自分の身の回りを見渡すと、様々な人がいる。多分、年数を重ねて生きてきた人の大抵はそうだろう。
ポジティブな人、ネガティブな人。自信がある人、自信がない人。お金持ちの人、そうでない人。卑屈な人。傲慢な人。仏のように親切な人。
大人になるというのは、人間はいい人だけでもないし、悪い人だけでもない、そんな色々を見て、聴いて、感じることができるようになる、ということなのかもしれない。疑いを知らなかった頃は性善説を信じきっていた私も、今では性善説を信じていたいと思う大人、になってしまった。
とにかく、年数を重ねた分だけ人に出会う。そこにはいろんな人生があって、経験が人を作るとは上手いこと言ったもんだなあ、と感じざるを得ないことも多々見聞する。
人間なんて世界に何億人といるのだけれども、自分がエンカウントする人のサンプルを見ていると、ついつい分類してしまいたくなる。
サンプルが少ないことはよく分かっていても、化粧濃いめの女性は性格もきつめの人多いな、とかって分類してしまう。
そんな程度のサンプル数なんだけれども、最近感じることは、病気を乗り越えた人の何か目に見えないものを信じている度合いの高さだ。
変な宗教にはまっている、とかそういうのではない。もっと良い意味で。目に見えない力とか、自然に対して敬虔というかきちんと畏れを持っている人が多いな、と感じる。
病気真っ最中の人はそうでもない。結構傲慢な人もいたりする。あくまで乗り越えた人だ。これは精神的に乗り越えた人もそうであることが多い。ように感じる。
命と向き合うと、自分ではどうしようもない領域にぶつかるからだろうか。その感覚が人を謙虚にさせるのだろうか。