くろやんの日記

思考・映画・ごはん・旅・自転車・読書・ライフハックのメモ帳

日本がおもてなし大国であることの理由が私にはまだ分からない

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お・も・て・な・し

 

あの東京オリンピック誘致のためのスピーチで、特に話題となったこの一言。そう「おもてなし」

日本の小さなおもてなしの例、とか、お財布を落としても戻ってくるとか、その一つ一つは事実なのだろうけれども、私はまだ日本に住んでいながら、街のおもてなし、を感じた事がない。

 

小さいところでのおもてなし、はたくさんある。

例えば飛行機に乗る時、国内の航空会社を利用すると、大抵飴がついてくる。これは離陸時などに飴をなめておく事によって、気圧の変化に対応しやすくするためだという。確かに飴をなめながらだと、耳が変になりにくい。

他にも、トイレは都心であれば大抵きれいだし、便座が暖かい。外国人向けの案内表記も増えてきたと思う。

 

けれども。

おもてなし、おもてなし、といいつつ、

大抵、どこにいっても、観光案内所の人は大抵冷たい。特に大きな観光地であればあるほど。

優しかったところもあるけれど、中でも悲しく、いつも冷たいのは京都だ。

空港行きのバス停はどこですか?という質問に、面倒くさそうに指だけ指してこられたときはなんだか自分が悪い事をしているような気がしてしまった。

たまたま悪い人にあたったのかもしれない、と思っていたけれど、数年おきに何回も京都に行くたびに冷たいので、多分本当に冷たいのだと思う。

 

外国の人が一番多く行く場所だろうに。

ホテルや旅館はそれぞれの努力がきっとある。

けれども、どの人も使う公共のものがよくならないと、評価はまた変わってくるように思った。

 

 

どうしたらできるか、を常に考えると運が巡ってくる

 

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インスタ映えも狙っていないインスタグラム。投稿は一年に一度か二度のFacebookから、友達からは消息不明になりかけている人、という認定を食らっているものの、久しぶりの友人にご飯に誘われて会ってみると、そんなことしているんだ、いいな、と言われたりします。(そしてその後のいろんな「お誘い」を断るのにも役立ったりします。現状に満足していて現状で幸せいっぱいだと、相手も誘いにくいようですね。そう言う意味で、相手の不幸な状態につけ込むビジネスって時点で疑った方が良いと思う)

 

けれども思うのだ。いいな、と思ってもらえるくらいオイシイ経験もたくさんさせてもらっているけれど、それと同じくらい、というかそれ以上に失敗だったり苦い経験もたくさんしている。

みんなわざわざそんなことを SNSで発信しようと思わないから、SNS上には架空のキラキラした生活しか送っていない羨ましい友人、が誕生するのだろうけれど。

 

私の場合はSNSの発信がほぼないので、直接会ったその場で失敗談や裏での苦労話も付け加えやすい。

そのキラキラに見えるチャンスにはこんな努力があったんですよ、というと、大抵のご飯行こう、と言ってきた友達には、やっぱりそうか、努力しなきゃいけないんだ、みたいな悲壮感が表情に出てきて、それ以降連絡を取ってくる事がほぼなくなる。

連絡先だけ友、が減るのは私としては何も気にならないからそれでいいのだけれど。

 

私の話しを聞いて、実際に私もやってみる、と行動した人は本当に僅かだ。同じ結果を得たければ同じ行動をしてみれば良い、もちろん全く同じ結果が得られる、という訳ではないものの、これまで自分がしてこなかったであろう行動を取るから何かしらの変化はあるはずだ。

 

そういう私だって、素敵だと思っている人や憧れている人の話しを聞いたときに、私もそれやってみよう、とちゃんと実行に移す事を怠らない。

 

そう、話しを聞いたら、本を読んだら行動する。

これはとても難しい事らしい。

 

何かで読んだ本には、100人本を読んで、それをきちんと実行するのは一人いるかいないか、とのこと。

もちろん話しを聞いてみて、自分には必要のない事だと思ってやらない、判断をすることは大切な事だと思う。

けれども、目的を達成するためには、やらない理由を並べるよりも、なんとかして一度でも良いから、やってみる、やってみるための努力をする事が近道だと思う。

 

宝くじだってそうじゃない。買わなきゃ当たらないんだし。

 

 

今年が終わるまであと少し。目標に向けてどうがんばれたか、振り返る。

 

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今年の目標は「続ける事」

継続は力なり、を実行するという事で、その一貫として日記を書いてきました。

 

はじめは書く事がなくても、一行でもいいから書く、ということで、どうでもいいことでも、とにかく投稿されていて、今振り返れば、ネットの容量をとても無駄に使ってしまったのではないか、と考えたりもしますが、必要な容量だったと考える事にします。

 

書き方も変わりました。

特に文体。

はじめは〜だ。〜である。調で書いていたものの、普段の自分とはかけ離れた調子だったようで、徐々に〜です。〜ます。が入り交じってくるように。

今日からはもう諦めて、自分が一番自然体な形で文章を綴って行きたいと思います。

 

続けていると、なんやかんや自分自身に変化が見えてきます。どんな変化が見えたのか、一旦まとめてみたいと思います。

 

1.文章を書くことが苦痛ではなくなってきた。

はじめは500文字書く事さえ辛くて、100文字くらいで日記を終わらせる事も多かったのですが、最近では気がつくと3000字ほど書いていた、ということも多々あります。

よく忍者の修行で毎日植えた木の苗木を飛び越えていれば、木の成長とともに自分が飛び越えられる木の高さも大きくなっていき、やがてはとても高い木も飛び越えられるようになる、という話しがありますが、まさにそんな感じ。

ミニマムスタートで徐々にたくさんのことを書けるようになりました。

 

2.自信がついた

もしかしたら一番大きいかもしれません。ダイエットなんかもそうですが、長く何かを続ける事、というのはどんなことであってもその人の自信に鳴る気がします。それが例えネット上に書いている個人的な日記だとしても。

ただの日記で、誰様の役に立っているのかも分からないほど何にも考えずに日記を書くだけなのですが、なぜかつきました。自信。

 

3.日々、物事を面白く捉えようと考えるようになった

思考回路が変わりました。元々能天気な方ではあったのですが、それがより人様に笑いがおこるように語れるようになった、といえばいいのでしょうか。つまりは……オチを考えて話しができるようになった、とも言えるのかもしれません。

オチがないなんて、西の方に住んでいる方からしたらありえない話しかもしれないけれど、東側に住んでいる人達はオチがない人が多分ほとんど。(だから結婚式のおじさんのスピーチがつまらないのかもしれない)

なんとなく日記の読者数が増えるに連れて、読まれている、ということも意識するようになってきて、オチを一生懸命考えるようになりました(笑)

今日も必死です。でも思いつきません(笑)

考えて、思いつくかどうかはまた別問題です。

 

 

さて、来年の目標はどうしようか、それはまた別の日に。

 

 

年賀状、書いてみたら意外と楽しかった

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毎年この時期になると、ああ年賀状書かなきゃ、と思って、大体クリスマスに書き始めるのが我が家の定番だ。

 

今年こそはクリスマスはのんびり過ごしたいし、年賀状の事で神経をすり減らしたくない、と思って、11月には年賀状を発注。

後は一言メッセージを手書きで添えるだけ、という状態で12月を迎えた。

 

書き始めてみると意外と楽しくなってきた。このご時世、手書きの文字を送る、というのは下手したら年賀状以外に機会はないのかもしれない。

ほとんどがLINEでやり取りする中、年賀状でやり取りする数少ない友人達への一言を書く時間は、本当に楽しかった。

 

辛いのは職場の人とか、関わりが薄いけれど送らないとチマチマ後から面倒な人だ。

関わりが薄い分、気が利いた一言も思いつかず、うんうんと悩むはめになる。

 

そこで気がついた。

年賀状事体はそこまで面倒なものではない。

送りたくないなあ、とか送ってもなあ、と思っている人に送ろうとするから面倒で、やりたくないことになってしまうのだなあ、と。

 

 

映画としてのスターウォーズ感想と、シリーズとしてのスターウォーズ感想

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私は『スター・ウォーズ』が好きだ。

どれくらい好きかというと、映画のシリーズを全部見て、映画『クローン・ウォーズ』、そしてアニメシリーズの『クローン・ウォーズ』シリーズを全部観て、新婚旅行先をエピソード2のラストでアナキンとパドメのカップルが秘密の結婚式を挙げたナブーの湖水地方の撮影ロケ地と言われている、イタリアの秘境的な田舎、コモ湖にするくらいには好きだ。

基本的に全部観ているとはいえ、惑星の名前とか小物の名前を全部覚えているわけでもないから、プロの『スター・ウォーズ』フリークというわけではないんだけれど。

 

何が好きかと聞かれたら、それはまた違う機会に思う存分書いてみたいと思う。今回は最近公開になった、『スター・ウォーズ〜最後のジェダイ〜』の感想を記録していこうと思う。

思わずネタバレをしてしまうかもしれないので、今回ばかりはクリックして続き、を読む形式にしてみたいと思う。

 

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飛行機の中で考える、ホワイトカラーの働き方

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働き方革命

 

プレミアムフライデーが始まって、電通の事件からの労働時間に関する監視が厳しくなって、労働者にとって働きやすくなっているかと思えば、それで成功している人(会社)もいるにはいるけれど、私の周りには違う人もいる。

 

やらなきゃいけない業務量は減らないのに、時間だけ減らせって言うのは無理がある。そういった設備投資をしてから時間を減らして欲しい、という声だ。

 

他にはこんな声も聞こえる。

仕事が好きで好きでしょうがなくて、それだけをやっていたいのに、時間監督が厳しくなって辛い。

経営者さんの中には、働く事が大好きで死ぬほど働いて幸せっていう人も多いようですが、上のような主張はいわゆるホワイトカラーの人から聞く事が多い。

ある程度のクリエイティブを求められる仕事で、時間監督が厳しくなった事によって、逆に辛くなった、とのこと。

 

その方がぽろっとおっしゃった一言が忘れられなかった。

工場労働じゃないんだから。と。

 

仕事が好きな彼は言いました。休みの日に、もしくは有休を取っていた日にとても良いアイディアが思いついて、今すぐ会社のある資料にアクセスしたくなっても出来なくなってしまって。辛い。

 

強制的に休みを取らせようとする事で、不当に労働させられている人達を救おうとしていることは理解しているけれど、

そもそもホワイトカラーの仕事って、ある一定の場所でないとできないもの、というわけではないものが多いと思うし、逆に休みの日であっても何かがアイディアが思いついたりして、いわば労働時間なんていつでも、どこでも、と言っても過言ではないきがした。

自分にしか出せないアイディア、そして四六時中それが脳の中にあること。だからこそのお給料でもあるとも思った。

 

 

労働時間が長いとストレスなのか、労働時間中嫌な人と一緒にいる事がストレスなのかは考えた方がいい問題な気もした。

 

あと、時間を短くしたら、生産性が上がっていない限り給料が減るのは当たり前な気がした。だって生産量が減るんだもの。

時間だけ減らせば良いって問題じゃない、でもそこを強制しなきゃできない社会にすごく問題を感じてしまう。

 

 

世界の危機に、頼りになるのは本当に友達らしい

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爆弾が落ちてくるかどうかは友達次第。

 

物騒な内容だけど、ある知人から聞いた話しだ。

例えば某国から攻撃を受ける、という話しが出た時、一番国を守るために力になってくれるかもしれないのは友達である。

だから、外国に親しい友人をたくさんつくりなさい。

 

お互いに親しい友人同士になると、あの子今頃何しているかな?と気になるように、相手の国について気にかけるようになる。

実際私も、結婚式にまで行った友人がタイにいるため、タイの政治状況やタイのニュースには敏感になったし、日本がタイと関わるようなプロジェクトにも目がいくようになった。

私の夫はもっと世界中に友達がいるから、色んな国にそういう感情を抱いているのかもしれない。

 

思えば自分も3.11の震災のときに、自分が岩手にいる事を知っている日本の友達はもちろん、外国の友達もたくさんのメッセージをくれた。

私、という存在がいたことによって遠い海の向こうの地に住んでいる外国の友人も、日本の大きな地震について強く関心をもってくれたのだ。

 

関心を持ってもらう事ほど心強い事はない。別に募金や義援金、ボランティアがこなくたって、その事実を知っていて考えている、それだけでも全然違う。

かつてマザーテレサだって、愛情の反対は無関心と言っていたしね。

 

関心が増える事によって、自分の生き方にも影響するし、いざというときは考える。もしもその友人がとても優秀で、その国の中の中枢に関わる人になったら尚更だ。

そんなに私情をはさむもの?

と頭に疑問が浮かぶかもしれないけれど、大統領だって総理大臣だって、みんな人間だし、親しい大切な人がいれば、その人のことが頭に思い浮かぶ。

 

最近はそんなこともないかもしれないけれど、留学する人の日本人の数が減っている、というニュースを耳にしたことは記憶に新しい。

 

これがどういう意味をなすのかというと、日本が何か危機に陥ったときに、日本を気にかけてくれる人の数が減っているかもしれない、また、日本が何か重要な交渉をしたいときに手持ちのパイプが少ない、という状態になっているということだ。

 

留学先で大事な事の一つは友達をたくさんつくることで、自分が大人になって社会の一員として働き、もしも何か国家的なプロジェクトに関わる事になったり、国の中枢で働く事になった時、相手国に交渉をしたいときにそういった友人が架け橋の一端になったりするものだ、と。知人は言っていた。

 

マンガやアニメの文化ももちろん日本を気にかけてもらうツールにはなるけれど、やっぱり生身の人間同士のコミュニケーションは力が大きい。

 

最近、よく自衛隊の武器の購入の反対運動や、北朝鮮の驚異に対して武器を廃部する事に対して反対する集団の集会をみる。

 

私だって戦争は嫌だし、軍事力にお金をかける事はあまりよくないことだとも思うけれど、現実の問題という物がある。

だからこそ、そういった集会で声高に叫ぶと同時に、その集会に使うお金を少し貯めて海外に出て友達を作る、そんな個人的に外交をする人がもっとたくさん増えたらいいな、とも思う。

 

外交は外交官だけの仕事じゃない、ということはアントニオ猪木さんが証明してくれている。(多分今、実際に北朝鮮に行けて対話が出来るのはこの人しかいないんじゃないだろうか)

 

「主張」という行動がとれたのであれば、実際に見に行く会いに行く、という行動もきっと難しくないはずだ。

 

ポキ丼から感じるハワイの歴史

 

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イノウエ空港の件しかり、旅先に関する勉強について、今回はかなりサボってしまっていた気がする。

 

カンボジアに行く時はあれほどきちんと勉強したのに、今回はなぜか、みんな行っているハワイへの安心感か、日本語が通じるハワイへの安心感か、ハワイの歴史、に関する勉強をほとんどしないまま旅立ってしまった。

 

ハワイに来てからというもの、ハワイの食文化からすごく日本人に近いものの匂いがする。というのは日系人が歴史の関係上多い、ということからなんとなく察した。

 

そう。アメリカのはずなのにご飯が日本人に優しいのだ。

特に魚介系。ポキ丼なんか、日本人が好きな味そのもの。うまい。

量は多いけど。

 

 

元々ハワイには生の魚を食べる文化があったらしく、それが様々な移民達の紹介で登場した新しい食材と融合した結果、1970年ぐらいに確立したらしい。

 

そう思うと、さとうきび畑や製糖工場で働くために海を渡ったご先祖様達にも大感謝だ。多分彼らがいなかったらこんなに日本人が好きな味、にならなかったんじゃないかと思う。

 

ごはんが美味しいと思うのはタイ以来だろうか。タイも住めると思ったけれど、アメリカも住めるな。けれどもオアフ島よりもハワイ島の方が私は好きかも。

 

 

ハワイで最高の星空を見上げたのに、私の記憶に残らない理由

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世界中の観測所が集まるこの島で見る星は、一生忘れられないと思っていた。

そして私の記憶にある星空を上書きしてくれると思っていた。

 

 

しかし、予想はあっさりと裏切られた。

 

 

朝、というか夜中の3時頃。標高2000m地点で見上げた星空には、南十字星北極星に、と赤道付近だからこそ見える星たちが勢揃いしていた。

冬なのに天の川もしっかり見えて、感動できる水準だ。確かにきれいだ。

 

ここに観測所がこれだけあるのも納得。

 

けれども、やっぱりここは「観測」を適切に行う場所なんだ、ということも感じさせられた。

 

 

星は見えすぎると目視では観測しにくくなるように。

 

 

多分、感動という視点だけで星を見る事を考えたら、地平線が広がる、とにかく広い場所で、そして暗い場所での方が、360度星空になって感動も大きい。空気がきれいな事も大事な条件だ。

 

そう言う意味ではニュージーランドはとても適した場所なのだろう。

星空を見に行く人達には有名な場所だ。

私は行った事がないけれど、多分同じような地形の北海道で、地平が続く場所で見た星空は忘れられない星空の一つだ。

 

 

今回の星空も、私にとっては忘れられない星空になった。それは間違いない。とても素晴らしい景色だった。

 

 

けれども。

 

 

同時に思い出した星空もあった。

もしかしたら、この先、何があっても一番記憶に残る星空なのかもしれない。

それだけ、あの時、あの場所で見た星空は美しく、同時に不気味さもあって、私はハワイ島でこんなに美しい星空を眺めているというのに、あのときの忘れられない星空を思い出した。

 

 

その星空は岩手県でみた星空だった。

そして、その日付は2011年の3月11日だった。

 

 

あの日、私は岩手県にいた。

実は岩手県には国立の天文台があるくらいには星空の観測に適している場所があったりもする。星空スポットもなかなか多い。

 

そんな場所で、あの日は停電で全ての灯りが消えていた。

 

本当に真っ暗な闇だった。何も見えないし、当時ニュースも見る事ができていなかったので、何日停電が続きそうなのか、どれほどの震災が発生したのかも分からず、日が沈んだ後は電池の節約のために早々にベットにもぐりこんだことを覚えている。

 

カーテンは開けていた。

 

ふと、窓を見上げると、そこには宇宙があった。

 

 

正確には星空なのだけれども、あれは宇宙そのものだった。

多分全ての街灯が消えていて、どの家からも灯りが灯っていなかったせいもあると思う。

真っ暗闇の中で上の星空だけが光っていた。

まだ春先、というか冬みたいなもんだったのに、気持ち悪いと思うほどくっきりと天の川が見えたし、本当に宇宙旅行にきたような感覚になった。

 

そして私が考えた事と言えば、なるほど、宮沢賢治はこれをみて銀河鉄道を書いたのか、としみじみしていた。

多分、どうでもいいことを考えていないと不安に押しつぶされそうだったからだ。

 

本当にあの時が特別だったのだろう。

街灯も、信号も、全ての灯りが消えた夜は本当に暗くて、何も見えなかった。

火の偉大さを考えさせられた。

 

そんな星空を見てしまったせいか、北海道を1ヶ月近く自転車旅行したときも、散々感動的な星空を見上げたはずなのに、星空の記憶は全て3月11日に戻ってしまう。

そして今、違うきれいな星空をみているはずなのに、ああ、あのときってやっぱり特別だったんだな、と改めて思うのだ。

 

 

今回、一緒に行った友人達は星空に感動していた。夫も感動していた。

私も感動した。けれども。

 

あの宇宙を忘れられない私は、手放しで、これはすごい、感動した、これまでの自分が見てきたものを書き換えられた、と思うほどには感動できなかった。

 

それは物心ついた頃から高校を卒業するまで、天の川が見える事が当たり前の田舎で育った影響もあるのかもしれない。

 

天の川が見える事は当たり前で、条件が良ければ天の川はスモッグを巻いたように濃く見える。それを何度も何度も。

幼い子供の方が目に細かい傷がついていなくて、大人と違う青空を見ている、とどこかの研究者が言っていた事が本当であれば、子供のときに見たあの星空の方が感動が大きいのは納得だ。

 

そんな私でも、驚異と感動とが混ざり合った感情を抱いたのがあの日の星空だった。もはや星空ではない、宇宙そのものだった。

 

ワイ島の星空もとてもきれいだった。普段見えない星座も見えて、南半球まで来た訳でもないのにとても素敵な星座がたくさん見えた。

 

けれどもやっぱり同時にあの日の宇宙も思い出してしまうのだから、ハワイ島でみた星空、というきれいな記憶で私の中に残る事はなさそうだ。

 

 

そこは小さな港区だった

 

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アメリカに来たはずなのに。

12月だというのに半袖で過ごす事が出来る体感だけが、ここはアメリカのハワイである、ことを証明しているかのようだった。

 

マラソンを走り終えて、最高に気持ちのいいビールを仲間と頂く。そんな夜の街を歩くと、聞こえてくるのは英語ではなく日本人の声だった。

 

スタスタと歩いて、日中に行ったダイビングの話しをしている辺り、マラソンの参加者ではないのだろう。

大股で3、4歩以上は離れている私達にも聞こえるボリュームで、仮想通過で儲けた話しやら、次にくる仮想通過のうんちくを、連れている女の子にしている。

 

分かりやすく女の子が美人だったら良かったのに、お前が言うか、というくらいには私も大した美人ではないけれど。

 

お金持ちになったら美人をつれて歩けるんだぜ、という夢を私達に見せてくれてもいいじゃないか、と心の中で突っ込む。

 

しかし私は確かにハワイについたはずだった。それなにびっくり仰天。到着先は港区を凝縮したような街だった。

なるほど、ハワイに行った友人達が、オアフ島ではなく違う島の方がよかった、と言っていたのはこのことかもしれない。

対して海外に来た感、というのがオアフ島にはあまりない。そもそも日本語通じるし。

 

せっかく飛行機に何時間も乗ってやってきたのだから、非日常感というものを感じたい、というのが旅の常だ。

 

私がオアフ島で感じた非日常は、12月だけど暖かい、ということと、南国の植物がたくさんあること。

空と海がきれいな事。

車が右側車線を走っている事。

Uberが使える事。

建物が東京ほど高くない事。

屋内に入ると天井が高い事。

道が広い事。

人口密度が東京よりは低い事。

たまに英語がよく聞こえる事。

レストランで出てくる食べ物のサイズが大きい事。

 

あれ、案外いっぱいあったな。

 

というわけで明日からはハワイ島にいってきます。