くろやんの日記

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働くことに疑問をもった時は小学生のときの係活動を思い出す

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お題「働き続けるためにしている工夫」

 

社会人になりたくない。社畜になりたくない。早期リタイア。

ネットを歩くと、こんな言葉がたくさん出てきて、社会人最高!とかもう学生に戻りたくなーい、なんて書いている人を見かけたことはほとんどない。

ちなみにグーグル検索で「仕事」というワードを入れると、

仕事 探し

仕事 行きたくない

仕事 やめたい

仕事 できない

というネガティブワードのオンパレードになる。なんで禁断の果実なんか食べちゃったのよ、と大昔の誰かさんに言いたい人はたくさんいそうだ。

 

大体の人が、「働く」ということに対してネガティブに考えているけれど、仕事の次に「探し」というワードが出てくる辺り、多分みんな本当は楽しく仕事をしたい、という人がたくさんいるんだと思う。

年配の方は仕事は辛いものだ、とか、どうしようもないことを乗り越えてなんぼ、という人もいるけれど、世代によってこの考え方は大きく違いがあるんじゃないかと思う。

 

その違いとして感じるのは、「辛い」の捉え方だ。

 

例えば、オリンピックに出ているような選手。例えば浅田真央選手や福原愛選手、吉田沙保里は端から見ているととても幸せそうだし、本人たちのTwitterやブログなんかを見ていても、まじしんどい、トレーニング止めたい、みたいなことは感じられない。

オリンピックに向けてのトレーニングなんてしんどいし、多分普通の人なら逃げ出したくなるようなトレーニングを日々積み重ねて、そしてオリンピックに臨んでいる。

その過程ではやめたくなることもあっただろうけれども、オリンピック会場に到着してからもモチベーションが沸かない、みたいなことはなかっただろう。

 

これは私達の中学や高校の部活動とかにも当てはまると思う。普段の基礎トレーニングとかは辛いけれど、本番の試合で勝利する喜びが忘れられない、気持ちよかった、とかって思って練習をがんばれたりする。

 

多分仕事にもコレが当てはまる。目的や目標に対して自分が納得しているものに大しては、人間は一生懸命になれる場合が多いし、多少辛くても嬉しい。

そう、辛くても嬉しいのだ。部活じゃなくて、文化祭とか運動会とかでも当てはまると思う。何が楽しくて放課後居残って、もしくは徹夜で文化祭の準備をしたんだっけ。

思い返すと、やっぱり楽しい仲間たちとそういうのを乗り越える楽しさ、みたいなものが楽しくて、そのときが辛くても乗り越えられる。

 

年配の方の世代だと、がんばれば給料も上がる、年数を積み重ねれば給料が上がる、高いポジションに行ける、という分かりやすい指標があった。

だから辛くても頑張れる。辛いけれど、ご褒美がしっかり見える。

 

けれども私達はどうだろう。もはや給料だけが幸せの指標じゃないし、高いポジションに上がることが幸せかどうかもそれぞれ。しかもがんばれば、時間をかければできる、みたいな単純な構造ではない。

つまり、ご褒美が見えにくい、というかこれまでとは違うアプローチをしないと自分のご褒美が見えてこない、故になんでこの辛いことをがんばっているんだろう、と考えてしまうんだと思う。

 

こういうことを踏まえた上で、働き続けるためにしている工夫が3つある。

 

1.自分の人生ゴールを明確にする

なんでも良いと思う。私の場合は幸せになること。誰かをどうする、ではなくまず自分のことをどうしたいか考えた方がいい。自分のことを決められない人が他人に影響を与えるような人間にはなれないと思うし。

私が幸せだと、私の周りの人にもその幸せをお裾分けできるという意味も込めて、まず幸せになることを考える。

じゃあ私の幸せって何だろう。これがとても大事。マーケティングに影響されて、ではなく自分が心から求めているものを考える。

どんな場所で、どんな風に暮らすか。人付き合いはどんな風にするか。

結婚も、消費行動も全ては手段、と思って考えることがこつだと思う。

 

2.働く=お金を得る行為という式を頭からはずす

働くというのは、誰かの役に立つということ。それがお金になるのが会社員だけれども、もっと広い意味でとらえる。

例えば、友達の引っ越しを手伝ったら菓子折りを頂いた。

困っている友達の相談に乗ったら、喫茶店でケーキをごちそうしてくれた。

これだって、相手が助けてくれてありがたかった、と思っているからこそ生まれる行為。見方を変えればこれも働く、という行為。

例えば会社でも、会議のための資料を作ったら、それは顧客には直接の利益にはならないけれど、一緒に働く仲間に分かりやすい資料が提供されたことによって、「資料を読みつぶす時間が短縮された」という利益を渡していることになる。

という具合に、自分の仕事が生み出す価値を想像してみると、同じ仕事でもすこし変わって見えてくる。

そしてそれはおもしろい人との縁だったり、何かたまたま手に入れたチケットを譲ってもらうとか、そういったもので返ってきたりするんだから面白い。

 

3.小学生のときの係活動を思い出す

幼児や小学生と触れ合っている人は分かると思うし、そうでない人も思い出して欲しいのだけれども、彼らはとても働く意欲がある。

大人のお手伝いをしたことで欲求が満たされている、とか色々あるんだろうけど、とにかく彼らはお手伝いをしたがる、つまり働く意欲にあふれている。

係活動が面倒だった人もいるかもしれないけれど、自分が何の係に立候補していたか、考えることで、自分がなんのしがらみもない状態で求めていたことや、やりたかったこと、実は違っていたんじゃないか自分の適正、なんかがふと思いつく。

年少の頃であればあるほど、自分の能力ではなく自分のやりたいことでやりたい係に立候補していたはずだ。

ここで注意なのが、例えば生き物係に立候補していたからといって、自分が生き物につて興味が合ったから手を挙げたのか、という式にしないことだ。

別の理由があったのかもしれない。

ちょっと気になる子、仲良くなりたい子がそれに手を挙げていたのかもしれない。

面白い生き物を学校で飼っていて、それを触りたいミーハー欲求だったのかもしれない。とにかく、年少の頃を思い出すと、自分ってこうだったかもしれない、というメタ認知ができて、仕事に対する向き合い方も考えられる。

 

 

そんなこんなで、私は働くことが好きだ。そう言う意味で、学生の頃には戻りたくないとさえ思う、ちょっと珍しい大人かもしれない。

働くことは、同じ会社に居続けることではなくて、誰かの役に立ち続けること、だもの。