店でした。

まだ餃子食べてないけれど、とりあえず食べログで話題になっても天狗にならず、こうしてお客さんを気遣えるお店、だからこそ未だに食べログ点数が高いんだろうな、と心の中で思いました。

 

餃天セットという焼き餃子と水餃子のセットを注文。先に焼きが来ました。

 

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これはこれでとても美味しいのですが、我が家は二人とも、焼きはカリッと派なので、ま、これはこれでありだよねーくらいのテンション。

ちなみにマヨネーズ七味かけの食べ方が推奨されていたのですが、もちっとした分厚い皮にマヨネーズがよく合いました。美味。

 

つづいて水餃子。

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これは本当に美味しかった!!もちっとした厚い皮がスープに良く合う!

この水餃子だけ食べに来る価値あるなあ、と思わせられた味でした。

 

また、いつもではないと思うのでこそっと書きますが、寒い中待ってくれてありがとう〜とちょっとしたおつまみがサービスされました。だいぶ並んでいた人が多く、中に入って注文してからも、そこそこ時間がかかっていたからかなあ、と思いました。

このつまみがなかなかに美味しくて、今度は電車で、ビールを飲める体勢を整えて来たいな、と思いました(笑)

 

 

食事をした後は栃木温泉湯楽の里へ。

www.yurakirari.com

 

チェーンのスーパー銭湯っぽいですが、温泉の源泉を有していると書いてあったし、帰り道でちょうどいいね!ってことで寄ることに。

 

ここが思っていた以上に最高でした。

 

かなり夜遅くまでやっているおかげで、餃子の後に入る事ができたっていうのもプラスポイントなのですが、結構温泉のクオリティが高かったです。

口コミの情報はほぼ真実でした(口コミがよかった)

 

温泉はぬるっとしている系。男性側の方も同じように良かったようで、夫も大満足していました。

特段ここがメインにしていた訳ではないのですが、このプチ旅一番の感動はここの温泉だったかもしれません(笑)

肌もかなりすべすべになりました。

 

 

弾丸旅行だったのですが、思った以上に楽しかったので、今度は友達を誘って行きたいなあ、とも思いました。

温泉とおいしいご飯っていうのはやっぱりいいですね!

 

 

 

豊かさとは選べる事

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ひ孫へ 

 

今、日本は物に溢れていて、それなりに知識をつけて、変な人との遭遇を避ける事ができれば、大変幸せに生きる事ができるお国情勢だと思います。

それは途上国に行った事がある人なら誰もが思った事があることでもあると思います。

そしてそう言う人は大抵、日本で辛い、と行っている人に、「インドに行ってくれば?」とか「カンボジアに行ってくれば?」と声をかけます。

 

これは一つ、正解であって正解ではないとも思います。

というのは、物がある=豊かである

という式は成り立つようで、実は成り立っていないことが、先進国が先進国になって明らかになったと思うからです。

 

昔、それこそ団塊の世代の時代は、物がない→物があれば幸せ、ということで、マイホームにマイカー。他にも家の中には基本的に物に溢れているのではないでしょうか。

私と同世代くらい、または少し上の世代になると、実家の家の片付けが大変だ、とか、遺品整理にウン百万使った、とか、とにかく物に困らされているひともまた多いです。

 

それも一つの形ですが、物に辿り着いても幸せになれない、物欲だけでは寂しい、みたいなことが分かり始めたからこそ、今はシェアが流行ったり、ミニマリストが流行ったりするんだと思います。

 

 

では何が人にとって、幸せなのか?

次に人々が求めるのは、「選択する豊かさ」なんじゃないかと考えています。

 

もちろん選択が嫌、嫌い、苦手、という人もいますし、日本人にはこういう人が多いようにも思います。

(ですが幼稚園児や保育園児がみんな与えられたものだけで幸せを感じているという訳ではないようにも思うので、選択が苦手、嫌、という人の大半は、周囲の環境等による後天的なものだとも思うんですがね)

私もものによっては選択するのが面倒で、どうにかしてうまくとばせないか、考える事があります。

 

けれども、基本的には「選べるということは豊かさ」であるとも思います。(選択するのが面倒、というのも、選択肢があるから芽生える感情でもあったりする)

例えば、学校。

田舎の子は基本的に選べません。一番近場かお金がなければ、高校、大学は行きません。(お金以外の理由ももちろんありますが)

一方都会の子はどうでしょう。高校からでもとても豊かな学科の選択肢がありますし、学校がなくても周囲に学校以外の選択肢を教えてくれる大人が身近にいたりもする機会が多いでしょう。

田舎は人もいないので、そういった選択をする以前の問題で、選択肢を知らないという上京になっている事がとても多いです。

 

例えば、国。

例えば、日本人として日本に住んでいて、日本のパスポートを持っていれば、大抵の国に行く事ができます。世界のパスポートランキングでもそこそこ上位です。

また、移住に関しても選択肢があります。国によっては移住が自由に許されていない国もある訳で、そういう人は、「自分に生まれた国が合わないな」と思っても、そこから出るという選択肢がないのです。

私達は、ハードルはまだまだ高いですが、本当に嫌になったら海外に逃げる事ができます。

国を選べるという事は、宗教や法律を選ぶ事ができるという事です。

外に出てみると、日本の過ごしやすさいいなって思うんですけどね。特に宗教。昔から、2つの宗教(仏教と神教)を同時に信じて良いよっていうのが根底にあるので、神様が何人いても良いって思っている価値観の人が殆ど。なので、誰が何を信じている人でも、糾弾されたり、毎週末日曜日に神社(もしくは寺)に行かなかったからといって、特に問題は発生しませんし。(その代わりにあるのがムラ社会かもしれませんが)

 

 

選択する豊かさを得る為には、まず知らなければいけません。

そしてこの「知る」ということに対して、世間や国、そして学校でさえも、そこまで一生懸命な機関でもない、というのもまた一つの事実です。

特に、公の機関が管理する学校は、世の中の一部しか教えてくれません。(それでもいっぱいいっぱいなんでしょうが)

でも恨んではいけません。世の中、勉強する事が多すぎるので、幼少期迄の学校は、勉強の仕方、学習の仕方、ハウツーについて教えてくれる場所、というイメージで行った方が、大事な事は自分で学ばなければいけない、という気概になり、自分にプラスかと思います。

それは国や学校、ひいては社会に依存しない生き方でもあると思います。

社会情勢は10年、20年という単位で変化していくものです。誰かのせいにしていると、自分が依存した社会にずっとしがみついていなければいけなくなります。

社会の波にしがみつくのではなく、波にしっかり乗る為には、どの時代に置いても自分なりに「知る」という行動を続ける事が大切だと思います。

 

というわけでひ孫よ。

物欲を満たしたら、もしくは満たせたら、次は「選択肢をたくさんもてること」という欲がやってくるので、その欲に対応すべく、自分自身を高める事を怠らないように。

 

 

追記:

ちなみに「選択肢がたくさんある」の次の大きな欲求は今日までにはまだ、自分自身にはふりかかっていません。

選択肢が見えている状態だと、承認欲求もある程度コントロールできているからかもしれません。

 

山奥から採ってきた山菜、無農薬野菜について考えさせられた事

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最近自分のフェイスブックでは、昔誰かのパーティ伝に知り合って繋がった人が脱サラ→農家(?)に転身したようで、その写真がタイムラインを彩っています。

自分たちで作った野菜、他、いのしし対策の様子だったり、今の時期だとたけのこ堀りをしている様子など、自分としてはなんとなく懐かしい気持ちになって、ほっとさせられる投稿たちです。

 

思えば、自分の実家の周りの人達はじめ、農家さんでブログやホームページ、Facebookなどを頻繁に更新している人、というのは最近増えてきているようにも思います。

地域ごとに、頻出する動物たちへの対策が違ったりして、「へえ〜そっちの地方ではそういうものを作ったりするんだー」と新しい発見もあったりして、とても面白いです。

 

そんな中で、たまにふと、面白いな、考えさせられるな、と思うのは、友人伝で知り合った彼のような、サラリーマンor都会で生まれ育ち、働いていた人、が上記のように転身して農家的仕事についたときに発信していることです。

 

▼多分、「自分で採る」だから「おいしい」んじゃないかと思う、「山奥で採れた本物!やっぱりおいしいね!」という台詞

彼に限らず、都会から田舎に引っ越した人達は、大抵こんなことを言います。

「山奥で採れた!」「天然物!」「やっぱりおいしい!」

もちろん一理あると思っています。実際都会に住んでみて、排気ガスにまみれたよもぎは採ろうと思えない、というか食指が動かないですし、採れたては旨いです。

けれども、「山奥で採れた本物!やっぱりおいしいね!」という人の中には、極端に、天然物でないとだめ、とかそういう方向に走る人がいるのですが、「山奥で採れたから美味しい」とか「天然物だからおいしい」だけでなく、「自分で採ったからおいしい」というフィルターがかかっているんじゃないかとも、たまに思うのです。

山奥で採る天然物は、採る側がちゃんとみていないと、間違えたり、あんまり美味しいとは言えない状態のものを採ってしまうリスクもあります。

また、天然ものだからこそ、いわゆる「ハズレ」もあります。

田舎に住み続ければ、そういった負、つまり理想ではない、作り物ではない現実にぶつかります。田舎に移住してみたけどやっぱり都会に戻ってきてしまった、みたいな人達は、とても過度に田舎に期待しているなあ、と感じることがあるのですが、そう言う時、天然物だからじゃなくて、きっと自分で採ったからっていうのもフィルターとしてあると思うよ。

と思ってしまいます。

(そして空気が美味しいというのも一つあると思います)

 

▼絶対に無農薬じゃないといけない!という暗示について

そういう農法、農業があって、もちろんそれはそれで素敵です。けれども、勉強もせずにそういった括りを自分につけて、がんじがらめにして、やっぱり無理、と言って農業から手を離していってしまう人もまた多いようにも思います。

私自身、畑が身近な環境で生まれ育ちましたが、ある程度の農薬は必要かな、とも思ったりします。

もちろんなきゃないでもいいですが、農薬を使った方が、虫がつかないし、そうすると管理が本当に楽。変な虫を間違って食べてしまうリスクの方がちょっと怖いとも思ってしまいます。

そんなことを言うと、「環境に悪いし、早く全部無農薬にした方が良い!」

みたいなことを言われたりもするのですが、そもそも人間が行っている農業自体が大きな環境破壊行動です。

人類初めての環境破壊行動は、狩猟、その次に稲作、と言われている説もあります。

っていう歴史の話を出すと、えっそうなの?という反応とともに、無農薬の括りを外して田舎ライフ、農家ライフを続ける人も多いようですが、

とにかく色々勉強して考え抜いた結果、無農薬、というのなら頑張って欲しい、と思いますが、そうでない場合は、むやみに自分を縛り付けない方が楽しいんじゃないかな〜

と思います。

 

 

 

そういえば、自分で狩ったり、採ったりした野菜は美味しいマジック、は、調理実習で作ったカレーのおいしさマジック、にも似ている気がします。

あれも絶対お母さんがつくってくれたやつとかの方が美味しいはずなのに、みんなで作ったせいか、めっちゃ忘れられないんですよね。

 

そういえば、友人はたけのこ掘りを楽しげにやっておりましたが、あれ、毎年やっているとだんだん辛くもなってきます。

毎日のようにぽこぽこ生えてきます。雑草のように。しかも成長も早い。私の実家では毎年ゴミ袋数袋分採れて、かなり量をご近所さんに配るのですが、それでも余って、捨ててしまう事もあります。いや、本当にたけのこ掘りって結構大変。

 

 

「超・田舎で生まれ育って良かった」と思った瞬間ベスト10

 

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私は超・田舎生まれ、超・田舎育ちだ。

超っていうのは、地方都市ですらない、ということだ。どれくらいかというと、『君の名は』の舞台になったような地域は私から見たら都会だ。

そもそも私の地元には高校がなかった。

人口は地元集落から住民票を抜くときに見た数字が7777。切りが良くてよく覚えている。多いように見えるが、集落の面積がそもそも広くて、友達の家まで山道を車で1時間とかかかる。

もちろん田舎なんて、探せば切りがないし、もっともっと不便な場所とか、それこそ島とか比べちゃったら本当に切りがないけれど、とりあえず、高校生になるまでそもそも買い物、を殆どした事がなかったし(お金を使う場所がそもそも無い)、大学生になるまでレンタルビデオ屋さんで何かを借りた事もなかった。

それはそれは不便で、早く就職で東京に出たくて、出たくて、しょうがなかった。

そんな私は典型的な田舎のイモ娘だった。

とりあえずミスドが近所にあるだけで喜んだ。(駅前にあるというだけなんだけど)私にとって、ミスドは街に出られたときに食べられる、特別なドーナッツだった。

ちなみに今でもしょっちゅう行ってしまう。

オシャレなんてぽんこつで、付き合って早々、社会人の夫に洋服やら靴やら指導された。どっかのテレビ番組の変身企画のようだった。最初に買ってもらった靴は、もうはかないけれど今でも大事に取っておいてある。あのときの私にとって、靴をイオンとかABCマートとか以外で買うのは初めてで、ついでに1足1万円の靴っていうのも初めてで、そんなキラキラした思い出がたくさんつまっているから、こんまりさん流に言うと、ものすごくトキメク靴だ。履かないのに。

日高屋を初めて見て、行ってみたい。ジョナサンを初めて見て、行ってみたい。鳥貴族、やよい軒、有名なラーメン屋。夫なんて大学生時代に行き尽くして、付き合いたての彼女と一緒にだったら、もっとカップル向けの良いレストランとか連れてくよって気概だったそうだが、毎回私の希望により、とても安く済む。安上がりな女だったようだ。

とにかく東京は楽しい。

楽しくて楽しくて、楽しかったんだけれども、数年過ごして、今がすごく楽しいし、東京も好きだけれど、「超・田舎で生まれ育ってよかった」と思う瞬間がある。

 

 

 

1.個性が求められ始めている社会において、個性を出し易い

これまでは、どれだけみんなと一緒の事ができますか?っていう部分が求められていたような気がしますが、最近は「どれだけ人と違いますか?」ってところの方が求められる機会が多い。

そんな時、人口が多い関東、ではない地方出身ってだけでまず個性が出るし、さらに東北となるとそもそもの全体人口もすごく少ない。その辺境地ともなると、希少性はかなり高い存在になる。

自分の地元もそうだけど、大学まで東北に居続けた私は、(自転車で回った経験値も手伝って)東北各所の観光地やグルメにかなり詳しくなっていた。

先日、東北観光に行きたいという友達のお姉さんに情報提供を求められ、プランを2プラン、各地域のおすすめのお店、そして道路状況までも細かくまとめて送ったんだけど、そもそも東北6県って相当広い範囲だし、それを網羅してる自分もちょっと怖かったし、最終的に送った情報量も多く、1冊薄めの本ができそうなくらいには細かかった自分の能力は何かに絶対生かせる!と確信した。

希少性が高いと、そっちの地域に旅行に行くとなると、大抵情報提供を求められる人、になったりして、そこから会話や縁が繋がったりする事も多い。

 

 

2.東京、さらに地方都市を客観視、つまり相対的に見ることができる

地方出身者はみんなそうだけど、東京に出てくるパターンが多く、無理矢理でも地元と東京を比べざるを得ない、故に、東京ってこんな街という視点を持つことができる。

(同じ日本でしょ?と思うのは東京の人だけだと思う)

それは住まないと分からないような事まで経験するからこそ、持てる視点だと思う。

さらに超・田舎出身者は、そこから地方都市も客観視する目を持つ事ができる。もちろんそんな目を持てない人も多いから、持てるチャンスがある、の方が正しいのかな。

私自身は高校卒業までを超・ど田舎、大学が地方都市、そして就職で東京だ。

よく、東京の人は地方を全部一括りにするけれど、地方都市と辺境の地はだいぶ差がある。

地方都市にはヤンキーはいるけれど、辺境の地はそもそも買い物する場所とかもないから基本的にグレようがない。(というかそもそもそういう情報が、親がヤンママ、とかでない限り、入ってこない)そしてグレても見てくれる人が少ない。

あと地方都市にはミスドがある。超・田舎視点だと、それだけで都会。

 

 

3.半強制的に自立イベントが発生する

超・田舎出身であると、例え同じ県内の大学に行くとしても、一人暮らしをしなければ通えない。故に、遅くとも高校を卒業したら独り立ちをしなければ行けない。

もちろん親元でずっと暮らしながらも自立している人もいるけれど、やっぱり一人暮らし経験者の方が、光熱費に関する感覚とか、掃除洗濯などの家事に対する意識が高めの人が多いと思う。

そうして暮らすということに対して、確実に自立しなければいけない、という意識は、人を少し背伸びさせて、そして成長させてくれる。

私の友人や弟は高校進学とともに家を出る事になったので、そういう人の自立も本当に早い。そして弟は、面倒な反抗期に親と顔を合わせないので、先輩に揉まれながら自分で解決して帰ってきた。

 

 

4.あまりスレないので、都内の人間性のある人達に囲まれると、とても大事にされる

中学校で煙草吸ってるやつがいた、とかは都市伝説、というかマンガの世界だと思っているくらいのレベルの人が多いのが現状。

都市部だと、自分の学校にはいなくても隣の学校にはいた、みたいな人結構いる。超・田舎では、そもそも隣の学校は隣町。隣町なんて車でしか行けない。(本気出して、ロードバイクとかなら行けるけれど)

そうすると、よくもわるくも悪い事を知らない。(それでいて、悪い空気には敏感だったりする。直感がいいのかな。私はこの直感力(と事前のお勉強)のおかげで、変な宗教、ネットワークから逃れられた。)

これが都市部の人間には「癒し」だと言われる事が多々あった。

多分あれ。外国人を寿司屋に連れてったら超喜ばれた、みたいなシチュエーションににているのかもしれない。

 

 

5.作られた本物は知らないけれど、自然の本物は理解できる

芸術、美術とか人の手によって作られた「本物」はやっぱり都市部にしか集まらない。美術館とか。音楽も劇とかもそう。

 そういうのをリアルで観るのが一番よく分かるように、自然の「本物」もそうだ。

分かり易く言うと、「雰囲気だけの高級レストランにだまされない力」なのかもしれない。

もちろん加工の力は都市部の方が優れている。圧倒的だ。けれどもその原材料は田舎で採れている。

母のおもしろエピソードの一つに、「夢の築地」という話がある。東京に行ったら築地で海鮮丼を食べたい、という目的を持って、上京時に築地に行った母。彼女は海鮮丼を頼んだ。全国から魚が集まるので、普段見慣れない西の方のお魚はとても面白かったけれど、残りの半分は地元の方の漁師さんが取った魚達が御前に並んだという。そしてその店の店主には、なんでわざわざ食べにきたんだい?(笑)と突っ込まれたらしい(笑)

他にも、山の楽しさも知っていれば、山の怖さも知っている分、自然への畏れがある。など。

これは東京に出て、某業界の人とか、あと都市部の大学生が、飲み物や食べ物を粗末に扱っている姿をみてすごく感じた。

コールとかアホだろ。丹誠込めて作ったものを、そんな風に飲まないで欲しいし、食べないで欲しい、と心から思った。

 

 

6.人と違う事をした時、少数派になれる確立が高い

1の個性を出し易い、とも似ているけれど、もっと言うと、競争率が低い。

例えば東京生まれ、東京育ちで東大に行く人、はたくさんいるけれど、超・田舎の中で東大に行く人は、数十年に1度いるかいないかだ。

そんな中で、例えば地方創成とかUターンって言って、地元に戻れば、その地元(超・田舎)では本当に稀な存在になる。

(そして元々その地域出身なので、田舎あるあるのよそ者が嫌われる、という効果は発揮されにくい)

つまり、人と違う事を少しするだけで、ラベリングがとても独自性のあるものになるのだ。

これは、H型人材、とか人と違う経験をしている、みたいなことが価値を発揮し始めている社会において、結構大きなアドバンテージになっている。

 

 

7.なんやかんや基礎体力・気力が高い

山道徒歩50分通学。みたいな生活をしていたせいか、都内だったら2〜3駅分くらいなら歩けてしまう。というか歩く事に対して躊躇とかない。

なんなら吹雪の日もそうやって歩いて通っていたので、結構過酷な環境に放り込まれても、なんやかんや乗り切れる。

そう言う意味では、発展途上国に行って人生変わった、みたいな都会の人が言うのが半分分かって、半分は分からなかったりする。

超・田舎の人の多数は車生活をしているので、一概に全員がそう、とは言えないけれど、親が忙しくて自転車・徒歩で超・田舎生活を乗り切った人は本当にみんな体力と気力がある。猛者。

そう言う意味では、結局どこで生まれ育っても、努力するか、頑張れるか、ってところで差が出るのは一緒なのかも。

 

 

8.身体が作られる時期に、きれいな空気・水がある環境だったこと

同級生とかに、アレルギーとかがある子が本当に少なかった。都内に出てからの、アレルギー持ちの方に出会う確立は本当に高いように思う。それは母数の問題でないのでは?と感じたのは、上京半年で自分自身が肺炎になり、人生初の入院をすることになった時だ。それから水道水を飲んでよくお腹も下した。(以降、水は基本的に買っている)

そういえば、地元にいるときは、アレルギーや喘息の子が療養的に転校してくる、みたいな事が多かった。同級生として遊んでいるときはそんなことも感じさせないくらい元気だったけれど、都市部にいるときは酷かった、という話も聞いたっけ。

私の夫も、アレルギー・アトピー等等、かなり酷かったようで、一時期は家から出る事が困難だった、とも言っていたけれど、オーストラリアに住んでかなり回復した、と言っていた。

大自然の中で生活しているうちによくなった気がする、というのは本人談。

そういう話を聞いていると、当たり前過ぎて考えた事もなかったけれど、身体が作られる幼少期を自然の中で過ごせた事ってすごく自分の身体を強くしてくれていたのかな、ともたまに思う。

実際、自分の元々はお腹をよく下したりする、平均値よりはよわっちい子だと思うのでなおさら。

 

 

9.人が少ないから、元々知った顔でなくても、××さんとこの人だよ、でつながりがすぐできる

人口が少ないと、その地元でのみ通用する学歴、人とのつながりだけで、地元及びその周辺地域にまで、つながりを広げる事ができたりする。

なんなら人口が少ないので、地元の政治家とかともすぐ繋がれたりする。

個人的に、これは仕事をする上でとても役立っていたりする。また、この伝てを辿りたい、という東京在住者の方とか、企業の方をご紹介する事も。

ちょっと頑張っただけで、地元と都市部のハブになれるのは、地元側が人が少ないからこそできること。

そしてなんやかんや、仕事って人とのつながりから生まれるので、この状況は大活用中。

もちろん面倒な人もたくさんいるし、そう言う人から逃れたくて上京した訳だけど、使えるもんは使おう精神ですね。

また、大学も東北に残った訳ですが、それによって東北の中で活躍する役職に就いている人は大体同級生とか先輩だったりします。(都内の優秀な大学に行った人は都内で就職するからでしょうね)けれども、最近地方で何かしたい!という東京の人と、こうした同級生や先輩をつなぐ役目を果たしながら、大学まで田舎にいたけど悪くなかったなあ、とも思ったりします。

 

 

10.年配の人にウケるネタに詳しくなる

これ知っててよかったーっていうほどありがたいわけでもないけど、ちょいちょい感じる事。

人口比率的にも、地方は若者がいないので、話し相手は基本的に自分より年配者。そうすると、その世代の人が好きなもの、とか世代ネタに詳しくなってたりして、上京後、そういうネタで年配者の心がかなり掴んだ。

また、地域的に日本酒にも詳しくなれていたので、飲めない若者が多い中、都内で人脈を広げる一つのアドバンテージにもなった。

ちなみにこの技術を持って、夫の母(つまり姑さん)ともすごく仲良くなれました。田舎にいたときは、早くもっと多くの同世代と話したい!とか、時間の無駄なのでは、と思ったりもしましたが、結果的に役立ちました。

人生の時間に無駄はないってことを体感したようにも思う。

 

 

 

「東京に生まれるのは一つの才能」みたいな言葉があるそうですが、考えようによっては、日本の田舎に生まれる方が確立低いですし、「日本の田舎に生まれるのは一つの才能」とも言えるんだろうな、とも思います。

過去、私も、都会生まれ育ちはいいな、って思っていました。

どこで生まれ育っても、道が開ける環境は整っている時代だと思うので、簡単に、「できない」って言わないようにしたいな、と思う次第です。

また、「できない」って思わない、「能力を高める」ためにも、田舎にずっといるのはよくないとも思います。どこかで外の世界を知る。これは東京の人よりも田舎にいる人の方がそのギャップを感じ易く、効果を得易いという意味で「超・田舎で生まれ育ってよかった」と思う訳です。

 

最近ハマっているサイト、nanapi

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nanapi.jp

最近このnanapiというサイトの巡回にハマっています。

元々、ツイッターで色んな人がリツイートしていたところから知って、いつも美味しそうな上に簡単なレシピが回っているのを観て、フォローし、サイトの存在を知りました。

 

料理に限らず、暮らしに関する雑学など、

「一人暮らしのときに、特に初期段階で読んでおきたかったー」

って思うような知識が凝縮されたサイトです。

一人暮らし初心者の方や一人暮らし継続中の方で、かつズボラな方には神様のようなサイトなんじゃないかと思っています。

 

そんなズボラ料理レシピ達、これは主婦が手抜きをするにもとても素晴らしいレシピが多いです。

多分ですが、一人暮らしの男性がターゲットになっているような記事も多く、掲載レシピもオシャレでキラキラしたもの、ではなく。

がっつり、しかも男性が好みの味付け、みたいなレシピが多いのです。

(もちろん女性にとっても美味しいんですけど)

これはズボラ主婦のためのサイトではないか、と最近はクックパッドデリッシュキッチンよりもnanapiです(笑)

そんなnanapiにはまる私が最近作ってみてはまったレシピ達がこちら。

 

nanapi.com

結構夫に受けました。夜、パスタゆでるだけなので楽チンだし、これにサラダつけてもいいし、パスタ自体に菜の花とかほうれん草とか、青菜系を混ぜてもいけました。

 

nanapi.com

米をタイ米にしてしまえば、本格、タイの味の完成、何だと思います。普通に日本の米で作りましたが、これはこれで夫に受けました。

どーんと肉が出せるのも(炊飯器調理の為に洗い物が少ないのも)ポイント高め。

 

nanapi.com

さんまではなくツナ缶でやってみたのですが、それはそれで美味しかったです。炊飯器で完結するので、これもまた洗い物が少なくてとても大助かり。

しかも炊き込み御飯ってそれ自体がおかずも入っている感じなので、おかずの品数を少なくできて便利なんですよね。

 

 

家事って毎日の事だし、完璧にやるというより、健康に過ごす、とか気持ちよく過ごす、みたいな目的が達成されれば良いのかな、と思うので、今日も私は素敵なズボラ術を求め、nanapiを探索しに行きます★

 

 

もはやマンガは教養書?読んだ事ない、と突っぱねるのはもったいない

 

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日本を訪れる、もしくは日本が好き、という海外の方とお話をすると、8割くらいの方はマンガが好きだなっていうことを肌感覚で感じます。

国や地域、男性女性、年齢などで傾向はある気がしますが、大抵どの人もジャンプ系のマンガ、ドラゴンボールやワンピース、ナルトあたりは知っている方がとても多い。

(アメリカの方だと名探偵コナンのファンの方が多いような気もしますが)

 

そんなマンガが好きな方は、ディープな作品も知っていたりして、先日びっくりしたのは、ジブリ美術館目的で来日したというイギリス人の若い男性と、マンガの話しをしていると、今一番ハマっているのは『ワンパンマン』だということに...

一瞬こっちか?

と確認しましたが、いや、「わん」だ、と言い直されました(笑)

そう、こっち。

私も夫に勧められて読んだ事があった作品だったので、イギリス人男性とは多いに会話が盛り上がりました。

結構マイナーな作品で、ジャンプファンなら抑えているでしょうけど、まさか外国の方にも認知がある作品だとは思っていなかったのでびっくりでした。

しかもちゃんと英語で出版されているのね……

 

これはレアケースでしたが、大抵の方はドラゴンボール、ワンピースあたりはみんな知っています。

海外の方とお話しするときの、1ツールとして、もはや読むのが教養レベルに必要なんじゃないかと思わされます。

 

そう、別に必ず読まなきゃいけないわけではないんですよ。

 

教養って、なければないで生きて行く事はできるでしょう。

森鴎外とか、夏目漱石の作品を読んだ事がなくたって死なないし、働く事はできるでしょう。モーツアルトの曲を一曲も知らなくたって、明日ご飯が食べられなくなる、みたいなことが起きる訳でもありません。

 

けれども、知っていれば。

同じことを知っている人と、感情を共有できるかもしれません。

会話の糸口になるかもしれません。

何か、難しいことを説明するときの、たとえ話に使えるかもしれません。

誰かと友達になるきっかけになるかもしれません。

 

全部、「かもしれない」ですが、生きる事が楽しくなる1ピースになることには間違いないでしょう。教養は必ずしも必要である事がないという性質から、知らなかったからよかった、ということはないような気がします。

スキルが人生を組み立てて、雑談が人生を彩る、とはよく言ったもの。

 

たまにマンガなんて読まない。

少年誌なんて読まない。

と突っぱねられる事があります。もちろん宗教上の理由で読めない、とかは別ですが。何かのメディアを頑にシャットアウトしている人って、(柔軟なシャットアウトの人とはまた違う)端から見ていると、ちょっと損している人が多いように思います。

ふと何かイベントやら勉強会やらにお誘いするときにも、あの人はもしかしたらこういうのは無理って突っぱねそうだな……と、お誘いリストからもすぐに外してしまうことが多いような気もします。そういったことが積み重なって、必要な情報やよい情報を取り逃がしてしまっているようにも見えてしまう。

 

それはそれでも良いと思うのですが、マンガそのものを全部読み込まずとも、1巻だけ読むとか、 あらすじをwikiで追う、とか、ストーリーを楽しむだけでなく、誰かとの会話の準備の仕込みをしておくだけでも意味があるし、

何かをシャットアウトするということは、自分ではそこまで閉じたつもりはなくても周りはかなりシビアにシャットアウトしています。

そういう環境を自分で作っている、という自覚がないと、ちょっと悲惨です。自分で気がつかない間に、自分が生きていく範囲を狭めているという事になっているのですから。

 

というわけで、ひ孫よ。

何事も食わず嫌いにならず、素直に吸収する気持ちを大切に、ね。

 

 

音楽が手軽になったからこそ、ライブの価値が上がった

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youtubeニコニコ動画、動画サイトによって音楽はとても身近なものになった。音楽配信アプリもいろいろある。スマホという手元にある道具で簡単に音楽にアクセスができる。

最近はもっぱら、Sportifyというアプリで音楽を聴いている。

曲はランダムで、途中でCMも挟むが、無料で好きなアーティストの音楽を楽しむ事ができている。有料版にすると、音質アップとCMなしになるらしい。

けれども私は課金するくらいなら、CDを買う。

なぜなら、その方が圧倒的に音質がいいからだ。

 

音楽が手軽になったからこそ、質が気になるようにもなってきた。

そしてそれはライブの価値を高めたようにも思う。

以前であれば知る由もなかったであろうバンドやシンガーをネットで知って、これは生で聴いてみたい、と思えばライブの日程を調べるようになったし、海外アーティストであれば、その来日スケジュールをチェックしたりもする。

海外アーティストであれば、そのアーティストの熱狂的なファンっぽい人のツイッターなりをフォローするだけで、来日スケジュールの情報がリツイートで回ってくるんだから便利だ。

 

生のライブは本当にしびれる。

音楽は多分、本当は耳で楽しんでいるようで、耳だけじゃない五感も使って感じる物なんだ、ということを知ったのもライブだ。

プロは生がやばい。

そしてその金額を出して見に行く価値があるものだ、と本気で思える。

 

同時に、何にお金を支払うか、という価値判断軸をもつ大切さも最近ひしひしと感じる。

自分が気持ちよい、心地よいと本気で思った物にはしっかりお金を出したい。

そう思っていない人程、「安物買いの銭失い」に似ているような、安いからこれでいいや、とか、とりあえずこれにしよう、みたいな、ダラダラとした支出をしている気もする。

 

というわけでひ孫よ。

価値ある物にはしっかり価値で返しなはれ。

そして、何が自分に取って価値があるのか、判断基準をもつためにも、「いいもの」「本物」にたくさん触れて欲しい、と思う。

ネットや仮想的な世界で感じるものとリアルの差は、多分未来でも大きいはず。

 

 

余談だけど、

スマホで圧縮された音楽ファイルよりもCDの方が圧縮されてないような感じだし、もっというと本当は圧縮度が一番低いレコードが音質が一番良いんだろうな、と最近感じる。

そう思って、レコードについて調べてみたら、最近再びレコードブームがやってきているらしい。特に日本は日本人特有のものを大切に扱う習慣から、中古品の保存状態が高く、海外から日本に買い付けに来る人が多いらしい。

 

 

300日目。私が自由の象徴である大学を早く卒業したかった理由

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気がついたら記事数がこれで300個目です。ということは300日間、日記を書き続けているという事。

思えば昨年の6月頃に始めたときは、とりあえず1行でもいいから書き続ける事、ということで、しょうもないことを書いてみたり、日々の自分のしたことの記録をただ付けてみたりしてたわけですが、「ひ孫に将来みせる」という目標ができてからは、ひ孫に恥ずかしい文章はみせられない、という自分がよくみられたい自己顕示欲効果が働いて、なんとなく文章が形になっているかなあ、という日記が書けるようになった気がしています。

 

さて、今日から新年度。進学、進級、はたまた新社会人へ。

新しい環境に向かう人もとても多いと思いますし、明日から始まるという人は緊張で旨がいっぱいの日曜日かもしれません。

 

自分はどうだっただろう、と振り返ってみると、はやく社会人になりたくてしょうがなかった、という気持ちが強かった事を覚えています。

 

大学生という高校生よりも大人で、自由で、バイトもすればお金もそこまで困らなかったりもする「大学時代」というものがとても楽しく、忘れられない人も多いようです。

大体就職して半年経ったくらいに大学時代の友人に会うと、大学時代に戻りたーいって言う人もそこそこいたりします。

 

それくらい自由で、楽しいのが日本の大学。

私自身も大学はとても楽しかったけれども、それでも早く社会人になりたい、と思っていました。

 

理由はいくつかありました。

・金銭面に関する余裕がそこまでなく、早く稼ぎたかった

・早く上京したかったから

・人口の多い場所に住んで、気の合う仲間とたくさん出会いたかった

 

とくに、気の合う仲間とたくさん出会いたかった、というのは一番大きかったようにも思います。

田舎ではどちらかというと「出る杭」タイプだった私は、仲の良い友達はもちろん大学にもたくさんいましたが、生きていく上での志を語り合って、共感し、ともに高め合う、みたいなところではかなり物足りなさを感じていました。

当時の仲間の間では、かなり上昇志向が強いタイプでした。

(が、上京してみると全然上昇志向がそこまで強いタイプでもないことも分かりました。どちらかというと、自分の好きなように、自分の頭で考えて楽しく生きていきたいし、そのための行動量が多いよっていうくらいでした)

おまけについていきますっ!という後輩は多かったものの、自分が引っ張られる、もしくは同じような志をもって生きる同志のような存在がなかなかいなかったのです。

上京すれば、人口が増える分そういう人と出会う確立も高まるし、実際そうして行動した先で出会ったのが現在の夫。

夫と出会ってからはとてもすごいスピードで、素敵な仲間と知り合う事ができました。

 

そんな流れがあったから、学生時代は学生時代で面白かったけれども、戻りたいとはこれっぽっちも思わないし、当時もそういった未来への憧れがあったおかげで、4月1日はとてもわくわくしていたことを記憶しています。

 

それに多分これからの時代は、日本でだって社会人の大学院生が珍しくない、という流れになるはず。(既に一部ではそういう世界が広がっているし)

学生時代っていうのも、20代とか10代って言い方になるのかもしれないなあ。

 

ひ孫たちの世代はどうなっているんだろうね。

小学生起業家なんて、珍しい存在じゃなくなっているんだろうな。多分。

 

 

 

【目標振り返り】3月の振り返り

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今年も3ヶ月が終わったよ、ということで1〜3月までの振り返り日記を書いてみました。

kuro-yan.hatenablog.com

 

今日は3月31日。1〜3月の振り返りとは別に、3月に特化した振り返りをしてみようと思います。

 

▼転職からの1年間を振り返る3月

▼これまでの積み重ねを考えさせられた3月

▼辞めるということの大切さを感じた3月

 

 

▼転職からの1年間を振り返る3月

ちょうど1年前、職を変えました。前向きなチェンジで、前職関連の人達とは今でも仲良くさせてもらっています。

変えてからの最初の1年間は、それまでがんじがらめに縛られた中で働いていたのとは打って変わった環境となり、とにかくたくさんのことを吸収しに行く1年になりました。

海外旅行も国内旅行も行けるだけ行きまくったなあ、という実感があります。

また、遊びに行くよ、と宣言していた友達に対して「行く行く詐欺」とならないよう、実際に遊びに行きました。

それがきっかけとなって、人生初の海外での、外国の友達の結婚式にも参加してきました。

純粋なシティボーイ、シティガールには何の事はない経験なのかもしれませんが、集落の9割は外国人と話した事がないのではないか、というようなど田舎から飛び出した身分としては結構な飛躍です。

かつ、こんなに英語がへたくそなのにそういうチャンスがもらえたというのもとてもありがたい事。言語が話せる事も大事だけど、やっぱり人を大切にする、とか感謝の気持ちを伝える、みたいなコミュニケーションの基礎は大事なんだなあ、と改めて考えさせられた出来事でもありました。

そんなこんなで積み上げて、吸収してきた事がきっかけで、新たにお仕事が増えたり、着実に直線ではない、多岐にわたるキャリア形成(パラレルキャリア)の方向に進めているなあ、という実感もあります。

 

 

▼これまでの積み重ねを考えさせられた3月

吸収してきた事がきっかけでお仕事が増える等、改めて積み重ねる事、こつこつ続ける事の大切さを実感したのもまた一つ。

また、前職で積み上げてきたお仕事関係でも、久しぶりに出会った人から感謝されたり、また機会があれば戻ってきて欲しいというお言葉を頂けたのも、前職時代に、既に転職を意識しながらも、相手に価値を返す、与えるという事を大切にしてきたことが実ったんだなあ、と感じさせられました。

今後も自分の仕事が誰の、なんのためになっているのか、ということは大切にしていきたい次第です。

 

▼辞めるということの大切さを感じた3月

今月でジムを退会しました。本日はラストジム。広いお風呂が手軽に使えなくなるのは残念ですが、その分近所のスーパー銭湯を週1で利用しようかな、とか。たまに皇居ランに行ってみようかな、とか。サイクリングで遠出しようかな、とか。運動面でのアイディアの妄想が広がっています。

辞めるって決断をしないと、こういうことまで思いつかなかったし、考えようともしなかったかもしれません。

時には何かを辞めてみる、というのも大切なんだろうな、と思います。

 

今年は桜が平年より早めに終ってしまったように思います。

桜が早かったのに合わせて、思い出や昔の感情に浸る時間も短縮して、新たな気持ちで4月にスタートダッシュを決めたいです。