くろやんの日記

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PC環境に恵まれた私が考える、学習の限界

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ツイッターを見ていた時、とある呟きからとても色んなことを考えさせられ、最終的に人間の学習の限界について考えさせられたことを、記録しておきたいなと思って書きます。

 

今の世代は、コンピュータは空気のように周りにあって慣れてるものなので、一々学校で教えなくても大丈夫な気がする。ーふりぼーさん

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確かにそうかも、と半分頷けるようで私にとっては100%頷ける意見ではありませんでした。

というのも、都心に出てきて仲良くなった子たちは皆、小さいときから、もしくは家庭にPCやネット環境があるところで育っていて、PCスキルなんか困ったことがないような子ばかりだったのですが、私自身の地元の友達、にそういう子はいなかったからです。

地元の友達だけでなく、大学時代もそうでした。なので、こんな考えをもちました。

 

(大学時代)私と同世代(ゆとり)の友達でパソコン使えない子多くて、2、3件ネット繋げに行ったし、タイピングも慣れていないから(打ち込みが)遅過ぎてワード提出のレポート手書きで出したいって泣いてたときもあった。(学校でのパソコン学習が)5人で1台で家にPCがなければそうなるよね。ーくろやん

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工学部とかだと別ですが、文系学生は結構こういう子いました。

 

その後、ふりぼーさんと何通か意見交換を交わすうちに、ふりぼーさんのこちらの言葉から、検索する技能に対して自分がぶつかった壁について思い出したのです。

「でもやっぱり今の子だったら、分析する方法にしろ、エクセルの使い方云々にしろ、やっぱ検索して取得しちゃえる気がするんです。チャプター1からレッスン、というより、必要な時に必要なものを身に着けていく感じで。」

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これは私の個人の体験であり、すべての子供がそういうワケではないし、多分必要なことについてはこうやって取得ができるだろうし、分かりやすく教えてくれるサイトもアプリも増えていくだろうけれども。

「ネットがあるんだから分からないは甘え。ggrk(ググれカス)」という言葉が時に残酷な刃になってしまわないよう。自分自身の体験を書いておきたいなあ、と思います。自戒も込めて。

 

私はイオンさえないマジなど田舎の中で、PC環境についてはかなり恵まれていました。Win95を使っていた記憶が自分の中に残っているくらい。

理由としては、たまたまいとこの友達がPCを組み立てて販売する会社を東京でやっていて、そのいとこの友達に好奇心が旺盛な母が頼んで、格安にしてもらって我が家にやってきていたから。

仕事で使うとかではなく、家計簿の管理と遠くに住んでいる友人とメールをやっていました。使いどころがとりあえず家計簿の管理と友達とのメールだったので、母は私にもよく触らせてくれました。

よく使うから小1でローマ字を大体覚えてしまったし、ペイントで絵を描いて保存する、くらいのことも一人でできるようになりました。

そのうち学校でもパソコンの授業が始まる訳ですが、2、3人で1台で、そもそも大勢のパソコンなんて家にない子たちがやるので、電源をいれてシャットダウンをするところから。

でも超絶大変です。そもそも子どものやることだし、先生も見切れないので右クリックしちゃったり、なんだり。しかも起動も遅いしね。

 

学校教育でパソコンの授業ありましたって言ったって、そんなもんです。

そういう意味でも私は超絶恵まれていました。

 

ブログを始めたのは小学校の高学年の時でした。

学校の授業はワードで自己紹介、と称して、文字を打ったりペイントで描いた絵を貼付けたりしている頃。私はHTMLタグの勉強を独学でしていました。

それこそネットで。ひたすら検索していました。

本当はいとこの友達のお兄さんに直接聞きたいことは山ほどあったのですが、普段は東京にいる人で、しかも多忙な人だったのでなかなか聞けず。

母親も高卒の普通の主婦だし、父親は私よりタイピングが遅いくらい、あんまりPCさわらない人でしたので、聞いてもちんぷんかんぷん。

最初は苦労したけれど、だんだん分かりやすいサイトなんかも見つけて学習速度はどんどん上がっていきました。

 

検索して自分で調べる。

 

この習慣はHTMLタグ、そしてCSSの学習を通して学んだことと言っても過言ではないでしょう。

 

けれどもやっぱり、どうしても自分で調べただけでは分からないこともありました。

ソフトもダウンロードして、コードも打ち込んでみて、動かない。なぜ?

という状況が1週間以上続いたのです。

なぜ?をいつもPDCAをばんばん回して、あーでもない、こーでもない、とやるのですが、なかなか解決せず。

気がつけば、1ヶ月も経ちました。

 

ネットの掲示板で誰かに聞こうかと、何度も悩みました。

ただ当時、まだググれカス!という言葉はなかったものの、「自分で調べてください。はいURL」みたいな回答もたくさんあって、ギリギリまで自分で調べなければいけないと思い込んでいたふしもあり、掲示板に質問を書き込むことができないまま、そして誰にも相談ができないまま、時間が過ぎていきました。

どうしたらいいのか分からな過ぎて、学校の図書館に数冊だけあったプログラミングの本なんかも借りて読みました。(隅で埃をかぶっていました)

言ってることは分かるけど、それって具体的にどうやるの? うちのパソコンだったら何から始めれば良いの? だけが分からないまま半年くらい経った後、私はついに諦めました。受験も迫っていたし。

これが私が感じた、ネットでの学習の限界でした。

 

どっかのスーパーな起業家みたいにIQが高ければ解決できたのかもしれません。

叩かれても聞き続ける根性を持って掲示板に書き込みをすれば良かったのかもしれません。

親にいとこの友達の連絡先を聞いて自分で連絡してみれば良かったのかもしれません。

 

大人になった今なら、色んな解決策も思いつきましたが、運動部のくせに(しかも部長)部活終了後の家での時間をすべてPCに注いでいた私は、疲れたのかもしれません。

 

熱意がそれ以上なかった。才能がなかった。と言われればそれまでですが、この経験があるからこそ、色んな人に

「今は田舎でも、ネットがあるんだから調べれば良いじゃん」

みたいなことを言われても、いや限界があるよ、って思うのかもしれません。

マジで行き詰まったあの半年間はなかなかしんどかったです。授業中もノートに考えられうる原因を書き連ねてしまう程。

 

ここまでの経験を思い出して、問題はネットが使える、使えない云々以前に、学習の仕方や調べ方のハウツーをどれくらい知っているか、という部分の比重って大きいのかも、と思いました。

だからこそ、文科省はコーディングを教える、でもなく、プログラミングを教える、でもなく、コンピュータを使った問題解決能力を育てる、を提示しているのかもしれません。

 

自分だけじゃ分からかった経験からか、自分が無意識にそう行動するようになったのか、今はそういうことを教えてくれる夫をはじめリアルの友達がたくさん周囲にいる状態になりました。

こういう状況になるとつい、「いや、分からないなら調べようよ」って自分と同世代の子で、簡単にわかんなーい、て言って投げ出している子には言ってしまいそうになるけれど……

昔の、田舎に住んでいた自分は、本当に知りたいことを知る手段に手詰まりして、もがいていました。

どうやったって、人に聞いて人から説明してもらうまで理解できなかった自分がいました。

そういう普通の子のためにも、人がいて教えてくれる環境って必要だし、人が間に入ることで、なくなる学習の限界はたくさんある。ってことは覚えておきたいなと思います。

 

ちなみに最近、私がいくらネットで調べまくっても、学習が難しいのは料理とガーデニングです。

料理は人によってのレシピの違いと、使っている道具の違い。

ガーデニングは土の状態と、各地域の気候の違い。

これを考慮してPDCA回すのが、いくら検索が上手になってもなかなか難しいっす(´・ω・)

ちゃんとした先生に聞けば分かるだろうし、今は本当に聞きたければネットでメッセージ送っちゃえるくらいにはなったのですが……なかなか難しいです。