前評判の賛否がかなり分かれていたので今観るか、後日レンタルされるのを待つか、かなり悩みました。
というのも、IMAXとか3Dとかなら映画館でしか観られないし、大画面で観る価値もある、と自分の中で腑に落ちるのですが、ジブリを始めとするアニメ映画とか(もちろん絵のカットを大画面で観る楽しさもあるけど……)、まったりした家族系の邦画とかは、テレビで観られるようになって(=もう少し安価になるまで待って)もいいかなって思っちゃうんですよね。
だからストーリー展開なんて読めてしまうマーベル系は映画館に行っても、邦画は本当に「今観る方が良い」とか「この監督の次の作品も見てみたい」とか思う人でないと、なんとなく足が向かない。
が、先週と先日の金曜ロードショーで改めて細田監督の作品を観て、「ああ、今作は微妙だったのかもしれないけれど、私はまだこの監督の作品を観てみたい」と思って鑑賞してきました。
(たまたま映画館のポイントが貯まっていて安くみることができる、という状況も後押しするきっかけとなりました)
じゃあ観てみて、実際私はどうだったかというと……
前評判で言う程、全然悪くない。むしろ、結構良いなって思った派です。
良いな、面白いなって思ったポイントをまとめてみました。
★子供たちは爆笑。現代版トトロとしての一面
休日かつ夏休みの日中に見に行ったせいか、幼稚園、保育園児くらいの子から高校生まで、とにかく子どもが多かったです。
そしてファミリーや小学生くらいまでの子は要所要所で爆笑してました。めっちゃ楽しんでました。
この映画を、「大人向け」と言っている感想をチラホラみかけたのですが、私は「実は子供向け」なのでは? と思いました。(私が観た回の子たちにたまたま合っていたのかもですが)
「子供向け」で思い出すのが、そうトトロ。もしくはポニョ。
大人にも楽しいトトロやポニョですが、あの映画が基本的にずっと子供の視点で映画が進行するように、未来のミライも基本的にはずっとくんちゃん視点で進みます。
ここでふと考えさせられたのは、今時の、というか都会に生まれ育った団地の二世、三世とかの生活範囲を見事に表現している映画なんじゃないかな、ということでした。
トトロが描かれている一昔、いやもう二昔くらい前、子供たちの遊び場の範囲は山一つ分あるのは当たり前でした。現代でも0ではありませんが、山一つが遊び場で育つ子は少数派でしょう。私は山一つで育った派ですが、夫は違います。くんちゃんが幼少期を過ごした環境ととても良く似た環境で育っています。
すると、そうやって育った子にとって、何となく故郷(ではなくても)を思い起こす田園風景と家の庭に生えている樫の木って同じレベルで郷愁、今ドキに直すなら“エモさ”を感じるキーワードなのかもしれない、と思いました。
樫の木のところには、それぞれ自分の実家の夢の戸建てマイホームの庭に生えていた、何らかの木、とか。お母さんが手入れしていた花壇、とか。
※この先ちょっとネタバレ注意
★『未来のミライ』タイトルの意味の思考アレコレ
これは大人がアレコレ考えさせられて面白いポイント。みんなの解釈をサーフィンするのもまた面白いです。
そのアレコレ考えさせられるポイントで私が一番面白いな、と思ったのが作品タイトルについて。
『未来のミライ』それぞれ何を指しているのでしょう?
未来→未来ちゃん、時間軸としての未来
ミライ→未来ちゃん、時間軸としての未来、複合的な意味としての「ミライ」
単純に考えたら、「時間軸としての未来からやってきた未来ちゃん」
というところが妥当なのでしょうけれど、
前半の「未来」が漢字で、後半の「ミライ」がカタカナなことと、途中、未来ちゃんの命名の半紙がデカデカと登場するシーンを踏まえると、
「未来ちゃんの時間軸としての未来の話」、「未来ちゃんと時間軸として先に存在する未来ちゃん&その世界の話」、みたいな捉え方もできるのかなあ、なんて思いました。
映画を観ていると、あんなにポスターででかでかと目立っている未来ちゃんは、全然主人公感がありません。それは物語の半分以上、小さいくんちゃんの視点で、小さいくんちゃんの時間軸の場面がメインになっているから。
けれどもラストの方で、未来ちゃんが今の自分の時間軸、というところに存在して、そこに迷い込んできた過去の小さい頃のお兄ちゃん、という場面があります。
特別このシーンが長い訳ではないのですが、最後の大事な時間にこのシーンがあることによって、「未来の未来ちゃんが過去にやってきた話」ではなく、「未来ちゃんのところに過去のくんちゃんが迷い込んだ話」という印象がすごく強くなります。
途中までだと、くんちゃん主役っぽいのに、どうしてタイトルでこんなに未来ちゃんフューチャーしてたの?と思ってしまうのですが、最後のこのシーンによって一気に未来ちゃんに引き込まれました。
★監督が描く、現実世界×異世界(仮想世界)の交錯
時をかける少女、サマーウォーズ、おおかみこどもの雨と雪、バケモノの子、あとデジモンなんかも含めて、改めて細田監督が描く現実と異世界の交錯は絶妙で好きだなあ、と思いました。
程よいお互いの干渉具合で、「本当にありそうでない」ギリギリのラインだからこそ、魅入ってしまう世界感。
そしてその世界感を不思議なまま、でも心地よい締めくくりをしてくれるなあ、と感じます。不思議系な世界感って、めっちゃ説明的に世界感を駆け足で通り抜けきっちゃうやつになってしまうか、不思議が残りすぎて「えっ、そこでおわる?」みたいな後味になるか、みたいな部分があって、その辺の塩梅がうまいのが宮崎駿監督、っていう自分の中でのイメージだったのですが、今回細田監督の作品を見て、改めてこの監督もその辺の塩梅がちょうどいいなーと感じました。
デジタル的な感覚が強い分、ちょっとSFちっくで、なんとなく藤子不二雄や手塚治虫好きな人にもハマりそう。
今回評価が分かれたっていうネットでの声もあるし、映画館での興行収入の心配をしてしまいますが、上手くお金が回ってまた次も素敵な作品をみせてほしいな、と思います。
追記:
また、細田監督の作品はいつも原作も細田監督な訳ですが、書籍の方に書いてある設定を読み込んで、なるほど、と思うことも結構あります。
今回もしばらくしたら原作も本屋さんで買って読んでみようかな。