くろやんの日記

思考・映画・ごはん・旅・自転車・読書・ライフハックのメモ帳

Gを蝉だと思うことにした

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Gは怖い。何がというとあのサイズ感であのスピードが出せるところ。

あと動き。人間と食料を奪い合う仲だからかもしれない。

 

私はGとは無縁の地で育った。大人になるまで、Gは見たことがなかった。

田舎で色々な虫とともに育った私は、最初Gをなめていたと思う。なんとかなるっしょ。

 

そしてなんとかならなかった。

 

まず捕まらない。素手では素早過ぎて無理だし。捕まえられてもするすると逃げるし、あり得ない隙き間に、知っていたかのように素早く入る。

というかフォルムが気持ち悪過ぎて無理だった。

 

大体フォルムがあんな感じの生き物は、大抵鈍い。カブトムシやクワガタもそうだ。一緒にするな!とカブトムシ、クワガタファンに怒られそうだけれども、彼らはフォルムが格好いい上に、動きはそこまで早くない。飛んでも早くない。

 

次に蛾。田舎に行くと、かわいいもんじゃない。大人の女性が手のひらを両手広げたサイズくらいの蛾が田舎にはいる。以外とそのあたりに静かに止まっていたりして、思わず見つけてしまったときは息が止まる。

田舎ではそんな巨大な蛾たちは別名モスラ、と呼ばれているが、本当にリアルモスラだ。

 

しかし蛾もGほど早くない。もちろん小さいやつは早いけれど、大きい蛾はこちらの動体視力で追うことが可能なスピードだ。多分人間の平均的な動体視力の方が高い。

 

Gは動体視力で追うには人間と互角か、個体に寄っては人間より明らかに早い。というか平均取ったら多分人間よりGの方が上。

 

しかも驚くべきはその繁殖力だ。びびった。わさわさいるのを見た瞬間、蛾はでかいモスラはあんなに大量発生しないし、カブトムシやクワガタは売れる。金になる。

 

見つけたら逃がしてやろうとか思ってた過去の私をひっぱたいてやりたい。

無理だ。

 

こうしてGの現実を知った私はG対策グッズを集めて対処にあたった。ブラックキャップを至る所に配置しておくし、ゴキブリジェットも装備完了。さらにゴキブリがいなくなるスプレーというやつを購入し、至る所にスプレーしまくる。

ゴキブリよけのハーブの香りを要所要所に置いて、定期的に交換もする徹底ぶりだ。

それでも、たまに、まれにでる。

 

もうトラップに引っかかった後で、弱っているのだが、ビニール袋とティッシュを重ねてつかもうとするのだが、触れない。

 

うぉぉぉ。

G、なんでこんなに、強敵なんだ。

 

退治ができても処理ができない。これはもはや物理的ではなく精神的な問題だと私は思った。

そう、精神的な問題だ。私のGに対する思い込みを外していこう。

 

まず、どうしてあんなに嫌になったのか。それは周りの人間が皆おなじように怖がっているからだ。夫もGにはめっちゃビビっている。

しかし冷静に考えれば、人間の方が強力なスプレーを持っていて、Gは特段毒を盛っている訳ではないので、人間の方がこの時点で強い。

 

進撃の巨人で言うところの巨人側は我々人間だ。しかもリヴァイ兵長みたいなすごい動きをするGが出てきたとしても、武器は持っていない。やつらは素手だ。しかも今のところ、リヴァイやミカサクラスのGとは出会っていない。

 

ふむ。だんだん強気になれてきた。もう少しだ。

 

さらに冷静に考えれば、Gは蝉に似ていないだろうか。

蝉も突然飛んできて人間を驚かせるし、夫は蝉が嫌いなので、毎夏恐怖を感じながら道を歩いていると言っていた。

しかも飛んだときのスピードはGより蝉の方が早い。Gは基本走ってしか逃げないし、飛んだときは以外と遅い。人間の動体視力が勝てる程度の早さでしか飛ばない。

 

そうだ。思い込めば良い。

Gは蝉と一緒だ。

田舎で育った私は、蝉は死ぬほど触ってきた。捕まえてよく虫取りかごにも入れて観察した。

そうだ、Gは蝉だ。

 

私の精神は整ったけれども、Gシーズンは終了した。また来夏、戦おう。

 

 

人に迷惑をかけない、の守備範囲について

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人に迷惑をかけてはいけません

よく母親が何かやらかした子がいたときに聞こえてくる台詞だ。

 

この、人に迷惑をかけない、というのもなかなか広義なもので、その守備範囲をどこまでと捉えているか、結構人によって違う。

 

本当に人様に対して窃盗、暴力等の犯罪に関わることしか考えていない大人もいるし、迷惑をかけない、をマナーと一緒だと考え、自分が生まれ育った環境を基準にそのマナーまで教える大人もいる。

人に迷惑をかけない、を相手に嫌な感情をさせない、という感情部分まで追求して、地域や国によって何が嫌かが違うということを踏まえて、現在自分の目の間にいる人間が嫌だなあとか悲しいな、という気持ちになっていないかよく想像すること、とまで考える人もいる。

 

また、人の解釈も多種多様だ。人が目の前にいる人に限定して考える大人もいるし、目の前以外に、自分の後に使う人、という時間軸をもってこれる大人もいる。

さらに、自分の何世代か後、つまり20年、30年という単位で人を捉えている人もいる。

 

人に迷惑をかけない、について、どんな解釈でその子に伝えるかによって、その子が生活できる範囲が決まってくる。当然だが、より多くの人の間で生きるためには、より多くの解釈を持っておく必要はあるだろう。

 

というわけで、あなたにとって人に迷惑をかけない、とは?

と聞くだけで以外といい面接になるんじゃないかと考えた木曜日。

 

 

パクられてなんぼ、と思えれば何をやっても楽しい

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「パクる」ことについてはすごくいいと思っている。けれども、地方でいろいろ頑張ってたやつを東京で、「私達が先にやりました」って感じでやられると、なんだかえっ?って気持ちになる。

 

と、知人から相談をされました。いえ、厳密には相談ではないのでしょう。女同士によくある、「わかる〜」という共感を求められているやつです。

「わかる〜」と、昔だったら言えたけど、今は言えないや。と思いつつ、へえ〜と素知らぬ回答を返す最近です。

 

本当の意味でマルパクリってものすごく難しい。パクろうと思うオリジナルが大きければ大きいほど、環境やら人材やらの条件が少し違うだけで再現はとても難しい。

逆に簡単にパクられたのなら、きっとアイディア自体は誰もが思いついていて、誰もが知らぬ間にやっていて、たまたまメディアとかに取り上げられた順番が違いましたねって程度のことが多い。

 

それでも環境が違うと進化の仕方が違うから、結果は異なる方向に行く場合がほとんどだ。

 

そもそもパクられることはとても名誉なことだ。すごくなかったらパクろうとまず思わない。最上級ですごいのは国にパクられることだ。パクられて一人前。そもそもいちいち何かにパクられたことに対して何か思うくらいのけつの穴の小ささなら、ビジネスなんてやらない方が良いと思う。

 

もちろん権利があることと、パクるは違う。権利は法律で守られているもの。

けれども何かのやり方をパクってうだうだ言うなら、きっとそのパクられたって言っている当人も、さかのぼれば孫正義さんとかビルゲイツとか、トヨタとかを何かしらぱくっているわけで。なんなら多分まるまんまパクっていることもあると思われるので、著作権をはじめとする権利を有するようなものでないかぎり、パクられてなんか嫌って思うのは筋違いだなと思ったりした。

 

知人はビジネスを立ち上げようとしている人だ。

パクられてなんぼ。くらい心大きく、これからもがんばってほしいな、と心の中でエールを送った。

 

 

銀座の寿司屋でよくあること

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付き合いで銀座の寿司屋に行くことがある。最初はちょうビビっていた。大将がめっちゃマナーに厳しかったらどうしよう。つれてってもらうのにきちんとせねば!と意気込み、寿司の食べ方のマナー本を読み、ネットでこれでもかというくらい検索し、勉強した。

 

勉強のかいというか思っていたより大将たる人は優しく、美味しく頂けたことはとても良い記憶で、また機会があればぜひぜひ行きたい。まあここで人間で来てない大将に握られようものなら、きっとそんな寿司はうまくない。

 

びびりにびびった私だが、一つだけ、銀座の寿司といえども、なーんだ、と感じたことがあった。なーんだ、と感じたと同時に東京の価値観の恐ろしさを感じた瞬間でもある。

 

茶碗蒸しとか前菜的な物が一通りでて、寿司に移行したときの一品目のことだった。大将は丁寧に、魚の産地まで教えてくれた。

「女川産の・・・」

気仙沼産の・・・」

石巻からの・・・」

「釜石からの・・・」

そして米は宮城県ササニシキ

ササニシキが寿司の米に向いているらしい。

 

そうか。東京だけではこの寿司は生まれない。地方あっての銀座の寿司やなのだ。これは東北に限らない。地方から来ると、銀座の寿司やにビビる人多いと思う。というか、東京のレストランにビビる。おしゃれで。

けれども、そんな東京のレストランで出てくる物は、地方で作られたものなのだ。それも堂々と。ここのこいつがいいんだよねーと褒められながら登場する。

 

今回、地元の寿司屋に入ってみた。多分お吸い物や寿司単体の味は、職人さんが握る、作るほうが美味しい。

けれども、うまいネタに美味しいお水と空気で炊いた米を寿司用にしたもの。それなりの職人が握ろう物なら、私のような凡人が食べると、遜色がないように思う。

というか一緒に食う空気が美味しいせいか、美味しく感じる。

 

ああ

東京の空気がもう少しきれいだったらなあ。

 

と考えずにはいられなくなった。

寿司、旨かった。

 

未だ内乱中の地域が、日本にだってある

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日本において県内で部族抗争が続く地域はそれなりにあるけれど、それが一番激しい、と思われる県にやってきた。

そう青森県だ。

 

岩手県ほどではないけれど青森県も広い。あの広い東北の中で唯一、太陽が昇った太平洋側から太陽が沈む日本海に車を走らせて、どこの県も跨がずにドライブすることができる県だ。

いや、東北で唯一と言ったけれど、北海道と青森だけじゃないか。こんなドライブができるのって。

 

青森県は岩手側の南部氏の勢力が強かった南部側と、南部側から飛び出し、その後小田原城攻めなんかで勢力を拡大した津軽側とで分かれている。100年前なんて、違う国同士のような物だったのに一緒にされてしまった地域なのだ。

東京と埼玉がくっついても、多分東京が主導権握るけれど、もしも千葉県と埼玉県がくっつくことになったら、どちらが主導権握るかきっと争いが起きる。ニュアンスそんな感じだと思う。

 

もっというと、下北半島の方もぜーんぜん別文化だけれども、大きくは南部と津軽。県庁を作るときにも、南部側の八戸に作るか津軽側の弘前につくるかで決着がつかなかったから間をとって青森市に作られた、とまで言われてる。

県庁所在地が津軽側に有利になったせいか、新幹線の駅は八戸にできて、長らく青森唯一新幹線が止まる駅は南部側にしかなかった。

それが現在青森市にまで伸び、さらに函館までつながるようになった今、津軽と南部は和解したかと思いきや、未だ仲は悪い、というのは現地人の津軽人南部人両者からの情報だ。

 

実際に行くと、文化の違いは外から来た人間でも感じられる。南部の言葉はかろうじて分かるが、津軽弁は外国語だ。多分英語より難しい。ライティングとリーディングでなんとかなっても、リスニングとコミュニケーションは多分英語の方が簡単だ。

 

日本にだってまだあるのだ。

 

ねぶたはやっぱりすごかった。リンゴジュース美味しかった。ほたてもおいしかった。

 

驚いたのは、ねぶたは何度も禁止令が出て、勝手にやるたびに大名含めてみんな逮捕されたのにやりつづけたという歴史があることだ。

粘り強く、強情でないとそこまではできない。

 

東北地方のインバウンドは現在日本で一人負け状態らしい。

東北地方は全体としてGDPも低い。宮城、というか仙台しか勝てていない。

 

しかし、青森の内戦が止み、一致団結して売り出してくる日が来たら、東北で一番強いかもしれない。

 

 

肉も魚も美味しい、の両面取り

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魚が美味しいところはある。

お肉がおいしいところはある。

お米がおいしいところはある。そしてそこは大抵日本酒が美味しい。

 

魚が美味しくて、お肉もおいしくて、お米もおいしくて、一緒に日本酒も美味しくて。とどまらず、ワインも美味しくて、ビールも美味しい。そしてしかも、安い。そんな夢のような場所がある。

岩手県だ。

 

日本を色々旅したが、各地にそれぞれ美味しい物がある。しかし、その特に美味しいもの、の数が多いのが岩手県だ。料理のレベルと美味しい物の多さにおいて、北海道と良い勝負をする。

海の幸は三陸から。ウニもいくらもおいしい。この時期はさんまも美味しい。

四国4県合わせた面積と互角の争いができるくらいの面積をもつ岩手県では、酪農もさかん。水沢牛をはじめとする牛肉。そして白金豚と呼ばれる豚肉も美味しい。

お米はもちろんひとめぼれ。秋田と宮城に挟まれているが、米どころであることに違いはない。蔵も多くて日本酒も◎

高原の気候もあり、ブドウもよくとれる。ゆえにワインセラーもいくつかある。実はホップもたくさん作っていて、ビールも美味しい。県内限定で売られるビールも多々。

 

九州も美味しい物が多かった。九州全体でみたときは圧倒的に九州の勝利なのだ。けれども、これを都道府県対抗にしようものなら、北海道と岩手県は二強だろう、と私は思っている。旨いもの、の選択肢が多い、故に食べきれないで旅を終えて、また食べにいきたくなる。

また行きたくなるころには、以前食べた美味しい物も食べたくて、そしてまた食べきれないものを残して去る。

それが岩手県だ。

 

しかし現地民は言う。それを言われたそうなんだけれども。

 

食べに行く、以外のデートプランが思いつかないんだよね。

 

そんなこんなで岩手県の美味しいお酒と肴とごはんいただきました。

 

 

 

大酒飲みの甘党

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※この日記の内容は一部に偏りがあることを了承した上でお読みください。間違ってもけんかを売っている訳ではありません。

 

酒飲み

というワードをグーグルで検索すると、大抵、

甘い物苦手

辛党

とか出てくる。

 

確かにそういう人は多数派だと思う。お酒を飲みながらチョコレート食べる文化は日本にあまりないし、ビールを飲みながらケーキやビスケットを頬張る人はほとんどいない。

大酒飲みであるということはあなた辛党ね、と決めつけても大抵の人はそれに当てはまる。そう。大抵の人なのだ。

 

その大抵の人に当てはまらない人種が日本に存在する。

しかも彼らはある一カ所のエリアに集中して住居を構え、生活を営んでいる。

彼らは酒を飲みながら、砂糖入りのポテトサラダを食らう。酒を飲みながら、砂糖入りの佃煮を食べて、砂糖とみりんの割合が高い肉じゃがを食べる。ビールに砂糖を入れちゃう人もいるし、なんなら日本酒も甘口にしてしまう。

 

そう、彼らの名前は「秋田県民」

 

夏は花火大会で人口の倍以上の客をもてなし、冬は家が雪に埋もれ、屋根に取り付けたはしごから出入りをする。そんな過酷な環境の中、大酒飲みは辛党である、という世の中が定めた常識に真っ向から挑んでいく彼らの姿は、もはや尊くも見える。

 

そんな秋田県に行ってきた。

 

私は何度か行ったことがあるが、夫は初めての秋田県だ。

すべてのものがとにかく甘い

道の駅で売っている菓子には気をつけろ

地元の生産者の名前入り団子は、もはやアメリカの菓子なみの甘さ

色や形は普段私達が見ているそれと変わりないが、食した瞬間の爆発力は半端ない

 

散々行く前に注意事項を伝達し、警告までしたのに夫はそれを信じない。

赤飯にさとう?―あんこじゃん(笑)

ポテトサラダにさとう?ーレシピを間違えただけじゃない(笑)

道の駅で売ってる団子に注意?ー道の駅って外の人向けの味で売ってるでしょ(笑)

 

旅立つ前は一向に信じてもらえない。彼の頭の中は、何年前の話だよ、とそれは大げさすぎる、でいっぱいだ。

しかし、秋田県に入って、その(笑)が崩れるまで、そう時間はかからなかった。

 

大きめの道の駅に寄って、いよいよ菓子を買ってみる。個包装のまんじゅうとカボチャパイを1つずつ。私はこれで十分だと思ったのだが、彼は見つけてしまった。

 

バームクーヘンを。

 

秋田県の名産を染み込ませた、バームクーヘン。

彼はバームクーヘンが好きだ。しかも染み込ませているものも彼が好きな物。

しかし、バームクーヘンはでかい。一個まるまるだ。本当に買うの?本当に買うの?

 

売り場を探し始める彼。もう止められない。もう知らない。甘くても知らない。

 

本当に買うの?本当に買うの本当に買うの?本当に買うの本当に買うの?本当に買うの本当に買うの?本当に買うの本当に買うの?本当に買うの本当に買うの?本当に買うの本当に買うの?本当に買うの本当に買うの?本当に買うの本当に買うの?本当に買うの本当に買うの?本当に買うの本当に買うの?本当に買うの本当に買うの?本当に買うの本当に買うの?本当に買うの本当に買うの?本当に買うの本当に買うの?本当に買うの本当に買うの?本当に買うの本当に買うの?本当に買うの本当に買うの?本当に買うの本当に買うの?本当に買うの本当に買うの?本当に買うの本当に買うの?本当に買うの本当に買うの?本当に買うの本当に買うの?本当に買うの本当に買うの?本当に買うの本当に買うの?本当に買うの本当に買うの?本当に買うの本当に買うの?本当に買うの本当に買うの?本当に買うの本当に買うの?本当に買うの本当に買うの?本当に買うの本当に買うの?本当に買うの本当に買うの?本当に買うの?

 

そして彼はついに購入した。

 

ドライブをしながら、まず購入した個包装のまんじゅうとカボチャパイを食べる。

 

10秒後、彼の口からはもうこの台詞しか出てこない。

「甘い」

「まだ甘い」

「コーヒーを飲んでも甘い」

「甘い」

「まだ甘い」

「あーまーい」

 

後に残る甘さ。次にカボチャパイも食べる。

 

「こんなにカボチャを残さないカボチャパイは初めてだ。砂糖パイじゃん」

 

散々甘いと行ったあと、ぽつりという。

「バームクーヘンの甘さが想像できてしまった....」

 

後悔してももう遅い。バームクーヘンはまるまる一個、車に乗っている。これを持ち帰り、食べる運命はもう決まってしまっている。

 

そんな宿命を背負いながら行ってみた鳥海山。なかなか眺めがいい。今度は登山道具を持ってきて、登山してみても良いね。そのときに、このまんじゅうやカボチャパイがあれば、遭難しても安心だね。バームクーヘン一個で何日間生き延びられるかな。

 

それに加えて秋田県民は酒に強い人も多い。女性でも日本酒くいくい飲む。

大酒飲みの甘党、と普段は少数派のあなたもここなら仲間はたくさんいる。

 

そんなこんなの話をした、秋田県の旅。

 

人はやっぱり金が好き

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仕事終わりにそのまま新幹線に乗り込んで、旅立つ。

手には駅構内で買ったお惣菜に、金色に輝くエビスビール。

旅立つとか、何か特別な時にしかも楽しいことが待っている場所に移動しながら飲むビール、というだけでもよだれが出てきそうなのに、持っているビールが金色なだけでより一層、心が躍る。

 

これを我が家では金の魔法と読んでいる。

もちろんエビスビールは好きだ。おいしい。でもエビスこそが一番というふうに思っている訳ではない。つまみによってはキリンの一番搾りが良いときもあるし、プレモルにしておきたいときもある。場合によってはドイツビールでも。オシャレなつまみなら水曜日のネコなんかもいい。

 

けれども、今回のこの新幹線に乗るときに食べるおつまみが何であっても、私はエビスを買ったと思う。なぜなら金色だったから。おつまみに合うのがドイツビールだろうとか、プレモルだろう、とか思ったとしても、新幹線に乗って旅立つ前に飲みたいビールは金色のエビスだった。

 

金色はなんだか特別だ。一等賞の色だし、商店街でのくじ引きも「一等」というネームじゃなければ金賞だ。オリンピックも一位は金メダルだし、銀の延べ棒と金の延べ棒なら金の延べ棒が欲しくなる。

 

金の魔法で旅立つ瞬間のこの幸せを、なんて形容したら良いんだろう。

 

 

旅の荷物内容で性格が、荷物量で人間力が分かるんじゃないか

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現在絶賛旅の荷物の準備中だ。

夫の遅くなった夏休みに合わせて、自分の休みも調整し、二人の遅い夏休みがもうすぐ始まる。

 

行き先は東北地方。奥の細道、みちのおく、みちのく。昔から辺境の地として認知されているし、現在でも仙台以外は辺境の地として扱われるのではないだろうか。もちろん何を、どんな基準で見るのかにもよるのだけれども。

 

さて、旅の荷物の準備をしていると、他の旅で一緒だった友人たちを思い出す。やたら荷物が多い友人、少ない友人、自転車旅でパンク修理道具は持っていないのにガスコンロ台を持っていた人、富士登山アンパンマンのぬいぐるみを5体ほどもって歩いていた人。

 

たくさん旅に出て、たくさんの人と触れ合うにつれ思った。荷物の内容は性格によるものだろう。けれども、荷物量は確実に人間としての経験値かも。と。

最初から想像力が豊かな人間であっても、そうでなくても、器用な人間であっても、そうでなくても、普段どんなに勉強ができても、できなくても、荷物量はその人の人間力を表していると思う。

 

なぜなら、旅に持っていく荷物の量は自分のことをどれだけ理解しようとしたか、理解しているかの結果だからだ。

 

自分のことをよく理解しようとしない人は、荷物が多くなる傾向がある。自分が持って歩ける以上の荷物を背負おうとしたり、何が本当に必要で、何が入らないのかの判断がつけられずに不必要な物が増えたりする。そして旅が終わったときに、同じ旅をした人間よりも疲れていたりする。

 

逆に自分のことをよく理解していたり、理解に努めている人の荷物は、決して少ない訳ではないが、その人自身に対して適切な量になっている。自分がどれくらいまで背負ったら良いか考え、背負って楽しく旅をするための処置をできる限り行う。場合によってコインロッカーの使用を考えて、その場所だって自分で調べる。

 

これはある意味、最近のミニマリストと同じ考え方なのかもしれない。みんな自分のことを分かっているようで一番分からないのだ。だから探求する。自分が一番心地いいのは何なのか、自分が一番嬉しいのは何なのか、自分が一番楽しいのは何なのか。考えると、荷物の量も決まる。

 

きっと旅だけじゃなく、部屋の中の荷物もそうなのだろう。

 

 

 

海外の料理番組で見える、日本人のいいところと悪いところ

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そもそも何がよくて、何が悪いのか。

そういうことは抜きにして、海外の料理番組を見たときに、海外と日本の文化の違いが如実に現れていて、思わず笑ってしまった。

夫がオーストラリアにいたときによくテレビで見てた、と言っていたので、よく調べていないけれど違う国でも放送されているのだろう。そもそも英語だったし。

後々調べてみると、あれは日テレのBSでの番組のようだ。タイトルはビルズキッチン。

 

もこずきっちん、絶対これぱくったやろ、っていう突っ込みは置いておいて、私達日本人の目線からすれば、もこずキッチンリアル外国人バージョン。ただし、もこずキッチンより尺は長いし、料理も1品だけでなく何品かつくる。

 

分け分からない食材がたくさん出てきても、背景が明らかに日本ではないから、気分としては世界の車窓からを見ているような、ある意味旅行番組の一つのようにみることができた。料理番組なのに。

 

衝撃をうけて、かつ海外と日本とここが違うよなーと思わず笑ってしまうポイントは多々あったのだが、一番衝撃だったのは、料理を失敗してしまった所をそのまま放送しているところだった。

 

生放送ではない。だから撮り直し、なんていくらでもできるだろうし、それができなくても編集の段階で切り貼りをうまいことやって、きれいな部分だけ見せれば良いのに。というか、もこずキッチンで「あ、ちょっと失敗しちゃった」とか絶対あり得ない。多分日本なら番組終了後クレームが来る。

 

でもビルズキッチンは、平気に結構見た感じ視聴者にも分かるレベルでの失敗を、失敗しちゃった、と写し、それをどうリカバリーするのか、そんなところまで放送してくれた。多分視聴者の中にも同じミスを犯す人がいるだろうから、そんなときにどうやってリカバリーすればいいのかまで放送してくれていると思えばとても親切だ。

というか、趣旨が見ている人が料理したくなる、真似したくなる、さらに真似したときに失敗してもリカバリーできるよってところまで伝えたいのであれば、このハプニングは美味しい。

 

しかし日本ではそういう失敗は隠すし、そもそも趣旨の中にリカバリーするときのことという部分が入っているのかどうか怪しい。リカバリー云々以前に、失敗なんてあり得ない、という強迫観念が埋め込まれているようだ。

 

何がよくて何が悪いか、なんていうところまで議論しようとは思わないけど、そんな強迫観念だらけの世界で生きていたら、そりゃ自殺者も多いよな、と思ったり。