くろやんの日記

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適齢期女性の結婚願望から考えさせられた、教養について

 

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「付き合う人の条件は色々あるけど、身長××cm以上、これだけは外せない」

よく女子会なんかで聞こえてくるワードかも知れません。男性に置き換えるなら、胸が××カップ以上!とかでしょうか?

多くの人にとって普通のワードで、女子会という小さな、しかも対象となり得る男性がいない会なのであれば、その場のノリに合わせた、その会へのリップサービスの一種みたいなもんなのかもしれません。

けれども、いい年になった"女性"が、多くの男性もいる中で、しかも割と本気度高めの「いい人いたら紹介してください!」と誰かにお願いするときに、この手の身体的特徴を述べてくる人と遭遇し、私は怯みました。

正直に、鋭く言っちゃうと「教養がなくて薄っぺらいな」って思っちゃいました。

 

そもそも教養って何なのか

・教養とは人生における面白いことを増やすためのツール

・暇な時間を豊かにしてくれるもの

などなど、色々言われていますが、ぱっとグーグルで出て来た意味はこちら

学問・知識を(一定の文化理想のもとに)しっかり身につけることによって養われる、心の豊かさ。

 

教養は何の役に立つのか

正直勉強しているときにはよく分からないでしょう。知識は学んだり、知った時点ではただの点に過ぎません。けれどもそれが経験や他の知識を通して線になり、立体的になって、ようやく面白くなってきます。

勉強した人だけに見える楽しい世界が広がっているなあ、とも思います。

これは、アニメや漫画の聖地巡りの感覚とほぼ同じなのでは? と思います。アニメや漫画も知らなければ聖地を通過しても、特になんとも思いません。

「君の名は」を観た後だから組紐がキラキラしたものに見えてくるし、飛騨古川駅にワクワクします。

歴史に詳しい人と古跡を巡ると、そこで起きた人間ドラマを教えてもらったりして、そんな想像をしていると、何もない廃墟みたいなところでも数時間滞在できたりします。

 

また、無神経に誰かを傷つける回数を減らせるなあとも思います。

例えば韓国に旅行に行って、高齢の方に「日本語上手ですね」って言いますか?

政治的・歴史的な考え方はそれぞれだと思いますが、右派でも左派でも、アジアの各地である年齢の高齢者が日本語を話せる、ということは歴史を学べば知ることです。

 

結婚条件に身体的特徴を並べることについて

何か特別な部族の出身で、その身長がないといけないとか。身長が外せない深い理由があるのなら話は分かります。そういう部族もいるのかあ……って学びます。(そんな人日本にいるのか知りませんが……)

若い女の子が白馬の王子様を想像して、想像上で言う「彼氏ほしー」レベルの発言として身長の条件を言うのは許容範囲でしょう。

けれども、本気で結婚を考えてしかも結構本気で周囲に紹介して欲しい、という場面でそれを言うことは、なんだか薄っぺらいし、そこで判断するくらいの人に大事な友達紹介したくないな……というのが正直な気持ちでした。

彼女は身長の他に年収や話が面白い人(つまり知識が豊かな人)という条件も挙げていたのですが、そういう人って、「身長(外見)で判断することは、肌の色(外見)で人を判断するのと一緒だよね」って考えていると思うんだよなあ。

つまり、自分は見た目しか見ませんって公言しているようなもの。

100歩譲って普段の仲のいい友達にしか見せない地はそれでよしとしても、もう少し公の場で(しかも男性もたくさんいる中で)それをやっちゃう、いっちゃうことの意味が分からないようだと、話が面白い知識が豊かな人は引いちゃうと思うけどな。

彼女、せっかくいい大学出てるのに、一般教養とかで差別とか権利に関する講義はとらなかったのかなあ。もったいない。

 

 

久しぶりにモヤモヤした上に、私(と夫)が紹介をお願いされた側だったので、色々考えてしまいました。外見条件をノリでぶっちゃけるのはせめて女子会だけにしてほしい。

と、ここまで考えたところで、モヤモヤするということは自分の中にも似たようなところがあったりするかもしれないよーの合図かもしれないので、普段の自分の生活も改めて見直したいと思う次第です。

差別や権利の問題ってむーずかしー。

 

《余談》

高校生の頃、教養を身につけたいと心から思わせられたきっかけとなった本がこちら。これを読んでから、教養を身につける、ということについてきちんと意識するようになった気がする。

……そういえば、友人の一人は「教養は色気」と言っていました

 

 おやすみなさい。