インスタ映えも狙っていないインスタグラム。投稿は一年に一度か二度のFacebookから、友達からは消息不明になりかけている人、という認定を食らっているものの、久しぶりの友人にご飯に誘われて会ってみると、そんなことしているんだ、いいな、と言われたりします。(そしてその後のいろんな「お誘い」を断るのにも役立ったりします。現状に満足していて現状で幸せいっぱいだと、相手も誘いにくいようですね。そう言う意味で、相手の不幸な状態につけ込むビジネスって時点で疑った方が良いと思う)
けれども思うのだ。いいな、と思ってもらえるくらいオイシイ経験もたくさんさせてもらっているけれど、それと同じくらい、というかそれ以上に失敗だったり苦い経験もたくさんしている。
みんなわざわざそんなことを SNSで発信しようと思わないから、SNS上には架空のキラキラした生活しか送っていない羨ましい友人、が誕生するのだろうけれど。
私の場合はSNSの発信がほぼないので、直接会ったその場で失敗談や裏での苦労話も付け加えやすい。
そのキラキラに見えるチャンスにはこんな努力があったんですよ、というと、大抵のご飯行こう、と言ってきた友達には、やっぱりそうか、努力しなきゃいけないんだ、みたいな悲壮感が表情に出てきて、それ以降連絡を取ってくる事がほぼなくなる。
連絡先だけ友、が減るのは私としては何も気にならないからそれでいいのだけれど。
私の話しを聞いて、実際に私もやってみる、と行動した人は本当に僅かだ。同じ結果を得たければ同じ行動をしてみれば良い、もちろん全く同じ結果が得られる、という訳ではないものの、これまで自分がしてこなかったであろう行動を取るから何かしらの変化はあるはずだ。
そういう私だって、素敵だと思っている人や憧れている人の話しを聞いたときに、私もそれやってみよう、とちゃんと実行に移す事を怠らない。
そう、話しを聞いたら、本を読んだら行動する。
これはとても難しい事らしい。
何かで読んだ本には、100人本を読んで、それをきちんと実行するのは一人いるかいないか、とのこと。
もちろん話しを聞いてみて、自分には必要のない事だと思ってやらない、判断をすることは大切な事だと思う。
けれども、目的を達成するためには、やらない理由を並べるよりも、なんとかして一度でも良いから、やってみる、やってみるための努力をする事が近道だと思う。
宝くじだってそうじゃない。買わなきゃ当たらないんだし。